目覚め
ディスプレイ内に引き込まれてから意識を飛ばしてしまったらしい祭は、見知らぬ場所で目を覚ました。森の中なのか、木が生い茂っている。有難いことに祭が目を覚ました場所の傍らには湖があり、喉の渇きを潤すことが出来た。
「事実は小説より奇なり、か」
しみじみと呟いた言葉は思いの外低く、聞き慣れない声だった。
「え?」
戸惑いの声も低い。思わず喉元を押さえると、今までなかった筈の喉仏がボコりと出ており、その存在を主張している。
【貴方は本当のアナタに戻ります】
ディスプレイに引き込まれる前に確かに表示された言葉を思い出す。視線を下げると体の凹凸も無くなっていた。
「これが本当の私か…」
湖を覗き込むと、湖面に男になった祭の顔が映った。
目付きが少しきつくなり、唇も少し薄くなったようだった。顔の輪郭は丸から面長なものへと変わっていた。
見れば見る程しっくりときて、今までの自分が仮の姿だったのではないかと思う位だった。
「影響されやすいだけか」
独り言にしかならない祭の言葉は、突風によって掻き消された。
湖の水を一口飲み、その場に立ち上がる。どうやら身長も伸びているようで、視界がいつもより高かった。
ぐるりと周りを見渡してみたが、特に変わった物はなく、人や動物の気配もない。
ここがどういった世界かを教えてくれる物は何一つなかった。この世界を知るためには、まずは情報収集が必要だった。
「まあ、行ってみよか」
祭は一度大きく伸びをしてから歩き出した。
祭が歩く道は、動物が通った後なのか、足跡がしっかりと残っていた。踏みつけられた草は力なく地面に横たわっていた。
念のために固さを確認した棒切れを右手に持ち、ゆっくりと歩く。襲われる可能性を考慮すると、何らかの武器が必要だった。RPGゲームの様に、都合よく剣や盾が落ちているわけもないため、道端に転がった棒切れを武器にする他なかった。応戦できるかどうかは分からないが、時間稼ぎ位にはなるだろうというのが祭の見解だ。
とにかく真っ直ぐの道を歩き進めているが、この道がどこに繋がっているのか分からないため、この行動が正解なのか、間違っているのか分からない。この先が獣の巣でたどり着いたと同時にパックリ食べられるということも有り得る。
そんなことを頭の端っこで考えながらも、これ以上悪いことは起こらないだろうと、わけの分からない自信が祭にはあった。
「うわあー!!」
祭の自信を否定するように、人の声が響いた。この近くなのだろう。聞こえた叫び声の他に、何かを落とした音が茂みの少し向こうから聞こえた。
これを見捨てるわけにはいかないと、直ぐ様方向転換を行い、走り出す。邪魔な草や枝を棒切れで打ち払いながら走り抜ける。
現場と思われる場所には一人の女性が尻餅をついた状態で座り込んでおり、大型動物と向かい合っていた。
明らかな生命の危機に、女性は涙目だった。
祭は大型動物に気付かれないようにゆっくりと近付くと、棒切れで片足を撲った。役目を終えた棒切れは二つに折れ、片方が飛んでいった。
「走って!!」
祭は女性に向かって叫んだ。祭の出現に驚き、固まっていた女性は、はっと我に返り立ち上がる。そして走り始めた。
女性が走り始めたのを確認すると、祭も同じ方向に一目散に逃げる。
撲られた当初痛がっていた動物も、すぐに復活し、怒りに腕を振り回している。そして勢いよく祭達に向かって走り始めた。体が大きいため、一歩の歩幅も大きい。すぐに追い付かれてしまいそうだった。
「やばい!追い付かれそうや」
振り向くと後数歩というところまで迫っていた。
―万事休すか…!?
隣を走る女性を祭が見つめると、最悪のケースを考えたのか、顔を真っ青にしていた。祭の頭に浮かんだのも、多分女性と同じだろう最悪のケース、死だった。
しかし、祭は簡単に死んでやるつもりはなかった。同じ死ぬなら足掻いてから死んでやろうと考えていた。
何が出来るか分からない。何か特別なことが出来る自信だってない。足掻くことも出来ず死ぬかもしれない。そんな状態にも関わらず、祭は足を止め、振り返った。
大型動物はすぐそこだった。
祭は目を閉じて深呼吸をした。
―ここに連れて来られたからには、何か私にも出来る事がある筈や。
そう思い、頭の中で色々イメージしてみたが何も起こらなかった。
―こういう時になんか出来るんとちゃうん!?
祭の頬に汗が伝う。大型動物までの距離は後数センチだった。
「ええ加減に何か起これや!!」
叫びとともに風が吹き荒れる。そして吹き荒れる風が刃となり、大型動物に突き刺さった。
大型動物の丁度心臓あたりに刺さったのだろう。風の刃が突き刺さった瞬間はもがく様に体を動かしていたが、少し時間が経つとピクリとも動かなくなった。そして、動かなくなった瞬間、刺さった部分から、パリンとガラスが割れるような音がした。大型動物の内側から聞こえる不思議な音が、すぐ傍にいる祭の耳にも届いた。
一体何が起こっているのか、祭にも、少し離れた場所に立っている女性にも分からなかった。
祭の叫びに風が反応し、大型動物に突き刺さった。そして、何かが割れ、大型動物の様子が変わった。分かっているのはこの事だけだった。
風の刃が消え去った瞬間、赤く染まっていた大型動物の目の色が青に変わった。先程までの興奮した様子が嘘のように落ち着いている。祭達に攻撃してくる様子はなかった。
大型動物は森の奥に向かってゆっくりと歩き始めた。祭達が見守る中で、こちらを一瞥することもなく木々の向こうに消えていった。
「素晴らしい!!」
突然、パチパチという拍手とともに木の上から声が降ってきた。見上げれは木の枝に腰掛けた人がこちらを見て、手を叩いていた。顔にマスクをつけた人物が降りてくる気配はない。
「あんたは誰や?」
低くした声で問うと、マスクの人物は愉快そうに笑った。
「誰かと問われれば、マスクの人、と答えるしかないね。私は名前を昔に捨ててしまったからね。ああ、君達をこの世界に連れ戻した人、とも言えるか」
ふわふわと掴み所のない口調で話すマスクの人物は、すっと目を細めた。
「君達?つまりこの人も引き込まれたんか!?」
「そう。彼、否、今は彼女か。彼女も君と同じ様にしてこの世界に連れ戻された一人さ。そして本当の姿に戻った。実に喜ばしいことだ!!」
マスクの人物は声を大きくした。興奮しているのか、今にも木から降りてきそうだった。
祭は後退り、女性の近くに立つ。
「意味が分からへん!!本当の私ってどういうことや!?連れ戻されたって!?それに今さっきの動物は何なん?あの風も!!」
聞きたいことは色々あった。冷静に見せていても、現実に起きているとは到底思えない出来事が起こり続けた。祭の中から湧いてくる疑問は止めどなく溢れ、祭の頭はパンクしそうになっていた。
マスクの人物は一度考える素振りを見せた。顎に手をあて、ふむ、と声を出すのだ。真実を全て語る気がないことをその仕草が物語っていた。
「私にも今、分かることと分からないことがあるからね。分かることにはお答えしよう」
ゴホンと偉そうに咳払いし、枝に腰かけたまま姿勢を正す。真剣な面持ちで答えを待つ祭達に反して、マスクの人物は笑ったままだった。
「先程の動物は魔に囚われた獣。魔獣と呼ばれている。何者かに操られたのか、それとも何かの原因でなってしまったのか、その原因はわからないが。そしてあの風は君の秘められた能力だ。魔を浄化し、その対象をこの世から消すことなく救う…素晴らしい力だ…」
そこで言葉を一旦切ると、空と地を交互に見やった。そして、目を一度閉じた後でゆっくりと軽やかな動作で木から降りてきた。どうやら最初の質問に答えるつもりはないらしい。
マスクの人物が二人に近付き、二人の周りをぐるりと回った。
「……君達はこの世界の全ての人に望まれているわけではない。君達の存在を知れば、疎ましく思う者が出てくるだろう」
祭と女性の傍らに立ったマスクの人物は、二人の手を取り、握り締めた。二人を見つめるその目には、先程までの愉快そうな笑みはなく、真剣そのものだった。
「それでも…良いかい?忘れないでおくれ。この世界は、君達を求めている。君達の存在を、力を求めているんだ………」
言い終えるや否や、マスクの人物は二人の手をパッと離し、先程までと同じ笑みを浮かべた後でその場から消えていった。
「長居は禁物、長居は禁物。まずは、南の方に進むことをお勧めするよ。君達の旅に幸多からんことを。では、また」
姿は見えなくなったというのに声だけがしっかりと森に響いた。祭が悔しげに唇を噛む。
「ちょっ!?まだ、聞きたいことあってんのに…あのピエロめ」
憎々しげに絞り出された声は、その場から颯爽と去った当の本人に届いていたのだろう。愉快そうな笑い声だけがいつまでも木霊していた。
しばらくして、完全にマスクの人物の気配が消えたことを確認すると、祭は息を吐き、女性に向き直った。
「あんたも私と同じってことが分かったし、まあ、仲良くしてや。ってことで自己紹介!名前知らんかったら旅しにくいし。私は山下祭、21歳で、向こうでは女やったんやけど、まあ見て分かるように、こっちきたら男になっててん。五月蝿いかも知れんけどよろしく」
女性の手を握ると豪快に笑い、握手のつもりなのか、手をブンブンと振った。祭の勢いに圧された女性は、言葉を発せずされるがままになっていた。
「で、あんたの名前は?」
「あ、えと、中村結ーです。26歳で、向こうでは、あの、男、でした」
小さめな声でぼそぼそと話す結ーに、祭は頷いた。
「それで一人称が僕やったんですね。お互い性別逆転して不便やけど、教えあいながら頑張りましょうよ」
年上ということを考慮したのか、祭が慣れない敬語を使う。結ーは困ったように眉を寄せる。
「あの…別に敬語が苦手なら、僕なんかに使わなくても……」
しどろもどろに意見を言ってみれば、祭は顔の前でぶんぶんと手を振った。
「いやいや。年上ですしね、やっぱり敬語は使わんと。勝手に使ってるだけなんで気にせんといて下さい」
「はあ」
結ーの気の抜けた返事に、祭は笑った。
「気を使ってくれたんですね。中村さんって優しいなあ」
柔らかい笑み付きでそう言われ、結ーは焦った。優柔不断、挙動不審、ダメ人間などは頻繁に言われていた。しかし、優しいなどここ数年言われたことがなかった為、どう反応すれば良いかさっぱり分からなかったのだ。
何と答えれば良いのか焦りながら考えた結果、答えは出てこず、結局押し黙ってまった。ここで「ありがとう」とか「そんな事ないよ。山下さんの方こそ礼儀正しいんだね」といった返しが出来れば良かったのだろうが、ここ数年、家族とすら会話があまりなかった結ーにとって、今さっき知り合ったばかりの人物との会話は難易度が高すぎた。
内心わたわたと焦っている結ーをよそに、祭は気にしていないのか、笑ったまま話を進める。
「じゃあ、まあ取り敢えず自己紹介も終わったし、あのピエロが言うてた通りにするのは腹立つけど、南向いて行きましょか」
今にも歩き出しそうな勢いの祭に、漸く冷静さを取り戻した結ーが疑問を口にする。
「あ、でも、どの方向が南か分かってる?」
結ーの質問に祭の体がピタリと止まった。祭は恥ずかしそうに頬を掻くと、結ーの方に向き直る。
「何見たら南って分かるんですか?」
「えっと、確か、時計の短針を太陽の位置に合わせて、12時の表示と二等分した方向が南だって聞いたことが…」
「…やってもろても良いですか?」
「う、うん」
結ーはズボンのポケットから男物の安っぽい時計を取り出すと、実際に実演してみせる。
短針をきっちり太陽に合わせ、12時の表示との中間を指で指し示した。
「多分、あっち、かな」
結ーが指差した方向は、祭が進もうとしていた方向とは真逆だった。
「へえ、そうやって見るんですね。勉強になりました」
「あ、でも、簡易的な見方だからちゃんと合ってるかどうか…」
尊敬の眼差しを向けられ、結ーは慌てた。言葉も尻すぼみになり、続かない。自分に自信が持てず、自分でも自分をダメ人間と評価してきた結ーにとって、祭の彼に対する対応は先程から非常に困ったものだった。
祭は今時珍しい位の純粋さと素直さを持っている、というのが、祭に対する結ーの見解だった。
だからこそ結ーはやりにくさ、対応のしにくさを感じていた。結ーを貶す人とのやり取りは多々あったが、彼を良く評価する人とのやり取りはここ数年無かったのだ。
「中村さんのお陰で何とか進めそうです。ほんまありがとうございます」
ペコリと頭まで下げられ、結ーは焦りがピークに達し、発狂しそうだった。
「お、お礼なんか良いから!!行きましょう!!」
今までで一番大きな声を出し、時計の高さをそのままに保ちながら歩き出す。これ以上パニックになりたくないと、無言で歩く結ーの後ろに祭が続いた。
南の方角に向かい歩いて行くと、途中で、先ほど魔獣化していた動物と同じ種類のものとすれ違ったが、襲ってくる気配はなかった。それどころか、祭たちを見かけた瞬間怯えたように逃げ去っていくのだ。元々大人しい性格の動物だったのかもしれない。そんなことを考えながら、森の奥深くに進んでいく。
進めば進むほど道は険しくなり、道らしい道は無くなっていった。
しかし、それと反比例するように、綺麗な空気が辺りを満たし、青々とした緑の葉をもつ木々が所狭しと自生していた。川があるのかせせらぎが聞こえてくる。
祭は大きく伸びをし、空気を肺いっぱいに吸い込んだ。都会育ちで、排気ガスに汚染された空気しか吸ったことのなかった肺が、新鮮な空気を吸い、喜んでいるようだった。
「マイナスイオンとか出てるんですかね~?」
「出ているかもしれないですね。これだけ綺麗な森ですから…」
「今ブームやし、向こうの世界やったら、屋久島とかみたいにパワースポットとして紹介されてたかもしれませんね」
運気を上げに行くと称して彼氏と旅行に出かけて行った同級生の顔が頭に浮かんだ。お土産にと渡された木の枝を見た瞬間、反応に困り眉間に皺に寄せた数週間前の出来事を祭は思い出していた。関西人らしく、笑いを取るべきなのか迷った挙句、素直に受け取った瞬間に見せた同級生の残念そうな顔は今でも忘れられない。
黙り込んだ祭の隣で、結一は数年前に行った和歌山のとある町のことを思い出していた。その時存命だった祖父とともに歩いた熊野古道の道は舗装があまりされていなかった。道幅は二人が通れるほどのものだったが、その当時ロープも何もひかれていなかった道は、一歩間違えれば落下し怪我をするような道だった。歩いたのが丁度12月の末だったということもあり、自分たちの他に歩く人は居らず、貸切状態だった。前日あの地方には珍しく雪が降ったため、雪が所々残っており、葉についた雪がキラキラと輝くのがとても綺麗だったと記憶している。あのとき、結一が吸った爽やかな冷たい空気が今の空気によく似ていて、懐かしさを感じていた。
「向こうでは見ることなんかなかったモノやろうな…」
小さな祭の呟きに、結一は頷いた。
伐採されていく木々が増え、森が減った。そして、開かれた新しい場所ができた。多くの人々はそれに喜んだが、果たしてそれが本当に喜ばしいものだったのか、祭たちは分からなくなっていた。
「僕たちは、昔失ったモノを取り戻しにやってきたのかもしれませんね…」
結一の声は小さなものだったが、祭の耳にもしっかりと届いていた。
「私らに何が出来るか分からへんけど、役割が何かあるんでしょうね」
「僕にも、何か、出来るんでしょうか?」
先程の魔獣との戦いを思い出し、結一は身震いした。何も出来ないでただ死を待つだけだった自分と、そんな自分を助けるために身を呈して戦ってくれた祭。今後同じような場面に出くわした時、自分が祭を守れるようなことが出来るとは思えなかった。自分のために人が死ぬ。自分の死よりもそのことが怖かった。
開花された能力と未だ未開の能力。それも結一自身があるのではないかと思っているだけで、本当は能力などないのかもしれない。もし、能力が無いのならどう祭を守れば良いのか分からない。
不安そうに瞳を揺らめかせる結一の背中を祭がバシリと叩いた。
「焦らんでええんとちゃいますか?私らは必要とされてここに来た。これだけは事実なんやから。それに、能力とか、そんなんも、きっとその内出てきますよ。私の場合はあの時やったってだけで…それに、遅れて出てくる能力の方が何か強そうやないですか!?」
押し付けがましくない優しい言葉に、溌剌と笑う祭。
結一はふっと表情を綻ばせた。柔らかい、綺麗な笑顔だった。
その表情を見た祭は驚いて口をパクパクさせた後で、頭をガシガシと掻いた。
「ああもう!男歴一日目やっていうのに!!」
結一に聞こえない大きさでぶちぶちと言い続けられるわけの分からない言葉に、結一は頭にクエスチョンマークを浮かべる。
「あの、僕、何かしましたか?」
「何もしてませんよ。ただ、こう男の葛藤を今感じてただけで…」
「はあ?」
「まあ、とにかく進みましょ。日が暮れてきたら危ないやろし」
「あ、はい」
結一がずっと持ち続けていた時計を奪うと、祭が太陽の位置に短針を合わせて進みだす。
男になった祭は身長が180cm程あり、女になった結一の身長は少し縮み、160cmあるかないか位になっていた。歩幅は勿論違い、祭の一歩が結一の二歩になっていた。初めの内、気づかずに歩いていた祭だったが、パタパタと速足で小刻みについてくる音に気づき足を止めた。
振り向けば、冷たい空気に反して薄らと額に汗を滲ませた結一がいた。祭に気を使わせないようにするためか、早くなった鼓動と呼吸を鎮めようと静かに深呼吸をしていた。
「歩くん速かったですか?」
祭の問いに、結一は手を顔の前でぶんぶんと振った。
「いや、僕が歩くのが遅いだけで。気にしないでください」
少し速いからゆっくり歩いて。ただそう言えば良いだけだというのに、結一は決してその言葉を口にしようとはしなかった。
「…私が疲れたんで、ちょっと休みませんか?」
『私が』を強調すれば、結一は素直に頷いた。ゆっくりと木の根元に腰かけ、背中を預ける。
思っていたよりも汗をかいていたらしい。冷たい風が気持ち良いと二人は思った。
「これから歩いて行くんやったら、水分とか必要ですよね」
「流石に、長距離になると、あの、脱水になってしまうかな」
「水場探しながら行きましょか。私が最初に落とされた場所にも湖あったし、たぶんあるやろうから」
「うん」
5分程そこで休んだ後で、二人は再び歩き出した。今度は、祭が結一の歩幅に合わせて歩いているため、先ほどより少しゆっくりだ。祭が隣を歩く結一をちらりと見れば、息切れしておらず、歩調も軽やかだ。
その姿に、祭は納得したように頷くと、ゆっくりと歩を進めた。
歩き出して15分が経過した頃、水の流れる音が二人の耳に届いた。音のする方に向かって歩いて行けば、小さな川が流れていた。川の底がクリアに見える程綺麗な川は、鳥たちの水場なのだろうか。数羽の鳥がそこで羽を休めていた。
祭たちが川に近づくと、羽を広げ、空に羽ばたいていった。
「水、飲みませんか?」「飲みます」
こちらに来てから一度も水を口にしていなかった結一は、まずらしく祭の問いに間髪入れずに返答した。
二人はごくごくと綺麗な水を飲み、乾いた喉を潤す。
「ああ、生き返った」
「同感です」
水を飲んで満足したのか、二人が和やかな雰囲気でいると、突然、槍が降ってきた。
明らかに二人を狙っていたのだろう。避けなければ二人のどちらかに刺さっていたはずの槍は地面にザクッと突き刺さった。
攻撃されると思っていなかった祭たちは、突然の敵に驚いた。
「何者や!?」
槍が飛んできた方向を見れば、黒いフードを目深に被ったガタイの良い男性が立っていた。
「お前たちこそ何者だ?神聖なる森に侵入し、何をしようと考えていた?」
抑揚のない声で男が問う。祭が何かを言い返そうとした瞬間、結一が祭を押しのけ、前に出た。その行動は結一にしてみればとても勇気のいることで、結一の足はプルプルと震えていた。
「ぼ、僕たちは別にこの森を侵そうなんて思っていません!南に行けと、ある人から助言をもらったので、行こうとしていただけで……だかえら、その…」
「南だと?貴様らハーフの村を狙っているのか!?」
フードの向こうで眼光が強くなったのを感じた。この男は何か勘違いしている。そのことは祭にも分かっていた。
「何か勘違いしてるみたいやけど、私らはどこも狙ってへん。ああ、もう!!面倒やから言うけど、私らは異世界からこの世界に来た。やるべきことがあって。それをする為に、まずは南の方に向かえって言われたから行ってるだけや。危害を加えるつもりなんかない」
きっぱりと祭が言い張れば、少しだけ男の雰囲気が和らいだ。しかし、完全に警戒が解かれたわけではない。
「異世界の者は異能を持つという。本当ならば見せてみろ」
男がゆっくりと、二人に近付いてくる。祭はゴクリと唾を飲んだ。結一は背中に嫌な汗が滲むのを感じた。
祭の唯一の能力は魔獣化したモノにしか効かないだろうし、結一に至っては何も能力を持っていない。
ーどうすれば良い?今度は僕が、何とかしなくちゃいけないのに…!
祭はゆっくりと深呼吸する。いざとなったら、結一だけでも逃がそうと思っていた。
男の足がピタリと止まった。
「さあ、見せてみろ」
どうするべきか、何をすれば良いのか分からない。
張りつめた空気の中で必死に思考を巡らす。
「さあ!」
考えはまとまらず、結一は下を向いた。祭は男を睨みつけた。
男がフードの向こうでふっと笑った。
「所詮は偽りを語る者。死ね」
男は離れた場所にあったはずの槍を手にし、再び二人に向かって投げつけた。近距離で、狙いを定めて放った槍は真っ直ぐ二人に向かっていった。祭は咄嗟に結一を後ろに押しやった。
結一が顔を上げると、槍が祭に刺さろうとしていた。
涙が溢れた。
「駄目だ!!」
自分のために、自分なんかのために誰かが死ぬなんてあっていいことじゃない。自分が死んだとしても、祭は生きなければならない。
結一の涙がポタリと地面に流れ落ちた。その瞬間大きな光が二人を包む。今まさに刺さろうとしていた槍はそのままの状態で止まり、力をなくしたそれは地面に落ちた。
「タイムコントロール…時の女神の力か?」
地面に落ちた槍を拾おうとした瞬間、踏み荒らされたはずの草花が再び力を取り戻しているのに気付いた。
「否…再生、修復、か……あり得ない」
男は結一を見ると膝を折った。
「どうやらお前たちの言葉が正しいようだ。危害を加えようとしたこと、謝罪する」
「あ、いえ、分かってもらえればそれで…ねえ?」
「ああ、そうやね」
男は立ち上がると、槍をポンと叩いた。瞬間、小さなアクセサリーになり、男のポケットに収まる。
魔法なのか何なのか分からないが、目の前で繰り広げられた非現実的な出来事に、祭たちは改めて自分たちが違う世界にきてしまったのだと感じた。
「俺はハーフの村の番人ヴォルグ。先程の詫びにハーフの村まで案内しよう」
ヴォルグはフードを外した。フードから出てきたヴォルグの顔は右側が火傷の痕なのか、ケロイドのように引きつった肌をしていた。金色の髪に浅黒い肌、真っ黒の瞳と全てがアンバランスに感じるものだったが、それは、ヴォルグにとてもよく似合っていた。
「よろしくお願いします」
ヴォルグの顔やその姿について何も触れず、二人は頭を下げた。空気を読んだ、とか、気を使って、というわけではなかった。ただ単に聞く必要がなかったから触れなかった。ただそれだけだった。その傷や姿についての話が必要になれば、その時に説明されるだろうと思っていた。
ヴォルグは頷くと、二人の前を歩いていく。
祭と結一は顔を見合わせた後で、ヴォルグの後ろに付いて行った。
ヴォルグの言う【ハーフの村】に行けば、自分たちのこの世界での役割が見いだせるのではないか、そう二人は思っていた。




