6−11 反乱 (5)
キアラの前で、グラハムは笑った。その顔がいつかの獰猛な顔でも無く、不敵な顔でも無かったから、キアラは一瞬戸惑った。その顔はまるで…
その先をキアラは考える事が出来なかった。グラハムの背筋、太腿、ふくらはぎ、後ろ足の裏と広範囲に力が漲ったからだ。これまでに無い、高速の突きが来る筈だ。取るべき行動は決めてある…それを相手に合わせて調整するだけだ。
キアラの聖魔法による感知は、グラハムの後背側に爆発的な筋肉の動作を知らせた。その突きは、キアラ以外にはマークにしか視認出来なかった。一方、キアラの動きは皆が確認出来た。その動きの後に聖魔法の軌跡が輝いていたから。
キアラの頭部を狙った最速の突きに対し、キアラは斜め前の空気を押し退けて、吸引される様に高速で右に踏み込んだ。防御膜は作らなかった。次の防御が遅れる事を危惧したんだ。だから、グラハムの突きはこれまでより勢い良く突かれ、その分グラハムの態勢は僅かに前のめりになった。
突きの終着点を速度変化から読み切ったキアラは、突きが止まると同時に左拳の横に三層の防御膜を作り、グラハムの剣を押した。キアラの風魔法は、自分の体に接していれば人間一人を運ぶ程度の力がある事は分かっている。それに加えて自分の力で押す事で、グラハムの剣にこれまで最大の圧力をかけた。
一方、グラハムの最速の突きはもちろん、右薙ぎと同じ握りだった。剣が相手の鍔迫り合いなら剣を回して相手の剣を跳ね上げたり下ろしたりする事も出来るが、相手は盾状の防御だから、グラハムは右薙ぎの握りで左に押すしかなかった。下手に剣を回すとこちらの剣が跳ね飛ばされる可能性があるから。だから、グラハムは本来の剛力を発する事なく押し戻す事になった。だから一瞬、キアラとグラハムの押し合いは拮抗した。
その拮抗がキアラの狙いだった。キアラの右拳が跳ね上がり、グラハムの剣を跳ね上げる為、剣の腹を叩いた。しかし、インパクトの瞬間、聖魔法が発動した。両者の押し合いにより靭性を失っていた剣に対し、打撃点から剣の柄まで、キアラへの悪意を伝える部分が粉砕された。勢い余って振り上げるキアラの腕の軌跡に輝く聖魔法の光を反射して、その破片がキラキラと輝いた。柄だけになったグラハムの剣はしがらみを無くして左に振りぬかれた。
一方、キアラの左手も左に振りぬかれたが、こちらは予定通りだから、その体勢変化を左の踏み込みに生かした。更に空気を押しのけての高速移動で加速した。一方のグラハムも剣身を失った剣の手ごたえの無さから異常を感じて距離を置こうとしたが、押し合いで踏ん張っていた両足から流れた体を制御しながらのサイドステップは一瞬遅れた。神速のステップインは達人のサイドステップに勝り、その時にはキアラの左拳は腰の位置に移動していた。
踏み込み足に思いっきり体重を乗せて左拳が斜め上に振られた。グラハムの右わき腹を斜め上に叩いた打撃の威力はグラハムを5ft程も浮き上がらせた。グラハムは剣士として剣を捨てられずにまだ柄を握っており、受け身は取れなかった。地面に叩きつけられたグラハムは横倒しになり、苦悶の表情の中、血を吐きながら咳き込んだ。
その場にいる者達は達人の一世一代の突きと天使の神速との攻防に言葉も発せなかった。ところがこの結末を最前列で見届けていた一人が声を上げた。
「出るぞ!」
ランバートの一声にマークとランバートの護衛のジミー、ダリルが駆け出し、キアラと倒れたグラハムの間に立ちはだかった。キアラの横に立ったランバートは小声で尋ねた。
「大丈夫なのか!?」
キアラとしては身体の異変など感じ様も無かった。
「一瞬だから、私は大丈夫。それより…」
キアラはランバートとマークを避けて倒れたグラハムに近づき、しゃがんだ。
「早く降伏するんだ!もう聖魔法以外に助かる術は無い!」
キアラの聖魔法は打撃の瞬間に破壊されたグラハムの内臓を感知していた。この破裂した内臓の穴を塞ぎ、体内に排出され、他の部位を侵食し始めた体液を無効化すれば、一命はとりとめる筈だ。
だが、グラハムの答えは拒否だった。吐血しながら咳き込むグラハムは、息を整えながら答えた。
「犬には犬の死に様が…」
また咳き込み始めたグラハムは、続く言葉を告げられなかった。対峙した際のグラハムの笑顔は、気力の充実した好敵手の最強が見れる喜びと、自分の命に意味がある事を悟った男の人生に対する満足の笑顔だったのだ。
ランバートから見て、斬れないキアラを天使と見做していたグラハムなら、その言葉の意味は明らかだった。
『お前が天使なら俺を破ってみろ』
その言葉は即ち遺言だった。
『俺を殺して、自分が天使だと証明しろ』
そう言っている様にランバートには聞こえた。港湾都市では聖女は救われ、それ故証拠が無いが為に、無かったことにされそうになった。だから今回、天使の奇跡の証拠として死体が必用だった。そしてこの騒動を収める。ここでヴィンセントが偽王になったとしたら、言う事を聞かない不平貴族との抗争があり、次いでまた能力の無い傀儡の王が立つだろう。この男は忠義の行く先として、主君より国を取ったのだ。
左拳を地面に突きつけ、キアラは悔しさを隠さなかった。
(また間違えたの!?加減をすればこの男を殺さずに済んだ!?無理だよ!?この達人相手に手加減なんて!!)
そんなキアラにグラハムは言葉をかけた。
「そんな顔をするな。お前はお前の信じた道を行け」
グラハムとしては、自分の信じた道を進んだ人生は悪くは無かった。満足のいく人生では無かったが、納得して死んで行ける。武人の生き様とは、死に様なのだ。グラハムはこの若い好敵手に、最期の言葉を託したのだ。
一方、キアラとは人生観が違う。キアラにとって生き延びる事が最重要なのだ。
(導くつもりがあるのなら、生きて導いてよ!イライザも、この男も!私にはもっと導いてくれる人が必用なのに!)
それでも、人の死が人を支える事がある。イライザが今のキアラを支える様に。もちろん、それはその人の心に大きな傷を負わせるからこそ支えになるのだが。
雌雄を決した好敵手同士の会話に割り込むのは無粋と思ったが、マークにはグラハムに伝えたい言葉があった。
「グラハム・パーマー、俺は第一騎士団のマーク・カミングスだ。渾身の突き、見せて貰った。これから俺達の目標はあんたの突きだ」
グラハムにとってそれは必用な言葉では無かった。自分は最強ではなかったのだから。それでも、その言葉はグラハムの心を慰めた。好敵手と、多分同士に看取られて逝く、それも悪くない…
肝臓を破壊されたらしく、グラハムの内臓も脳も多くの障害が発生していた。だから、もうグラハムが言葉を発する事は無かった。
神も、この生贄をいつまでも苦しめるつもりは無かったらしい。
光速のキャサリン、というくらいに瞬間に決めてしまいましたが、電池切れが速いキアラの勝ち目は初手しか無いと思います。次いで政治的な動きは明日更新します。語彙が足りないよ…




