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夜摩天女  作者: 高峰 玲
3/4

その名は騙るな


── alert ─────────────────


流血シーンがあります。

苦手な方は飛ばしてお読みください。


────────────── alert ────



















 淡い色合いの薄衣をかぶった女がひとり、ヤナイの大木の根元に身を寄せていた。


 すでに日は傾き、あたりには薄暮がそろそろと拡がりつつあるにもかかわらず、女はそこにじっとして動き出す気配がない。どこか、具合が悪いのかもしれぬ。

 と、男がひとり彼女の前で立ち止まり、女は驚いたように顔を上げた。白い手が薄衣をたぐり寄せて体を隠そうとする。

「女、ここで何をしている」

 男が訊くと、彼女は青い切れ長の瞳をそっと伏せて応えた。

「……気分が()しゅうて、休んでいるのでございます」

 その声音の(たえ)なることに、男は何やらぞくりとするものを感じた。とたんに若い男にはありがちな強い劣情が男を駆りたてる。

「おい」

 じりじりと女との間合いを詰め、がばと抱きすくめた。

 そのとき──。


「きさま、オレの女に手を出すのは、やめてもらおうか」


 鋭い言葉と同時に短剣の冷たい切っ先が背中につきつけられた。

 美人局(つつもたせ)……いやな汗と共にそんな言葉が男の頭に浮かび出た。

 器用にも背後から第二の()は片手をまわして男の懐中をごそごそと(あさ)り、首尾よくずしりと重い巾着を引きずり出した。

「悪く思うなよ」

 忍び笑いを含んで()はつぶやき、やおら女が()の方へ移動しはじめる。かぁっと男の頭に血が上る。

「トゥルカのゾーインゲをなめるなッ」

 一瞬の動きで女の薄衣を剥ぎ取る。その反動で彼は()を倒すつもりだったのだが、ちらりと目に入った女のあまりの美しさにそのまま立ちつくしてしまった。

 女の長い黒髪がゆるやかにしなり、甘やかな空気の中で後頭部に激しい衝撃を受ける。それで男は気を失ってしまった。

「トゥルカのゾーインゲ?」

 足元に横たわる犠牲者を見下ろしながら女は反覆した。

「知っているのか」

 覆面を取りながら()が訊く。いや、男ではない。少年のようにも見えるが、それはまぎれもなく女であった。

「知らない」

 あっさりと応える。それから、ふたりは足早にその場を離れた。


「……ありゃあ、只者(タダモノ)じゃあないね」

 しばらくの後、キムルジークのアスラはぼそりと言った。彼女の相棒はそれを耳にしていたが、歩みを止めようとはしなかった。

「あの男? ゾーインゲとやらいう」

「ああ。見てくれのわりには巾着が重すぎる」

 すると、アスラに目をやってユガは笑いながら言った。

「あたりまえ。おそらくはご同業、でしょう」

「ほーぉ、ご同業? ……ユガ!」

 それと聞くや、アスラはユガの肩に手をかけ、半ば強引に立ち止まらせた。

「顔を見られたぞ」

 応えはおちついたものだった。

「見られたのは私で、そなたではない」

 どうもユガの口ぶりは、事の成りゆき次第で(まず)い方向へと陥りそうな、そんな情況を楽しみにしているようである。

 見かけはいかにも、あえかに手弱女(たおやめ)めいた美しい女なのだが、その精神には女々しいところなど微塵もない。でなければ今頃、彼女は故郷の大地で土塊(つちくれ)となっているはずである。

「……何を考えている?」

 アスラが訊くと、ユガはいつものように穏やかに微笑む。

「わかっているくせに」

「………………」

 少しのあいだ、アスラは何事か考えていたが、何も言わずに先へと歩きだす。

 今度はユガから口を切る。

「そなたがいやなのならば、無理に手を貸すことはありません、アスラ」

 振り返ることもせずに歩きながら、アスラは応えた。

「べつにいいさ、そんなことは。そなたが何を考えようと覚悟はできている。どうもそなたは厄介ごとの種をまくのがお好きなようだから」

「人のことが言えますか」

「言えるさ」

 きっぱりと言い切った。それからふたりは互いの青い瞳を見交わしあい、どちらからともなく笑いだした。

 そしてその夜は近辺の村にトゥルカのゾーインゲから奪った金を使って宿を取った。




 事が起こったのは翌朝になってからである。

 早朝の人まばらな通りを、宿屋の二階にあてがわれた部屋から見下ろして髪を梳いていたアスラは、足音高く階段を駆け上がってくる物音を耳にして手を止めた。目覚めてすぐに髪を洗いにユガが井戸へ下りていったが、彼女の足音ではない。アスラはそっと降魔の利剣を傍へとたぐり寄せた。

「おっお客さんっっ」

 叫びながら小太りの宿の主人が転がり込んできた。アスラはまばたき一つせず、無言で主人を見据える。

「たた大変ですぜ。お連れさんが、お連れさんがっ!」

 その手に何やら紙切れを握りしめているのを見て取り、ひったくるようにしてそれを受け取る。

「……女はあずかった?」

 そこに(したた)めてある下手くそな文字を棒読みしてアスラは首をかしげた。女というのは、ユガのことであろうか? わけのわからぬままに先を続ける。

「返して欲しくば今夜……さん? 山砦までひとりで来い。トゥルカの虎……」

 おろおろと狼狽(うろた)える主人をよそに、彼女は冷静だ。

「おい、このトゥルカの虎というのは何だ?」

「へぇ、このあたりの盗っ人を束ねる頭で、あのトゥルカ山に砦をつくって根城としてますんで」

 主人の指さす方にそれらしき山を認め、アスラは重ねて訊いた。

「ではトゥルカのゾーインゲというのは?」

 その名を聞くなり、主人は胸のところで手を組んで首を横に振った。

「ひえぇっお客さん、ゾーインゲといえば、泣く子も黙る虎の片腕ですぜぃ」

「そんなにすごい奴なのか? ただのスケベにしか見えなかったが……」

「何ですって?」

 アスラの言葉の後半は尻つぼみになり、宿の主人には聞こえなかったようだ。

「いや、何でもない。しばらく考えたい。すまぬが下がってくれぬか」

 アスラが言うと主人はおとなしく部屋を出ていった。とにもかくにも、同行者を連れ去られた当人がおちついているので、主人もどうにか平常心を取り戻したのだ。

「トゥルカの虎、か……ユガの思惑どおりに事は運んだようだが」

 ひとりごちながらアスラは窓辺に腰を下ろして通りに目をやる。が、そこに映るものに何ら関心はわかなかった。自分の思惟に集中していたからだ。

 と、どれくらいそうしていたのか、不意に往来に出てきた人々のざわめきに気づいた。宿の筋向かいの肉屋にかなりの人だかりができている。ざわざわ騒いでいる中に、何人かの泣き声が混じっているような?

「もぅし、お客さん」

 そこへ主人が再び上がってきた。

「客ですぜ」

 そのままそそくさと立ち去ろうとするのを引き止める。

「ああ、ちょっと待て。あの騒ぎはいったい何だ?」

「向かいの肉屋に白羽の矢が刺さってましたんで」

「白羽の矢?」

「それが立った家の年頃の娘をトゥルカへやらねぇと、村中、山賊どもに荒らされちまいますんで」

「人身御供か」

「まったく、銀眼の虎め。ろくなことをしくさらねぇ」

 いまいましげに吐き捨てると、主人は階下へ戻っていった。


()()()()?」


 なぜここでその名が出るのか──埒外のことにアスラは戸惑う。

「おい」

 部屋の入口で男が声をかけた。主人が言った客のようである。が、アスラは男を無視して階下へ走った。

主人(おやじ)、待ておい。いま、銀眼の虎と言ったようだが」

 首根っこをひっつかんで訊く。

「へっへぇ。トゥルカの虎の二つ名でさ」

「まことか?」

 確認してアスラは主人を放して二階へと戻る。

「今度はもっと静かに下りてくだせえよ」

 その背に主人が頼んたが返事はなかった。

 足音も立てず部屋に入ると、客の顔すら見ずに切り出す。

「トラブ、トゥルカの山砦はユガの勢力に入っていないよな?」

「トゥルカ?」

 トラブと呼ばれた男が繰り返した。目線が合うと挑発的にアスラが笑みを形作る。

「このあたりにな、トゥルカの虎という賊の頭がいるらしいのだ」

「ぁあ?」

 男は無表情に顎を引いた。

面妖(おかし)なことにそやつ、銀眼の虎という二つ名があるそうだ」

 先を続けながらアスラの微笑が完成する。獲物を前にした、それこそ虎のような愉悦の表情に内心粟立ちながらトラブは口元を歪めた。

「なるほど、そいつは確かにおもしれぇ。で、ユガはどこだ?」

「いないよ」

 そっけなくアスラは言った。男が問うよりも早く盗人どもの()()()()を見せる。

「今夜、ひとりで行くつもりなのか」

 うなるような低音は質問ではなく確認である。

「トラブゾン」

 男の名を正式に呼んだものの、アスラはどこから説明したものか迷っていた。

「いったい何をしやがった?」

 トラブゾンはまだ冷静だった。

「美人局だ」

 よどみなく言ったアスラを、トラブゾンはまじまじと見つめた。

「トゥルカの虎の配下のゾーインゲとやらをひっかけたのだが、ユガの顔を見られてしまった」

「何だってまた」

 そんなことをしたのだ、と訊こうとしてトラブは言葉に詰まる。ごくりと唾を飲み下して何とか続ける。

「伊達や酔狂でもあるまいに、そんなことをする必要がどこにある?」

「路銀がなくなったのだ」

「まったく、女というやつは……」

 つぶやいてトラブゾンは深く息をついた。アスラに近寄ると右手を前につきだして彼女の(おとがい)に手をかけ、自分の方を向かせる。

「こんなに立派なひかりもんを持っていやがるくせして、どうして売ろうと思わんのだ」

 アスラの耳を覆う魔族の耳の形を模した青晶石の耳飾りを指先でもてあそびながら、片手をまわして背を押さえこんだ。

「しょせん、わたしも女だということだろうさ」

 それを聞いたトラブゾンがほくそ笑む。

「いつだったか、ユガも同じようなことを言ったな。女だから思い出のある品は手放せん、と」

 それから、彼は右手を下の方にずらしてアスラののどに手をかけた。シャラと首の装身具が鳴る。その意外な首の細さにトラブゾンは少なからず困惑した。ちょっとひねれば右手のみで(くび)れてしまいそうだ。それと気づき、そっとアスラから身を離す。

「何てこった……」

 首を横に振りながらつぶやく。彼はいま初めて、アスラが女性であることを意識してしまったのだ。

 アスラはすらりとした小麦色の肌の胸と腰まわりだけを覆う衣装をつけている。それが彼女の国での女剣士のいでたちだったからだ。踊り娘や肉体美を誇る女たちのような身体を見せて魅了する意図は微塵もない。

 よく日に焼けた四肢はひきしまっていて、その所作には少年のようなきびきびとしたところだらけなのだが、意外と胸が豊かであることをトラブゾンは知っていた。さりとて、それでも女として彼女を見たことは一度としてなかった。出会ったときから彼は女剣士としてのアスラしか見ていないからである。

 いまの出来事にしても、ほぼむきだしの背中に手を触れたくらいで彼は動揺したりしてはいない。首の細さに驚き、その構造が女性であることを実感したのだ。

 アスラは急に喋らなくなったトラブゾンを怪訝そうに見ていたが、やがて無防備な背を向け髪を上げはじめた。

 彼女にしてみれば部族の風習に従って頭頂部で髪をくくって身じまいを終えようと思ってしたことなのだが、そのとき見えた若い女性のうなじに、トラブゾンは己が右手をじっと見つめた。胸の内、頭の中をわけのわからぬ混乱した何かが駆けめぐる。

 髪を上げ終わると、アスラは剣と肩布を手に部屋を出ていこうとした。

「どこへ行く?」

 不言実行は困る。トラブゾンは黙認しなかった。

「山砦の様子を見てくる。地の利に暗くてはあとが面倒だ」

 すでに事後の算段をしている不敵さに、彼はあっけにとられてしまった。が、すぐに気を取り直す。

「アスラ王さんよ、あんたは顔を見られたのか?」

「見られてない」

 トラブゾンはうなずいて言った。

「そいつは上出来だ。じゃあ、今夜は俺があんたの代わりに山砦へ行くから、折をみて加勢に来てくれや」

「えっ、どうして?」

 まさかの身代わり提案に、今度はアスラがトラブゾンを凝視する。その驚きの表情に、ようやっと彼は自分が何を言ったのかを理解した。

「……何てこった」

 またしてもつぶやいていた。

 まったく、何ということだ。アスラを女性として認識してしまったために、彼は無意識のうちに彼女を助け守ろうとしていたのだ。ごく普通に、男たちが女たちに対するが如くに。共に百数十年を戦ってきたユガではなく、出会って一年とたたぬアスラのために。

 トラブゾンは深くため息をついた。それから、少し考えてみる。

 自分がアスラに手を貸そうとしているのは、アスラがユガと同じ夜摩天女であるからなのではないかと。

 かつて、そう、あのときも、彼は出会って間もない女のために命を張ってしまったではないか。そのままその女に従い、いまに至っている。

 出会った女が、いけなかった。夜摩天女である。

 五人いるという伝説の、その中のふたりにすでに出会ってしまったのだ。

 再びトラブは息をついた。

 そして、アスラが夜摩天女だから──ユガの同胞だから手を貸すのだということで腹を決めた。でないと、アスラが女だという理由で手を貸すのだなどと考えようものならば、いずれ彼はアスラに首と胴を()()()()にされてしまう。

「……女ふたりの美人局にひっかかったとあっちゃあ、トゥルカのまぬけどもにも立つ瀬がなかろうからな」

 アスラの感情をかきたてぬように、それなりの理屈を引っぱり出してみる。

 ここで下手に敵は数が多いだの何のと言えば、意地でもアスラはひとりで砦に乗り込んでしまう。そういう女だ。そして何とかしてしまう、実力行使で。嘘みたいにめちゃくちゃ強いのだ。

 少年のように修羅王──キムルジークのアスラは笑った。

「わかった」

 トラブゾンの思惑を知ってか知らずか、短く言いおいて軽く腕を組む。

「では、わたしはどうやって砦に入り込むかな?」

 窓からトゥルカ山を見ようと近づき、ふと、その目に筋向かいの店舗が映る。

「肉屋だ!」

 唐突に叫んだ。

「は?」

 意味をはかりかねてトラブゾンが問いかける。

「肉屋だ」

 もう一度言うとアスラは戸口へと向かった。

「ちょっと行ってくる」

 言い残してばたばたと階段を駆け下りる。

「お客さんっっ」

 宿の主人の喚き声など、アスラの耳には入っていなかった。




 さて、ユガである。

 背を覆う美しい黒髪をきれいに洗い、丹念に乾かしている最中に彼女は賊に襲われた。敵の数もさることながら、不意をつかれてユガはあっさりと当て身をくらい、トゥルカの山砦へと担がれていった。気がついたのは、もう日が高く昇ってからだった。

 目が覚めて何回かまばたきをするあいだに、ユガは自分の身に何が起こったのかを認識していた。考えるまでもなく、いまの状況もわかっている。

 ごたごたした納戸のような部屋の、わずかに空いたあまり清潔とはいえない床にじかに寝かされていた。

 身を起こすよりも先に手さぐりで自分の服装を確かめる。その指に触れるのは、まちがいなく両肩を出した袖のない黒い長衣だったし、髪を洗う際に脱いだ紗の薄衣が体に掛けられていた。意識のないうちに不名誉を(こうむ)ってはいないようだ。

 静かに身を起こしてみた。ゆがんだ格子の入った窓の向こうに碧天(あおぞら)が見える。

 立ち上がって右肩脱ぎに紗をまといながら窓に近寄る。

「逃げられねぇぜ」

 青い空の下に続く深い谷に彼女が目を向けたとき、あたかも絶望させようとするかのようにその背に声がかけられた。

「ゾーインゲ」

 振り返ってユガは穏やかに相手の名を呼んだ。

 驚いたのはゾーインゲである。

 彼としてはユガが涙を流して命乞いなり何なりをすると思っていたのに、まさかこうもおちついていようとは。

「私の連れはどうしました?」

 さらにユガは平然と尋ねてきた。微笑みともとれる表情を浮かべてさえいる。

「お、おめえの連れは……」

 何とも情けないことに、このときすでにゾーインゲはユガに気圧(けお)されていた。自らの置かれている立場に動じようともせず安らいでいる彼女の威容に、ひれ伏す寸前だったのである。

「私の連れは?」

 そうユガが繰り返したとき、ゾーインゲは己の立場を思い出した。

「おめえの連れの命は今夜かぎりでえっ」

 苛々とつっけんどんに言い放つと、訊かれもせぬのに、予定を教えてくれる。

「おめえをエサに()()()に呼び出しをかけたぜ。おめえは奴の前で辱めを受け──五人、十人じゃねぇぞ。俺たちゃ五十人からいるんだ。それで、そのあとはあの谷に身を投げるんだ。それから()()()は八つ裂きにされることになっている」

 半ば叫びながら言い放つと、ゾーインゲははあはあと荒い息をついた。

「あの谷に?」

 底すら見えぬ千尋の谷だ。ふと奇妙なひっかかりをユガは感じた。

「谷に身を投げる……」

 つぶやいてその言葉が意味することを悟った。これからのことではない。自分以前にこの山砦にさらわれてきた女性たちの悲劇を、ユガは感じ取ったのだ。

「そなたらは……」

 語尾が微かに震えた。激しい怒りのためである。

 彼女自身、いわゆる賊と呼ばれる者たちを何百何千と飼っているだけに、トゥルカの山賊たちの筋を通さぬやり方に強く憤りを感じた。それは嫌悪というよりはむしろ憎悪に近いものであった。

「トゥルカのゾーインゲ」

 ユガの面からは穏やかな表情など消え去っていた。あるのはただ、冴え凍るまでに無表情な怒りだ。

「うぬらが命運、ここに尽きたと思うがよい」

 冷ややかに宣言する。

「ケッ」

 あなどるようにせせら笑うとゾーインゲはぺっと唾を吐いた。ユガに指をつきつけ、大得意で言い返す。

「命運が尽きたのはおめえと()()()のほうだ。よりにもよって、トゥルカの虎を敵にまわしたんだからなぁ」

「トゥルカの、虎?」

 そっぽを向いていたはずのユガが意識するそぶりを見せたことが、ゾーインゲの饒舌に拍車をかけた。

「おうよ、泣く子も黙る銀眼の虎と二つ名の。そのトゥルカの虎よぅ」

 今度こそユガはゾーインゲをまじまじと見た。

 奇妙な沈黙が両者のあいだを流れる。

「……そう、そのトゥルカの……銀眼の虎、ねぇ」

 ややあってそう言ったときには再び、ユガは穏やかに笑んでいた。

 その様子にゾーインゲは一瞬鼻白み、ばっとどこぞへ出ていった。




「化けたな!」

 意気軒昂と肉屋に出向いていったアスラに代わってトゥルカの山砦を下見に行ったトラブゾンは、その足でこれまた肉屋に出向き、アスラの姿を見てうっかりそう言ってしまった。

「何だと?」

 トラブゾンにしてみれば感嘆の言葉だったがアスラはそうとは採らない。

「ふん、どうせこうやっているとまるで女のようだとでも言うのであろう」

 トラブゾンが茶化す前に自分で言ってしまってから、真顔で彼を見つめた。素早く気持ちを切り替えて尋ねる。

「で、どうだった?」

「うむ」

 顎を引いてトラブゾンは周囲に目をやった。肉屋の女房やら娘やらが気になるようだ。

「ああ、すまぬがしばし席を外してくれ」

 事も無げにアスラが言うと、肉屋の一室にはトラブゾンとアスラのみが取り残された。

「さぞやいぶかしく思っているだろうな。こともあろうに人身御供を代わりたいと言ったのだからな」

 身にまとう白い花嫁装束の袖をひらひらさせながら、アスラはのどの奥で楽しげに笑った。

 そのアスラに、己が目で見てきた山砦の様子を話しながらトラブゾンはあらためて目を瞠っていた。

 山賊どもの目を欺くために武装の上に花嫁衣装をすっぽりと重ねているのだが、それがいかにも奥ゆかしく、また加えて頭頂部で結った髪を細かくわけて美しい紐をからめてあるので、どう見てもこれから嫁ぐ花嫁さんなのだ。さらに自ら王と名告るだけあって元王女の気品、風格といったものが女物の装束を着けることで加味されている。美しさにおいては、非の打ち所が無い。

「なるほど」

 トラブゾンの内心には気づかず、凛々しく腕組みをしながらアスラはうなずいた。

「背後は断崖なのだな。下手をすればこちらの逃げ道が危ういが、討ちもらしもないな。知っているか?」

 きれいに化粧された顔に獰猛といっていい笑いを満たし、アスラは言った。

「例のユガのにせものな、けっこうな賞金がかかっているそうな」

「ほぉ?」

「しかもあの砦、けちなことに五十人そこそこ()()おらぬということだ」

「は……?」

 気抜けしたようにトラブゾンは息を吐き出した。かまわずアスラは言を継ぐ。

「となれば、我らが取るべき手段、わかっているな?」

 それと聞くや、トラブゾンも不敵に口元を歪めた。

「無論だ」

 きっぱりと応える。

 片や中原において知らぬ者なしと云われる()()()()()()の一の配下、片や中原に広く武勇を誇った王国キムルジークは修羅族の最後の()である。百に満たぬ姦賊など恐るるに足りぬ。

 ふたりは互いの目の内に勝利の色を見出し、莞爾として笑いあった。ふと手を打ってアスラが言った。

「そうだ。今日の分の宿の払いは戻ってからにしても、すぐに旅立てるよう支度しておいてくれぬか? わたしもユガも荷物というほどのものは持ち歩いてはいないが、やはり食料くらいは欲しい」

 またしてもアスラの事後の算段である。だが、もはやトラブゾンは驚かない。口元をほころばせたまま、応じる。

「それから」

 さらにアスラが何か言おうとしたとき、ほとほとと遠慮がちに戸がたたかれた。

「あのう、よろしゅうございますか? お衣装のほうに仕上げをいたしませんと」

「ああ、入ってくれてかまわない」

 毅然たる態度で肉屋の女房の声に応えたあと、アスラはそっとトラブゾンにささやいた。

「砦に向かうとき、ユガの黒漆杖を忘れるな」

「黒漆杖か」

 少しばかりトラブゾンが苦い顔をした。

「ばか。ユガのためだぞ」

 間を置かず女房が入ってきたのでアスラはトラブゾンを小突いて外に出させた。

「あとでな」

 戸口でトラブゾンが振り返ると、顔隠しの被衣をかぶせられたアスラはあわただしく言って、早く行けと手を振った。とりあえず言われたことをしようとトラブゾンは宿に戻る。


 そうこうするうち日はやがて西に傾き、日没と同時にトラブゾンはアスラを乗せた馬を引いて村を出た。

 うす青い夜のしじまに夕焼けが押しやられつつある最中(さなか)に、月が昇ってくる。

「トラブゾン」

 トゥルカの虎への貢物の酒やら肉やらを積んだ馬の背からアスラは轡を取るトラブゾンに声をかけた。

「満月だ」

「今夜が満月だということを失念していたな」

 トラブゾンは舌打ちした。

「わたしもだ」

 アスラは認め、それから声をひそめて男の名を呼んだ。

「トラブ」

 わかっている、というようにトラブゾンはうなずいた。

「お迎えのようだな」

 その声と呼応するかのように、村はずれの木立のあいだからひとり、またひとりとやくざな男たちが現れぐるりとふたりを取り囲んだ。六人いた。

 すっと右手をトラブゾンの左肩にさしのべ、アスラはささやいた。

「黒漆杖を……」

 それはまったく、聞こえるか聞こえないかの小さな声だったが、肯首すらせずトラブゾンは携えていた漆黒の杖を空高く投げ上げた。

 ひらり、とアスラが馬上から宙へと舞い黒漆杖を掴み取るとひとりの賊の脳天を打ち砕く。そのままひょいと馬の手綱を通して杖を地面に突き立てた。

 間髪を入れず装束の下から脛当てに挟んでおいた小柄を抜いて投げつける。あっという間にふたりを倒していた。

 一方のトラブゾンは、この間にこれまたふたりを、一刀のもとに斬り捨てていた。何とか己の太刀を抜いた三人目が斬りかかってくるが、しょせんトラブゾンの敵ではない。

 被衣の下から吐き出すようにアスラは言った。

「何だこいつら。これでよくまあ、銀眼の虎の名が騙れたものだ」

 そのままあたりの惨劇に見向きもしないで馬に乗る。

 残るひとりはうつけたように立ちすくむだけである。

「ゆくぞトラブ」

 その男の目は被衣の下に透けて見える美しい紅唇に釘づけにされている。

「……」

 トラブゾンは無言で馬上のアスラを見た。

「そのようなふぬけを斬ったとて、剣の錆となるばかりであろうに」

 辛辣なまでにぞんざいな言葉の中にトラブゾンは情け知らずと恐れられる修羅王の情けを感じた。やはりこれも人の子であり、女性なのだと思うと同時に目の前の男を一太刀で屠る。

「……取るべき手段はわかっているはずだがな、アスラ王」

「そうだったな」

 アスラは月を仰いだ。




 トゥルカの虎サジアスは、はったりをかますのが当然とはいえ、虎と名告るだけあって鋭い印象を与える男である。広間に引き出されて一目見るなり、ユガは視線をそらせた。真っ向から目を合わせれば、彼女が見た目どおりの手弱女ではないことなどすぐさま看破してしまいそうだ。

「──っ」

 そのサジアスの足元に乱暴に突き倒されながら、ユガはあくまで普通の女としてふるまうことを忘れなかった。

 震えるとまではいかなくとも、おびえたように己が体を抱きしめる。それから、目を閉じて視線が交わらぬようにうつむいた。満月が昇ってしまったのだ。いまこの場で、変化した右の銀眼を見られるのは、できれば避けたい。

 満月の夜、ふだんは青いユガの右眼は銀色へと変ずる。血統的なものではない。たぶん、彼女が夜摩天女の生まれ変わりだからだ。この銀の瞳でユガは人の本質を見定めることができる。そしてこの銀眼が、銀眼の虎が広く中原に名をはせる象徴となっているのである。

 ただ、やっかいなことに、変化するのは右だけなので彼女の左眼は深い海の青のままだ。それを見られてなるものかと必死でユガは目を伏せていたのだが……。

 不意にむんずと腕をつかまれ、ユガはトゥルカの虎の腕の中に引き寄せられた。痛いくらいの視線を顔中に感じる。

「目を開けろ」

 低くサジアスは言った。が、ユガはぎゅっと目をつむったままである。

「おいっ」

 男はユガの両腕をつかんで激しく揺さぶった。そこまでされて()()()()は言うことをきかないわけにはいかない。ユガはゆっくりと目を開けてトゥルカの虎を見た。

「おめぇ……」

 さすがに左右で異なる色に驚いたようだが、気を取り直してユガの頭の先からつま先までをまじまじと見、そのなみなみならぬ美しさに満足したらしく、サジアスはにやけた。

 ユガもまた、おびえた女をよそおうのをやめてつぶさに男の様子を観察した。

 なるほど、銀眼の虎を騙るように目は銀、というよりは灰色だ。屈強な体がなかなかの戦士であることを物語っている。(オーラ)の拡がりも平凡であるとはいえない。

「トゥルカの虎」

 すっかり素の自分に戻って、のびやかに、だが淑然として言った。

「なにゆえそなたは銀眼の虎の名を騙るのです?」

「何っ!」

 腕にかかえた女の豹変ぶりもさることながら、銀眼の虎云々の言葉にサジアスはユガを凝視した。女がいたぶられる様を見るのを楽しみに広間に集まっていた手下どもがざわめく。

「そなた如きに名を騙られては迷惑だと、銀眼の虎は思うておりますよ」

「ぬ?」

 ユガを拘束していた腕を解いて男は体を離した。心なしか外のほうでも騒いでいるような……?

「……おまえは何者だ」

 名状しがたい恐怖がサジアスの意識に飛来した。それを押し止めて彼は言葉を絞り出す。

「わかりませぬか、トゥルカの虎」

 やおらユガが立ち上がる。サジアスが飛び退り、手下どもが身がまえる。それを牽制すべく巧みに紗をさばいて両肩脱ぎになると、ユガは微笑んだ。

「私が銀眼の虎です」

 とたんにあたりが水を打ったように静まり返る。

 そこへ、右袈裟に斬られた男が転がり込んできた。後に続いて白い花嫁衣装をまとった女の手を引いた男がうっそりと入ってくる。

「よう、てめえがトゥルカの虎か?」

 右手の血刀から血を振り落としながら少々声に凄みをきかせて尋ねる。相手が応えるいとまを与えずに左手で引いていた女の手を振りほどく。

「ご所望の花嫁を連れてきてやったぜ。もっとも、ただの花嫁じゃねぇがよ」

 漆黒の棍杖をかかえた白装束の女は男が手を払った勢いのまま、トゥルカの虎に抱きとめられた。虎は無言で花嫁をわきへ押しやり、男と睨み合いを始めた。

「トラブゾン」

 ユガが声をかけると、男は心得たと言うようにうなずいて見せた。

「手出し無用だ。こいつは俺の獲物にもらった」

 確かに、体格からいえばトラブゾンは無理なく虎と渡り合える。止めるつもりもなかったが、男たちは野獣のように刃を合わせた。

「ユガっ」

 花嫁が黒漆杖をユガの手に握らせた。

「アスラ?」

 惜しげもなくアスラは花嫁装束をかなぐり捨てて、まずは剣の鞘に付けておいた鞭を手に取った。

「ゾーインゲ、どこだっ」

 一声叫んで手近な賊を打ち据える。左手に持った小柄でとどめを刺しておいて、アスラは求める敵を見つけた。

「わたしを覚えてはいまいな?」

 凄艶に笑んでのどの奥で含み笑いをする。

「てめぇはっ!」

 その様子からアスラが誰であったかを察し、ゾーインゲは(げき)しながら斬りかかってきた。

 すばやく鞭をおさめアスラは小柄を投げた。ゾーインゲが身をかわし、後ろにいた賊ののどもとに血の花が咲く。

 アスラは降魔を抜き放った。

 伝説級の名刀・降魔の前にはどんな刀剣も沈黙する。アスラが抜刀するやゾーインゲの剣は受け太刀となり、三合目に右手から薙ぎ払われた降魔を受けきれずぱっきりと折れた。のみならず、そのままゾーインゲの首も宙を飛んだ。間髪を入れず、残りの雑魚を一手に引き受けていたユガの加勢に出る。

 トラブゾンとアスラがそれぞれ大物を選んでしまったので、手下の始末はユガがするしかなかったのだ。とはいえ、まだかなりの数が残っている。最初に二、三人を一撃必殺で仕留めたあとは、もっぱら巧みな棍杖さばきで傍へ寄せつけぬだけにした。

「……やはりそなたに血は似合わぬな」

 それを見て破顔するとアスラは降魔を鞘におさめた。手近な剣を拾って雑魚どもの中に割って入る。それから、ユガと背中合わせになって情け容赦なくだんびらをふるった。

 次第に残り少なくなっていった賊が恐慌状態に陥るよりも先に、それらは皆ことごとく、討ち取られていた。

 あとはトゥルカの虎、ただひとり。

「……騙りでなかったならば、そして」

 激しい男たちの斬り結びを傍観しながらユガは言った。

「ここまで堕ちた賊に成り下がっていなければ、共に夜摩天を夢見る者となれたやもしれぬ」

「確かに戦力として、使えるかもしれぬ。だが、惜しむほどではない」

 なぐさめるように言うとユガと肩を並べて立ち、アスラは腕を組んだ。

 いつまで経っでも勝負に決着がつかない。正に互角なのた。

 と、ふとトラブゾンの足取りが乱れた。肩で大きく息をつき、一歩、二歩と後退する。ここに付け入って踏み込み、何度斬撃を弾き飛ばされたことか。アスラは身を以て知っていた。つまりはトラブゾンの誘いだ。

「──!」

 それに乗ったかと思われたトゥルカの虎は、身を翻してユガに斬りかかってきた。うなりをあげて降ってきた(はがね)の刃を黒漆杖がしっかりと受けとめる。

 緊迫した何かが、辺り狭しと駆けめぐる。

「トゥルカの虎サジアス」

 凛とユガは言い放った。

「おのれの犯した罪の数々、おのれ自身であがなうがよいでしょう」

 アスラが差し出した降魔を抜いて、一刀両断、ユガはトゥルカの虎の首を斬っておとした。

 そして──。




 明け方近く、宿に戻ってきた三人を見て主人はすっかり度肝を抜かれてしまった。三人が三人とも、まったくの無傷といっていい有様なのだ。

 櫛とか、わずかばかりの荷を取りにユガが二階に上がってゆく。そっけなくアスラが元は花嫁衣装だった白布に包まれた何かを主人の前の台に置いた。

主人(おやじ)

 呼ばれて返事はしたものの、おろおろになっている主人にトラブゾンはこっそり相好をくずした。

「宿代のかわりだ。しかるべきところで金に替えてくれ。過剰な分は村中で分けるがいい」

 かつては純白であった布ににじむ赤いものを見とがめ、主人はつい訊いてしまう。

「あのぉ〜、これはひょっとして……」

「ああ、トゥルカの虎とゾーインゲの首だ」

 事も無げにアスラはさらりと言ってくれた。

「お待たせ」

 そこへユガが下りてきたので、では、とアスラとトラブは出ていった。

「ご主人、何か不満でも?」

 にこやかに小首をかしげてユガが訊く。

「いえ、滅相もない。ただ、その、あなたがたはいったい……」

「名告るほどの名など、ありませんよ」

 そう言ってユガは至上ともいえる笑みを浮かべた。

 そこで主人はユガの目の色に気づいた。左眼は最初の夜に見たとおりの青い色。しかし右眼は──。

「お世話をかけましたね」

 素知らぬ顔で丁寧に頭を下げると、ユガもまた宿を出ていった。


「ぎ、銀眼の虎……!」

 

 宿の主人のつぶやきなど、ユガの耳に届こうはずもない。











『その()(かた)るな』

  OH MY EYE!

     ── 了 ──















たぶん、個人本のために書き下ろした作品。


いつの間にかトラブゾンが保父さんみたいになっちゃっています。元々は隣国へ嫁ぐユガが逃げるのを手伝っただけだったのに、長い長いつきあいになった人です。


次は第四の夜摩天女・弁才天のお話です。






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