一話 激戦!2
アグノスは本気ではない。遠距離も近距離も完璧な男だ。それなのに、マリアを仕留める動きはしていない気がした。背後への攻撃を見切られ、距離を保ち思案するマリアへは何も仕掛けてこないことが証拠だった。
マリアは息を整える。
(何か企んでるの?)
間合いを開けるため、さらに一歩引いた時、ガタッと何かにぶつかった。
「ぃたッ……」
それは、薄暗くても分かるほど見事な装飾が施された立派な玉座だった。
(もう! 玉座ってもっと高い位置にあるんじゃないの⁉)
物があればそれだけ行動が制限されると思い、マリアが乱暴にそれを蹴り飛ばそうとした、その時。
「やめてよぉ!」
「……はい?」
地の底から響きそうな声には変わりないが、何とも情けない言葉だった。
マリアが声の主に向けば、魔王と呼ばれ恐れられている男が赤い目をうるうるさせながら、突進してきたのだ。
「それ、俺のお気に入りなんだからぁ!」
咄嗟に剣を構えようとしたが、彼の方が速かった。
「ちょっ……⁉ 何⁉」
「壊しちゃダメ!」
ぎゅっと両腕ごと抱き締められる形となり、マリアは混乱して、剣を落としてしまった。
(やばっ……もしかしてこのまま抱き潰す気⁉)
長身で大柄でもあるアグノス。しかし、その抱き付き方は、まるで小さな子供が駄々を捏ねて、母親にするそれと似ていた。
「ちょっと! 放して!」
「放したら壊すじゃん!」
「ここにこれがあるのが悪いのよ! 玉座なら、もっと高い位置に置きなさいよ!」
力は入っているが、加減はしているようだった。
マリアが言った言葉に、むぅと剥れている。
「……だって、高い所にあったら、みんな俺を怖がるじゃん」
「当たり前でしょ! 魔王なんだから」
マリアが再度反論すれば、アグノスはゆっくりと言う。
「俺だって、なりたくなったわけじゃない」
「え?」
「俺達だって、なりたくて魔王の一族なったわけじゃないもん!」
赤い瞳を潤ませた大柄長身で整った顔立ちをしている――すべての魔を統べる魔王。
(『もん』って……)
何かが間違っている。
世間の常識だと、魔王とは残忍で、残酷で、冷酷で冷淡で、生きとし生ける者達を恐怖のどん底に落とす存在ではないのか。
マリアの頭上では、その常識が一切合切崩れ去っているのだ。
「と、とにかく、放してくれる?」
「壊さない?」
「そんな潤んだ目で見ないでよ! あたしが悪者みたいじゃん!」
怒鳴ればまたうるうると目を潤ませるアグノスに、マリアは降参する。
「分かった! 壊さないから!」
「ほんと?」
「ほんとほんと。だから、ほら、放して」
マリアが大きく頷くと、アグノスはやっと安心したのか、彼女を放した。
それから、玉座へと歩き、その傍に膝をつく。
マリアは、足元の剣を見やった。
(チャンスよ!)
そう思った時、アグノスが振り返った。その顔には、穏やかな笑顔が浮かんでいる。
「これさ、兄ちゃんが誕生日に買ってくれたんだぁ」
「そっ、そうなんだ」
屈もうとしていた体勢を再度ピンッと伸ばして、マリアは慌てて愛想笑いをして頷く。
「優しいお兄さん、なのね」
「うん!」
低音はそのまま、威圧感は遥か彼方へ飛んで行った声質で、アグノスは小さな子供のように元気良く頷いた。
が、またすぐに泣きそうな顔をする。
「これ、壊されちゃうと、俺……」
「あぁ~もぉ! そんな顔しないで! ほら、武器も置いてるし」
マリアは両手を上げて見せる。
アグノスは、また小さく頷いた。
何故だろう。
マリアの足は、気付けば彼の傍に歩み寄り、立派な二本の角が生えた頭をそっと撫でた。
「約束したからね」
「うん」
擽ったそうに笑うその顔は、無邪気な少年そのままだった。
「そういえば、君の名前は?」
「えっ? あ、……マリアよ。マリア・オルティース」
「マリアかぁ。良い名前だな」
薄暗くても分かるほど、キラキラと輝く上目遣いの赤い双眸は、マリアの心を離さなかった。
(もぉ~! ほんとこの魔王なんなのよ⁉ 聞いてた話と全然違うじゃない!)
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