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三十三話 魔王の怒り1

 背後が急に騒がしくなり、メルクーリが振り向けば、マリアを処刑台に上げるための駒は情けなく白目を剥き倒れていた。

 それよりも、だ。


 この男は、なんだ?


 フードを目深に被った男が、マリアを大事そうに抱えている。

 急に、辺りの空気の温度が上がった気がした。


「君は……?」

「許さねぇ」


 低く唸るような声。

 聞き覚えがあった。

 熱風によって、メルクーリの黒く長い髪と、男が纏っているローブが忙しなく揺れる。


 この青年は一体――


 マリアをゆっくり抱き上げた彼は、一歩一歩慎重に家の外壁まで歩いて行き、そして、彼女を丁寧にそこへ寄りかからせるようにして座らせた。


「無理させないって、約束したのにな……ごめん」


 マリアから答えがないことを分かっているのだろうが、男は優しくそう呟き、またメルクーリへと向き返った。


「おまえだけは絶対に……」


 また一歩一歩。男がメルクーリに向かって、進んでくる。

 熱風が徐々に強くなる。

 観衆がざわつき始める。明らかに変わった空気に恐怖しているのだろう。

 空も徐々に暗くなっていく。町の上空に集まる暗雲の中で、雷がゴロゴロと唸っている。まるで、生贄を探しているかのように。

 舞い上がる熱風に悲鳴が上がる。

 が、メルクーリはそれすら高揚感となった。


 目の前の、男。


「まさか……」


 男のフードが、彼の本来の姿を隠し切れなくなっている。ビリビリと空気だけでなく、フードも裂けていった。

 そこから覗くのは、人間にはない巨大な二本の角。そして、浅黒い肌と端正な顔立ちに、火が燃え盛るような瞳と髪。


 彼が、ここに――


 メルクーリの立つ台座の下で立ち止まった時には、彼の本当の姿が露わになっていた。


「魔王アグノス」


 稲光と町長のその言葉を合図に、町民はついに発狂した。


「魔王⁉」

「たッ、助けてくれ!」

「やっぱりあの女は魔王の……!」

「逃げろ!」

「押すな!」

「坊や……!」

「退け!」

「母ちゃぁん!」


 背後の混乱には目もくれず、メルクーリは魔王アグノスだけを見据えていた。

 アグノスは、メルクーリを睨み付けている。


「あなたの方から来てくださるとは思いませんでしたよ」

「てめぇ……」

「私には、グリゴリオス・メルクーリという名があります。どうか、グリゴリオスと。親しい者はグーリと呼びます」


 もう周囲でメルクーリをグーリと呼ぶ人間はいない。


「っざけんなよ!」


 一礼し、落ち着き払ったメルクーリの口調は、アグノスの怒りの炎に油を注ぐだけだった。

 そんなことは、メルクーリ自身が一番分かっている。

 昔からそうだ。

 メルクーリの態度が気に食わないと学校の同級生が突っかかってくれば来るほど自身の心が遠退くような感覚がすると同時に、淡々とした口調で相手を追い詰めた。最終的には相手の方が心臓を抉られたような顔をし、メルクーリに許しを乞うているのだ。

 いつからだろう。それが高揚感となったのは。

 さらに、人々が恐怖する様や悲観する様にもそれを感じるようになった。

 彼らがなぜそれほど感情を動かしているのか。

 落ちていく様は、メルクーリを喜ばせた。

 それは、人間に限らず。

 いや、魔王の怒りは、人間よりもさらに美しい。


(この血を私のものとすれば……!)

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