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6−32 階段を下りて

 ランバートはハロルドの最期の言葉を受けて項垂れながら階段を下りていた。騎士団の仕事を何もしない日々は、家族への拒絶の意思を示していたのか。日々抱いていたのは静かな怒りか、苦悩なのか。それを家族を含む周囲の人々は何をやっているのだ、と心の中で非難しながら誰も手を差し伸べなかった。手遅れになってから手を差し伸べても兄にとっては何の意味もないだろう。そうして待っている間に手を差し伸べたのがニューサム商会を介したジンジャー商会だった。謀反の道具として利用する為に。家族の敵からしか手を差し伸べられなかった、それは家族に対する拒否、反抗の理由になるだろう。


 キアラとしてはハロルドについては何とも思っていなかった。家族に捨てられたと思っていたとしても、仕事をしないでいい理由にはならない。貧乏人は死にたくなければ働くしかないのだ。だから家族に対する反抗心から何もしなかった、という事を肯定する気は全くなかった。キアラが顔を曇らせたのは、死の淵にいる人の最期の関心が、誰かが自分を愛してくれていたのだろうか、という点だった事だ。


 餓死と凍死の波打ち際にいる女達は、やはり世界の誰にも愛されなかったという気持ちを抱いていただろう。家族に捨てられ、工場に捨てられ、そして港湾都市の人々に捨てられて朽ちていく彼女達は、だからせめて仲間同士、身を寄せ合っていたのだ。愛されない寂しさを仲間の温もりで埋め合わせながら、死へ転がり落ちていく。そんな仲間達を思えば、肉体的な飢えを知らずに何らかの不平を口にする男にどうして同情出来るだろうか。


 ランバートは口を開いた。

「兄上の心の赤い色、と言うのは何だったんだ?」

キアラが答えた。

「もちろん、怒りだよ」

「…何に対する怒りだ?」

「分かる訳ないよ。私に分かるのは、強い悪意や強い感情だけだから。推測ならあんただって出来るだろ」

「…家族に対する怒りなのか?」

「不当な扱いを受けた、と使嗾されて火が付く程度には不満があったんだろうさ」

「別に不当な扱いなど…」

分かってないな、こいつ。

「お兄ちゃんに騎士団が向いていると思うのかい?」

「指揮を執る分には問題ないだろ…」

「馬鹿言うなよ。現場の指揮を執る、って言うのは、現場を知っているって事だ。お兄ちゃんは騎士団には適正が無かったのは明らかだ」

「そこは努力して…」

「馬鹿言え。例えば私達の工場だって、現場の指導者は現場の人間に実力を認められなければ無理だ。そいつに出来る事を、出来ない奴に指導してくれるから部下も有難がって言う事を聞くんだ。例えば騎士の隊長。隊で一番強くなくても良いだろうが、平均より弱かったら過半数が言う事を聞かない…もっとも一番強い奴はマークみたいに他人そっちのけで鍛えてるから逆に他人はついてこないだろうが。私から見ても、お兄ちゃんはどう頑張っても下から数えた方が早い実力しか持てなかったと思うよ」


 間違った事を言えば周囲の騎士達が指摘してくれるだろうが、全員何も言わなかった。ハロルドに対する評価は全員一致なんだ。それでもランバートはまだ口を開いた。

「そんな事を言ったら俺だってそこまで強くない」

まあ、弱い方だろうが、そこまで弱くは無いだろ。

「あんたなら平均近くまでは伸びるだろうさ。だから、あんたなら騎士団では副長とか参謀とかが落ち着く先になる。お兄ちゃんの場合は、騎士団に居場所は無かった。だから、振り落とす理由とする為にそこに入れられた、という不満があったんだろうさ」

ランバートは黙ってしまった。ハロルドを騎士団に入れるというテストは、合格よりも不合格と予想されて進められたんだろう。


 尖塔から出て元の建物に進む途中、それでもランバートにはもう一つ確認したい事があった様だ。

「心の青い色、と言うのは何だったんだ?」

「家族に捨てられた、という悲しみ」

ランバートは立ち止まって大きな声を上げた。

「違う!俺達は兄上を捨てるつもりは無かった!王弟が無理なら、他の仕事があった筈だ!」

「分かってないな。赤い心は後付けの感情だから、簡単に取り除けるんだよ。青い心は元々お兄ちゃんが持っていた心だ。だから取り除けない」

「ずっと前から兄上はその思いを抱いていたと言うのか…」

「だから父親を拒否して反乱に加わったんだし、今もあんたを拒否したんだよ」


 暫く立ち止まって黙ってしまったランバートは、思い出して口を開いた。

「お前も青い心を持っていると言ったが…」

「工場労働の女達は結局、世界中から見捨てられるから餓死するんだよ。私もその一人だ」

ランバートは私の両肩を掴んで言った。

「違う!フォーウッド子爵夫妻だって、俺達だって、お前には幸せになって欲しいと思っている!見捨ててなんていない!」

それを見た女性騎士達は盛大に咳払いをした。ランバートはそれを聞いて私の両肩から手を離した。この女性騎士達はちゃんと仕事をしてくれる。出来る女っぽいジェニファーもちゃんと仕事しろ。見栄えも良いし所作も美しいのに。


 さて、ランバートに必用なのは、少なくともここにこいつの事を見捨てていない奴がいるって事を教えてやる事だろう。ハロルドみたいに手遅れになる前に。

「さあ、ジェニファー姉さんにお茶を入れて貰って何か腹に入れるんだね。茶ぐらいつきあってやるよ」

そう言ってランバートの腰をぽんぽんと叩いてやった。

「ジェニファーは俺より年下だぞ」

…こいつ、年上年下関わらず女達全員に手のかかる弟扱いされてないか?

 普通は『怒り』は簡単には取り除けませんけどね。一度『不当だ』『騙された』と思い込んでしまえば、復讐心は取り返しがつかなくなるまで取り除けません。だから、扇動家は民衆を怒らせるんです。政敵が倒されるまで決して醒めない、踊る阿呆達を利用するんですね。


 明日はクリスティンの更新です。

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