2−1 王領への道
炊き出しの翌日、キアラは町娘にしてはマシな古着を着せられ、騎士団の紋章付きの馬車に乗せられた。後ろの席の奥に若い騎士バート、その隣に中年の聖魔法師エイブ、前の席の奥にキアラ、その隣にコーデリアが座った。
高台の勾配の緩い部分を上る様に北の村へ続く街道が通っていた。キアラがこの港湾都市に来た時の馬車は海岸寄りの街道だったから、この林の間を通る街道は初めて通る。馬車の壁には様子見用の小窓があるが、正面に座る男が愛想の無いしかめっ面をしていたので、開けても良いか聞く気にはなれなかった。こうして港湾都市を離れてしまうが、ここに来てからずっと一緒に居たケイを置いて来てしまった。何とか彼女を助けてあげる事は出来ないだろうか…
「何度か休憩を取るから、小用があったら言ってね」
キアラはこくんと頷いた。お花摘みに関する指示だから、声を上げる気にならなかったんだ。
「時間があるから、少し聞きたい事があるんだけれど、良いかしら?」
繊維工場の名簿には出身地が書いてあるだろうが、急いで連れ出したのだから名簿を調べる時間が無かったのかもしれない。あまり実家の事を話したくない。これからの私の扱いが分からない以上、人質に取られたくない。こんな境遇に追い込んだ実家だが、彼等に詳細が分かっていたとは思えない。とりあえずこくんと頷くに留めた。
微妙に空気に緊張がある。私の正面に座る男のしかめっ面がその原因だと思いたいが、心を開いているとは言い難い私にも責任はある。空気を緩める気は無いが。
「地元での繊維工場の求人と応募の状況はどうだった?大々的に宣伝している様だった?」
当時12才の子供に大人の話題である就職の話など興味も記憶もある訳が無いと思うが…なけなしの記憶を絞り出す。
「子供の間ではそういう話題は出てなかった。二つ上の女の子が村の外に出た事があったけど、ここの工場に来たんじゃないと思う。それなら、私を説得する時にその話題が出た筈だから」
「つまり、ここ数年の間にあなたの村から港湾都市の工場に来た女性はあなただけ、と言う事?」
「少なくとも子供の間では話題にならなかったの」
「つまり、ここの繊維工場について何らかの噂は聞かなかったのね」
「うん。村を出るという事を羨む子供はいたけど、否定的な話は無かった」
斜め前に座るエイブが手元の書き付けに何か書き込んだ。
「あなたを就職させる事については、誰があなたに話したの?」
「父さんが話を持ってきて、命令しただけ。食いっぱぐれる事は無い、とだけ利点を説明してくれたけど、それだけ」
「母親は何か意見を言っていた?」
「祖父が生きている家じゃあ、嫁である母親なんて黙って男の命令に従うだけだよ。祖父が実質、全ての決定権を持っているから。母親の立場なんて全く無いよ」
コーデリアは小さく息を吐いた。男二人は特に感情を持たない。それが普通だからだ。
「実家の食事とかその他の経済的な状態はどうだった?」
「街道の北にある農村なんて、貧しいとまでは言わないけれど、裕福な訳は無いよ。何か道具を買うから我慢しろ、と言われた事があった気がするくらい」
「道具はよく買っていた?」
「荷車を買い替えると言った時は食事が減ったね。次の秋までパンが二人で一つになってた」
「それは何年前?」
「一年半前くらいだったかな。何かで壊れて、急に買わないといけなかったと思う」
「それがあなたが就職した原因?」
「分からないけど、口減らしに家から出す必要が、そろそろあったんでしょうね。兄が二人と妹が一人いるから、小作農では養いきれない」
祖父、父が主に働き、兄二人はまだ一人前の仕事は出来ない。その上で嫁と女児二人を養う事は出来なかったのだろうとキアラは理解していた。
「実家では女はどんな仕事をしていた?」
「私は母を手伝って食事を並べたり、繕い物をしたりしていたけど。掃除は妹も手伝ってくれてたね」
「農作業は女はしなかったの?」
「夏場の雑草取りは一家総出でやっていたけど。後は収穫物を運ぶ手伝いくらいかな」
男の仕事と女の仕事は基本的に分かれていたんだ。
「実家から港湾都市に来る時はどうだった?集団で移動した?」
「街道の街までは村に出入りする商人の馬車に乗せて貰ったの。そこで何人か集められて、荷馬車に座って運ばれたよ。まあずっと荷物扱いだね」
「つまり定期馬車では無かった?」
「荷物は一緒に載っていたけど、出入りする客は居なかったね」
思い出すと気付く。求人の宣伝と人を運ぶのは貴族の役人ではなく、商人が仲介していたんだ。
「どこの商会だったか分かる?」
「子供には分からないよ。村に出入りする商人の名前すら子供は知らないからね」
金の無い農村の子供には商人は愛想を振り撒かないから。彼等は当然、港湾都市の工場の評判など知っていただろう。それでも仲介していたのは、駄賃が出るからだろう。
「あなたの村での教会の評判はどうだった?」
私は聖魔法をこいつらの前では、少なくとも分かる様には使っていない。にも係わらず宗教の話をするのは、やはり蝙蝠の翼を持つ女の調査が彼らの仕事でもあるのだろう。
「10マイル以上離れている街にしか教会は無いから、評判どころかこれまで縁が無かったよ」
「その割には修道女と仲が良かった様に見えたけれど」
「…哀れな工場労働者の一人と思われたんでしょうよ」
と言うか、同じ気持ちを持つ者同士、励ましてくれたんじゃないかな。女性達の救済なんて、女性自身しか考えない。苦笑いをするしか無かった。
そんな私の気持ちを察したのか、コーデリアは話題を変えた。
「地元では運動とか、体を動かす事は何かしていたの?」
…それこそ苦笑いしか出来なかった。木の枝の様に膨らみの無い私の腕と脚は、素の体力が無い事を示している。
「普通の家の仕事しかしていない程度の女の子に運動能力とかあると思う?」
「港湾都市に来る前は、村の子供と遊んだりしなかったの?」
「8才になる前は少しは遊んだかもしれないけど。農村で遊んでいる子供なんて、本当に小さい子供だけだよ」
「物心が付いた頃にはもう仕事の手伝いをすると?」
「口減らしをしなきゃいけない程子供を産むのは、人手が欲しいからでしょ」
そして、最初に口減らしに出されるのは、男の仕事が出来ない女に決まっている。
ワオ、アイ ワズ スイミング ジス ナイト(中学生のジョーク)。
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