三話 魔王のいる山
「ギタは、五十前にできた比較的若い町です。山間の町で不便に思われるかもしれませんが、町を取り囲む山々に鉱脈がありましてね。資源を求めて、多くの人々が移り住み、商人も訪れるようになったのです」
マリアは、紹介された宿屋の一階にある食事処で、メルクーリの熱弁に半分だけ耳を貸していた。
良い宿屋を紹介すると言った彼の言葉に嘘はなかった。
大通りからは少し外れるが、外見や泊まる部屋、この食事処、そして宿の店主には、どこか温かみがあり、尚且つ随所に飾られている芸術品は高価な物でも上品に泊まり客を迎えていた。
今、マリアとメルクーリの間で仄かな湯気を揺らしているハーブティは、店主の心遣いからだ。ヴァレットは席に着かず、主の右斜め後ろに控えていた。相変わらず、マリアに鋭い視線を向けている。
昼時でもなく、かといって夕暮れにもまだ早い時刻だからか、食事をする客は先ほどギタに着いたのだろう商人が一人、マリア達から一番遠い席に着いているだけだった。
マリアは、ハーブティを一口含んで味わい、ゆっくりと喉に流した。
「あたしに町の歴史を聞かせたいがために、あのようなことを?」
ヴァレットの視線がまたきつくなる。
別に彼を刺激したいわけではないが、興味のない長話に付き合いたくはない。
「先ほど、私を助けてほしいと仰ってましたけど」
「私達の町を、です」
「どちらも同じことじゃない? あなたにとっては」
メルクーリの苦笑が深くなる。
「そうですね。町も住人も私には宝物ですから」
そして、彼は再び額をテーブルに着ける勢いで頭を下げる。
「お願いします、マリア様。この町の人々に平穏な日々をお与えください!」
「お与えって……! あたしはそんなことできなわよ!」
「神にも等しい力をお持ちとお噂で伺っております!」
「それはっ……ほんと、ただの噂が独り歩きして……」
目を泳がすマリアをメルクーリは見逃さない。
「お美しいご婦人に、ご依頼するようなことではないと理解しております。しかし、私にはもうあなたしか頼める方がいないのです」
後ろで控えていたヴァレットが苦々しい表情で俯いた。それもそうだろう。先の言動からすれば、彼はずっとメルクーリに使えてきたに違いない。だが、主人が助けを求めたのは、この町に来て間もない初対面の無礼な女傭兵なのだから。
「お願いします! 私の宝をどうかお救いください!」
遠くの席で食事をしていた商人と、奥にいた店主までが困惑と悲観を綯い交ぜにしたような顔でちらちらとマリアの方を見ていた。
ここで断れば、また変な噂が独り歩きしてしまう。
マリアは、大きく息を吐いた。
「分かったから……! とりあえず、どういうことか話してもらえる?」
「ありがとうございます」
顔を上げたメルクーリの目の奥には、強い光が宿っていた。
「この町は、魔王アグノスの脅威に常に脅かされているのです」
「魔王、ですって?」
マリアは表情を硬くした。
こんな平凡な町でそんな物騒な存在を耳にするとは。
メルクーリは、目の奥の光を絶やさずに続ける。
「はい。この町を取り囲むヴァロータ山脈は、一千年も前から魔王のプロトス一族の住処で、今の当主がアグノスです」
声を低くし、目を伏せたメルクーリの頬に、漆黒の髪が影を落とす。
マリアには、彼のその表情がどこか恐ろしくも思えたのだった。
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