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6−31 ハロルド

 最上階の一つ下の階に最後の守衛室があった。そこで騎士達は剣を預ける。女騎士が来るからか、刑吏の一人は女性で、女騎士のボディチェックをやっていた。騎士四人はそういうチェックを受けたが、ランバートと私には無かった…どういう扱いなのだろう。まあ後で聞くか。


 守衛室から最後の階段に通じる扉には鍵がかかっていた。刑吏がそれを開け、そのまま先導して階段を登る。その後ろを剣から棒に持ち替えた騎士が続く。騎士の棒術なら人間の頭くらい砕くだろう。持ち変える意味はあるのか。


 そうして最上階に上がると、部屋に通じる扉に当然鍵がかかっていた。これも刑吏が開け、その先の小部屋の先に最後の扉がある。小部屋にはいくつか家具が置いてあるが、必用に応じて中に入れるのだろうか。荒れる囚人という事だから、騎士が先に入ってから侍従などが入って世話をしているのだろう。


 その最後の扉の鍵が開き、騎士二人が先に入る。騎士の声が聞こえてくる。

「おはようございます。ランバート殿下がお出でです。お連れします」

答えは聞こえなかった。刑吏が頷くのでランバートと私が入室する。


 部屋にはベッド以外には放り出された布団と枕が地面に転がっているだけだった。例の正謁見室で見た時以上に血の気の無い顔の青年がベッドに背を向け、地べたに座っていた。寝間着はともかく、布団と枕を汚すと夜寝る時に辛いと思うが、荒れる人間にそんな言葉は通じまい。


 ランバートは少し腰が引けた態度でハロルドに話しかけた。

「兄上、お騒がせして申し訳ありません。お疲れのご様子なので、聖魔法師を連れて来ました」

「聖魔法師か!神に見放された男に対する嫌味か!?」

血の気の無い青年にしては強い語調で話したが、精神状態も兄弟仲もよろしくない様子だ。私が見たところ、ハロルドにはどうしようもない程の悪意はなかった。体の中に黒い靄は薄くしかなかった。その代わり、赤と青の濃い靄が絡み合っていた。なるほど激情だ。


 ランバートが私を見たから、ハロルドに近づいて話かけた。

「下賤な者ですが、殿下にお声をかけるご無礼をお許しください。殿下がお望みかどうかわかりませんが、少し胸を楽にする事ぐらいは出来るかもしれません。お手に触れるお許しを頂けないでしょうか」

「私が聖魔法如きで変わるなどと思うなよ!それでも何とか出来ると言い張るなら、やって見るが良い」

「それでは、失礼致します」

しゃがんでハロルドの両手を軽く掴む。狂ったような激情で反乱に走らされている。この激情を押さえたら、今度は冷静な心で死の恐怖と戦う苦行が待っているのだが。それでもこの激情を消してあげたい、そう思ってしまった。


 ハロルドから見て、その小柄な、若いというより幼い女の聖魔法などで自分をどうにか出来るなどとは思えなかった。我が怒りの激しさを知れ!と思っていたのだ。今まで彼が見た聖魔法師は、人々の苦痛を和らげる程度の事しか出来なかったからだ。だが、この女の魔力は桁が違う、一瞬で判った。自分の頭の中の熱が、胸の鼓動の激しさが、腕を通って指からこの女に吸い込まれて行く様だった。むしろ寒気すら感じた。しばらく女はじっとハロルドの両手を見ていたが、やがて手を離した。後には平常の心と平常の胸の鼓動が残った。しかし今までとは逆に、血の気が引くどころかむしろ自分の頬の温もりを感じる様だった。だから、質問をする事にした。


「何をした?」

キアラは応えた。

「殿下の中で、赤い心と青い心が渦巻いておりました。その赤い心を消しました」

「…青い心は消せないのか?」

「私も青い心に捉えられております故、それはどうにも出来ません」

「そうか…」

ハロルドは立っているランバートを見上げて言った。

「ニューサム商会がレストランの離れで私に会わせていた娼婦のミラという女は捕まえたのか?」

「レストランの支配人と共に行方不明です」

「そうか…あの女に本当は私の事をどう思っていたかを聞きたかったのだが」

ランバートもキアラも顔を曇らせた。それに対してハロルドは穏やかに言った。

「そんな顔をする必用はない。世界中が私を役立たずと思っていた事を確認したかっただけだ。ランバート、お前の望みは達せられた。もう私は暴れない。帰るがよい」

それは激情が収まったとしても、ランバートを拒絶するという宣言であった。

「判りました。失礼します」

それに従い、刑吏もキアラも騎士達も退出した。


(ふふん、ニューサム商会が数年係りで作り上げた我が怒りを簡単に消して見せるか。そんな事が普通の聖魔法師に出来る訳がない。聖人や聖女の類の仕業だ。しかも、王国の敵となった私の心配をする程のお人よしだ…天使も倒したグラハムを助けようとしていた。そういう事か。王もランバートも、とっくに神と天使を味方に付けていたというのか。ヴィンセントもサミュエルも、そして私も道化に過ぎなかった訳だ。ふふん、だがランバートにあの天使を扱いきる事が出来るのか?神から無敵の力を与えられているのだから全てを薙ぎ倒して進めば良いのに、敵にも情けをかける矛盾した存在。そのお世話なんて常人には出来ないぞ。その末路を見る事が出来ない事が心残りだが…)


 ハロルドは自分の無能を知っていた。王太子となった兄の優秀さを知っていたからだ。だから無能を隠そうと何もしなかった。何も出来ないと思われるより、何もしないと思われる方がプライドを守れたのだ。


 ところがその心を悟られ、歪んだ心の行先として父への怒りへと思考誘導されてしまった。自分の心が強ければこんな事にはならなかった。怒りになどに心を任せずに、理性で振舞っていればこうはならなかった。


 今、静かにハロルドは自分の最期を受け入れた。

 明日も続きます。

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