5−5 無茶言うな!
こちらは体を空気膜で囲って風の抵抗で加速を妨げられない様にしているが、それでも風の抵抗で加速が妨げられる。一度ついたアグネスとの速度差を挽回する距離が足りない。次々とアグネスがぶつかる空気膜は、少しは減速させているが結局一緒になって落ちてしまう。私から遠く離れた空気の制御は弱くなってしまうんだ。
時間を刻んでお互いの相対速度、相対距離、地面との距離の変化を見る。駄目だ、どう考えてもこのままではこちらが下に回り込む時間が無い。アグネスを減速させるにはもっと制御の力が強くなる様に近づくしかなく、それにはこちらが速度を上げるしかない。
ここで翼を広げればむしろ抵抗になるから、落ちるに任せた方が早い。でも落下方向に待っている空気が抵抗となって加速を妨げる。つまり、あれだ。前にある空気を地面方向に進めてやれば多分良い。
前の空気よ、地面を叩け!と風魔法で急激に動かす。その際、欲しい速度よりも速い速度で移動させる。良し、むしろ凄い速度になるぞ、本気で恐い!お陰で何とかアグネスを追い越す。ここで翼を斜めに広げ、調整してアグネスの下に体を移動させる。体を仰向け方向にして翼を全開にする。
「アグネス!」
広げた両手の中にアグネスが落ちて来て、キアラにぎゅうっとしがみついた。痛い痛い、この娘私より腕の力あるんじゃないか!?しかも聖魔法を流し込んでくる。私怪我してませんからいりません!何か無茶苦茶甘ったるいよこの聖魔力。どうしようもないから翼に流して逃す。だから翼が聖魔法で光り輝く。さすがに美少女の聖魔法は光り輝くよね。そして、落下速度を横方向に滑空する速度に変えて緩和する。向きを整えて木の無い方向に滑空する。
「アグネス、ちょっと体勢変えるからそのまましがみついてて」
「はいっ」
仰向けからうつ伏せ体勢に変わり、そこから引き起こして地面にゆっくり着地する。
「怪我は無い?」
「はいっ、ありがとうございます」
「そのう、あれだ。無茶は止めてね?必ず助けるから」
アグネスの笑顔が強張る。流石に崖から身を投げるのは無茶だと思ったのだろう。
「キアラなら何とかしてくれると思ったんです…」
その、男なら口説かれちゃう様な事を言うのは止めて。正真正銘女の私ですらときめいた。
そんな時、腕の中のアグネスの顔が崩れた。拉致された恐怖、そして崖から落ちた恐怖が蘇ったんだ。私達はほぼ同じ背丈だから、彼女は私の頬に自分の頬を押し付けて泣き出した。彼女の背中に手を回して、軽く撫でてあげる。私がイライザを殺した罪に耐えられずに泣いた時に寄り添ってくれた様に、今度は私が寄り添ってあげる。
崖の上からこの事態を見ていた賊達も光の翼を目撃した。
「…天使の羽根?聖女は天使なのか?」
「…違う。多分あの雷撃を打って来た奴が天使なんだ」
そこで賊達は思い出した。ここで聖女を抑えるのは、港湾都市の騒ぎを無かった事にする為に、証言出来ない様にする為だった。港湾都市で天の使いが聖女を助ける為に雷撃で聖堂を壊して教会や代官を断罪した様に、今度も聖女を助ける為に天使が現れたのだ。
賊達は学の無い者達だった。学が無いから仕事が無く、犯罪組織に入った。学がない彼等がそれでも幼い時に習った事と言えば、親に連れられて行った教会の説教くらいだった。それでも神などいないから今の自分の境遇があると思っていた彼等は、実際神がいるなら、神の遣わした聖女を害しようとした我々はどうなるのだろうかと恐怖した。
そういう事で、すっかり腰が引けた彼等は、気絶した者を起こし、怪我をして動けない馬車に乗っていた者達を何とか馬に乗せ、馬車は捨てて撤退して行った。
アグネスの嗚咽が小さくなった頃、別の集団がキアラ達の許へやって来た。
「キ…天使か」
キアラを天使と呼ぶ者は一人だった。一行に機密保持の範囲外の者がいて、キアラの正体を晒せないのだろう。
「ねぇ、遅いよ。何やってたの?」
「平民街からの通報で捜索していたんだが、子爵からの連絡でこっちに来たんだ。聖女が拉致された事については謝る」
「よくここが分かったね?」
「王都を出たところでこちらで何か光ったのが見えたからな。聖魔法だと思ったんだ」
「うん、まあ急いで来たところは良かったよ」
「それで、何があった?」
「この崖の上の道をアグネスを乗せた馬車と賊が通ったので、そこで仕掛けたんだけど、アグネスが落ちてね。助ける時にちょっと光った」
「ちょっとじゃないだろ。王都の門番からも多分見えたぞ」
「それはともかく。上の道を賊は西に向かっていたんだけど、この先に何かある?」
「南の山の南には砦があるんだが、西だと街道に繋がっていて、どこかに行こうとしていたんだろう」
「まあ、いいや。狙いが分かったら教えてよ。とりあえずアグネスを護衛して送ってくれる?」
「もちろんだが、お前はどうするんだ?」
「知っての通りの手段で家に急いで帰るよ。夕飯を抜かれそうなんだ」
「今度肉でも奢ってやる。済まなかった」
キアラが木々の間に姿を隠した後、ランバートは聖女アグネスに話かけた。
「護衛が甘くなり済まなかった。馬車が近くに来ている。そこまでエスコートさせてくれ」
「受け入れますが、御使い様の対応が悪くありませんか、肉を奢るなど」
「…分かった。ちゃんと食後のお茶とスイーツも付ける」
「しっかりとしたおもてなしをお願いしますよ」
(お前だって俺の扱い悪いだろ)
とランバートは思ったが、今回の発言はキアラを思っての事だから、素直に提言として受け入れる事にした。
古典的なイベントとして、崖から落ちた女の子を追って男の子が飛び降り、追いついて川面に落ちる時に庇ってあげる、というのがあります。絶対無理だよね!?と思うので、不可能を可能にするにはどうするかを考えてみました。最初はジェットエンジンの様に圧縮して吐き出そうと思ったんですが、中世相当の世界ではプロペラの概念がそこまで進んでいないと思うので、こうなりました。ジェットエンジンの原理なんて現代人の私でもよく解ってないし。
明日も更新します。