5−3 次の一手
王弟ヴィンセント・マールバラ公爵が王都の大聖堂を訪れた。莫大な寄進を携えて。ヴィンセントは大司教デイビー・クラレンスに言った。
「何時までも神がこの国を祝福してくださる様に、祈りを捧げる」
「素晴らしい心がけに御座います。主はいつもあなたをご覧になっていますよ。努々お忘れなき様」
「心得た」
勿論、嘘で兄を追い落として王位に就こうというヴィンセントに神を信じる心など無い。帰りの馬車で侍従に零した。
「ふん、神の祝福などあり得ぬクラレンス家の一員が神を語るなど片腹痛いわ」
一方、大司教の執務室に戻ったデイビー大司教は、室付きの司教に声をかけられた。
「王弟閣下は如何でしたか?」
「ふん、従妹のよしみで忠告をしてやったのに、聞く耳を持たぬ様でしたよ。まあ、人間は嘘を吐く生き物だと分かっていれば、他人の語る神など信用しないのは良い心がけとは思いますがね」
司教は顔を歪めた。
「大司教様、お控え下さい」
「いや、神を信じる、というのは第三者の目を感じて生きると言う事ですよ。他人の言う神など信じる必要は無いんです。でも、天知る、地知る、人ぞ知る、と他者の目がどこかで光っている事を忘れている者は、必ず他者に足を引っ張られるものです。それを忘れて嘘ばかり吐いていれば、当然破滅が待っています。嘘つきは最終的に信用されませんから」
だからって教会の説く神を信じなくて良い、って大司教が言っちゃ不味いだろうと司教は思った。それこそ他人である司教達が聞いているんだから。
その日の午後、聖女アグネス・アシュリーは教会の下部組織である施療院で身体相談と治療を行った。日が暮れる頃に養家に帰ろうと馬車に乗り、前後に修道騎士が守っている中、平民街を出る前に騎乗した集団が現れ、修道騎士達に馬ごと体当たりをして来た。
「何をする!?」
「聖女様をお守りするんだ!」
アグネスにとっては週二度の通常業務であり、王都内の近距離移動であるから護衛も少なかった。対して襲撃側は護衛人数も移動ルートも把握していた様で、施療院からも貴族街からも見えない場所で多数で襲って来た。
護衛も御者も槍や剣を突き付けられた状態で、襲撃側に混じっていた女性剣士が馬車の扉を開けて言った。
「高貴な方には無碍な事はしないつもりさ。言う事を聞いてくれればね」
高貴な方に喋る口調では無かった。この馬車の乗客であるアグネスが元は平民である事を知って、揶揄するニュアンスがあった。そして、同乗する侍女と司教に向けて他の剣士が剣を向けた。
アグネスは溜息を吐いた。
「どうしろと?」
「こっちに来な」
女性剣士はアグネスの腕を掴んで引っ張って行った。背後では悲鳴や呻き声が聞こえた。
「乱暴はしないのでは?」
「命までは取りはしないさ。ただ、通報出来ない様に暫く動けなくなってもらっただけさ」
アグネスは眉を顰めた。だが、悪党と言うのはこういうものだ。自分が勝っている時は負けている相手をとことん見下し、人権すら認めない。そういう心を卑しいと言うのだ。相手を対等の人間と思って敬意を表せない心を。そうは言ってもこの者達がそういう人間だと分かった以上、劣勢の今は言う事を聞くしか無かった。
アグネスは裏通りで馬車に乗せられ、馬車はそのまま南に向かった。王都は長大な壁に囲まれ、入出門は規制されている筈だったが、馬車の前を走る騎乗の剣士が門で書類を見せると、馬車の中を確認される事無く通過が許可された。その後、馬車は王都の南の山を登って行った。
その頃キアラは、夕食前の着替えに備えて侍女であるヘイゼルに髪をとかして貰っていた。ところが窓の外で蝙蝠がばたばた音を立てて飛んでいるのを聞いて、これは一大事と理解した。
「ヘイゼル、ちょっと待って」
そう言って窓を開けた。蝙蝠は口を忙しなく開け閉めしていた。ああ、これ本当に大問題が起こっているんだ。
「どっち!?」
と声を上げると、蝙蝠は屋根の方に飛んで行った。キアラは窓枠に足をのせたが。
「お嬢様、危ないです!」
ヘイゼルが悲鳴を上げた。
「私なら大丈夫だから、ちょっと待ってて」
そう言って窓から身を出し、屋根へよじ登って行った。
屋根の上では、蝙蝠が南側でばたばた音を立てて羽ばたいていた。
「南?あれか!」
南の山で何かが光った。火の色じゃない。聖魔法の色だ。
「なんでアグネスが拉致されてんの!?」
蝙蝠は口をぱくぱく動かすだけだ。つまり急かしている。
自室の窓枠からヘイゼルが顔を出している。
「ヘイゼル、中に入って!」
屋根から顔を出して叫んだキアラに、ヘイゼルは顔をひっこめた。風の翼で速度を落としながら窓まで落下したキアラは、窓枠を掴んで中に飛び込んだ。
「お嬢様、危ない事はお止めください!」
「ごめん、緊急事態なんだ。お義父様にすぐ伝えて!聖女アグネスが王都の南の山の方に拉致されたから、すぐ王城と大聖堂に連絡して欲しいって!」
そう言われても、自分が飛び出していくからヘイゼルを部屋の外に出したいという意図が明らかだったから、ヘイゼルは戸惑った。
「お嬢様、でも…」
「早くして!アグネスを失う訳にはいかないでしょ!」
一瞬戸惑ったヘイゼルだが、流石に緊急事態なのは理解した。キアラにくるっと背を向けてフォーウッド子爵の部屋に走って行った。
それを見たキアラは、右手に灰色蝙蝠が溶け込むイメージを浮かべた。蝙蝠女装束に変身したんだ。窓枠から飛び出して目の前の蝙蝠に言った。
「お待たせ!急ごう!」
少し書き貯めが出来ましたので、明日も本作を更新します。




