5話 彼女の献身
ちょっとずついちゃつかせていきます( ˙꒳˙ᐢ )
両親の差し金で、突如として押しかけてきた少女星乃香を迎え入れた後のこと。
幸いにも、晴夜の住まうアパートは2DK。物置兼家族の誰かが泊まりに来た時用に一室余裕のある物件を選んでおいたことが吉と出た。
夕食後の時間で片付けを済ませ、星乃香の荷物を運び込んで最低限二人暮らしの体制は整った。
共同生活をする上での細かいルールは追々決めていくとしよう。
そうして翌日。
午前七時に起床した晴夜を迎え入れたのは、長らく朝には縁の無かった香ばしい香り。
「……そっか。星乃香がいるんだったな」
寝起きの記録で一瞬混乱したものの、昨夜の出来事を思い出して得心した。
軽く伸びをしてから自室の扉を開け、ダイニングキッチンに顔を出すと。
「あ、おはよう、はる君!」
朝日と見紛うほどに眩い笑顔を浮かべた星乃香が、出迎えてくれるのだった。
朝食は例によってご飯と味噌汁に、レタスを中心とした生野菜のサラダ、そしてベーコンに目玉焼き。
目玉焼きの焼き加減や調味料に厳密なこだわりがあるわけではないが、星乃香が今日用意してくれたものは白身だけが固まる程度の半熟だ。
割るととろりとほどける黄身が食欲をそそり、今回は塩でいただいたが次は醤油と絡めても良いかもしれない。
(……しかし。相変わらず美味いな)
昨日も思ったが、大して食に頓着の無かった自分がどうして星乃香の手料理にはここまで舌鼓を打ってしまうのだろう。
約二か月の一人暮らしで誰かの手料理が恋しくなってしまったのか、はたまた──彼女の味が自分の舌に合っていたのか。
どちらもあまり素直には認めたくないな……と考えつつ、向かいで同じメニューを食べているはずの星乃香に目をやると。
「…………すぅ」
彼女は対面で船を漕いでいた。なんとも器用なことに目玉焼きを箸で挟んだままの状態で。
「おい、こぼすぞ」
「……はっ!」
晴夜の声で微睡みから引き上げられた星乃香。だがその拍子に目玉焼きがつるりと滑り落ちかけ、慌てて掴もうとするも失敗。
そのままジャグリングよろしく空中で箸による格闘を何度か繰り広げ、どうにか皿の上で再着地させることに成功。
しかしその瞬間右肘を椅子の縁に嫌な角度でぶつけたらしく、右手小指の付け根辺りを抑えてぷるぷるしていた。
何をしているのやら、と呆れ顔を浮かべつつも晴夜が問いかける。
「おい、大丈夫か」
「だ、だいじょぶ……薬指と小指のあたりがびりってなっただけ……」
「よくあるやつだな。……というか、眠いのか? 昨日の片付けはそこまで遅くしたつもりもなかったんだが」
明日のことも考え、午後十時には寝泊まり出来る程度の設備を整え一旦お開きとしたはずである。
よもやあの後夜更かしでもしたのだろうか。そんな性格には見えないが、と晴夜が視線を向ける。
それをどう取ったか、星乃香が慌てて胸の前で手を振った。
「も、もちろん昨日はあの後すぐに寝たよ! ……ただ、ちょっと起きるのが早かっただけ」
「早かったって何時だ」
「……三時くらい、かな?」
「……は?」
思わず箸を取り落した。
「いやいや、そんな早起きして何してんだよ。まさか朝食の用意にそこまで時間がかかったのか?」
「ううん、お弁当の準備と合わせても一時間くらいだったと思う」
弁当も用意してくれていたのか、と新しい情報に驚くよりも。
「じゃあ、なんでそんな」
「……その」
問い正すと、星乃香は少し気まずそうに目を伏せて。
「……はる君が、何時に起きるのか分からなかった、から」
「──」
言われたことを飲み込む前に、星乃香から補足が入る。
「前の……相葉家の前に住んでた家でね。四時くらいにお父さんが起きてきて、どうして朝ごはんを用意してないんだって怒られたときがあったの」
「──んな」
「ここでも、はる君のごはんを用意するのがあたしの仕事だから。そういうことがあったらいけないなって思って、それで……」
どうして。
そんなもの、非常識な時間に起きてきた方が悪いに決まっているのに。
どうしてそんな、悪いのは自分の方みたいに。
どうして──彼女はそんな、病的なまでに献身的なのだ。
「は、はる君。……怒って、る?」
晴夜の顔を見て、星乃香が怯えを多分に含んだ表情で問いかけてくる。
「安心しろ。怒ってはいるがあんたに対してじゃない」
彼女がそうなってしまった環境に対してだ。
だが、それをぶつける先は今ここには存在しない。心中の黒い感情をどうにか飲み下す。
「……まず言っておくと、俺の起床時刻は毎朝七時だ。基本その時までに朝食が用意されていれば問題ないし、早まりそうなときは前日までに連絡する」
「は、はい」
「もし俺が無断で早起きして朝食が無かった場合、それは事前連絡を怠った俺の落ち度だ。勿論今回もそれにあたる。悪かった、あんたの睡眠時間を削って」
「そ、そんな! 悪いのははる君じゃ──」
「いいや俺だ。俺ということにしてくれ、頼むから」
怒声とも、懇願ともつかぬその言葉を聞き、星乃香が口を詰まらせる。
「……なぁ星乃香。急に共同生活を始める以上、今回みたいに大なり小なり問題は起こる。その責を全て自分で背負い込もうとするのはやめてくれ。昨日言ってたのもそういうことだ」
「で、でも……」
「でもじゃない」
視線をあらぬ方向に彷徨わせようとする星乃香に対し、晴夜はずいと身を乗り出す。いいから聞けと言わんばかりに。
「いいか。あんたがこの家で働くことを認めた以上、多少の面倒事は想定内だ。問題が発生すればその都度対処するし、そっちの要望も可能な限り聞く。面倒だから放り出すなんて無責任な真似をするつもりはない」
ふと思う。どうして自分はこんなに熱くなっているのだろうかと。
もっと事務的に接してもいいはずだし、その方が面倒は減るのだ。
確かに境遇に同情はした。けれどそれ以上ではない。所詮はあのお人好しの両親が引き取った、少しばかり物理的な距離が近いだけの赤の他人。
……他人の物語にいちいち心を動かされていては、身が保たない。そのことを、晴夜は人より多く学んできたはずなのに。
「……あまり、上手い言葉は思いつかないんだが」
それでも、時折見せる彼女の切なそうな表情が。
『また捨てられるのは嫌だ』と雄弁に語るその顔が、頭から離れずに。
「──あんたは、ここに居ていい。それだけは、分かってくれ」
自分でもよく分からない感情に突き動かされるまま、彼は真っ直ぐに告げていた。
「……わ、わかりました」
その圧力に負けてか、星乃香は消え入りそうな顔で呟いてから。
「……あの。一ついいかな、はる君」
「どうした」
「その……できればもうちょっと、離れてくれると恥ずかしくない、かも」
「!」
そう指摘されて、ようやく気付く。限界まで身を乗り出して、星乃香の美貌を至近距離から覗き込む形になってしまっていたことを。
「っ、悪い」
「だ、だいじょぶ。嫌だったわけじゃ、ないから」
「……そういうことは言わないでくれると助かる」
何故なら余計に恥ずかしくなってしまうから。
結局なんともいたたまれない空気のまま、その日の朝食は過ぎていったのであった。
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