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ハイレゾの声

作者: ロフA

彼女の声がした。


真っ白い雪がしんしんと黒いコンクリの地面に吸い込まれ、地面が白黒に目をぱちくりとさせている時期に、僕は雪が降り積もるよりも早いスピードで歩いていく。


行き過ぎる人々の顔は明るく、まさに「幸せ」という感情を存分にこちらに伝えられるほどには眩しかった。


そんな人混みの中で、彼女とその隣に座っている金髪の男を見つけたのは本当に偶然だった。


その光景は僕にとって突然投げられた閃光弾に等しく、僕の彼女に対する想いは塩をかけられたナメクジのように水を出しながら縮んでいく。


「伊富……だよな」


背後からやけに透き通った声が聞こえてきた。


特徴的で、今この状況で頭がおかしくなってしまった僕でも分かるような声。


「……サキ」


僕は背後を振り向かないように今話しかけてきた相手の名前を擦れた声で呼ぶ。


さっき心から溢れでた水が頬を伝う。

白黒の白い部分にそれが落ち、黒くなった。


純粋な思いが真っ黒とした嫉妬へと変わる。


――失恋


誰がそんな言葉を生みだしたかなんて知らない。

でも僕はこの時間違いなく何処かにヒビが入ったように「ピキッ」という音が聞こえた。


隙間風が口笛のような爽快な音を立てながら通り過ぎていく。

落ち着かない。


「なんで泣いてるんだ?」


彼女は悪意がないような笑顔で心をえぐるような発言をしてくる。


――だから苦手なのだ。このサキという女は。 


…………別に彼女と付き合っていたわけではない。


ただ単純に好きだったのだ、彼女が。


彼女とは幼稚園の頃からの友人で……幼馴染みとも言うべきだろうか。


初めて自己紹介された時のあの屈託ない笑顔、なのに周りの同級生と比べると彼女のほうが大人に見えた。


最初は、ただ憧れだった。


純粋にただ、彼女のように好きに生きられたら。


周りに流されっぱなしの僕とは違い、彼女は芯を持っているように見えた。


「大丈夫?」


ベンチの隣で座っているサキがこちらに声をかける。


サキが彼女であれば、このシチュエーションはどんなに希望に満ちあふれたものになるだろうか。


つい、そんなことを願ってしまう。


僕は土気色の顔を乾いた唇を鳴らしながら動かした。


「……大丈夫だよ」


僕はそうニッコリとはにかむ。


「ぜんぜん大丈夫じゃないでしょ」


こんな時だけサキの勘は鋭い。

瞬きをして目の前にある色とりどりのライトで装飾をされているはずのクリスマスツリーを見る。


本来はいろいろな色で包まれているはずのそれは……こんなに白黒だったのだろうか。


「……綺麗だね」


話題を逸らすように俺は彼女に心にも思ってないことを言う。


綺麗だと言うことを確認するように、テストの答え合わせをするようにおそるおそる僕は訪ねた。


「……綺麗だね。ロマンチック。あんたさえいなければ」


視覚まで俺はおかしくなってしまったのだろうか。

…………それもいいと思えた。


もしもおかしくなっているとするなら僕がみたあの眩く幸せそうな光景も、全て嘘に見えるから。


もう一度深呼吸をして見るそれは紛れもなく彩りのライトで身を包んだクリスマスツリーだった。


……今、とてもショックなことが起こっているはずなのに、自分の心は「そんなもんだろう」という1種の諦めのような、達観したような状態になっていた。


もうどうでもいい――


「なにがあったのよ」


思考を巡らせていた頭は、サキの言葉で一気に現実へと引き戻される。


「……なんでもないって」


他人と関わりたくない一心で僕はそう言う。


ベンチの下で雪で隠れているが隙間からチラリと緑が覗いている。


「…………いいの?僕なんかといたって」


「いいの。どうせ予定もないし」


そう淡々と答えるサキの横顔には多少の哀愁が漂っていた。


サキもまた、同じような経験をしたことがあるのだろうか。


分からない。


「……少し歩かない?」


「……いいよ」


せっかくのクリスマスだしな、と僕は思った。

こんな寂しい気持ちで新年を迎えるのは、まっぴら御免だ。


「ねぇ」


サキが指差す方向には、やはりと言うべきか。

彼女と金髪の男が歩いていた。


目が合った。


かと思えば彼女がこちらに近付いてくる。


「来るな!」とそう言いたかった。


だがそれを言うのには少し、いや決定的に僕の心が足りなかった。


「ほへー」


彼女は僕たちの顔を見るなり交互に目線を動かした。


「いや……まさか、いやそういうことなら早く言ってよ!」


何かを察したように彼女は僕の肩を叩く。

違う、それの否定の声を止めたのは彼女でも金髪の男でもなく。


「言ってなかったの?」


サキは僕にキョトンとしたような顔を向ける。


僕は一瞬、サキが何を言ってるのかが分かっていなかった。


だが次の瞬間、彼女の横顔はイタズラ好きな小悪魔の顔になっているのを俺は確かに見た。


そういうことか、と僕は合点した。


チカチカと僕らの隣にある電子看板が光る。


憎々しいほどに丸い月が、囲まれている闇に雲隠れした。

昔はあれに、兎がいると信じたものだ。


「ならさ、うちらこれからあそこの神社に行くんだー、あんたらも一緒に行かない?」


こちらの事情も知らない彼女は悪意が一切ない笑顔でこちらに話しかける。


なだらかな撫で肩、均等のとれた手足、容姿端麗が服を着て歩いてるようなものだ。


「いいわね」


こちらのサキは見た目こそいいものの悪い噂が絶えない厄介者だ。


半年ぐらい前からなぜか僕に突っかかってくる謎の女。


「……おい」


僕は彼女を肘で叩きながら小声で話しかける。


「何のつもりだ」


「何のこと?」


「とぼけんな。なんでお前が彼女顔してんだおい」


「……まぁいいじゃん」


勝ち誇った顔をしているサキが妙に眩しくて、なぜかそのままにしてしまった。


恍惚とした彼女の顔を見ていると胸が締め付けられるように感じる。


あの男の位置が自分なら……どれほど良かったことか。


そんなことを思って吐いた息は周りの闇とは相容れないほど白く、自分の苦悩が全てこの息に詰まっているように思えた。


「どうした?彼女と一緒にいるってのに」


ニヤニヤとしながらこちらの顔を覗き込んでくるサキに内心うんざりとしながらも、僕は答えた。


「……彼女か、そりゃいいね」


「失恋したあんたには勿体ないほどの美女よ。喜びなさい」


……気付いていたのか


声に出ないまでも内心とても驚いていた。


そんなに分かりやすかっただろうか。


頭の中に浮かんだ疑問は、水中の泡のようにパッと消えていく。


どうでもいいか、とそう思ったからだ。

恋心をサキに気付かれてようが、今の僕には関係はない。


僕は失恋というのはいい人生経験をした。

ただそれだけのことなのだ。


「確かに勿体ないほどの女だな」


僕がそう言うとサキは満足したように微笑み、遊び道具を見つけた子供のように壮快に走り出した。


「さ、早く追いつかないと。向こうはもうずっと先にいっちゃったよ!」


その時のサキが妙に周りの群像とマッチしていて、美しかった。


「……待てよ」


俺は群衆をかき分けるようにして彼女らを追った。

後ろ髪をひっぱられる思いをしなかった……と言えば嘘になる。


しかしこの想いは……僕ではなく、あの金髪の男だけが持っていていいものだ。


諦める理由はそれだけでよかった。


僕の真っ白なキャンパスに淡いピンクの花びらが押し付けられ、落ちてゆく。


それでも押し付けた時に出来たピンクの染みは残り、僕のキャンパスを彩り続ける。

それだけでも儲けものというものだ。


「待てよ」


僕は集まっている人々を押し分け、サキの背中を追いかける。

普段通学に使い、普段見慣れたはずの景色もグニャグニャに歪んで別の場所に見える。


……世界はこんなにも優しかっただろうか、コンクリートを叩く足を包む暖かさはとても冬とは思えなかった。


目に熱いものが込み上げるのを誤魔化すように僕は走る速度を上げた。




「遅かったな」


お前が早過ぎるんだよ、とそう言いたかったが突っ込んだら負けだと思い、言わなかった。


神社へ距離が縮むと共に人だかりがだんだんと多くなる。


妙に明るい街灯の光に照らされて輝く彼女の顔から目をそらして、僕は何をしてるのだろうか。


ドロリとした重油のようなものが僕の心に落ちる。


「ごめん、先に行ってて。トイレ行ってくる」


僕はそう嘘を付き、コンビニへと向かう仕草をする。


コンビニの前まで来たら後ろを確認してすぐ横にある公園のベンチへと向かった。


やっぱり、ダメだった。


「何やってんだろ、俺」


子供か、僕は。

失恋して、ふてくされて、嘘ついて。


最低だ。自分で自分に呆れる。


冬だから鈴虫のリンリンとした声は聞こえず、また蚊の鬱陶しい羽音も聞こえない、まさに無だった。


雑音もなければまともな遊具もない。

妙な背徳感と燃え尽きたタバコがあるだけである。

ふっと微笑んだかと思えば目から涙が落ちる。


黒い雲に月が隠れた。


「……何やってんだよ」



後ろからやけに透き通った声が静まり返った空間に突然響く。


もう驚かない。サキだ。


「そんなにショックだったのか?」


「当たり前だろ……今すぐ死にたい気分だよ」


僕は思っても無いことを口にする。

必死にバレないよう着飾った恋心を、もうバレているというのに僕は隠す。


「……あたしさ。昔好きな人がいたんだ」


しばらくの静寂の後、サキはいきなり喋り出した。


少し声が震えていたように感じた。


「そいつは……まぁ世間一般でいう陰キャって部類には入るんだけどさ」


そう彼女は淡々と語り出す。


「でも性格は良くて……あたしのことを、さ。こんななんの魅力もないあたしの事必要だって言ってくれたんだよ」


「……そうか」


僕はサキの次の言葉を察し、膝の上に置いていた拳をギュッと握る。


「ねぇ……あたしじゃダメなの?」


サキは震えた声でそう言った。

声と同じように体も震えていたように思える。


次の言葉を頭から探そうとして息を吸う、肺に冷たい空気が大量に入り次の言葉が何処かへ行ってしまった。


そっと隣のサキを見ると、サキの目から大粒の涙が落ちているのが分かる。


なんだか気まずくて、このまま居たくなくて。


「ダメって訳ではないけど――」


必死で考え出した言葉が、最低なものだと気付いた瞬間にはもう遅かった。


刹那気まずい空気が流れ、サキがベンチから勢いよく立ち上がったかと思うと、僕の胸ぐらを掴んだ。


「だからダメなのか!ダメじゃないのか!って聞いてんだよ!」


「……ダメだ」


僕は彼女に諭すようにそう答える。

それは決して僕にとって「拒絶」のダメではなく、友達だからこそのダメ。


「ここで僕がいいって言っちゃうと……多分僕は最低な人間になっちゃう気がするんだ」


サキが「……は?」といって掴んでいた手を離す。

サキの目からまた涙が一粒、二粒と落ちる。


「だから……ごめん」


「なんで……なんでなんだよ……」


サキが一刻前とはうってかわっておどおどしく口から言葉を紡いだ。


僕は何を言っていいか分からなった。



ただ今サキの告白を了承してしまうと、いけない気がした。


確かに、サキでもいいかも。なんて自分でもびっくりするような最低な考えが頭をよぎった。

いやよぎったからこそ了承しなかったのだ。


それはサキの告白を真剣に見ていないということになるし、何より人の気持ちをもてあそぶという僕が最も忌み嫌うことをしてしまうからだ。


「ごめん」


「謝んなよ……なんか私がみじめにみえてくるじゃねーか」


サキはそういうと目を擦る仕草をして背を向ける。


長い髪がその反動で翻り、茶色に染めていた髪の裏側からほんのり黒色が見える。


…………ずいぶんと距離が離れてしまった用に思える。


確かに今、僕とサキの物理的な距離は数歩歩けば簡単に縮められるだろう。


だがそれよりも、重大で多分もう埋めることの出来ない、近寄ることの出来ない絶望的な距離。


だんだん離れていってしまった。

間違いなく引き金はさっき引かれていた。


いや、サキが僕の淡い恋心を知った時点かもしれない。


心の距離。


近くて遠い、絶望的な距離。


さっきここで、お互い向かい話していたはずなのにどこか遠くで話してる気がしてならない。


バタンッと遠くで音がした。

恐らく誰かが車のドアを閉めたのだろう。そんなに乱暴に閉じたらいつか壊れそうだな。


無関係のことを考えいるときはここで話している内容を全て忘れられて、僕は好きだ。


今サキは何を考えているんだろうか。

妙な考えが頭をよぎる。


「……僕は――」


しんしんと雪が降る夜に見た光景は、僕にとって衝撃的なものだった。


その後サキに会って……それで……。


あぁ、来年が楽しみだ。

僕は右手と左手を擦りながら思う。


人生なんて辛いことばかりだが、そんなに悪いものでもないし逆にそんなに良いものでも無い。


幸せという曖昧なものを掴み取るためには他人の力が不可欠だし、その力だってまた曖昧だ。


「さ、行こう。だいぶ待たせてるだろうし」


「……うん」


でも、今僕は幸せだ。

それは間違いなく僕の力じゃなくて隣に歩いてるサキの力だ。


恩返しとは言わない。

ただいつかサキとも向き合わなきゃいけない日が来るだろうと思う。


その日まで、その日まではこの奇妙な関係を――


*


「やぁ」


「遅かったな」


「お前が早いんだよ。待ち合わせ5分前にきて遅いとか言われる俺の気持ちになってみろ」


僕は嫌みをいいながら「どこへ行く?」とサキに声をかける。

強引なのは相変わらずだ。


今年もまた冬が来る。


今年の冬は、またダブルデートでもしようかと思う。


無論サキと彼女達の了承を得られなければいけないのだが。



サキの茶髪は今ではすっかり黒くなって、会った時にみた分厚いメイクも今では見る影もない。


僕の吐く息は白く、周りの空気を押しのけるように広がってゆく。


だがそれはあの日のように苦悩が詰まったものではなく、幸せなクリスマスムードの町へ溶け込んでいった。





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