8話 服
「あ、おかえりー!」
晴夜は所属こそ文芸部であるが、実質的な活動はしていないに等しい。
他にも部員は一応いるそうだがほとんど遭遇したことはないので、晴夜も遠慮なく気が向いた時だけ顔を出すようにしている。
そういう訳で、半帰宅部の晴夜は授業が終わると同時に帰宅し、星乃香の笑顔に出迎えられる。
「夕ご飯はもうちょっと待ってて! あ、お弁当はどうだった?」
「美味かったぞ。少し子供っぽいことを友人に揶揄われたりはしたがな」
「……あー、そっか。男の子のお弁当だもんね。分かった、明日はもうちょっと考えてみる!」
「言っておくが、凝ったものを作る必要はないからな。何なら夕食の残り物とかでもあるだけで──って、どうした?」
早速昼に感じた懸念事項を伝えたところ、何故か星乃香の表情が徐々に曇っていく。
問いかけると、彼女はやや俯き気味に、ぽつりと。
「……はる君は、さ。あたしが頑張ってご飯作るの、いや?」
「っ!」
ここで、晴夜は自分の言葉選びの悪さを悟った。
「いや違う。そうじゃない。食事を用意してくれること自体はありがたいと思ってる」
星乃香は、必要とされないことを極端に怖がる傾向にある。
そんな彼女に今のような言い方をすれば悪く取ってしまうのも妥当だ。
「ただ、今日の三時起きみたいな無茶はして欲しくないってだけだ。頑張るのはいいが、無理をする必要はないことだけ伝えたかった」
曖昧に頷く星乃香。
……多分、彼女はどこからが無茶でどこまでがそうではないのか分からないのだろう。
こればかりは、時間をかけて晴夜なりの価値観を伝えるしかない。
「もちろん、無理しない範囲で頑張ってくれるのは良い。それで用意してくれたものならばありがたく食わせて頂くから」
(……ああ、嫌だ)
星乃香を前にすると、自分の中の冷静でない部分を引きずり出される感覚がある。
それがどうにも、むず痒い。
そんなことを考えつつ、晴夜は説得を続けるのだった。
どうにかこうにか星乃香にいつもの笑顔を取り戻させることに成功し、そこで夕食の仕上げも終わったらしく二人は食卓に着く。
今日のメニューはカレーだった。これもまた個性の出る料理だ。
ちなみに相葉家では、母小雪が思い付きと栄養バランスを重視して大抵突発的によく分からない食材を入れる。
そのせいで食べられることは食べられるものの頭を捻る出来になることも多かったため、晴夜は世の小さな子供ほどカレーが好きではなかった記憶がある。
その点、星乃香の作ったカレーはどうかと言うと。
「これ、市販のカレールーだよな?」
まあ言うまでもなく美味であった。
言葉通り市販品を使っていることが疑わしくなるほどに上品なスパイスの刺激と奥から溢れてくる旨味が舌に心地良い。
果たしていかなる隠し味を用いればこうなるのやら……と心中で唸りながら味わっていると。
「……はる君ってさ。すっごく顔に出るタイプだよね」
昨夜と同じく星乃香がこちらを見ながら、呆れと微笑ましさを滲ませつつ告げる。
……どうやらまた、ひどく分かりやすい反応を自分はしてしまったらしい。
「それ、今日友人にも同じことを言われたんだが……そんなにか」
「そんなにそんなに。『何ィ……うまい!』みたいな感じ」
「漫画の敵キャラみたいな反応だな」
そんなにらしい。
「……悪いな。ここは普通感想とか言うべきところなのに」
「ううん、そんなことないよ? あたし、はる君が食べてる表情見るの好きだなぁ」
「ごほ」
「わ、むせた!? 大丈夫、お水飲む!? 食べにくかったりした!?」
「いや、料理に問題はない……」
問題があるのはあんたの方だ、とのコメントを水と共に飲み下す。
星乃香は自分の容姿が優れているとの自覚はあるのだろうか。その美貌から繰り出される『好き』の威力はそういう意味でないと分かっていても来るものがある。
いや、反応してしまう晴夜も大概なのだが。
気恥ずかしさを誤魔化すため、晴夜は話題を変えることにした。
「……そう言えば、カレーの材料は今朝は無かったよな。買ってきたのか?」
「そだよ~、近くのスーパーの場所はちゃんと覚えてきたからね。だいぶん道に迷ったけどなんとか行けたよ!」
「それは覚えているとは言わない」
それはそうだ。彼女は昨日ここに来たばかり。地理に関してもまだ詳しいわけではないだろうに。
「だ、大丈夫! 帰りは何とか迷わずに帰れたから!」
「はぁ。……他に何か問題は無かったか?」
「ん~、とくには……あ、そうだ」
おとがいに指をあてて考え込んだ星乃香が手を打った。
「なんかね、視線を感じたの」
「視線?」
晴夜の目が細まる。
よもや、星乃香の美貌に目を付けて不埒なことを考える輩が早くも現れたのだろうか。
星乃香の容姿であればやむを得ないとは思うが、如何にも面倒ごとに耐性の無さそうな彼女だ。ひょっとしたら厄介なことになる可能性もある。
そういうことなら今後買い出しには自分も同行するべきか……と晴夜は考えたが。
「あ、そ、そうじゃなくてね!」
星乃香がぱたぱたと手を打って晴夜の疑念を否定する。
「あ、あたしが悪いの。……今日、服とか洗濯したんだけど……」
「? それがどうした」
「その、あたしが昨日着てた服も洗っちゃって。それで……今着てるの以外、着れる服が無くて、ですね」
言われて、彼女の格好に目を向ける。
簡素なTシャツに擦り切れの目立つジャージズボン、のみだ。
素の造形やスタイルが良いので何故かある程度見られるように放っているが……確かに、間違っても女の子が外に出る服装ではない。
それでスーパーなどをうろついていたのならば、一定の奇異の視線とかを集めてもおかしくは無かっただろう。
「いや……本当に無いのか? 外に出ても問題ない格好は、昨日の以外」
「……無い、かなぁ」
「なんでだよ……それくらい用意しとけよ親父……」
これは送り出した相葉家側に責任があると思われる。
「あ、えっと、相葉家の人たちがおさがりとか贈ってくれることもあったんだよ! でも……その、そこまでしてもらうのは申し訳なくて……」
「……」
それを聞いて、晴夜は沈黙する。
またか。
昨日今朝と彼女の様子を見て、話を聞いてもうよく分かっている。
彼女は、誰かからの厚意や親切を極端に拒絶する傾向にある。
自分も大概自己評価が低い方だと思うが、彼女のそれはあまりに異常だ。
……ひどく、苛々した。
それは、自分の中に巣食う傷跡を鏡のように見せられているからだろうか。
それとも。
このようにどうしようもなく、誰が見ても文句無しに『かわいそう』な境遇を持った少女を見て、こんな場所でこんな燻り方をしている自分と比較してしまうからか。
……どちらにせよ、嫌なことには変わりなく。
「……買うぞ」
得体の知れない衝動に突き動かされ、晴夜はそう告げていた。
「え?」
「買いに行くぞ、明日。あんたの服を」
「えええ!? そんな、悪い──」
「勘違いすんな、あんたにその目立つ格好で近所をうろつかれるとこっちが困るんだ」
彼女が遠慮することは目に見えていたので、あらかじめ用意しておいた理屈で丸め込みにかかる。
「買う分の金は必要経費だ、円滑な業務遂行に必要だからな」
「そ、そう、なの?」
「そうだ。むしろ今回の件は相葉家全体に責任がある。きっちり資金はぶん取ってくるから着たい服とか今のうちに考えとけ。いいな?」
「は、はい!」
勢いに任せた強引な口調に押されるまま、星乃香が頷き。
急遽、二人の休日の予定が一つ埋まったのであった。
ちなみに、その後父親に事情を話して経費として仕送りを使う旨を報告したところ。
『ほう、自分からデートに誘うとは。しばらく見ないうちにやるようになったな晴夜。良いことだ、存分に中を深めてこい』
「……………………、ごほ」
というやり取りがあった後、休日を迎える運びとなる。
次回、デート回。
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