35話 本番
連続投稿、三話目です。
八月中旬。
今日は編入試験の日。
ここ一か月の集大成が試される日だ。
「はい。水草星乃香さんと、付き添いの相葉晴夜君ですね」
校門で、担当の女性教員が星乃香の顔写真をチェックする。
一応この教師は晴夜の担任なのだが、大して話をした覚えはない。面談も適当に済ませてきたし、毎朝顔を合わせるだけの他人程度の認識だ。
「それでは、水草さんはこちらに。相葉君は申し訳ありませんが、これから試験終了まで水草さんとの接触を禁じます。午後五時頃に来ていただけると」
「はい、分かりました」
あらかじめ聞かされていたことだ、大人しく頷く。
ここから先、彼が星乃香に出来ることは無い。あとは彼女の戦いだ。
「……はる君」
「やれるだけのことはやったはずだ、気負わず今の全力を尽くしてこい」
「──うん! それじゃあ、行ってくるね!」
本当はもっと言いたいこともあったが、あまり言いすぎても彼女のプレッシャーになる。
必要最低限の言葉だったが、彼女は力強く頷き。
教員に連れられ、試験会場に向かう背中を見送るのだった。
しかし、このまま試験終了まで適当に時間を潰すのは今の心境的に出来そうにない。
何にもならないと分かってはいるものの、学校から離れること自体躊躇われた。
「教室で、課題でも進めるか」
そう呟いて、無人の教室で席に座る。
これまで手を付ける暇も無かった課題に向かうものの……今一つ集中力を欠いており、気が付くとペンを持つ手が止まりがちになってしまう。
「……まあ、当然か」
苦笑を一つこぼし、備え付けの時計を見やる。
現在時刻は十一時半。星乃香は二教科目を終えて昼休憩に入っている頃だろう。
午後から更に三教科の試験を行い、その後軽い面談をしている裏で平行して進めていた採点が終了し。
午後五時には──合否が決定する。
学校側としても、編入生一人にさして時間をかけても居られないのだろう。一人だけならば採点はすぐ終わるし、他の書類のチェックも既に済んでいる。
それらを加味した結果が、この当日中の合否通達だ。
つまり、星乃香と次再会するときには、もう全ての結果が出ていることになる。
「……怖い、な」
ぽつりと呟いた言葉で、晴夜はようやく自分の今の心境を把握する。
……星乃香は、ここ一か月本当に頑張った。
食事と睡眠以外の時間はほとんど机に向かっていた。本来の仕事である食事作りも気晴らし程度の頻度でしか行わず、ひたすら知識を吸収し続けていた。
それがどれほどしんどいことなのかは、高校生ならば誰もが理解している。
自分一人ではきっと途中で折れてしまっただろう量を彼女は最後までやり切り、この日に向けて万全の準備を整えることができた。
だからこそ、怖い。
その努力の結果が今日出ることが。報われない可能性が存在することが。
……そして、その如何にもう自分が関与できないことが。
(……そう言えば、そうだったな)
また、晴夜は思い出す。
自分が他者と関わることを積極的に避けるようになった理由の一つは、自分の性格上こういった他者の事情や境遇に共感しすぎることを恐れたからだ。
その他者が失敗すれば傷つくし、成功したらまた自身と見比べて惨めな気分になる。
どちらにせよ、得なことなど一つもない。そう思って彼は関わり合いを拒否してきた。
星乃香に対しても、そう言った思いが無いと言えば嘘になる……けれど、その上で。
(──受かって、欲しい)
なお、その思いの方が圧倒的に強いことは、誇っていいことなのだろうか。
結局その後も勉強は手に着かず、気付けばここ一月のことを思い出していた。
星乃香が初めて強い自分の意思を見せてくれて、それを叶えるべく自分の全力を尽くした。
けれど、そんな程度では圧倒的に足りなくて。追い詰められたところを深月に諭され、彼女の協力も得られた。
星乃香と深月は意外にも馬が合った……と言うより、星乃香が一方的に懐いたと言うべきか。
深月も彼女のあまりの無邪気さに戸惑いつつも悪い気はしなかったようで、最後にはむしろ勉強以外のところまで積極的に面倒を見ようとしていた。
星乃香は、ここに来るまでは父親のことで手一杯で、学校で満足に交友する時間も取れなかったと聞く。
ならばある意味、彼女にとっては深月が最初の女友達と言えなくもない。
──その関係が、今日までで終わるのはあまりに惨い。
だからどうか、と。
心臓を引き絞るような痛みに耐えつつ、何処にともなく祈っていた時だった。
がらり、と教室の扉が空く。
晴夜が体を震わせて顔を上げる。そこでちらりと目に入った時計が指すのは午後五時。
思考に気を取られていた、もうこんな時間だったのか。
ということは、つまり──と扉の方に顔を向ける。
「……」
そこに立っていたのは、予想通りの人物。
星乃香の姿を認めた瞬間、彼は席から立ちあがって彼女の元へと駆け寄る。
「どうだった」
ともすれば震えそうになる声でどうにかその言葉だけを絞り出す。
それを受けてか、彼女の顔に……じわりと涙が滲む。
よもや、と血の気が引く晴夜を他所に。
彼女はゆっくりと歩み寄ってきて──そのまま、晴夜に抱き着いてきた。
「!?」
先の涙による悪い想像と、突如として押し当てられた彼女の温もり。それらによって晴夜は一瞬混乱の極致に追い込まれたが。
「……合格だ……って……っ」
その一言で、全てが消し飛んだ。
「……そうか」
「……うん」
「良かった」
「……うん……っ!」
嬉しかった。
受かってくれたこと自体もそうだし……何より。
彼女が泣くほど受かったことを喜んでくれていることが嬉しかった。
「……すごく、怖かったの」
ぽつりと、彼女が呟く。
「もし合格することが出来なかったら。……深月ちゃんが、はる君が、あたしのために頑張ってくれたのを、全部あたしが無駄にしちゃったら……って……っ」
「!」
「だから、良かった……頑張ってくれたのが、ちゃんと報われて、本当に……っ」
……晴夜自身も、救われた心地だった。
彼女は、ちゃんと最初から。
彼女の挑戦ではなく、自分たち全員の挑戦だと認識してくれていたのか。
「ありがとう、はる君」
「……礼を言うのはこっちだ」
そっと、控えめに彼女の頭を抱き寄せる。
「俺はさ、これまで何かに本気になって、成果を得たことが一回も無かった。……今回も、何度諦めそうになったか分からん」
星乃香に教えるにあたって、自分の理解が及ばないときは何度もあった。
そのたびに過去の傷が囁いて、それに身を任せたいと思った……けど。
彼女のためだから、頑張れたのだ。
「諦めなくて良かったと、心から思えたのは人生で初めてだ。……良くやった。合格、おめでとう」
「……うん……っ」
そっと、体を離す。
「ほら、編入手続きとかまだ色々あるんだろ。行ってこい」
「わ、分かった! 多分すぐ終わるから待ってて!」
涙を拭って、彼女は軽やかな足取りで戻っていく。
その姿を見送って、晴夜も自分の席に戻ろうとしたが。
「……意外でした」
反対側の入り口が開いてかけられた声に、晴夜の体が固まった。
ゆっくりと体を動かして振り向くと、そこにいたのは今朝星乃香を案内した女性教師──つまり、晴夜の担任。
「……どこから見てました?」
「……若いっていいですね」
大体察した。そもそも星乃香が案内無しにこの教室まで来れるわけがないではないか。
「……出来れば忘れて頂けると」
「努力はします。……相葉君は、周りと比べると非常に大人びた生徒で、他者と近い距離に居るのが苦手な子なのかな、と思っていたのですが」
その分析は正しい。むしろ強引に馴染ませようとせず静観してくれていた彼女の判断には感謝しているくらいだ。
「それでも、心配事の一つではあったので。貴方が心を許せる人が一人でもいるのなら安心しました」
「……そりゃどうも」
「水草さんの事情は把握しています。人数比的にも転入クラスを調整することはそう難しくありませんので」
お楽しみに、と微笑んで彼の担任はその場を去っていった。
「……あんな人だったのか」
毎朝顔を合わせていたが、物静かで生真面目な人間だという認識しか無かった晴夜としては意外だった。
……いや、自分が知ろうとしていなかっただけか。
ともあれ、彼女は無事合格した。
今の話からすると、どうやらクラスについても期待して良いらしい。
「とりあえず、燐道に連絡するか」
諸事情により今日来れず、今頃自宅でそわそわしながら結果を待っているだろう深月に向けて、晴夜はスマホを取り出してメッセージを打ち込んだ。
来月初めに見るこの教室での光景に、抑えきれない期待を抱きながら。
あと一話更新します。




