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十六話 恐れを抱く者1

「さっ、城に帰ろ」


 ガルムの悪意を払拭するように、アグノスが明るく言った。

 いや、彼の場合は、子どもが普通に『家に帰ろう』と無邪気に言うそれに近い。

 マリアも、ただの居候ではあるが、「そうね」とホッとして口にしていた。

 が、アリスィアはイェシカを厳しい目で見詰めていた。

 イェシカも、俯き加減だったがアリスィアの青い瞳を見ていた。

 マリアとアグノスの足も自然と止まってしまった。


「俺の言いたいこと、分かってるな?」


 イェシカが小さく頷く。白い肌が、さらに血の気を失っていた。


「マリアが来てくれなかったら、俺らが間に合ってなかったら、どうなってたか……!」

「兄貴、無事だったんだから……」

「お前は黙ってろ」

「っ……」


 段々と声音が荒くなるアリスィアを見兼ねてか、アグノスが助け舟を出すが、それは兄の低い声と鋭い視線に遮られた。

 兄の青い瞳と弟の赤い双眸が静かに交差する。

 先に折れたのは、アグノスだった。


「分かったよ」


 深く息を吐いたアグノスは、肩を竦めた。

 マリアは彼が何を分かったのか分からなかった。

 ただここで止められる人物が退場したことだけは分かった。


「イェシカ、お前は自分の立場を分かってるのか?」


 イェシカがビクッとする。

 リリィとはまた違った濃い茶色い髪と瞳が、所在なさげに揺れている。

 イェシカが無断でここに来たことは、確かに危険で無謀だ。それを伝えていたにも関わらず無視をされたアリスィアが怒るのは、当然のことだとマリアでも思う。

 でも、それはアリスィアを想ってのことだとも知っていた。

 毎朝イェシカは、部屋から出ない彼のために綺麗な花を探していた。髪飾りも、部屋に飾るための花も、彼女が用意したものだ。


「イェシカ」


 アリスィアだって、それは分かっているはずだが、彼女の名を呼ぶ声は、怒りからなのか微かに震えていた。

 先ほどまでの恐怖からやっと解放された少女を、またそんな風に怯えさせることはないだろう。

 しかも、イェシカは反論ができないのだ。

 アグノスも何も言わない。


「アリスィア、ちょっといい加減……」


 マリアは見兼ねて、アリスィアに詰め寄ろうとした。

 しかし、それはアグノスに止められる。そちらを見れば、困ったような、しかしどこか柔らかな表情で首を横に振っていた。


(ちょっと! なんでそんな顔なのよ⁉)


 マリアがアグノスに内心で悪態を吐いた時、ガバッとアリスィアがイェシカに右手を上げた。

 イェシカが観念しかたのように両目を瞑る。


「やっ……!」


 まさかアリスィアが暴力を、とマリアが咄嗟にイェシカを庇おうとした時、それはまたもやアグノスの手に止められた。


「アグノス……⁉ 手を放して……!」


 そして、アリスィアの右手が、イェシカの肩をグッと自分の方に引き寄せたのだ。


「え?」


 恐らく、マリアとイェシカの反応は同じだった。

 イェシカは恐る恐る目を開き、自分よりも頭一個分アリスィアの顔を見上げる。

 アリスィアは、イェシカを強く抱き締めていた。でも、そこには彼女の体を労わるような雰囲気をマリアも感じた。


「ほんと……マジでもう……」


 イェシカの曲のない濃い茶色の髪に、自身の顔を埋めながら、アリスィアは呟いた。それは、震えていた。

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