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34話 ひとやすみして、また

連続投稿、二話目です。

 星乃香はすぐに見つかった。

 晴夜のアパートがある団地近くの河川敷。天然の芝生があるだけで人気のないそこにぽつんと一人、彼女は体育座りで河を眺めていた。


「星乃香」


 声をかけると、星乃香はぱっと振り向いて立ち上がり。


「あ……」


 けれど、結局何と言っていいか分からない様子で黙り込み、俯いてしまう。


 ……何となく、そんな反応をすることは読めていた。

 だから晴夜はゆっくりと星乃香に近づき、そのまま彼女の隣に座り込んだ。


「はる君……?」

「あんたも座れ、家に戻るのは話をしてからでもいいだろ。ここは涼しいしな」


 現在は八月初め、普段なら蒸し暑いところだが幸い今日は八月にしては気温の低い方だ。

 加えて夕方であることと、河川敷を吹き抜ける風が涼しく心地良い空気を運んでくれていた。


「勉強のことは今は良い。今日一日の遅れくらいならまだ取り返せる」


 それよりも、現在星乃香の胸に巣食っているだろう何かしらの暗い思いを解消する方が優先だ。


「何か言いたいことがあったんだろ? 別に急かさないから、聞かせてくれ」


 その言葉を聞いて、星乃香も小さくうなずいてから隣に座り込む。

 そのまま二人はしばらく、川の流れを眺めて穏やかな風に身を任せていたが。


「……あたし、ね」


 やがて、静かに彼女が口を開く。


「きっと……これまで誰かに何かをしてもらったことって、あんまり無かったんだと思う」

「っ」


 彼女の過去。

 夢破れ挫折し、望まぬ方向に変わっていく父親を繋ぎとめるため、必死に父親に尽くし続けただけの毎日。


 自分にとって他人は献身の対象でしかなかったと、星乃香は語る。


「だからね、ここ二週間は……すごく新鮮だった」

「……新鮮?」

「うん。はる君も深月ちゃんも、あたしのためにすごく、すごく頑張ってくれた。あたしのために一生懸命勉強してくれて、とっても丁寧に教えてくれて」


 そんな彼女が、初めて誰かに何かをしてもらった。

 献身を捧げてきた少女が、初めて献身を受ける側に回ったのだ。


「それが……最初はすごく嬉しくってね。あ、その、今も勿論嬉しいんだけど……段々、申し訳なくなったの」

「!」

「それで……今度はだんだん、『怖い』って思うようになって……」


 ああ、そうか。


 晴夜の元に来た当初からあった、彼女の性質。他者に迷惑や労苦を掛けることをひどく遠慮してしまう傾向。


 父親との一件により多少は改善されたかと思ったが……まあそう簡単に修正できれば苦労はしない。


 故に、誰かが自分のために労力を割いてくれていること。その重み自体が彼女をある種追い込んでいたのだ。


「そんな時に、はる君がすごく疲れた顔で、倒れるようになってるところを見ちゃって」


 本当は休憩していただけだったが、確かに疲労が限界に近くなっていたことも確かだ。

 その様子が……最後の一押しとなってしまった。


「……もっと怖くなった。あたしなんかのためにこんなにしてくれる人が……あたしのために頑張ったせいで、倒れるくらいの目に遭ってるって思ったら」


 その重みに耐えられず、衝動的に逃げ出してしまったのか。


「でも結局……ちょっと外に出ただけでもうどうしようもなくなった。それでまたはる君に余計な迷惑かけちゃって……なにやってるんだろ」

「……」


 結局、彼女の根本にあるのはその意識だ。


 自分がそこまで、誰かに尽くされるだけの価値を感じることが出来ない。

 それは晴夜にも覚えがある、あまりにも根の深い自己否定で。


 ……故に。どう声をかけたらいいのかと、晴夜はしばし悩んだ後。


「俺は……」


 やはり語れることは、自分のことでしかないのだった。


「……俺はさ、これまで何をやっても叶わなかった。何を始めてもすぐ周りとの違いに打ちのめされて、挫折してしまった」


 その『周り』のレベルが高すぎたと他人は言うが、多分それが無くても変わらなかったのではないかと晴夜は思っている。


「だから、俺は凄い奴に敬意を払う。多分俺が味わった挫折を何度も乗り越えてそこに辿り着いただろう人は尊敬する」


 だからこそ、それと同時に。


「凄く在ろうとする奴。平たく言えば頑張る人間も、応援したいんだ」

「あ──」

「自分の出来なかったことを他者に重ねているだけの自己満足かもしれない。でも、やっぱり難しいことに挑戦する奴は、手助けしてやりたい」


 だから、星乃香の挑戦を手助けするのは自分のためでもあるのだと語る。


「きっと、誰だってそうだと思う。完全に自分本位とはいかないまでも、誰かの為の行動には自分の目的と言うか欲と言うか……そういうのが入ってるんだよ」

「……はる君も?」

「そりゃな。さっきも言った通り目標に向かって進む人間は応援したいし……」


 最後に思い浮かんでしまった随分個人的な理由も、迷ったが結局言うことにした。


「……あんたがうちの高校に来てくれるなら……悪くないと、俺も思ったしな」

「え」


 星乃香が目を見開いた。

 何の感情か、その頬が徐々に朱に染まっているのを見て、訳もなく晴夜は慌ててしまう。


「そっ……それにだ。燐道だってそうだろ」

「み、深月ちゃん?」

「ああ。言っとくがあいつは友人に対する義理だけでここまでする奴じゃない。直接お前と話をして、その上でお前の力になりたいって思ったからやってんだ」


 だって。

 そうでなければ彼女は──学校で晴夜に対してだけ見せる素の自分を、最初から星乃香に見せたりはしないだろう。


「お前がそれでも何かをしたいと思うなら……頑張れ。何が何でも受かれ。それが俺たちにとっては最高の報酬だ」

「……そっ、か」


 すとん、と。

 少しだけ、星乃香の肩の力が抜けたように見えた。


「うん……ありがと。ごめんね」

「分かれば良い。そんじゃさっさと──」


 帰宅して勉強の続きをすべく立ち上がろうとした晴夜だが──地面に突いた手に力が入らず、そのまま崩れ落ちてしまう。


「はっ、はる君!?」


 慌てて横合いから星乃香に支えられて事なきを得たが……どうやら、疲労が自分の想像以上に溜まっているらしい。


「だ、大丈夫?」

「……ああ、悪い。ちょっと待っててくれ、気合い入れ直すから」

「で、でも……」

「こんなところでへばってらんないだろ、すぐに戻って──」


 が、ここに来る前僅かな時間睡眠を取ったのが逆に仇になったか、上手く体が動かない。

 軽く悪態を吐きつつ、どうにか疲れた体に鞭打って上体を起こそうと悪戦苦闘する。


「……」


 それを見ていた星乃香は、何故か徐に意を決したような様子を見せて。


「──えいっ!」

「!?」


 晴夜の体を支えていた手から力を抜く──どころか、逆方向に引っ張ってきた。

 すると必然、現在の晴夜ではそれにあらがうことが出来ず、ぽすりと。


 丁度晴夜の側頭部が、星乃香の太腿の上に乗る形となった。


「っ! おい──」


 慌てて頭を離そうとするが、上から降ってきた星乃香の手に押さえつけられ身動きを封じられる。

 すると余計に顔の部分が彼女の柔肌に押し付けられる形となり、先とは逆の意味で晴夜は動けなくなってしまう。


「……星乃香よ」


 一旦動くことを諦めた晴夜は、心持ち低い声で問いかける。

「お前は何をしている?」

「……えっと……ひざまくら、です」

「そうだけど聞きたいのはそこじゃない」


 何故そのようなことをしようと思い立ったのか、理由を問うているのである。


「……はる君、疲れてるみたいだったから。休んでほしくて」

「だからってこんな──」

「その、深月ちゃんに言われたの。はる君に何かしてあげたいって言ったら、じゃあ膝枕でもしたらどう、って」


 まさかの奴の入れ知恵だった。


「多分あいつは冗談のつもりで言ったんだと思うぞ……」


 どう考えても男に気軽にするようなものではない、まず間違いなく深月は晴夜を揶揄うつもりで吹き込んだのだろう。


 だが、星乃香との付き合いが浅い彼女は気付かなかったようだ。

 星乃香は深月が思う以上に純真であり、一度信頼した人間の言うことは少々心配になるほど何でも聞いてしまうことを。


 深月と星乃香の仲が思ったより深まっているのはありがたいことだ──が、今はそれどころではない。


「そ、それで……どう? 癒される?」


 そう言われて改めて、晴夜は今置かれた体勢を自覚してしまう。


 今の季節は夏、なので彼女が着用しているのは涼しく動きやすいホットパンツだ。

 つまるところ、現在彼女の太腿がじかに側頭部に触れているわけであり、視界半分を覆う肌色がそれを証明している。


 彼女はどちらかと言えば痩せ気味の体型をしているが、それでも何故か肉がつくべき所はきちんとついているのだ。

 それは現在頭を乗せている部位に限らず、それを知っているため晴夜は絶対に顔を上に向けないことを誓った。下手をすると当たる。


 けれど、だからと言って現在の体勢も十分にその……心地良さを感じるものであるのだが。

 女の子らしい柔らかさと程良い弾力を兼ね備えた天然の枕、その感触と辺りを覆う甘やかな香りが無限の羞恥と脱力に晴夜を誘い込んでくる。


「……不本意ながら、落ち着く」


 耳まで真っ赤にしながらも、何故か晴夜は素直にそう告げてしまった。


 星乃香がぱっと顔を輝かせた気配が頭上から伝わってきた。


「じゃ、じゃあもうちょっとこうしてていいから!」


 嬉しそうに、星乃香が上から両手で頭を押さえつけてくる。自動的に顔が更に埋まることとなり、晴夜の鼓動が跳ね上がった。

 こいつ、よもやこの体勢が恥ずかしいことである自覚が無いのか。


 そしてまずい。何がまずいって現在のコンディションでこのようなことをもうしばらくされてみろ、確実に寝る。


 それを万が一近隣住民に目撃でもされてみろ、小一時間は悶える自信がある。晴夜とて人並に羞恥心は存在するのだ。


 故に、この不本意ながら天国と呼んで良いかもしれない状況を何とか振り払おうと力を込めるのだが。


「だめ。休んで」


 思いの他力強い彼女の掌と口調で無理やり押さえつけられてしまった。


「これからはる君があたしに勉強を教えるんでしょ? そんな状態じゃちゃんと教えることは出来ないと思うよ」

「……ぐ」


 加えてごもっともな正論で殴られると、晴夜も勘弁せざるを得ない。


「……言うようになったな」

「はる君を見てきたから。……それに、ね」


 晴夜の頭に乗った手が、優しく梳かれる。癒すように、労わるように。


「はる君や深月ちゃんが、あたしのために頑張ってくれることは……ありがとうって思うよ。でも……やっぱりそれで疲れるなら。あたしに今、何かをさせて欲しいの」

「……」


 ……これくらいなら、いいか。

 今の申し出は、先程までと違って後ろ向きな意思を感じさせなかったように思えるし。


「……もう一時間だけ、休む。その後は意地でも叩き起こしてくれ。それからまた遅れを取り戻すぞ」

「! うん!」


 そう決めてしまうと、体は正直なもので。

 星乃香の柔らかな手つきと心地良い体温、穏やかな夏風があっという間に晴夜の意識を底へと沈めていったのだった。




 その後、今まで以上に気合の入った星乃香がどうにか今日の遅れを取り戻し、これで編入試験のための勉強は丁度折り返しに差し掛かる。


 編入試験まで、残り半月。


 目途は立った、気力は十分。

 あとはもう──全力で駆け抜けるだけだ。

本日はあと二話投稿します。

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