1.太平洋戦線(3)
4.雷電
昭和20年8月15日
ハワイ王国 カネオヘ 日本海軍航空隊カネオヘ飛行場
開けた飛行場の片隅にある待機所は、わずかな日陰を求めるパイロットたちで一杯だった。
日焼けした木製外装のラジオからは雑音交じりのウクレレの音色が響いている。
「朝からこう暑くちゃ、何もやる気がおきん。」
海軍少尉市川武雄は吐き捨てるように行った。
彼は1週間前に本土から乗機とともに空母<瑞鳳>で常夏の島に運ばれてきたうちの一人であった。
「だれかラムネもってないか。」
滴り落ちる汗を手拭でぬぐいながら、市川は待機中の分隊員に話しかける。
「ありますが、ぬるいですよ。」
列機の渋谷一飛曹が澄んだ色の瓶を差し出す。
かまわないよ、と市川は瓶を受け取るとテーブルの上にあった栓抜きの尻で口のビー玉を瓶内に押し込んだ。
「クソッ…」
予想はしていたがやはり大量に吹きこぼれた。吹き出る泡を急いで口に含む。
まずい。
少しでも喉の渇きが癒せればと飲んではみたが、甘さが喉に絡みつき不快感を増しただけだった。
「早く飛びたいなぁ。」
市川は誰に言うとも無く呟く。
視線は飛行場に並ぶ彼と彼の仲間たちの乗機に向けられていた。
機首に大直径のエンジンを積んだ濃緑色の機体――局地戦闘機「雷電」は強烈な日の光を浴びながら列を成していた。
十五試局地戦闘機「雷電」、その開発のきっかけは英本土防空戦であった。
日本海軍は第二次大戦において、英国からの要請により艦隊および航空隊を英本土と欧州に派遣した。
英本土防空戦において新型戦闘機――当時まだ制式化されておらず十二試艦戦と呼ばれていた零戦の華々しいデビューの裏で、未だ主力たる九六式艦戦の苦戦は目も当てられないものだった。
九六式艦戦はドイツ空軍の高速爆撃機に対し無力であった。戦闘機相手の格闘戦でこそベテランパイロットの能力とあわせて互角に渡り合うことは出来たが、対爆撃機では速力、武装共に不十分であった。
現地部隊からの悲鳴のような報告を受け取った海軍は、生産される零戦を作られるそばから欧州へ送りこむとともに、三菱航空機に対し二つの要求をした。
一つは、新型戦闘機零戦の更なる性能向上。
これは後に、名設計者堀越二郎が引き続き生みだしていく二一型から五四型までのシリーズとなる。
もう一つは、大型爆撃機を迎撃する高速重戦闘機の開発である。
この要求への三菱の回答が雷電であった。
当時入手可能だった最も高馬力のエンジン、1500馬力を発揮する爆撃機用の火星発動機を機首に装備、614キロの速度を発揮する。機体はエンジン直後から絞り込まれたように細くなり、短く小さい主翼には高威力の20ミリ機関砲が計4丁装備された。
流麗なラインを持つ零戦と比べれば頭でっかちで寸詰まりな印象を与える。美しい飛行機を追求する堀越二郎は設計に関わっていなかった。彼は零戦の改良と十六試艦戦――烈風の開発で手一杯だったためだ。
42年2月に初飛行した雷電は美しくは無いが、優れた上昇力、高速力、重火力を備えていた。
市川の前にある雷電はエンジンを1800馬力の火星26型に変更、排気タービンを装備し高高度性能の向上した三三型だ。高度6000mで644キロを叩き出す強力な重戦闘機であった。
彼は並ぶ雷電を一瞥すると今度は滑走路の反対側を見る。同じように別な隊の雷電が並ぶ。あちらは今日の演習に参加予定の部隊だ。演習でやってくる対抗部隊を迎撃する手筈になっている。
市川の部隊は「本当の」警急待機中だった。つまり今日突然戦争が始まって敵がこの孤島にやって来なければ飛ぶことは無い。
「ん?」
演習待機中の雷電隊の向こうにゴマ粒のような点がいくつか見えた。
ゴマ粒は数を増して徐々に大きくなる。
「対抗部隊かな。」
指揮所からの連絡は無かった。
座り込んでいた搭乗員たちが空を見上げだす。
「にしちゃぁ妙だな。鳥の群れじゃないか?」
機影を判別できなかった。シルエットが明らかに識別表にあるどの型とも違っていた。
「なんだあれは?」
「…鳥?」
口々に呟きだす。ゴマ粒はすでにそれが何物か認識できる大きさになっていた。
羽ばたいている何か、見えてはいるが脳が理解することを拒んでいる何か。
それが編隊を組み、こちらに向け突撃進入を行おうとしていることはわかった。
「いかん」
それ、が瞬く様に発光した。生み出された火球が演習部隊の雷電に向かう。爆発。駐機中の機体がバラバラになりながら舞い上がる。
思わず伏せた市川の頭上を10メートルもあろうかという「竜」が飛び越していった。
なんだあれは。恐竜か?正月に甥っ子が読んでた恐竜図鑑にあんなやつが載ってたな。
伏せながら上空を見上げた市川はそんなことを思っていた。
だが、あるものが視界に入った途端に思考が急速に冷たく明確になっていく。
恐竜には人が乗っていた。鉄兜と一体化したようなゴーグルをつけ、甲冑のような物を着込んだ小柄な男だった。
頭を回し、明らかにこちらを見ていた。
市川は、目が合った、と思った。
畜生。あいつ、俺を笑いやがった。
次々に着弾する火球を目の当たりにしながら市川は走り出した。無論、防空壕に向けてではない。自分の戦闘機に向けてだった。
とにかく空に上がらなければ。地べたの戦闘機なんて、陸へ上がった河童どころか、まな板の上の鯉と変わらねぇじゃねぇか。
彼だけではない。そこにいた搭乗員たちは全員同じ様に走り出していた。
彼らはファイター・パイロットであり、敵を目前にして闘志の不足するような男たちではなかった。
5.機動部隊
昭和20年8月15日
ハワイ北方 250海里付近
艦隊はハワイと呼ばれる群島の北方を進んでいた。
その艦隊を構成する艦達は、どれもそれまでの世界に存在する艦とは異なる趣を持っていた。
艦体は黒く鈍い光沢を放つ木材――法術によって強化されたムナール杉によって構成され、通常の木材では為しえない強靭性を持っている。
どの艦も皆、スクリューも外輪も持ってはいなかった。代わりに複数のマストを持ち、どのマストにも二段から三段、多いものでは五段の横帆が張られている。
ただ、通常の帆船と比べるとその大きさは規模に見合わぬほど小さかったし、風向きとは無関係に進んでいた。
風の法術によって処理された帆ならば、風を必要としなくとも触媒――法力を込めた人血さえあれば航海する事が出来るからだ。
艦隊の中でも一際大きな六隻はどれも艦橋、マスト等の構造物は右舷側に寄せられ、艦首から艦尾に至るまでの平板で広大な甲板を持っていた。
彼女らは空の戦士たる有翼騎兵が騎乗した翼竜たちを水上で運用するための艦――有翼騎竜母艦だ。
複縦陣で進む彼女ら六隻の周囲には二隻の高速戦列艦、三隻の1等巡防艦、十二隻の2等巡防艦が円形に取り囲んでいる。
「攻撃隊より念話通信!我奇襲に成功せり、敵戦列艦級撃沈四、大破五、その他戦果多数、敵飛行機械破壊200程度、発着場使用不能と判断す。」
魔術により増幅された念話による通信によって遠く離れた攻撃隊からの通信が瞬時に旗艦にもたらされる。
早朝に六隻の騎竜母艦から発進した354騎の竜騎兵たちは見事にこの新たな世界で最初の戦果を挙げたのだ。
艦内がその報告に沸く。艦橋内の士官達ですら笑みと歓声を上げていた。
「静まれ!」
指揮官の一喝によって沸いた艦内は一瞬で静寂を取り戻す。
「だが、よくやった」
艦隊を統べる男― ムゥ帝国貴族にして帝国水軍黄金竜師たるスルジャン・コォバスリックは満足そうに頷いた。
「一番槍としては上々ですな。主力と思しき戦列艦は行動不能です。侵攻船団を阻むものは最早在りますまい。予定通りなら2日後にはあの群島で資源の採取が始められるでしょう。」
艦隊軍師長、アロイジウス・テールマン赤銅竜師は考えを述べた。
「第二撃は必要ないでしょう。必要以上の攻撃は現地資源を損ないますし。」
第一段作戦は予定通りに進んでいた。初撃でこのハワイと呼ばれる群島を制圧、南東海上に転移したムゥ帝国本土の安全を確保、同時に中米に侵攻し、そこを足がかりに北米・南米と呼ばれる地域を制圧し本格的に資源を刈り取る。
第二段作戦では太平洋と呼ばれるこの大海を西へ押し渡り、日本と呼ばれる弓状列島を押さえ、その向こうの大陸に手を伸ばす。
世界の半分の資源を刈り取った頃ならば、帝国の経済はこの先100年は安定するだろう。
帝国の命運はこの世界への「転移」に懸かっていた。転移法術は莫大な資源と10年の時間を必要とする。帝国は存亡を掛けて、なけなしの資源と引き換えにこの新たな天地へとやってきたのだ。
転移直後、帝国は周辺を法術と騎竜によって偵察すると同時に、蛮族の船と船員や飛行機械を近海で捕獲した。
蛮族の尋問と解剖を含む詳細な分析した結果、この世界の蛮族は法術が使えないとの報告を受けた皇帝は天を仰ぎ歓喜したと聞く。
帝国は歴史上、数度の転移を行ってきた。石斧と木の杖から法術によって動作する飛行機械や鋼鉄軍艦まで、様々な蛮族に勝利し、資源を得てきた。
だが、亜人以外で法術の使えない蛮族は初めてだった。
軍事力において法術の有無は勝利に直結する重要な要素だ。法術無しでは攻撃や防御はおろか索敵や連絡すら間々ならない。
ハワイと呼ばれる島々に対しても有翼騎竜による偵察が数度行われた。得られた念写写真でも、敵の主力艦と思しき戦列艦は主砲門数や大きさを分析するに、十二分に対処可能に思われた。
帝国はここ数百年で最大の勝利を挙げられる筈だった。
「法術索敵、捜索騎竜には蛮族の艦船はかかっておりません。少なくともこの周囲に存在する敵軍は、あの小島の在泊艦で全てでしょう。無論、索敵は引き続き行いますが。」
「うむ。では第二戦列艦艦隊に念話を送ってやれ。蛮族の無力化に成功、予定通り上陸されたし、とな。」
直に攻撃隊が帰投する。攻撃隊を収容したならハワイは戦列艦どもに任せ、太平洋の島々を空襲しつつ日本本土からやってくる増援部隊を蹴散らさなければならない。
今の自分には容易い任務のように思えた。コォバスリックの手にはムゥ帝国の誇る大型竜母が六隻在るのだ。
法術も使えぬ蛮族などに負ける気はしない。