三十話 友人と知らない世界
足早にあの場から立ち去ったはいいが、何をすればいいのか。
隠れ家に決めた宿屋に戻っても、アグノスは部屋の中を行ったり来たりし、落ち着かなかった。
町外れの納屋にでも潜伏すればいいと言ったアグノスに対し、クレメントの方がその方が目立ってしまうと言い、宿屋に泊まることを強く勧めた。宿屋の主人からも別に怪しまれることもなく、魔力が思ったように使えない現状では、しっかりと休めるベッドがあることは確かに有難い。が、マリアの状況を見てしまえば、休んでもいられなかった。
そんなアグノスに、クレメントは小さく息を吐いた。
「お姫様には必ず助けるって言ったけど、どうやって?」
「考えてない」
「やっぱり……」
アグノスの即答に、クレメントは呆れたように言った。
そんな友人にアグノスはムッとする。
「あそこを破壊するなんて簡単……」
「おまえ、今魔力を封じられてんだぞ?」
「あ……」
自らの掌を見ても、炎は灯程度しか生まれない。
普段は頭に生えている二本の角がないことも、何だか落ち着かなかった。
混乱を避けるためとはいえ、魔王の姿を隠したのは間違いだったか。
「俺が誘い出そう」
「え?」
友人の言葉に、アグノスは間の抜けた声を出した。
「メルクーリに直接、魔王の使者が会いに来ているとでも言えば、のこのこ付いて来るさ」
「そ、そんなことで出てくるか?」
まるで造作もないことだとでも言うようなクレメントに、アグノスも少し心配になる。
が、やはりクレメントは普段と変わらず、「ああ」と答える。
「俺、顔が広いんで。商売相手はお宅んとこだけとちゃいまっせ」
「それ、どこの言葉だよ?」
時折、クレメントは聞き慣れない言葉を使うことがある。商人として各地を回っているせいだとは思うが、底知れぬ男だともアグノスは毎回驚き、感心していた。
しかし、顔では訝しく取り繕うアグノスに、クレメントは真剣な表情を向けた。
「アグノス、もっと世界を見てみたくないか?」
「なっ、なんだよ? 急に……」
「世界は広いぜ。あの山にある財宝以上の宝がいっぱいある。イイ女だってそれこそ、山ほど」
「あのなぁ! 今はそんな冗談ッ……」
「マリアを助けたら、俺と世界を回ってみないか?」
「……は?」
クレメントの意表を突いた問いに、アグノスの時が一瞬止まった。
(冗談には見えないな)
先ほど自身が生み出した灯の向こう側で、クレメントの灰色の瞳が研ぎ澄まされた切っ先のようにアグノスを貫いていた。
それは、友人が本気で交渉をする時の目だ。
アグノスは少しだけ考え、クレメントを見る。
「考えとくよ」
「えっ? マジ?」
「はっ? 冗談か?」
急に普段の様子に戻るクレメントに、アグノスも拍子抜けした。
アグノスが睨めば、クレメントは苦笑した。
「いや、冗談じゃないが、お姫様を助けたら、お城で一生イチャイチャするんだい! とか言い出すかと思ってた」
「っんなこと言うか!」
「しないの?」
「しっ……したいけどさ」
城に戻ったとしても、兄がマリアを迎え入れてくれるのか。
マリアがあの山に留まってくれるのか。
アグノスは言い淀んだ。
もしも、自分が魔王でなければ。
マリアがそばにいてくれたら。
どこか、ひっそりと彼女と生きていければ。
もしも――それを感が始めたらキリがない。
そもそも。
(俺は、あの山の主でいることを手放すことができるのか)
本来ならば、自分のものではなかった地位。
灯を蝋燭に移す。
部屋が暗かったことに今さら気が付いたからだった。
強大な魔力を失っても暗闇に慣れている赤い瞳だが、世界にはまだまだアグノスが知らないことがいっぱいあるのだろう。
神と人間との間に産まれた美しい少女がいることを知らなかったように――
「まずは、マリアを救う」
「もちろん」
クレメントも膝を打って頷いた。
「明日、広場にメルクーリを呼び出す」
「広場? そんな目立つ所にか?」
「だから、だよ」
仄かに明るい部屋の中で、クレメントがワインを注ぐ。
「さっ、今日はこれでも飲んで休め、アグノス」
赤い液体が、グラスの中で波打った。
アグノスそれを受け取ると、クレメントも自身の分もワインを注ぎ、一気に仰いだ。
それから、飲み終わったグラスを持って、「おやすみ」と言った。
「あっ、クレメント」
行きかける友をアグノスは呼び止めた。
「ん?」
「ありがとな」
アグノスのその言葉に、クレメントが少し表情を強張らせた。しかし、それは僅かな時間。
「お礼は、お姫様を助けるまでとっとけよ」
クレメントはそう言って、部屋を出た。
アグノスは、自身が生み出した小さな火を見る。それから、窓の外を。
城とは違い、人々の住まう家々に囲まれたここでは、山が見えない。
それが、なんとも心細く感じた。
(マリアは、家がなくて寂しくなかったのかな?)
アグノスは、友と同じく一気にグラスを空にした。
潤いと同時に、乾きも感じた。
明日の夜には、ソフォスの術が切れる。
それまでには。
(俺が生み出す火は、希望になるのか?)
アグノスは、そんな自らの小さな灯をふっと吹き消した。
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