私のメシマズスキルをなめるなよ。
おかゆのいいところは、一つの食材で一度にいっぱい作れるところ。消化もいいしね。体の弱った人にはちょうどいい。
ザッシュザッシュと米を研ぎ、三回ほど水を替えて、ざるに上げる。三鍋分続けてやる。ここまでは手早くするのが美味しさのコツらしい。少しでも美味しくなればいいなと思いつつ、教えられたとおりに手早くやる。
米に対して七倍の水を入れ、土鍋を火にかける。そう、土鍋。これで炊くおかゆが一番美味しいと言っていたから、扱いが大変で重いけれど使っている。銅鍋もいいらしいけれど、あれは高いから、銅鍋買ってくださいと言えない。きっと、丈夫な鉄鍋を使ってろと言われるのがオチだ。
……う。ああ。会計係のジョンの「無駄なことにはお金を出せません」と言う声が、空耳で聞こえた。
あの人、神様にお仕えするために神官になったんじゃなくて、食いっぱぐれないために神殿に潜り込んだと豪語しているのに、それでも会計係でいてくれと願われている。……らしい。悪徳商人も黙る、やり手のあの人が誰かと代わらないかぎり、神殿で銅鍋は買ってもらえないだろう。
いや、いいんだ。銅鍋が本当に欲しいわけじゃない。おかゆには土鍋がいいって、お母さんもおばあちゃんも言っていたんだから。わざわざ次点の銅鍋にしなくてもいい。ただ、重いだけで。落としたら割れるから、手荒に扱えないんだよね。でもそこは私がちょっと我慢すればいいだけだし。なによりそれで少しでも美味しくなるなら、頑張りがいがある。
ん。よーしよしよし、白く煮立ってきた。
しゃもじで鍋底から混ぜ合わせる。やさしーく、やさしーくやるのがコツだ。
なんてやっているうちに、すぐに本格的にブクブクしてきた。急いで弱火にして、菜箸を一本かませて蓋をする。特製の砂時計をひっくり返し、大急ぎで、二鍋目、三鍋目も同じようにする。
ここまではいい感じ。あとは三十~四十分煮る。この間はかき混ぜないのがコツだ。
洗い場でザルやボウルを洗って伏せた。それから魔道コンロのところに戻り、椅子に座って砂時計の砂が落ちるのを見守る。
一番シンプルな砂時計でいいって言ったのにな。台座にはお花が彫刻されているし、台座と台座を繋いでいるのは女性像だ。しかも全体的に大きくて、金でできている。重い。盗難防止に鎖で壁に繋がれているほど価値のある物だ。その鎖がまたゴツくて重い。ひっくり返すのがたいへん。
なのに支払いはいらないと言われた。一目で高価なものだってわかったから、焦りながら、「手持ちが足りませんでしたら、分割払いをお願いすることはできますでしょうか」と伝えたら、なんかいろんな人が、聖女様のお道具のためならばとお金を出してくれたらしい。ありがたい。……だけどなんか怖い。どうしてこんな豪華な物になっているの。私はただ、おかゆを炊くのに最適な時間がわかるようにしたかっただけなのに……。
みんなが期待して待っているおかゆだから、失敗したくなかった。焦げ付かせたくないし、生煮えなんてもってのほか。せめて消化のいいものにしたい。その一心で、砂時計が欲しかった。
それで一計を案じて、何気なさを装ってジョンに話してみた。
「失敗しないようにと思うと、作るの緊張するんです。つい蓋を何度も開けて、底が焦げ付いてないかと、すくってみてしまって。本当はかき混ぜるようなことをすると、美味しくなくなってしまうらしいのですが。だから、砂時計があればと思うんですけれど」
「そんなこと気にする必要はありません。丸焦げでもかまわないはずです。あなたが作ったものならば」
あ、これは買ってもらえない、とすぐにわかった。
それで、身の回りの世話をしてくれる女神官さん達に、砂時計はいくらくらいなのかとか、そういうの売っているお店はどこにあるのかとか教えてもらって、外出許可もらって、自分のお給金で注文しにいくつもりだったのに、翌日には職人がやってきて、用途なんかを聞いて帰って行った。
一月後、これがやってきた。
いやに時間がかかるから、この世界では全部が手作業のせいなのかと思っていたのに。美術品に疎い私でもわかる。女性像は美人でなまめかしくて全員違う格好しているし、花だって綺麗。絶対、名のあるすごい人が作ったに違いない。
溜息をつきつつ、ためつすがめつ彫刻を眺めていたら、砂が落ちきった。
蓋を開け、塩を細かく砕いたものを摘まんで振り入れる。塩味を付けるためじゃなくて、甘みや風味を出すためだから、ちょっとでいい。塩がまんべんなく行き渡るように、そーっと混ぜ合わせた。
順番に火を止めて同じ作業を繰り返す。ご飯のいい匂いが漂う。よーし、どれも美味しそうにできた。
つっと額から汗が流れ落ちてきて、手の甲で拭った。
味見はしない。もう諦めている。
「おかゆできましたー!」
工房の外に声をかけると、扉の小さな窓が開いた。女神官のマッダレーナが顔を覗かせた。ジョンや大神官様が私に付けてくれた人達がいない時は、部屋から出てはいけないと言われている。私は希少な聖女なので。攫われる恐れがあるという。
それ以上は大神官様が言葉を濁したというのに、ジョンはズバッと言った。「犯されて孕まされて強姦魔の妻か妾にされたくなければ、用心してください。最悪、手に入らないなら殺そうと考える頭のおかしい者もいますので」と。
鍵を開けると、マッダレーナと聖騎士さん達が入ってきた。
「リナ様、私が持ちます」
「これは私が食べたいのです」
「承知しております」
マッダレーナが私からミトンを取り上げ、鍋を持った。ウィンクされる。毎回この茶番に付き合ってくれるのありがたい。本当のところ、私ではおかゆの入った土鍋を持って歩くのはきついものがあるので。
この世界の人たちは誰もが体格がよくて、マッダレーナも私より二十センチくらい背が高い。それで普通だという。聖騎士さんたちは四十センチ以上高い。
私は十二歳前後に見えるらしい。二十二歳なんだけど。都合がいいので、年齢は公表しないことになった。攫われてもすぐに犯されないように。
残り二つの鍋を聖騎士さんが持ち、一緒に部屋を出ると、まわりを十人の聖騎士さんに囲まれた。ぞろぞろと回廊を移動する。
まさに肉の壁。いや、筋肉の壁。威圧感がすごい。本当に私ってちっぽけだと感じる。小幅でゆっくり歩いてくれているのがわかる。それがなんとなく申し訳なくて、なるべくせかせか歩くのだけれど。
……なんか無理な気がするんだよね……、体格差がありすぎて、アレが入らないんじゃないかという気が……。攫われて無理矢理とかそれだけでも怖いのに、命の危険を感じる。
分かれ道で、鍋を持った聖騎士さんが一人、聖堂の方へ行った。あれは聖堂に集まった貴族の信者に与えられる。もう一鍋は王族に献上される。途中で近衛騎士が待っており、そちらへ渡された。
マッダレーナの持つ鍋は、私の部屋に持ち込まれた。
「お疲れ様でございました。お茶はいかがですか?」
部屋を守っていたラナに聞かれた。
「いただきます」
お茶と言っても、あちらの紅茶や緑茶とは違う。いわゆるドクダミ茶とかカキノハ茶とかの系統だ。
魔道コンロでお湯を沸かし、丁寧に淹れてくれる。
その間に私は器と匙のセットを二つ取り出して、それぞれに一匙だけおかゆをすくった。
一人で席に着き、出されたお茶を一口飲んだところで、再び茶番を始める。
「おかゆは食べきれないので、下げ渡します。神の恵みのいる人々に与えてください」
マッダレーナが部屋の外に詰めている聖騎士さんに鍋を渡し、施療院に持って行ってもらった。
施療院は神殿が開いている、貧しい人々のための施設だ。
ジョンが教えてくれたのだ。私が下げ渡すものは、私が誰に与えるか決められるのだと。
……こうしないと、本当に必要としている人々に届かない。
「二人にも下げ渡します。さあ、お茶を持ってきて、座ってください」
「感謝いたします」
二人は口々に言って、私の向かいに座った。
「どうぞ召し上がれ」
二人は一様に匙を持っておかゆを見つめ、一拍おいて器に口を付けた。一気にあおる。そしてやみくもに残りを匙で集め、口に掻き込んだ。中身のなくなった器をテーブルに置いて、忙しなくお茶を口に含む。何度も、何度も、何度も。
お茶が終わっても口に力が入って微妙な顔をしている二人に尋ねてみる。
「どうですか?」
「……だいぶ苦みが減りました……」
「……私も、おかげさまで……」
「そうですか。よかった」
彼女らは、最初にこの世界で私のおかゆを食べた人たちのうちの二人だ。初めて食べさせた時は、余命わずかだった。神官として勤めてきたが、病を得て寝たきりになっていた彼女らに、ジョンは人体実験をしたのだ。たとえ死んだとしても、私のおかゆのせいかどうか判別できないから、と。
どうやら私の作るものは、すべて薬になるようなのだ。しかも、特別苦くて、特別不味い。
苦みは治癒とともに感じなくなるそうだが、それはそれで不味さが増すのだという。
私も味見をした時、びっくりしたもんね。おかゆの味なのになんだかよくわかんないけど「不味い!!」て体が全力で拒否してて、吐くかと思った。見た目美味しそうだったから、よけいに何が起こったのかよくわからなかった。
……いや、まあ、正直に言うと、たしかに私はあちらでも料理が下手だったのだけれど。ほぼ焦がすし、でも生焼けだし、うまいこと煮込めていると思ったら、爆発して中身が飛び散るし。
だけど、そんな私でもおかゆは作れたの! どういうわけか、おかゆだけは上手に作れていた。……たぶん。熱で味のわからなくなった家族が食べていたから、多少焦げていようが味が濃かろうが薄かろうが、わからなかっただけかもしれない。それでも実績としては、毎回頼まれていたのだ。私の作るおかゆを食べると元気が出るから、て。
……その家族にも、もう会えない。
お母さんにもお父さんにも弟にもおじいちゃんにもおばあちゃんにも。友達にも。あの世界の人たちの誰にも。
ジョンが言うには、私は次元を越える穴に落っこちてしまったらしい。
この世界では、神殿にある泉に、時々異世界のものが現れるのだという。そこにそういう泉があったから、神域として囲い、管理しはじめたのが神殿の由来らしい。
それまでは、底なし泉として恐れられていたという。中に入ったものが消えてなくなる、と。水を汲もうとして桶を落とした人が、桶を拾おうとして中に入って、いなくなった。桶共々。それを見て助けようと入った人も消え失せ、二度と戻ってこなかった。
そんなある日、中から人が現れた。彼は見たこともない穀物の種を持っており、彼に教えてもらいながらそれを育てると、冷害の年でも実りを得られた。
薬になる実を持って現れた人もいた。役立つ獣を連れてきた人も。金属の加工技術や紙を作る技術を持った人も。
そして大魔法使いが現れた。彼は魔道具がなくても、雨を降らせたり火で焼き払ったり地を割ったりできたらしい。
この世界の人々も、私のいた世界と同じように魔法を使えないそうだ。魔法使いは、それでは生活が不便でたまらないと言い、魔石を使って道具を作る知恵を授けてくれたという。
それ以来、浄化された水を簡単に得られ、火を自由に扱えるようになったというから、私はいい時に来た。きれいな水が貴重だったり、コンロじゃなくて竈だったりしたら、おかゆを作るのはもっと大変だっただろう。
泉に現れた人は、必ずこの世界に恵みをもたらす。
だから私も、きっとそうだろうと言われた。必要だから、神様に呼ばれたのだろうと。
……そんなの望んでなかったのに。
普通に帰宅途中だった。ふっと足下がなくなったと思ったら、びしょ濡れで水の中に立っていた。まわりを見まわしても、見覚えのないものばかり。豊かな草木と、石造りの建物。どこなのかぜんぜんわからなかった。
「え? ええ?」
泣きそうな人の声が聞こえると思ったら、自分の声だった。足下を見れば、膝まで水の中で、髪から滴り落ちる水が、ポチャンポチャンと波紋を作っていた。
「どこ? なんで?」
もう一度周りをよく見ようと顔を上げると、建物の前に、ちょうど人が通りがかった。男の人だった。
目が合った。彼が立ち止まった。
茶色い髪をしていた。外国人みたいなスタイルの人。足が長くて肩幅が広い。いや、外国人だった。
彼は持っていた荷物をそこに下ろし、こちらに歩いてきて、かがんで手を差し伸べてきた。
「こんにちは。私はジョンといいます。濡れたままだと風邪をひきます。湯と着替えを用意しましょう」
流暢な日本語だった。けれど知らない人だ。男の人だし。すぐにはその手を取れなかった。
「こ、ここは、どこですか?」
「神殿です。詳しいお話は、着替えてからにしませんか? 水が冷たいでしょう? 体が冷えてしまいます。あなたの事情については心当たりがあるので、落ち着いたらきちんと話すと約束します」
「神殿……神様にお仕えしている方なのですか?」
「はい。一応私も聖職者です」
……だったら大丈夫かも。宗教施設ではだいたい人助けを行っている。それに私の事情も知っているという。
とても嫌な予感がした。何か普通ではない事が起こっている。神殿で起こるわけのわからないことって、何? それは神の奇跡ではないかとか、それに私は巻き込まれたんじゃないかとか。浮かんでくるものを、そんなことない、そんな特別なことが私に起こるわけがないって、頭の隅に追いやった。不安で心臓が軋むようだった。
ただ、手を差し伸べてくれている彼のまなざしが真っ直ぐで。この手を取ったら、無責任に放り出すことはないだろうと思えて。
「……あの、すみません、ご迷惑をおかけしますが、お言葉に甘えさせていただきます」
そうして私は彼の手にすがって、泉から引き上げてもらったのだった。
空気がヒヤッとして、ぶるって震えた。彼は上着を脱いで私に掛けてくれた。真っ白いケープみたいなやつ。
濡らしてしまう、汚してしまう、と思ったときにはもう遅くて、謝るかお礼を言わないとと顔を上げて、息を呑んだ。
彼は出会ったことがないほど大きかった。首が痛くなるくらい上を見ないと、顔が見えない。泉の中にいる高低差で彼が大きく見えるのかと思っていたら、違った。本当に大きかった。
あんまり大きくて、そっくりかえるように見たせいで、よろけた。
「大丈夫ですか」
気遣ってくれているとわかる声が一緒に降ってきたから、大きな体が急に動いて背中を支えられても、怖くなかった。
でも、その向こうに見えたものが。
空に浮かぶ太陽が。二つ、リボンのように炎を伸ばして、お互いに巻き付かせて輝いていて。
ああ、ここは、私の生まれた世界じゃない。
ドッと心臓が波打った。あえぐようにしか息ができず、涙が出てきた。にじむとかぽろっと出るとかじゃない。だばーっと出てきて、うええ、と高い声が出て、しゃくりあげた。止まらなかった。
「こ、こわい、かな、俺のこと?」
体を真っ直ぐに立ててくれようとしていたのがピタリと止まり、明らかに焦った声で聞いてくる。それに横に首を振った。返事しようとするとよけいに泣き声が出てしまうから、できるだけ大きくたくさん振った。
今、この人に置いて行かれたら、私は。
「わかった。わかったから。首を止めて。痛めてしまう」
頭のてっぺんをそっと包むようにつかまれ、首を振るのを止められた。
鼻水がとめどなく出てきて、すすりあげても間に合わず、息が苦しくなってくる。
「あああ、はい、はい、鼻をかんで」
頭から手が離れていき、鼻に布があてられた。
「チーンてやるんだよ、チーンて」
そのとおりにすると、よしよしいい子だ、と頭を撫でられ、抱きしめられて、トン、トン、トン、トンと背中を軽く叩かれはじめた。まるで小さな子をあやすかのように。いや、あやされた。この世界での身長程度の子供だと思われていたのだ。
そのせいだと思う。涙がよけいに止まらなくなって、結局私は抱っこしてもらって、ヒックヒック泣きながら運んでもらったのだった。
その上、女神官さんたちに優しく面倒を見てもらってお風呂に入れてもらって着替えたのに、様子を見に来たジョンに駆け寄って、袖をつかんでまたもやボタボタと泣いてしまった。
鳥の雛か私!
それで……それで……それで……抱っこしてもらって一緒に眠ったんだよ。一生の不覚ーーー!!!!
……しかも三日……気持ちを立て直すのに三日もかかって、ずっと子供のようにべったりとジョンにくっついていた。その間に、あやされながら、おとぎ話のように、この世界にやってくる聖人や聖女のことを語ってくれた。
ジョンはすごく優しかった。赤ちゃんにやるように、膝の上にのせて、ご飯を食べさせてくれて、口の端に付いたスープを拭ってくれた。眠くなってくると、抱っこして体を揺すってくれた。異世界に来たショックで赤ちゃん返りしてしまっていると思われていたのだ。……間違っていないんだけれども!
四日目の朝。目が覚めたらとうとつに羞恥心がよみがえった。ジョンの胸元に抱え込まれていて、すうすうとした鼻息が私の額にかかっており、声にならない悲鳴を上げた。
あたふたとベッドを下りようとして、転げ落ちた。この世界の人に合わせたベッドは高くて、私が下りるにはコツがいるのだ。後ろ向きに足を下ろさないとならない。あわてたせいで、滑って落ちて肘を打って、「痛っ」という悲鳴でジョンが起きた。
真っ赤になったきり、すり寄ってこない私に状態を悟ったらしく、ジョンは見間違えでなければ一瞬さみしそうな顔をした。もう抱き寄せるようなことはせず、椅子に腰掛けるのを手伝ってくれて、怪我の有無だけ確かめて、女神官さんを呼びに行った。
すっかり理性を取り戻したので、その後に大神官様を交えてお話をした。……私の年齢を聞いたジョンは、気まずそうに目をそらしていた。
それ以来、彼はちょっとスンッとしたしゃべり方をする。私も同じく、スンッと話す。気まずいのだ。
まず、どんなところから来たのか聞かれた。
「素敵なご家族に愛されて育ったのですね」
私の話を聞いた大神官様は痛ましげに言って、目をつぶって呼吸を整えた。それから改めて、私に何が起こったか、神殿で保護してくれることも合わせて、言葉を選びながら教えてくれた。帰る方法がわからないことも。
かの大魔法使いでさえ、この世界で生を終えたのだと。
また泣きだした私の肩をジョンが抱きしめてくれ、泣き止むのを待ってくれた。
大神官様は泣き止んだ私に、部屋に戻ってゆっくり休んでいいと言ってくれたけれど、することがなければ、ぼんやり元の世界のことばかり考えてしまうだろうと思った。それより、これから何をして日々の糧を得て生きていくか、相談をしたいと申し出た。
そういったことはゆっくりでいいんですよと、まずはこの世界に慣れることを提案された。
一年が何日あって、どんな季節があって、政治の形態だとか、人々の暮らしだとか。そういう雑談の中で、私の得意なことを聞かれた。
すぐには思いつかず、早く答えなきゃ、早く、と焦って思いつけたのは、なぜか、猫の髭をしごいてあくびをさせることだった。それをぽろっと口に出してしまった。
大神官様はすぐに猫を連れてこさせた。おとなしい黒猫だった。初対面の私でも抱っこさせてくれて、撫でさせてくれた。
猫の髭を縒るように優しくしごいていくと、ふわあ、と大きく口を開けてあくびをした。大成功だった。
沈黙が落ちた。大神官様もジョンも、あたりに気を配って何かを待っているみたいだったけれど、お茶が冷めても何も起きなかった。
ほかには、と聞かれて、考え込んだ。そんな私を見て、ジョンが「何か人に感謝されたことはありませんか」と聞いた。「些細なことでよいのです」と。
「おかゆを作ること、でしょうか」
「オカユとはどんなものですか?」
「お米で作って……、具合の悪い人に食べてもらう、消化のいい食べ物、です」
「ああ、病人食なのですね」
ジョンと大神官様は顔を見合わせ、頷きあった。それかもしれません、と。
材料と調理方法を聞かれ、この世界の料理のことを二人に聞いているうちに、用意が調ったと知らせが来た。
体調が悪くなければこれから作ってもらえませんか、と頼まれ、調理場に行っておかゆを作ったのだった。
作れば味見をするのは当然のことで。あまりの不味さに悶絶したのは、忘れたくても忘れられない。
私は二人を前にして、トラウマレベルの不味さに青ざめた。
「すみません、失敗してしまったようで……」
「そうですか? 匂いは良いですが。作っていた様子も煮込むだけでしたし、もしかしたら煮込み足りないのでは?」
ジョンがスプーンをおかゆに突っ込んだ。
「あっ、だめ! だめです! 食べちゃだめです!」
「大丈夫ですよ、試しに味見をさせてください。こちらの道具や食材に不慣れでしょう? 俺はこれでも料理はできる方なので、アドバイスできると思います」
「違うんです、そういう問題じゃないんです、お願いですから、もう一回作り直させてください! これは私が全部食べますから! 次のごはんに出してください!」
必死に邪魔しようと手を伸ばすのに、大きな手で簡単に阻止されて、ジョンはおかゆをすくって口に入れてしまった。
動作が止まって、まばたきを一回。スプーンが引き抜かれて、ごくんと飲み込んだ。
「……大神官様も一口」
「えっ!? 何言っているんですか!? 不味かったですよね! 吐き出したいくらい不味かったですよね!?」
「大神官様、ぜひ」
ジョンに阻まれているうちに大神官様も食べてしまって、恥ずかしくて泣きそうになった。
「……これは良薬口に苦しですね。近年になく息苦しさがありません」
「俺は苦く感じませんでしたが、不味くて吐くかと思いました」
「ああ、それは。『神のなさることに落ち度はない』」
大神官様は慣用句なのか祈りの言葉なのか、指を組み合わせながら慣れた口調で言った。
「施療院にいる者に食べさせてきます」
ジョンはさっと立って、鍋をつかむと忙しなく出て行ってしまった。
「せ、せりょーいんって何ですか? 誰に食べさせるんですか!?」
「心配いりませんよ。神の御心のままに奇跡が起きるでしょう」
そして本当に奇跡が起きた。私のおかゆを一口食べただけで、明日にも死ぬと思われていた人々が命を繋ぎ止めたのだった。
それだけではない。失明した者は光が感じられるようになり、手足を失った者は、切り落とした先に骨と肉が盛り上がった。それは、食べるほどに目が見えるようになり、手足も元の形へと育っていく。
ただし、推奨できるのは一日に一匙まで。二匙以上食べると、治りも早い代わりに、激烈な痛みに襲われた。
一人、足を失った騎士様が、おかゆを多く食べる人体実験に名乗り出た。二匙では痛みに唸りながら半日、三匙で七転八倒して一日を過ごさなければならなかった。
結局彼は、奥歯を噛みしめすぎて二本砕いてしまった。まあ、その歯もおかゆで治ったのでよかったのだけれど。
そこまで痛みに耐えて治るのは、二匙なら一匙の三倍、三匙なら六倍程度。四匙以上の実験は中止され、一日一匙で地道に治していくのがよかろうということになったのだった。
そうして私は治癒の聖女として認定され、毎日おかゆを作る仕事を得た。
もっとかさ増しできるスープにも挑戦してみたが、失敗に終わった。煮ている途中で蓋がバーンッと飛んで、中身が飛び散った。鉄の蓋は壁に当たってひしゃげ、使い物にならなくなってしまった。
ジョンは私の肩をつかんで目をのぞき込みながら、二度とスープを作らないようにと約束させた。天井まで飛び散った具材を掃除するのに多くの人たちに迷惑をかけたので、私も頷かざるを得なかった。
私以外の人が調理に手を貸すと効力がなくなることもわかった。食材を洗って切って完成するまで、私一人でやらないと薬にならない。それなら、具材が一品ですむ上に研ぐだけでいいおかゆが一番簡単だ。
それともう一つ偶然メニューを開発できたのだけれど、時間と手間がかかるので、世間に公表していない。それができるとなると、いろいろ面倒なことになるのが目に見えているし。
ジョンと大神官様と私だけの秘密にして、もしもに備えて毎朝それを作り、三匙分だけ小瓶に入れて持ち歩くことにした。
命の危険を感じるほどに、国王の第一王子がしつこく言い寄ってくるようになったから。
どこも悪くないくせに、「あなたのお手製の料理を毎日食べたい」とか言って、おかゆを届けさせるクソやろう。
この神殿で初めて食べた時、口汚く罵りながら吐き出していたのを知っている。
王族をもてなさないわけにはいかず、だけどおそらくおかゆを食べきれないのを見越して、食べ終わるまで近くで待機していたのだ。そのおかげで声が全部聞こえた。
それに、あいつは私のことなんか好きじゃない。目を見ればわかる。態度にも出ている。猫なで声で甘いことを言えばなびくと思っている。私を尊重する気なんかない。
ただ聖女だから手に入れたいだけ。私の能力は、治療を求める相手に掛け替えのない取引材料になるから。脅迫の材料にされるのは目に見えている。
そんなことになったら耐えられない。
私はそんなことのために、来たくもなかったこの世界に来たんじゃない。
「聖女殿、リナ殿!」
いつもどおりにおかゆを作って運んでいたら、近衛騎士が鍋を受け取らないで、大声で呼びながら駆けてきた。
周囲の聖騎士さん達がザッと動き、剣を抜く。
「貴様ら不敬だぞ! 私を誰だと思っている!」
目深に被っていた帽子をかなぐり捨てた。王子だった。が、聖騎士さん達の警戒は解けない。それどころか隊長さんが一歩出て剣を突きつけた。
「不審者が。大口を叩くな。取り押さえるぞ」
「貴様ァッ! 伯爵家の次男風情が! 連座でおまえの家も罪に問うてやる!」
醜い表情に、聞くに堪えない怒声。
プツンときた。私が。
あんたになんて会いたくないって、面会を断って贈り物を送り返しただけじゃわからなかったの?
キラキラしい造作が醜く歪んだ顔が嫌い。性根の曲がっているのがダダ漏れの罵詈雑言も聞きたくない。私にだけ猫なで声を出すのも気持ち悪い。名前を名乗った覚えはないのに、勝手に呼ばれるのも身の毛がよだつ。
「隊長さん、剣を収めてください。その方をお茶に招きます」
「おお、リナ殿!」
王子はエスコートしようと手を伸ばしながら近づいてきたが、私はふいっと顔を背けて、私をかばうように立っていたジョンの肘に、手をかけた。
今日は、できたばかりの砂時計を持ってきてくれたのだ。台座は木製で、私の掌くらいの小さいものを。安心してください、経費ではなく私費からなので、と言って。そのゴテゴテした砂時計では、そのうち腕や肩を傷めてしまいます、と。
チラッと彼が私を見る。肘を貸してくれているのとは反対の手で、私の手を握ってくれた。
それだけでほっとして、何でもできそうな気がしてくる。
「王子、こちらです。ついていらしてください」
聖騎士さん達が王子を阻んでくれるのはわかっていたから、話しかけられても答えなかった。
そのような者に手を触れては駄目ですとか、麗しいあなたが汚れます、とか。ああ、うるさい。
「大神官様に引き立てられてはいますが、其奴に青い血は一滴も入っていないのですよ」
「そうですか。嬉しいです。私にも入っておりません」
立ち止まって振り返って告げると、王子は笑顔のままかたまった。意味がわからなかったのだろう。
いえ、あなたは神に選ばれた、などと始まったので、かまわず話をさえぎった。
「どうぞこちらへ。せっかくいらっしゃったのですから、お茶をさしあげましょう」
私の専用調理室である。戻ってきたのだ。ここには女神官さん達に教えてもらって摘んできた、お茶用の葉がいっぱい干してある。
お湯を沸かしつつ、それらを適当にむしって、ティーポットに入れた。
お湯を注ぎ、蒸らしている間に、王子が受け取らなかったせいで持ち歩かれていた鍋から、おかゆをすくった。三匙。べつに病気でないなら、三匙食べても痛みに苦しむことはない。吐き出したいほどまずいだけで。
それを王子の前に置き、お茶も出した。
王子はおかゆを見て、見るからに挙動不審になった。
「どうぞ召し上がってください。私の気持ちです。もちろん食べてくださいますよね?」
胸の前で指を組んで、上目遣いに要求する。
「ああ、もちろんだとも」
王子はスプーンでちまっとすくい、口に入れた。すぐに喉をグウと鳴らし、あわてて口を押さえた。そして、カップをつかんでお茶をがぶ飲みする。
とたんにカッと目を見開いて立ち上がり、流し場へ走ろうとした。
そのお茶、死にそうに不味いでしょ? まだジョンと大神官様にしか飲ませていない、最新作なんですよ。聖女のお茶会を開けなんて言われたら嫌だから、内緒にしているんです。
「吐かせないでください!」
隊長が素早く動き、後ろから片手で口を覆って、押さえつけて座らせた。王子は目を白黒させて必死に隊長から逃れようとするが、隊長の方が強い。しばらくすると吐き気が過ぎたのか、王子がだらりと手の力を抜いた。
私はおかゆの器を持って、王子に近づいた。
「王子、私が一生懸命作ったおかゆを残されるなんていけません。全部食べてくださらないと」
口を押さえられているせいで、んーっ、んんーっ、んーっ! と何を言っているのかわからない。けれど忙しく顔を横に振っているので、食べる気はないのだろう。
「駄目ですよ。私、もったいないおばけの国から来たんです。食べ物を残すと罰があたる国です。私の作ったものを残すと不幸に見舞われますよ。
ずっと気になっていたんです。王子は私のおかゆを捨てていましたよね。もう私でも、もったいないおばけの怒りを抑えておけません。恐ろしい目に遭いたくなければ、全部お食べください。
美味しいなあ、ありがたいなあ、と大仰に喜びながら食べれば、もったいないおばけの怒りも静まりますから。さあ」
胸元に突きつけると、王子は震える手で器を受け取った。
ウエエエエと嘔吐いて泣きながら、美味しいなあ、ありがたいなあ、と必死に唱える様は滑稽だった。
全部食べ終わってぐったりしている王子を見下ろし、告げた。
「私のものに手を出したら、いつでももったいないおばけを差し向けます。お忘れなきよう」
王子は化け物を見るような目で私を見て、逃げ出すように帰って行った。
これ以降、私は化け物憑きの聖女として、ひどく恐れられるようになった。
聖堂でおかゆをもらっておいて、そっとハンカチに吐き出す貴族もいなくなった。
ジョンとはどんどん一日の終わりに別れがたくなり、とうとう一晩中一緒にいるようになった。
「あなたと離れたくないの。行かないで」なんて本当に言う日が来ようとは。
人間なせばなるもので。……ゆっくりしっかり体をほぐしてもらって、赤ちゃんの頭の直径よりアレが細ければ、理論的にはどうにかなるわけで。
彼と一つになって、私はこの人に会うためにこの世界に来るしかなかったのだと納得した。
子供を授かって、未来のことを考えるようになった。
ずっとずっと先の未来。私が死んだ後のこの世界のことを。
この奇跡は、私が生きている間だけ。私達の子や孫やその子達がいつか、病や怪我に苦しむことになるかもしれない。
そこで、各地にいる薬師や呪い師を招き、神殿で雇って、薬草や民間療法の妥当性を研究した。
これにより、各地の神殿が医療の拠点となり、病や怪我に困り、本当に必要とする人だけが、私のおかゆを食べに来るようになった。……苦さと不味さに悶絶して、もったいないおばけに呪われる覚悟で。
私が死ぬ頃までには、たくさんの薬ができあがって、多くの命が些細なことで命を落とすことがなくなって。
最後のその時まで、ジョンとは手を握り合っていられたから。
神様、あなたのことは、もう恨んでいません。