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八話 困惑と優しさ

 マリアは、大きな窓の縁に片膝を抱えるような恰好で腰を掛け、月光に照らされても尚、闇夜に溶ける山々を見ていた。

 いや、あれは山と言うより黒く大巨大な魔物そのものだ。一本一本の木々がざわざわと揺れ、山自体が動いているように見える。まるで今にもこちらに飛びかかってきそうな気さえする。どこかから木霊する何かの咆哮こそ、山という魔物の声なのだろうか。


『俺達は人間と生活リズムが違うから、五月蠅かったらごめんな』


 部屋に通される前、アグノスが言った。

 昼も、夜も、耳を劈くような悲鳴の中にいたこともあったマリアにとって、気にする点ではなかった。

 周囲の気配は人間のそれでは決してないが、ここには人間とはまた違った営みがある。

 そんな風に思えるのは、この城が安全だと知ったからだ。

 町に戻る選択肢もあったが、マリアはしばらくここに残ることにした。

 マリアがそう告げると、アグノスは満面の笑みで喜んだ。反対に、リリィは心底嫌そうな顔をした。ソフォスは、そんな二人の様子に小さく溜息を吐き、マリアに『遠慮なくゆっくりしてくだされ』と言った。

 マリアは、部屋の中へと視線を移した。目はすでに薄暗さに慣れ、月光に照らされる室内がある程度見える。

 一人部屋にしては広過ぎる。備え付けてある家具も豪華で大きく、天蓋付きのベッドが中央に置かれていても、窮屈に感じない。


(あたし、一応敵としてここに来たのよね?)


 自分でも客人として扱われていいのか戸惑うほどだ。

 ここに住む魔族は、皆優しい。

 思い返せば、アグノスのいる玉座の間まで他の魔族は姿を殆ど見せず、簡易的な罠ばかり。見せたと思えば、おどろおどろしい声音で『帰れぇ』『怪我をするぞぉ』と脅すだけ。

 最初は、それこそ罠なのかと思っていた。

 しかし、それは本当にただマリアに引き返してほしかっただけだったのだ。

 ただ静かにここで暮らしたいだけなのだろうと思う。ギタの町の人間達と同じように。

 メルクーリから聞いた話は大体合っていて、しかし、全く異なっている。


(メルクーリは、ただここの鉱脈を奪いたいだけなのかしら?)


 アグノスの言葉を信じるならば、『魔の契約』は形式だけ。

 魔族側は、止めたいと言っている。ここにはもう近寄らないでほしいと願っている。それは別に鉱脈の利益を自分達だけのものにしたいわけではなく、受け継いできたものを守りたいだけであり、町の発展に必要な分は分けるとまで言っていた。


 それでも、メルクーリがここを支配するアグノスを狙う理由は――


(ここにそれだけの価値があるってこと?)


 マリアはそれを調べたかった。

 町に戻って、メルクーリに直接訊くだけでは、恐らくはぐらかされる。彼は、決して本性を見せない。

 マリアは、何故かそう確信していた。


(まっ、アグノスの方が嘘を吐いている可能性だってあるんだけど……)


 不意に、扉の方から気配がし、マリアは視線を鋭くした。右手付近に置いていた相棒の柄を握る。


「……入りたいなら、どうぞ」


 警戒しながら、扉の向こう側の気配に告げた。

 強大な気配の動揺が、扉越しに伝わってくる。

 なんだか、可笑しくなった。

 相棒の柄から右手を放しかけたが、不用心な女と思われたくないからやはり握り直した。鍵をかけていない時点で十分不用心なのだが。


「まさか、寝込みを襲うつもりじゃないでしょうね」

「そっ、そんなことしねぇよ!」


 狼狽していてもよく通る低い声が、扉を超えて、マリアを笑わせた。

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