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三十三話 魔王の怒り2

 アグノスが、メルクーリに向かい再び一歩踏み出した時、その前に立ち塞がる者がいた。


「メルクーリ様に近付くな」


 ヴァレットだった。

 肩が若干震えている。さすがに魔王を前にすれば、手練れの殺し屋も赤子同然だ。

 それが分かっている彼は、恐怖に支配されている。

 アグノスがその気になれば、一瞬でその命は終わるだろう。


「退きなさい、ヴァレッド」

「しっ、しかし、メルクーリ様……」

「聞こえなかったか? イレ」


 ファーストネームを呼べば、彼はさらに恐怖し、アグノスに道を譲るような形でその場を引いた。


「部下が失礼したね」

「おまえは、俺が恐ろしくないのか?」


 背後では自身の町の住人達の阿鼻叫喚。部下二人も死んではないが、一生不自由な暮らしとなる有様。そして、一番の部下ですら恐怖で役に立たない状態。

 それでも、メルクーリはアグノスに微笑みを向けている。

 その様子に、アグノスすら薄気味悪さを感じているようだった。


「恐ろしい? こんなにも素晴らしい客人がお見えになっているのに」

「ッ……」


 今度はメルクーリの方からアグノスへ向かって階段を下りる。

 一段下りるごとに、近付く自身の夢。

 そう。メルクーリは知っている。


 魔王アグノスは、人間よりも人間に気を遣っていることを。


 だから、『魔の契約』を続けた。

 だから、その生贄を使った。殺さないということは計算済みだ。

 一つ誤算だったのは、意外と硬派だということ。


「近くでお顔を拝見すると、本当に綺麗ですね」

「ッ⁉」


 アグノスが驚愕したようにまた距離を取ろうとした。

 が、それをメルクーリは許さない。


「なっ……!」


 アグノスの右手首を強く掴み、口端を吊り上げた。


「逃がさない、逃がすものか。やっと、私の願いが叶うというのに!」


 その途端、アグノスとメルクーリの体が黒い霧に包まれた。


「なんだ⁉」


 メルクーリに掴まれた個所から突如にして噴出した黒い霧に、アグノスは混乱していた。


「私が何も手を打たず、あなたを待っていたとでも?」


 夜盗達に集めさせていたのは、宝石や貴金属だけではない。


「あなたはとてもお優しい方だ。町に下りる際、魔力をある程度抑える術を掛けてきて下さったのでしょう?」


 黒い霧は、封じの術で封じきれなかったアグノスの魔力そのもの。


「あなたの魔力を少しお借りしますよ、アグノス様」


 魔術に纏わる書物やアイテムを、メルクーリは集めさせていた。自身で買い集めた物もある。

 その中には力のないメルクーリでも、相手の魔力を利用し捉えることができる術があることを知った。

 本気の魔王の魔力では確かに敵わないだろう。しかし、彼は、人間を、人間の抱く欲を侮っている。

 自身の体から溢れては纏わり付く霧に、魔王は整った顔立ちを困惑で歪めていた。


「それが、見たかった」


 メルクーリは嗤う。

 が、次の瞬間。


「……なめんなよ……」


 黒い霧は、赤い炎へと変貌する。


「ッひ……!」


 メルクーリの黒い瞳に、苛烈に輝く魔王の赤い瞳がぶつかった。

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