三十六話 美しさの理由
宿屋に戻れば、年配の店主が驚きを通り越し、蒼白な顔でアグノス達を迎えた。
まさか戻ってくるとは思っていなかったのだろう。
出て行けとも言えずにガタガタと震える店主を見て、アグノスも申し訳ない気持ちを抱いた。できれば今すぐにでも町を離れたかった。
が、マリアの様子から少しでも休める場所がほしかったのだ。城まで彼女を抱えて走れば、アグノスの足で一日と掛からないかもしれないが、自他共に認める方向音痴には危険な賭けだった。
「これで頼む。決してこれ以上迷惑かけない」
巨大な角のある赤い瞳の魔王に、何か月宿泊してもお釣りが出るような金額の宝石をドンッとカウンターに置かれて懇願されれば、店主からすれば凄まれたら、首を縦振らざるを得ない。
だが、恐怖で混乱しているのか、店主は首をただただ横に振るだけだった。
あまりに怯える店主を見兼ねたのか、クレメントが何かを懐から出した。
「俺はこういう者だ」
それを見た店主の顔色がまた変わる。アグノスからは見えなかったが、何か書類のようなものだった。
「えっ……あ、君……まさか……」
「彼は私の友人で、任務を手伝ってくれているのだ。頼む、少しの間だけ置いてくれないか?」
店主は一度アグノスを見たが、渋々といった風に頷いた。
そんな店主に、アグノスも深々と頭を下げる。
「本当にすまない。感謝する」
魔王の丁寧で素直な態度に、店主は目を丸くしていたが、それ以上は何も言わなかった。
今朝まで泊まっていた二階の部屋を再び借り、アグノスはマリアをそっと寝かす。
「ッ……」
「マリア……⁉ 痛むのか?」
アグノスの問いに、マリアの答える声はない。
まるで自分が痛みを感じているかのようなアグノスの表情に、クレメントも小さく溜息を吐いた。
「おまえも休めよ、アグノス」
気遣う友人に、アグノスも息を吐く。
「いや、俺はいい」
正直疲れてはいた。
「おまえ、力を抑えていたろ? 思い切り戦うより疲れるはずだ」
メルクーリに怒りを覚え、力を出しはしたが、人間に対して無意識にセーブはしていたらしい。
それを、友人は見抜いていた。
「彼女が目を覚ました時、おまえがそんな顔をしてたら、気に病むぞ」
「あ、……」
クレメントの言葉に、アグノスは自身の頬を撫でる。雨風に跳ねた泥で、ザラザラとしていた。
アグノスは立ち上がった。
「ちょっと顔を洗ってくる」
「代わりにお姫様はしっかり守ってやるよ」
「目覚めてびっくりしたお姫様に斬られないようにな」
「物騒なこと言うなよ……」
苦笑する友人に釣られ、アグノスも力なく笑い、部屋から出た。
と、眩暈がした。
「ッ……」
壁に背を預け、アグノスは自嘲気味に笑う。
(俺は……何やってんだ……?)
マリアを助けるためにここへ来たのに、結局助けられたのは自分だ。
マリアは強い。
いや、どんな状況であろうと、どんな場所に行こうと、強くあろうとしている。それが彼女を常に気高く、さらに美しく見せている。
では、自分はどうだ。
ずっと自身のテリトリー内で、自身の力のみを見て、外の世界を知る努力をしてこなかった。
(引き籠ってる兄貴の方が、まだ外を知ろうとしている気がする)
アグノスは大きく息を吐いた。
「ど、どうされました?」
「え?」
アグノスが声のする方を見やれば、少し怯えながらも心配そうな表情を浮かべる店主が、何かを入れた籠を手に立っていた。
「あ、あなた様も具合が悪いんで?」
「いや、大丈夫だ。何か用か?」
「あ、いえ……お連れ様の怪我の手当てにと思って」
籠の中には、包帯と薬が入っていた。
それにアグノスは驚く。
「助かる。で、でも、いいのか……? 俺は、あんたの町を……」
アグノスの言葉に、店主は首を横に振った。
「み、皆、気付いていたのです。町長が……していたことを……」
店主が言い終わらない内に、ドアが開いた。
「顔を洗いに行くんじゃなかったか?」
クレメントが呆れたように顔を覗かせる。
「あ、……店主から包帯と薬をもらったから、マリアに」
「それは有り難い。店主、ついでに申し訳ないが、薄汚い魔王様のために水を張った桶も持ってきてもらえないか?」
「おい! 薄汚いは余計だ!」
「誰がどう見たって綺麗とは言えないでしょうよ」
「ま、まあ、確かにちょっと……臭いますし」
「えッ⁉ マジ⁉」
慌てて自身の服や二の腕をクンクンと嗅ぎ始めるアグノスに、店主は漸くホッとしたように笑った。
「今、水もお持ちしましょう。あと、ワインとパンも」
店主は優しく微笑んで、また階下に戻っていった。
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