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5−6 風の流れ (1)

 フォーウッド家の屋根に降り立ったキアラは、自室内に人がいるのを感じた。この呼吸音はヘイゼルだね…怒ってるかな。服装を元に戻した後、降下して窓枠に手をかけて部屋に飛び込む。座っていたヘイゼルが立ち上がり声をかけてくるが…声が震えている。

「お嬢様…お怪我はありませんか?」

「うん。怪我も無いし体調も問題ないよ」

「それでは、旦那様がお待ちです。お帰りになった事を伝えて参ります」

「うん。頼むよ」


 そうして子爵の部屋に呼ばれて行くと、アメリア夫人が走り寄って来てキアラを抱きしめた。

「心配したのよ!?怪我はしていないの!?」

先ほどもアグネスの甘ったるい聖魔力を受けたが、この義母の優しさも甘ったるい。どちらも私の様な貧農の娘には得られる筈の無かったものだ。農家では力仕事が出来ない女は蔑まれているのだから。異能を与えられた幸運と、優しい人達に出会えた幸運に心が震える。

「はい、怪我はありません。心配をかけて申し訳ありませんでした」

「大事な人の為に働くのは良い事よ?でも、あなた自身も私達にとって大切な人だから、無茶をしては駄目よ?」

「はい。この間、ランバート殿下とも自分の命を大事にする様、約束しましたから大丈夫です」

夫人としてはより強く抱きしめるしか出来なかった。命を大事にする様に約束する…それはランバートもキアラも、キアラがこれからも白刃の前に身を晒し続けると考えている事を意味する。この同世代よりずっとか細い少女にそんな使命が与えられていると言うなら、神とは何と残酷な存在だろう。夫人はしばらくキアラを抱きしめた後、一言零した。

「これからも必ず家に帰ってくると約束してね」

「勿論です」

キアラの基本姿勢は『死にたくない』だから、家に帰って来るのは当然の事だった。


 夫人が離れた後、今度は子爵が近づいて来て、キアラを抱きしめた。

「使命なら致し方無いが…君を心配している人間がいる事は、忘れないでくれ」

使命って言うか、蝙蝠先輩の催促だし、アグネスに何かあって助ける為ならこの身一つ捧げるくらい…いや、死なないって約束したばかりだった。

「はい。申し訳ありません」

「だが、王都内で聖女様が拉致されたと言う事なら、皆、暫くは外出を控えた方が良いな。今日の事で聞き取りがあるなら、聞き取りの人間がこちらに来て貰える様に殿下にお願いしよう」

「そうですね。その方が良いと思います」

 

 その後、温めなおした夕食を皆で囲んだ。でも実は、昼食も出るこの家では、夕飯を一回抜かれてもキアラとしては問題なかった。生まれてきてからちゃんとした昼食が出る生活は経験していなかったから。


 王国の教会関係者を統括する大司教であるデイビー・クラレンスとしては、聖女拉致未遂などという事態が発生した事自体が失態だった。

(ヴィンセントめ、あのはした金は王の交代に文句を言わせぬ為の口止め料かと思っていたら、よりにもよって聖女拉致に対する口止め料ですか。どこかに逃げて一生遊んで暮らせる金でもくれればともかく、まるで足りませんよ。下手に逃げれば主とブラッディ親父の両者に死ぬまで追われますからね)


 失態に憤慨したのは修道会であった。護衛をしていた修道士達に至っては、殉教を申し出た程だった。その上、ランバート王子が急行して聖女を取り戻したと知って、グルではないかと騒ぎ出した。つまり、無意識に責任転嫁をしているのだ。


 そういう訳で、大司教と聖女が修道会に慰撫の為向かった。

「主のお導きにより、御使い様が遣わされ、助けて頂きました。殿下に連絡が行ったのは、王都外に大挙して出ようとすれば当然足止めがある為、そういう便宜が不要な様にとの主のお導きでしょう。主は皆さまの献身を愛しておられます」

そう言って聖女アグネスが修道士一人一人に声をかけ、握手をして回ったので、修道士は皆感涙にむせった。


 大司教の出番は無かった。所詮修道士も男だから。もっとも、アグネスとしてはこんな事でキアラに迷惑をかけられないとの思いからの行動である。


 修道会の方は解決したが、教会としては黙っていられなかった。とは言え、直接行動を取るフェーズでは無かった。そういう訳で扇動が用いられた。

「不届き者達により聖女様が拐かされるという事態になりましたが、主のお導きにより御使い様が降臨され、お助け下さいました。皆、主の愛とお導きに感謝し、そんな主の愛の代行者である聖女様への敬愛をより深めましょう」

日曜礼拝の最後にそう言った司教の言葉に、群衆の一人が疑問を口にした。

「司教様、そんな聖女様を拉致しようなどと言う不届き者とは誰なのでしょう?」

「定かではありませんが、今聖女様をお守りしているのは王家と大聖堂です我々から聖女様を奪い、主のご寵愛が自分達にあると主張しようとする者と思われます」

「それでは王家と対立している貴族、例えばマールバラ公等でしょうか?」

「これこれ、確証の無い事を口にしてはいけませんよ。神と神の子は言葉が人を汚すと仰っています。嘘や誹謗中傷を口にする者は背信者とみなされます」

「これは失礼しました。では、聖女様を拉致した実行犯は輸送の専門家であるニューサム商会ではないかと噂されますが、何か証拠があったのでしょうか?」

「犯行に使われ打ち捨てられていた馬車は、王都近郊の馬車ギルドが作った物ではないとの調査結果がありますが、他所から馬車を持ってくる事は誰にでも出来ます。憶測だけで犯人と決めつけてはなりません」

「これは失礼致しました」


 もちろん、ここで疑問を口にした者はサクラである。群衆の中には難しい言葉が分からない者も多い。だから疑わしい者として名前が挙がった者の名詞しか覚えられない者も多いのである。こうして観衆に疑わしい者の名前だけ刷り込んでしまえば、あとは尾鰭が付くのを待つだけである。


 また、ここでニューサム商会の名前が出たのは、大司教の実家であるクラレンス公爵家の調査結果からである。輸送主体のニューサム商会がマールバラ公爵家に何度も伺うのが確認され、公爵家がそこまで商談をする理由が無かったから、ニューサム商会が陰謀の手先と当たりを付けたのである。


 教会としては断言していないから責任は無いし、クラレンス家としてはネズミを炙り出す為の煙を立てただけである。

(主よ、ブラッディ親父よ、これだけやればとりあえずカミナリは無用ですよね?)

大司教にとっては恐い上司と恐い親父に挟まれて、中々辛い状況だった。

 治安に不安を抱かせる事件が起こるのは、現政権に対する批判に使えます。だから、そういう裏を知っていれば、逆に扇動で相手の悪印象を広げる事も必要だと言うお話でした。


 明日は平和にクリスティンの更新…クリスティンは出てきません。レイラとアニーのボケ合戦…単に作者がツッコミが弱いだけですが、そんな呑気なお話…かな?

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