EP3 とある依頼人の新婚さん
メシ処“ふくふく亭”は東城京36番街、通称“東宿場街”の大通りの外れにあるメシ屋である。
大通りの賑わいや喧騒から離れた場所に建つふくふく亭は、飯が美味いと評判の知る人ぞ知る穴場のような店である。
多分に漏れず、俺も行きつけの店で仕事の際にはいつもここ、ふくふく亭を使わせて貰っていた。
俺はここの鴨蕎麦に目がないのだ。
二八の香り高い蕎麦が、鴨の脂と鰹の出汁に相まって得も言われぬ至高の味を、俺の脳髄に訴えかけてくる。
あれはもはやすする阿片と呼べる代物。いや、冗談でも規制されたらイヤだから呼ばないけどね。
と、流石に今日は蕎麦を食べに来たわけではないので、さっさと依頼人の元へと急がねばならない。
歴史を感じる暖簾をくぐると看板娘のお喜代が出迎えてくれる。
「いらっしゃ・・・・なんだい、剣吾さんか」
俺とわかるとすぐに愛嬌のあるその顔から愛想が消えてしまう。いくら何でも露骨だろ。
「何だじゃないだろ。俺だって立派な客なんだから、愛想のひとつやふたつちゃんと浮かべて出迎えたらどうだ」
「お客に笑顔を見せるんだって、タダじゃないんだよ。疲れるからね。
私目当てじゃない客に、仏頂面見せたところで文句を言われる筋合いはないよ!」
そう言って胸を張るお喜代。
ただ、そんな姿も愛嬌がありどこか憎めないのは流石、この店の看板娘と呼ばれるだけのことはある。
「私のことより、どうせ仕事でしょ?ほら、いつもの奥の席で依頼人さんが待ってるよ」
おっとそうだった。
待たせた事で変にごねられて金を値切られても敵わねぇ。さっさと依頼人の顔を拝みに行きますか。
奥の席で静かに座るひとりの女性がいる。その席は、俺がいつも仕事を受けるときに座るお約束の席である。
お喜代も当然それは知っている。
つまりそこに座らせた、と言うことは目の前の女が依頼人ということだ。
「少し遅れちまって悪かったな。あんたがお春さんで間違いないかい?」
声をかけられ、少し驚いてこちらに目を向ける。
「あ、あの・・・それじゃあ、貴方がお伊勢さんの言っていたよろず屋の・・・・」
「よろず屋の鴉羽剣吾だ。飼い猫探しから世界を救う事まで、金次第で何でも請け負うよろず屋だ。どうぞ、よろしく!」
お春は俺の口上にどう返して良いのかわからず、引きつった苦笑いで受け流した。
☆☆☆☆☆☆☆☆
席に座り喉を潤すためにお茶を一杯いただく。美味いな。この店は茶の一杯にも手を抜かねぇ。
さて、改めて依頼人を見る。
歳は20前後の大人しい感じの美人さんだ。もし、こんな女を嫁にしたら周りの妬みは甘んじて受け入れなきゃならないだろうな。て、感じの男の欲望・・・・じゃなくて理想のお嫁さんだ。
こんな女を嫁に貰っても浮気するとは、男ってのは業の深い生きもんだな。男の俺でもビックリだ。
「それで仕事なんですが、お春さん。ダンナの浮気調査で間違いないですかい?」
「あ・・・・はい」
お春は控えめにこくんと頷いた。
「・・・・わかりました。それじゃあ少し、詳しい話を聞いてもよろしいですかい?」
俺の言葉にお春は覚悟を決めて話し始めた。
「夫の名前は長次郎です。沢田長次郎。
出会ったのは半年前で、その3ヶ月後に祝言を挙げました」
ふむ・・・・別に問題ないが、一応確認しておくか。
「あの、お春さん。つまらないことを聞きますが、それは誰が仲人になっているんですかね?
いえね、仲人が上役や何かだと浮気ひとつで揉め事が大きくなることもあるんでね」
例えばだが、仲人が上役や地主ともなると浮気がただの男女の問題ではなく、仲人の顔に泥を塗ったと言う話にもなってくる。
こうなると話が大きくなってくるし、その辺りは調査の前に確認しておきたかったのだ。
「あ、あの・・・・私たちにそういう人はいません」
いない?んー・・・どいうことだ?
「それは昔からの許嫁か何かって話かい?幼い頃から親同士が決めていたとかなんとか」
「逆です。私たち、親とか家とか関係なく結婚したんです!」
強く凜とした口調でお春が断言する。それってつまり・・・・・。
「もしかして、最近流行の“恋愛結婚”ってやつかい?」
俺が驚き聞き返すと、お春は照れくさそうに小さく頷いた。
はー、珍しい!恋愛結婚なんて出稼ぎや故郷を捨てた若い連中がやるもんかと思ってたよ。
まあ、俺もそんな風に老け込むには早いんだがね。
基本的にこの東城京、金を稼ぎに上京した若い単身者が多い。
そんな若い連中が、親も縁者もいない中で結婚するのがいわゆる恋愛結婚ってヤツなのだ。
若い男女が、若さと寂しさを持て余して勢いでする人生の過ち・・・・もとい、人生の決断。
少なくとも、このお春はお伊勢の紹介もあるように、この町に家も縁者も居るかなり良家のお嬢さんのはずなのだ。
「えーと、紙に書いてあったな・・・・。ああ、そう。大野家だ。
じゃあ、お春さん。あんた、生まれ育った大野家とは関係なくその・・・長次郎と祝言を挙げたのかい?」
「そうです!結婚ってやっぱりお互いの気持ちが大切だと思うんですよ。
家柄とか関係なく、この人!って思える人と一緒になるのが大切だって思うんです」
なるほどねぇ・・・・。いやまあ、間違いとは思わねぇが正直ぬるいこと言ってんなぁ、と思う俺は世間に毒され過ぎてんのかねぇ。
「私たち半年前に出会ったんです。
道で怖い人に絡まれたときに、何処からともなくあの人が現れて私のこと守ってくれて・・・。
それから何度かお会いすることになって、それで・・・会えば会うほど素敵だなって思えて、それで3ヶ月前に長次郎さんの方から一緒になろうって言ってくれたんです」
それがよほど嬉しかったのか、のろけ話のようにお春の顔は緩んでいる。
いや、俺は浮気調査で来ているんだがね。
「こほん、なるほど。まあその辺の事情は理解したが、それで?
家とは関係無しにお互い想い合って結婚したダンナが浮気してるって、何で思ったんだい?」
そろそろ本題へと取り掛かろうか。