3−7 大聖堂 (2)
キアラは教会に来たのは初めてなので、お祈りの作法など全く知らない。村の祭りの際に適当に祈っていた事はあったが、実際目を瞑って終わるのを待っていただけだった。
どちらにしろ今回祈るのは彼女、イライザの冥福だ。
(初めて話しかけた時、あなたは私を突き放したけれど、あれはきっと、工場側に目を付けられない様に、他の修道女に見られない様にしてくれたんだよね。一回り以上年下の聖女や私に丁寧に話してくれたあなたは、本当に信心深い人なのでしょう。修道女となった以上、現世で上手くいかなかった事があったでしょうに、いえ、だからなのか、最底辺にいる私達工場労働者を気遣ってくれた。勿論、権力者は横暴だ。そんな女達の気持ちなど気にも留めず、自分の利益を追求していく。彼らが誰それの為だ、と言う時には本当の事を隠している。自分の目的を果たす為の偽りの目的を示すんだ。そして弱者の命など気にせずに自分の権力・利益・欲望を追求していき、同じ目的を持つ者同士で徒党を組むんだ。優しさも思いやりも、そんな利益を追求する者達の集団には踏みにじられる。そして彼等は偽善の言葉を連ねて誤魔化す。もっと根本的な解決策が必用なんだ。アグネスの言う通りなのに、私の刹那的な願いと心を重ねてその命を賭けてくれた。でも、本当はあなたの様な人が生き延びて、集まって、何らかの影響力を持つようにするべきだったのじゃないだろうか)
(長い人生を経験したと言う事は、成功と失敗の経験を持っている事になる。そんな経験を多くの人と共有し、よく考えて最も成功に近い方法を探すべきじゃなかったのではないだろうか。だからこそ、私はあの時もっと考えて慎重に動かなければいけなかったし、これからもよく考えて動かないといけない。失われた命は戻ってこない。失われた知識も戻ってこない。私達工場労働者も死にたくないのだけど、あなたの様な経験と思いやりを持った人こそ守らなければならなかったのじゃないか。修道院長は私を責めたかった筈だ。何故イライザを守ってくれなかったのかと。私だって言いたいよ!私の上司は何故私をイライザを守る方に導いてくれなかったのか!)
(…それは責任転嫁だ。上司はあくまで私に見せる。それを私が正しく判断出来なければ失敗する。分かっているけど、それならもっと思慮深い人に異能を与えてくれたら良かったのに。私達を導いてくれる様な指導者に…それも責任転嫁か。自分達が助かりたければ、誰にも頼らず自分で考え自分で行動しろと上司は言うんだ。でも、重すぎるよ。そんな責任。本当はイライザの様な人に導いて欲しかった。失敗したら抱きしめて欲しかった。そんな人を私の判断で死なせてしまった。こんな責任に耐えないといけないなんて…)
(そして何より辛いのは、人を思いやれる優しい人に、この世が地獄である事を知らせる様な死に方をさせてしまった事だ。それが神が信者を称える殉教にあたるとでも言うのか。尤も、殉教などと美化するのも教会の悪徳なのかもしれないが。今、王は私を生かしているが、私が都合の悪い存在なら簡単に殺すだろう。
権力や暴力が私を殺す事もあるが、今は守られているとも言える。そう考えれば、港湾都市で私が権力者に対して上手く立ち回れなかった事が彼女を辛い目に遭わせたんだ)
広い大講堂に小さな嗚咽が響きだした。何時までも祈りを続けるキアラの気配が変わるのを待っていた聖女アグネスは、キアラの隣で目を閉じながら唇を尖らした。
(結局、イライザがそんなに大きな存在なのですね、あなたにとって。私のこの気持ちも少しは汲み取って欲しいです。キアラ様お願い!もっと私を好きになって下さい)
…アグネスは聖女とは言え、精神は普通の13才の少女だった。闇の中を独り駆けるその姿に憧れ、自身の窮地に駆けつけてくれる凛々しさに心酔している。彼女の祈りは神でなくキアラに捧げられていった。
キアラの嗚咽に考えざるを得ないのは大司教デイビー・クラレンスも同じだった。
(その修道女とこの少女の繋がりは少なかったと聞いています。そんな人の生命にも涙出来る、無垢な心の持ち主なのでしょう。主は得難い存在を得られた様だ。主は人など信用していない。世界の全て、神よりも自分の欲・利益を追求する人間達なんて。そんなこの世にこの存在を私に見せたと言う事は、私の仕事は重大だと言う事ですね。主よ、分かっております。私の様な清濁併せ呑むと言うより人々を扇動し、裏で操る権謀術数に長けた汚れた人間を今、大司教に据えている意味を。今後この地に下される裁きに備え、その時を待ちましょう)
瞳を閉じて少女の気配の変化を待つ二人は、その少女に淡い光が集まるのを感じた。
(こんなにも主に愛されている事を示したのは、自分達にこの少女を支えよ、と言う事なのですね)
二人は同時に気付き、心を決めた。
キアラが瞳を開き、ハンカチで瞳を拭う気配に、大司教も聖女も瞳を開いた。
「思いは充分、故人に伝えましたか?」
「充分ではありませんが、迷った時や悩んだ時に、また伝えたいと思います」
「それが良いでしょう」
そうして聖女アグネスとキアラは大聖堂を後にした。
執務室に帰った大司教に、室付きの司教が話しかけた。
「お客様は如何でしたか?」
「流石に誰よりも主の加護をお受けになる方です。私の中の綺麗なものも汚いものも感じられた様ですよ。彼女の目を通じて主が私達を見ているというのは恐ろしい事ですね。皆も朝晩のお祈りの際には一つずつ懺悔をする様に。皆一月二月では足りない事でしょうから」
二月で足りないほど懺悔する事があるなんて、あなただけですよ、と室付きの人々は思った。流石に祭服を来た政治家と言われるデイビー大司教なら百以上懺悔する事があるのも納得していた。
帰りの馬車で聖女アグネスはキアラに声をかけた。
「あの、家でお茶でもしていきませんか?気持ちが収まっていないのかもしれません」
「気持ちは収まったとは言えないけど、大事な事は次に繋げて、より良い明日を目指す事だから。でも、ありがとう、私の事を気遣ってくれて。問題なければお茶と一緒にあなたの近況でも聞かせて?」
「ええ、問題ありません!是非お茶を飲んで行ってください!」
相変わらずこの娘はテンション高いなぁ、とキアラは思っていた。
救世主が処刑された後、皇帝ネロの迫害が有名ですが、救世主の処刑が紀元後30年くらい、ネロの没年が68年ですから、この時の信者は大した数ではない筈です。ローマの大火の濡れ衣を着せたのが有名です。ローマはイタリア中部の都市から始まって、地中海沿いの各地を併合していった為、現地の宗教には寛容でしたが、帝政ローマでは皇帝は死後神扱いになるのでこれに敬意を表する必要がありました。が、救世主の宗教は単一神で偶像を認めませんので、度々迫害される事になりました。迫害されても彼等は信心を失わず、むしろ殉教を誇ったといいます。本当かどうかはともかく、殉教者は奇跡が起こったなどと喧伝されました。結局死んだんだから奇跡なんて起きなかったと思いますが、奇跡を起こし、殉教した彼等は聖人・聖女とみなされています。でも、それは宗教の中心人物達の宣伝戦略に過ぎず、残された身近な人々にとってはそんなに良いものではなかったのではないか、その思いが今回のキアラの嘆きになっております。長い後書きですいません。
明日はお話が進みます。