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【短編】婚約者から病弱な妹に腹を貸せと言われました

掲載日:2026/03/25

 アリーシャは今年十八歳になるイアナの二歳下の妹だ。

 銀色の髪に水色の瞳、二人は良く似た姉妹だった。


 けれどアリーシャは生まれつき虚弱で一年の大半を自室で過ごしていた。

 エイデン家伯爵令嬢のイアナも外出の自由は無いのは同じだ。

 しかし健康かそうでないかの違いは大きいと子供ながらに知っていた。


 だから両親の「イアナは恵まれているのだから我慢しなさい」という命令に逆らうことはしなかった。

 我慢というのは多岐に渡ったが一番辛いのは家族の誰からも尊重されないことだった。


 両親はかよわいアリーシャと今年八歳になる末弟で跡継ぎのルアンに付きっきりだった。

 長女のイアナは屋敷では使用人としか会話しないのが日常だ。

 貴族の子どもは乳母に育てられる。なので親子でもある程度の距離があるものだ。


 そんなことはイアナはとっくに知っている。

 理解した上でこの家はおかしいと感じていた。


 だって誕生日や祝祭の贈り物さえイアナだけ明確に差を付けられたのだ。

 だから彼女は妹と弟のように無邪気に祝祭を喜べなかった。

 イアナは去年の冬を思い出す。

   

「聞いてお姉様、お父さまとお母様が欲しかった画集を下さったの!」

「いいでしょ姉様、欲しかった玩具の剣とお城の模型両方貰ったんだ!」


 冬の聖誕祭、イアナの二人の弟妹は両親からの贈り物に輝くような笑顔を見せた。

 イアナはそれに微笑んで良かったわねと答えた。


 彼女が伯爵様からだと執事に渡された冬の日の贈り物は礼儀作法の本一冊だった。

 しかも既に同じ本は書棚にある。一昨年の冬に同じように渡された物だった。


 誕生日にはハンカチと手帳。毎年同じデザインの物だった。

 誰も、イアナに何が欲しいか尋ねることはしなかった。


 イアナも贈り物をリクエストする為だけに両親と会話するのを躊躇った。

 強欲ではしたない娘だと思われたくなかったのだ。



 それでも一度だけ両親に本音を吐露した事がある。

 本当は自分だけ家族と血が繋がっていないのでは。

 ある日母にそう尋ねると泣き崩れ、父に何て酷い事をと強く叱られた。

 

 その日以来イアナは両親と積極的に会話したいと思わない。


 親たちは泊りの用さえ無ければ毎日アリーシャとルアンの部屋まで行って雑談をしているらしい。

 病弱なアリーシャと幼いルアンは部屋は一階で両親の部屋の近くだった。

 イアナだけ二階の奥と遠く離れている。しかも使わない部屋ばかりの棟だ。

 そのせいで食事の時間にも遅れがちだった。イアナを待たず他の家族は食べ始める。


(それでも、愛されてないと認識するのは罪なのかしら)


 イアナは両親の顔を最早ぼんやりとしか思い出せない。

 昔は忘れたくなくて肖像画のある部屋まで行ったりしたが、今はもう止めてしまった。


 けれどそれは孤独が平気になった訳ではない。


(時間が解決してくれる)


 イアナには両親が決めた婚約者がいた。

 アッシャー家伯爵令息のクロスとは幼馴染のようなもので再来年結婚する予定だった。

 結婚すれば、家から解放されてクロスの妻としての個を確立できるとイアナは信じていた。

 だってこの国では配偶者は一人だけなのだから。


 けれど、それすら許されなかったらしい。



   ■■■



「形だけの妻……ですか?」


 ある日の昼下がり、屋敷を訪ねて来た婚約者のクロスは何故かイアナの妹であるアリーシャの部屋にイアナを誘った。

 それ自体は珍しいことではない。

 来客との雑談は病弱なアリーシャにとっては何よりの娯楽だからだ。


 最初はアリーシャの侍女からの伝言で妹を婚約者と二人で見舞った。

 けれどいつしかクロスが屋敷でイアナと会う時は必ずアリーシャとの談話が予定に含まれるようになった。


(仕方ないわ、行かなければアリーシャが拗ねてしまうのだもの)


 屋敷が世界の全てで友人もいない病弱な彼女は姉の婚約者との会話を楽しみにしていた。

 そしてクロスも自分の話を嬉しそうに聞くアリーシャに好感を抱いていたようだ。


『彼女は君の妹で、そして僕の妹にもなるのだから』


 クロスは優しい微笑みで言う。イアナはそれを曇らせてまで我儘を言うことは出来なかった。

 病弱な妹に冷たい性格の悪い娘だと婚約者であるクロスに失望されたくなかったのだ。

 だから三人でのお茶会は珍しいことでは無かった。


「そうだ。表では当然君を僕の妻として扱う。けれど家の中ではアリーシャを妻として愛したいんだ」


 誠実そうな表情で言う婚約者が見知らぬ人のようにイアナには思えた。


「……何を言っているの?」

「僕とアリーシャは何年も前から想い合っている」

「うん、クロスはよく私の部屋に遊びに来てくれるわ」

「そんな……」


 イアナは青褪めた。

 婚約者と妹の二人が自分抜きでも会っているという事実は初めて知らされたものだった。

 更に何年も前から恋仲だったという事も。

 常に幼い口調のアリーシャが今は稀代の悪女のように見える。

 たった一人の妹を憎みたくなどないのに。


「君の事は嫌いじゃない。でも女性として愛しているのアリーシャなんだ」


 クロスが真剣な瞳でイアナに言う。整った顔は舞台俳優のようだ。

 その顔も低い声も好ましく思っていた。


 けれど彼がイアナに今口にした台詞は残酷で軽薄な物だった。聞きたくもない。

 でもクロス本人は自分の言葉の残酷さに気付いていないのだろう。


 女性としてどうでもいい存在と言われたに等しいイアナは心がひび割れて泣く事さえ出来なかった。

 確かにイアナとクロスは婚約者であっても恋人とは言えなかったかもしれない。

 

 恋愛小説のような胸の高鳴りや心の通い合いなど無かった。

 そう気づいた時イアナはクロスとの関係を諦めることにした。

 諦めることには恐ろしい程に慣れていた。


「……わかりました。では私の両親とクロス様で婚約破棄の手続きを進めてください」


 固い声でイアナは言う。けれどクロスは了承しなかった。


「違う、僕たちはそんなことは望んでいない」

「ではどうされるおつもりですか」


 イアナの問いかけに答えたのは縫いぐるみが沢山並べられた豪奢なベッドから身を起こした妹だった。


「あのね、お姉様は私の代わりに伯爵夫人をして私の為の子供を生んで欲しいの」

「……は?」

「でも子供の名前は私に決めさせてね!」


 そう屈託のない微笑みで言う妹は幼女のようだった。

 そしてそんな彼女を婚約者の青年は愛おしそうに見つめる。


「アリーシャの夢は母親になることなんだ。君も姉なら叶えてあげたいだろう?」


 色々な要因が重なってイアナは強い吐き気を覚えた。

 アリーシャは何も知らない。ひたすら可哀想と甘やかされて来た無知で愚かな娘だ。


 けれどクロスは伯爵令息として育てられながら、そんな娘に手を出したのだ。

 アリーシャの姉である自分と婚約を継続しながら。


 そして結婚後も関係を続けるつもりでいる。

 イアナに伯爵夫人としての務めと、妊娠出産の義務だけを押し付けて実質的な夫婦生活はアリーシャと行うつもりなのだ。

 きっとイアナが産んだ子供も二人の子として育てるつもりなのだろう。


「そんなこと、両親が許しませんわ」


 絞り出すようにイアナはクロスに言う。彼は不思議そうな顔で答えた。


「伯爵夫妻からは既に了承を頂いているよ? だけど君にも前もって説明しておくべきだと思って」


 そうあっけらかんと言われてイアナは耐えきれず吐いた。

 気づいたのだ。彼らは一度もこちらに確認はしていない。


 形だけの妻になるのも妹の代わりに子供を産むのも決定事項として話していた。

 自分の人生が最期までアリーシャに食い潰されるショックでイアナは倒れた。



 ■■■



 気が付くとイアナは自室のベッドに横たわっていた。

 口の中が不快だった為サイドテーブルの水差しから水を飲む。傍に手紙が置いてあるのに気付いた。


 それは両親からの物だった。


 アリーシャの部屋を嘔吐で汚した叱責、体調管理が出来ないことへの厳しい注意。

 そして体に気を付け今後も伯爵夫人に相応しい知識と態度を身に付けるようにという命令だった。 

 イアナの目から涙が零れた。当然だが気遣って貰った嬉しさからでは無い。 

 

「……ルークお兄様に会いたい」


 イアナには血の繋がらない三歳上の兄が数年間だけ居た。

 彼はルークという名前でイアナが六歳の時にエイデン伯爵家の養子になった。


 母はアリーシャを産んだ後に大病をし妊娠は難しいと医師から言われたようだ。

 イアナがそれを知ったのは大分後になるが、突然現れた兄はイアナに優しかった。


 彼は毎年イアナの誕生日と冬の聖誕祭に贈り物をくれた。

 それは必ずイアナの欲しい物だった。

 何故ねだらないのに欲しい物がわかったのだとイアナが聞くと彼は「話してればわかるよ」と微笑んだのだった。


 けれど末弟のルアンが生まれた翌年の冬にルークは屋敷から居なくなった。

 両親は遠くの学校にやったと答えたが手紙を送りたいとイアナが言うと厳しく止めた。


 それから何年も経ちイアナはルークが後継者として不要と捨てられたのだと薄々気づいていた。

 でも両親から無理に聞き出しそれが真実だったなら、イアナは実の親が魔物のように思えてしまう。


 自分の屋敷内での生きやすさの為に優しくしてくれた義兄をイアナは忘れようとした。

 でも忘れるのは無理だったから両親の言う通り全寮制の学校に通っているのだと思い込もうとした。

 既に成人している筈の彼が屋敷に帰ってこない事実から目を逸らして。


 その罰が、これなのかもしれない。


 イアナは新たな涙を流した。

 人でなしは両親だけでは無かった。妹も婚約者もそうだったのだ。


 枕を濡らしながらイアナは再び眠りにつく。

 当然のように悪夢を見た。


 それは自分が流行り病にかかり苦しみながら孤独に死んでいく夢だった。

 寂しさと悲しさと絶望の中で、しかしイアナは一つの事に気付いた。


『別に病弱じゃなくても、人は呆気なく死んでしまうのだわ』


 アリーシャよりもイアナの方が早く死んでしまう可能性だってある。

 当たり前のことだが、イアナには新鮮な気づきだった。


 ■■■


 早朝、小鳥の声でイアナは目を覚ます。

 胃の中は空で喉は乾き、目は泣きすぎて痛かった。


 けれどその痛む瞳で見る朝焼けは矢鱈眩しく美しく思える。


 だから、イアナは一つの決心をした。


「先代伯爵様の御屋敷にですか?」

「そうよ、お父様から急ぎで向かうよう言われたの」


 旅姿のイアナは御者に告げる。

 一人で着られる簡素なドレスを纏い既に動き出していた厨房で弁当を作らせた。


 馬に餌をやっている馬丁相手に雑談していた御者を捕まえ馬車を動かすよう命じた。

 予定の無い行動に若干不満そうな顔をしていた御者はイアナの堂々とした態度に結局従う。

 イアナが今までずっと両親の言いなりな事を古参の使用人たちは知っている。


 だからきっと自分の言い分を大して疑わず信じるのだろう。

 まともに結ってない髪を馬車内で梳きながらイアナは皮肉気に笑った。


 イアナの父に爵位を譲った後の祖父が隠遁している屋敷は馬車で半日程の距離だった。

 アリーシャがまだ幼くろくに言葉を話せなかった頃まで年に何度か泊まりに行ったことがある。

 けれど喋り始めた妹が「お姉様だけ狡い」と泣き始めてからは許されなかった。


 祖父とはそれでも年に何通か長文の手紙を送り合っていた。

 だから祖父が今も矍鑠かくしゃくとしていることは知っている。


 けれど両親たちと同じ価値観だったらどうしよう。

 そんな恐れが門をくぐることをイアナに躊躇わせる。


「……お嬢様?」 


 不審そうに御者が声をかける。イアナはハッとして彼に振り返った。


「ここまで有難う。貴方はもう帰っていいわよ」


 戻りはお爺様の馬車を使うから。そう言うと御者はあっさり来た道を戻った。

 けれどそれでも踏み出す勇気が出ない。


 門の向こうを見つめ続けるイアナに新たな声がかけられる。


「お嬢さん、どうしまし……イアナ?」

「……ルークお兄様?」


 銀色の髪の貴公子がイアナの名前を呼ぶ。

 その懐かしい声に反射的にイアナも応えていた。

 目と鼻の先に現れた彼は最後に会話した時よりも背が伸びて精悍な顔立ちになっている。

 よく見ると執事服を身に纏っていた。

 

「……暫く会わない内に、大きくなったな」


 けれど優し気に笑う顔は昔の儘でイアナは涙が零れた。



 ■■■


 ルークはイアナの予想通りルアンが生まれた結果、お役目御免とばかりに籍を戻されたらしい。

 けれど生家は既に彼無しの生活に切り替わっていた。


 そしてルークはその後エイデン前伯爵、つまりイアナの祖父の家で執事として働くことになったそうだ。


「といってもまだ見習いだけれどね」


 そう言いながらルークはイアナに湯気の立つ紅茶を供した。

 そして座るイアナの傍らに使用人のように待機する。

 イアナの座って欲しいという願いは優しく却下された。


「……知らなかったわ、どうしてお父様たちは嘘を吐いたのかしら」

「嘘を吐いたというか単に俺の事を忘れたのだと思うよ」


 伯爵たちが俺を放り出した後に俺の実家との交渉は旦那様が全部してくださったからね。

 義兄だった人に苦笑いで言われイアナは自分の両親が恥ずかしくなった。


「両親がごめんなさい……でもお爺様、せめて私には教えてくださればよかったのに」


 お爺様とは文通をしていたのだから。そうイアナが言うと何故かルークが謝る。


「ごめん、俺が隠すようにお願いしたんだ」

「……どうして?」

「両親がそんな人だと知ったら、君があの家で暮らし続けるのが辛くなると思って」

「それは……」


 確かにルークの言う通りだとイアナは思った。

 実際イアナが家出を決心したのは両親の心無い手紙が切っ掛けだった。


「でも……君がここまで蔑ろにされる前に早く伯爵たちの本性を伝えるべきだったね」

「ルークお兄様……」

「まさか彼らが実子であるイアナさえ軽んじるなんて思わなかった……」


 ごめん、そう再度謝るルークにイアナの目が潤む。

 それは悲しみからでなく、求めていた理解者をようやく見つけられた喜びと安堵からだった。

 久し振りに見た兄の顔から目を離せずイアナは彼を見つめる。


 まだ少年だった頃から素敵な人だとは思っていた。

 背がすらりと高く、遠縁のせいかイアナと同じ銀色の髪に深い紫色の瞳が大人びていた。

 今の彼は当たり前だがその頃よりもずっと大人で、背も更に伸びていてしなかやかに鍛えられた体に執事服を身に纏って不思議な気持ちになる。


 兄と慕った懐かしい少年と、見知らぬ美しい男性。

 異なる二つの姿をイアナは彼に見て目が離せない。 

 ルークも応じるようにイアナを見つめ返した。


 彼の薄い唇が開き何かを口にしようとする。それをイアナは何故か期待する。

 けれどその空気は次の瞬間、跡形も無く破壊された。

 

「イアナ、待たせたな!」


 年齢を感じさせない勢いの良さで老人が応接室に入って来る。

 イアナは不思議な後ろ暗さと気恥ずかしさを感じながら乱入者に視線を合わせた。


「いいえ、大丈夫ですわお爺様」

「そうか? まあ二人なら幾らでも積もる話で時間が消えたじゃろう」


 豪快に笑いながら先代エイデン伯爵は孫娘と執事見習いを見る。

 ルークがコホンと咳払いをして雇用者であるイアナの祖父の傍らに異動した。


「あの屋敷で何があったかの報告、しかと確認させて貰った。あの馬鹿息子の手紙もな」


 そう言いながら手紙をテーブルの上に置く。

 イアナは祖父が不在だった場合を考え事前に説明と報告用の手紙を書いてきていた。

 それに両親からイアナへの叱責の手紙を重ねて祖父へと少し前に渡したのだ。


 ルークが祖父の前にも紅茶を置く。すると先代伯爵は彼にも座るようにと促した。

 躊躇いながらも指定された空席にルークは座る。それはイアナの隣だった。


「まずお前の婚約者の馬鹿息子、恐らく自分の親には何も言ってないぞ」

「えっ……」


 イアナが驚くと、祖父は溜息を吐きながら言葉を続けた。


「アッシャー伯爵は長兄と次兄が事故で急死するまで実の親から居ないも同然の扱いをされていた。ある意味儂が父親代わりだったようなもんじゃ」

「そんなことが……」


 イアナは婚約者の父の顔を思い浮かべる。髭を蓄えた立派な紳士だった。

 生まれながらの伯爵と言った風情だった彼がそんな過去を持っていたとは知らなかった。


「だからイアナの人格を無視したような扱いを承諾する筈が無い。儂から話を通して置く」

「……お願いします、お爺様」 

「そしてお前の両親だが、アリーシャと一緒にあの家を追い出す」


 予想外の宣言にイアナは大きく目を見開いた。


「儂はルークを犬の子のように捨てた時点で次は無いと言った。イアナまでアリーシャの身代わり人形のように扱うならもう息子では無い」


 無責任な人間に当主などさせておけない。

 そう先代伯爵は冷徹に告げる。


「儂が伯爵邸に戻りあいつらがこの屋敷に住めばいい。ここは水も空気も野菜も美味い。アリーシャの療養にも良いじゃろうて」

「そうですね……お爺様、一つ我儘を申し上げて宜しいでしょうか?」


 イアナが言うと先代伯爵は笑顔で頷く。


「私とクロス……アッシャー伯爵令息の婚約を解消して欲しいのです」

「当たり前じゃ」

「その上で、アリーシャと彼が婚約したいと言ったなら……」

「絶対言わん」


 祖父はイアナの言葉を最後まで聞かず断言する。


「そんな覚悟が最初からあるならそもそもお前を身代わり妻になど画策せん」

「そうだよイアナ」


 祖父とルークに言われイアナは静かに頷いた。


「寧ろクロスとか言う小僧は廃嫡されかねん。それを阻止する為にお前に取り成しを頼んで来る心配をするべきじゃ」

「私に……」

「大丈夫だよ。俺が絶対守るから」


 怯えるイアナをルークが励ます。

 そんな二人を前にイアナの祖父は自らの胸を叩いた。

 

「なに安心せい、儂に名案がある」


 そう言って前エイデン伯爵は頼もしい笑顔を浮かべた。



 ■■■



 数か月後、完全に主人が入れ替わったエイデン伯爵邸の前で一人の青年が騒いでいた。

 彼の名はクロス。少し前まではこの屋敷の長女イアナの婚約者だった男だ。


 彼は婚約者であるイアナの妹アリーシャと恋仲になったのを両親にばらされた。

 それだけでなくイアナとは予定通り結婚し彼女との子をアリーシャと育てる計画も告げ口された。


 結果クロスはアッシャー伯爵家次期当主の座から外れた。

 その後は言葉の通じない化け物のように家族から扱われ、離れで軟禁のような生活を強いられていた。

 母は泣き父は激怒し、弟からは蔑まれた。


 エイデン伯爵家とは大違いだ。

 自分の本当の両親は寧ろエイデン夫婦のように思えた。


(彼らなら少し早いが息子として扱ってくれるだろう)


 イアナは両親の言いなりだから、エイデン伯爵に叱って貰い彼女の方から再婚約をアッシャー伯爵家に申し出て貰えばいい。

 この際エイデン伯爵家の婿養子で妥協するのも我慢できる。

 アリーシャは愛らしいが頭も体も弱く結婚など無理だろう。 


 姉のついでに妻として使い物にならない妹を纏めて引き取る事の何が問題なのかわからない。 

 イアナは美しく忍耐強いが暗く愛嬌が足りず、アリーシャは愛らしく庇護欲を擽るが我儘で中身が無い。


 あの姉妹は足りないところだらけで、二人でやっと一人の価値なのだ。

 クロスは下男の一人を懐中時計で買収しアッシャー伯爵家の敷地を抜け出す。

 

 時々道に迷いながら一時間程歩くと見慣れた豪邸の前に辿り着いた。

 門番に自分の名前を告げ通すように命じる。しかし門番は表情を固くし門を開けない。

 もう一人は屋敷に向かったようだが戻って来る様子が無かった。

 残った門番と何十分も押し問答し、忍耐の限界に来たクロスは叫んだ。


「僕を誰だと思っている、イアナの婚約者だぞ?!」

「妻の名を出して彼女に不名誉な嘘を叫ぶな」


 途端氷のように冷たい声が門の向こうから聞こえる。

 門番がほっとした声を出した。


「執事長様!」

「……執事長?」


 エイデン伯爵家の執事長は老人一歩手前の年齢だった。

 少なくとも自分より多少年上な程度男では無い。

 そんなクロスを銀髪に紫の瞳の男は冷たく見下ろす。


「元アッシャー伯爵令息で合っているな?」

「元では無い、誰だ貴様は!」

「元だ。エイデン伯爵家当主とアッシャー伯爵家当主で既に取り決めは済んでいる」

「取り決め?」

「もしアッシャー家の長男が婚約破棄に納得せず、屋敷の外で暴れエイデン伯爵家に迷惑をかけた時は廃嫡だけでは無く除籍すると」


 クロスはその台詞に青褪めた。

 父親から絶対敷地の外に出るな。出たら親子の縁を切ると言われていた事を今更思い出したのだ。

 しかしあれはただの脅しだと思っていた。そんな密約が結ばれているとは知らなかったのだ。


「貴様と同じ倫理観だったエイデン元伯爵夫妻と次女は二度とこの屋敷に戻らない」


 冷たく言い放つ男の言葉にクロスはぞっとする。


「なっ、何でだ?!」

「病気だからだ、お前と同じな」


 そう淡々と言われた言葉に侮辱の意図を見出しクロスは叫んだ。


「執事風情が馬鹿にするな! 当主を呼べ!!」


「……本当にお爺様を呼んでも宜しいのですか?」


 そう静かだがよく通る声が返って来る。

 聞き覚えのある声を向くとそこには以前よりも大人びた様子の婚約者がいた。


「イアナ!」

「呼び捨てにしないでください」


 満面の笑みで名前を呼ぶが冷たく切り捨てられる。

 今までとは違う態度に困惑していると執事長と呼ばれた男がイアナの傍らに寄り添った。

 甘やかに微笑み合う二人にクロスはやっと事態を理解出来る。


「イアナお前……浮気していたのか!!」

「確かに彼は私の新しい婚約者ですけれど、馬鹿なことを仰らないで」

「婚約者って、そいつは使用人だろう……非常識だ!」

「どの口が」


 イアナと傍らの男が異口同音で答える。

 直後に気付いたのか二人で顔を見合わせ軽く笑い合った。

 その様子を見ているクロスは胸がムカムカとしてくる。


 しかしそれが嫉妬だと気付く前に彼は門番たちに身柄を拘束された。


「私には病気の両親に代わり弟をまともな当主に教育する義務があるの。貴方みたいな狂人には二度と屋敷に近づいて欲しくない」

「なっ、僕をどうする気だイアナ?!」

「お父様たちやアリーシャと同じところで過ごしてもらうわ。使用人としてだけど。アッシャー伯爵家よりも見張りが多いだろうし脱走も出来ないでしょう」

「なっ、嫌だ、僕は君の夫に……!」

「貴方のことは嫌いだし、男性として全く愛せないの。人間扱いもしたくないわ」

「イアナ……」

「さようなら、クロス」


 門番たちに裏へ連れ込まれ手足を拘束されたクロスは粗末な馬車に荷物のように押し込まれる。

 その様子をイアナはわざわざ見に行くことはしなかった。


「イアナ……アリーシャとあの男を近づけて大丈夫かい?」

「大丈夫よ。アリーシャは別棟に隔離されて守られているから」


 両親とアリーシャを元祖父の屋敷に押し込んだ後、同じ敷地内だが夫婦と娘を離れた場所で暮らさせることにした。

 エイデン伯爵家からも多くの使用人を移し厳重に隔離された屋敷でアリーシャは今療養しながら教育を受けている。


 今年十六歳のアリーシャはろくな教育を受けておらず十歳の頃のイアナよりも無知だった。

 ひたすら甘やかされ両親やクロスに愛嬌を振りまくだけの玩具のような扱いだったのだ。

 祖父が手配した家庭教師は母性を感じさせる人でアリーシャは懐き勉強も嫌がらないようだ。


 それをイアナは喜ばしく思うが、同時に哀れだとも思った。

 無知で無垢なアリーシャが常識を知った時、あれだけ懐いていた両親やクロスが化け物に見えてしまうだろうと。

 イアナの憂いを感じ取ったのかルークが彼女の肩を抱く。


「君が悔いることはないよ。知らずに食い物にされるよりずっとマシだ」

「そうね……少なくとも私の親たちよりは幸せな人生にしたいわ」


 どうしてああなったのだと祖父が嘆く程元伯爵夫妻の思考は揺らがなかった。

 彼らは幽閉に近い扱いで生涯を終えるのだろう。何が悪いか、悪かったのかもわからないまま。


『お前が我慢すれば良いだけなのに』


 そう最後の会話で叫ばれた痛みはまだイアナの胸に残っている。

 けれどそれで良かったのかもしれない。

 僅かに残っていた両親と普通の親子のようになれるかもという希望を捨てられたのだから。 

 

「親代わりにはなれないけれど、誰よりも君を愛し守るよ」


 そう、かって兄と呼んだ青年がイアナに言う。

 彼女の中にある再び兄と呼びたい懐かしさは、けれど甘い熱に掻き消される。


「夫として、かしら?」


 先程彼が元婚約者を威圧する為に発した言葉にイアナは悪戯っぽく返す。

 ルークは驚いたように目を開くと気まずそうに咳ばらいをした。


「……少し、気が早かったと思う」

「大丈夫、少しだけよ」


 そうイアナは優しく微笑みルークの腕に自らの腕を絡ませた。


「そろそろ屋敷に戻りましょう、私と貴方の弟が遊びたがっていますから」


 末弟のルアンはまだ幼く、良くも悪くも順応性が高かった。

 あのまま両親に育てられていたらと思うとイアナはゾッとしたが、今は当主に戻った祖父やルークに良く懐き彼らから学んで育っている。

 祖父と姉夫婦を後見代わりにして真っ当な伯爵家当主になってくれるだろう。


 だからきっと、今度こそちゃんとした家族を築ける。


(アリーシャが心身ともに健康になったら、彼女もこの屋敷で……)


 かって憎む手前だった妹とも今は睦まじく文通をしている。

 同じ屋敷で暮らしていた時より余程仲の良い姉妹をやれている。


 数か月前までの地獄が嘘のような幸せにイアナは花が咲くような笑みを浮かべた。



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― 新着の感想 ―
妹は十歳の時よりまだ幼いとなるなら、おそらく男女の営みや出産の仕組みは何一つ知らないはず。いつもお話してくれるお兄さんから言われたことをそのまま口にしてるだけだったとすれば、自分に何が負担でどうしよう…
毒親から切り離されてまともになり始めて居ると言う事は、妹は根はよい子で教育の仕方が悪かったと言う事やね。 元婚約者?、あれは手遅れですね。
祖父や元婚約者の家族はまともな倫理観あるのに、彼らがああなのはまともな一族の中にたまにいるヤバい奴枠だったんだろうな。 一人一人だったり権力持たなかったら、近寄らないでおこうで済む所を、よりによって…
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