33話 大嫌いな過去と
連続投稿、一話目です。
深月の協力を得たことによって、格段に勉強の進捗に目途が立ちやすくなった。
彼女が担当してくれたのは、本来晴夜が全て負担していた先行復習の約半分。
単純計算で当初の半分程度の負担、しかも比較的得意な理系科目のみで済むことで、どうにか晴夜でも出来る程度の分量に落ち着いた。
不安になったのは深月の負担だが、『半分ずつなんでしょう? あなたに出来るのなら私は余裕を持って出来るわよ』とのこと。
深月の能力を良く知っている晴夜からすればぐうの音も出ない。
実際、あの後行われた期末試験でも彼女はきっちりと学年一位の成績をキープ。
周りから賞賛の声を浴びる中、こっそりと晴夜に向けられた得意げな眼差しは少々癪に障ったが安心したことも確かだった。
一方の晴夜も、苦手科目の成績こそ落としたものの得意科目では想像以上の伸びを見せ、総合的には左程順位が落ちることも無かった。
やはり、星乃香に教えるための復習が試験対策にもなったことが大きかったのだろう。
そして星乃香。
彼女は言うまでもなく、非常によく頑張っている。
流石に今までやっていた家事は現在に限りほとんどしていないものの、それでも一日中机と向かい合ってひたすら知識を詰め込み、頭を回し続けるのは並大抵の苦労ではない。
その頑張りと彼女自身が持つ地頭の良さの甲斐あって、単独の予習でも想定以上の理解を示し、分からないところも一度教えれば即理解してくれる。
総合的に見れば順調に、学習を進めることが出来ていると言えるだろう。
……ただ。
勉強を教えている時などの、ふとした瞬間。
彼女が思いつめたような、何か重いことを言いたげな。
そんな表情でこちらを見ている時があるのが……少しばかり、気になった。
このようにして、多少の懸念事項はあるものの勉強自体は約半分の工程を消化。
余裕があるわけではないが、このままのペースを守り続ければ何とか間に合うはずだ。
学校も夏休みに突入し、星乃香につきっきりで教えられる時間も増える。
だから、これからはより余裕を持って勉強ができる──
──と、思っていたのだが。
「……くそ……」
夏休み二日目、試験まであと二週間と迫った日のこと。
自宅にて、教科書を睨みながら晴夜は唸る。
深月が晴夜の負担を受け持ってくれたおかげで楽になったのは間違いない。
だが、そもそもの範囲が膨大だ。スケジュールが『ほとんど不可能』だったのが『ギリギリいけるかも』に改善されたに過ぎない。
つまり相変わらず、星乃香の勉強を進めるため晴夜も限界まで努力しなければならないことに変わりなく。
加えて、ここ二週間頑張り続けた影響でじわじわと疲労も蓄積している。
どれほど必死になろうとも晴夜の体力自体には限界がある、既に二週間前と同じパフォーマンスを発揮できていないことを晴夜自身自覚していた。
(星乃香はきちんと教えたことを理解してくれている、燐道も平気そうな顔だが相当裏で頑張っていることは間違いない。だから、ここは俺がやらないといけないのに……っ)
やろうとしているのに、頭が回らない。
その苛立ちによってより集中力が阻害され、更に理解が遅れるという悪循環。
……そういう時は、決まってネガティブな記憶が思い出される。
『──才能無いよ、君』
かつて懸命に頑張って、それでも何一つ報われなかった苦い記憶が。
『──あーあ。あの大地さんの息子だって話だから、期待してたのに』
色んなことに興味を持って、色んなことに挑戦した。その全てにおいて高い期待をかけられ、高いレベルを用意され、それと自分の能力の差に絶望した。
周りの人間も、そして何より自分も。
『──え、まだ出来てないの? ……だ、大丈夫! 得意不得意は人それぞれだから!』
厳しい言葉だけでなく、優しく諭してくれる人もいた。
けれどそれを額面通り受け取るには幼き日の晴夜はあまりに聡明で、他人の心中を見抜く術に長け過ぎていた。
『──もうあそこには行きたくない、か。……悪い晴夜。多分、間違ってたのは俺の方だ』
苦い記憶の締めくくりは、寂しそうに呟かれた父の言葉。
あの瞬間悟った、自分は何もかも父と違う。輝ける舞台に立つことは一生叶わず、スポットライトの影で拍手を送る側の人間にしかなれないのだ。
そんな記憶が、囁いてくる。
諦めろと。
どうせ、お前が多少頑張ったところで何もできないと。
少女を父親の呪縛から解き放って、特別にでもなれたつもりか?
あんなものお前でなくても出来たし、お前以外ならばもっとスマートにやれた。
思い上がるな、お前は所詮凡人だ。分かったなら辛いだけの努力などやめてしまえ、星乃香もきっとお前を責めなどしない──
「──うるせぇ」
ガン、と自分のこめかみに掌底を喰らわし、ネガティブな思考を強制的に黙らせる。
「……だからこそ、だろうが」
自分は今まで、数多くの挫折を経験してきた。
努力することが怖くなった。成果の出ないことに耐えられなくなった。行き詰まった途端、怯えが顔を出すようになってしまった。
だからこそ──この挑戦だけは、最後までやり抜く。
いや、それだけじゃ足りない。何としても、星乃香を望む場所まで連れていく。
その一念でひたすら晴夜は教科書に齧り付き、内容を頭に入れて噛み砕く作業に没頭する。
そこから数十分の格闘の果て、なんとか今日の分を十全に理解することが出来た。
「……っ、よし」
息を吐いて、どさりと背中を倒し仰向けに転がる。
──まずいな、流石に疲労が限界だ。
起き上がること自体を体が拒否しており、眠気もピークに達している。
仕方ない、少しだけ休もう。
この後は三時から今理解した内容を、現在別室で別の部分を勉強している星乃香に教える予定だ。
だからもし寝過ごしたとしても、時間になれば星乃香が起こしてくれるはず。
最後にその思考を紡いで、晴夜は意識を束の間の休息に沈めたのだった。
「──な」
『自力で』目を覚ました晴夜は目を疑った。
窓から差し込む光が橙色に染まっており、時計の針が無情にも夕食の時間を指し示している。
言い訳の余地もなく寝過ごしだ。
「うそだろ、星乃香は──」
よもや、運悪く彼女も同じタイミングで同じことを考えて寝てしまったのだろうか。
現状から考えて最も可能性の高い状況に思い至り、直ぐに部屋を飛び出して星乃香の居室の扉を開ける──が。
「居ない……?」
待っていたのは、またも晴夜の予想を裏切る光景だった。
言った通り、星乃香の姿が見当たらない。
机の上には少し前まで勉強していた痕跡が残っているのに、肝心の彼女の姿だけがぽっかりと消えてしまっていた。
浴室など家の他の場所にいる気配もない。あり得る可能性としては夕食の買い出しに出かけたなどだが……これも正直考えづらい。
彼女にとって今何を優先すべきかは彼女が一番よく分かっている。
そのために必要な勉強を放っておいて、出かけてしまうとは思えない。
「……まさか」
そこで、晴夜は思い当たる。
この受験勉強が始まっていた時から感じていた、彼女の思いつめたような態度。それらと今までの出来事、そして彼女の過去が合わさり、ひどく嫌な予感が像を結ぶ。
すなわち。
父親の件を経て、彼女はここに居ることを受け入れてくれたと思ったけれど、そんなことはなくて。
今この瞬間、何らかの要因で出て行ってしまったのではないかと。
「──ッ!」
鉛を飲んだように、腹の底から這い上がる悪寒。それに突き動かされるまま晴夜はスマホを取り出し、星乃香の番号を取り出してコールを掛ける。
もし晴夜の予想が当たっているのなら、星乃香が出るわけがない。
だからどうか、と必死で祈りながら、長く感じるコール音を数回聞いた後。
『……はい』
返答が、あった。
一先ずの安堵から肩の力を抜くが、直ぐ晴夜は噛みつくように問いかける。
「星乃香、今どこに居るんだ」
『……えっと……なんか、川の近く?』
めちゃくちゃ曖昧な返答が返ってきた。
行動の理由とか以前に、思わずその辺りに意識が向く。
「……何故疑問形なんだ」
『あの……勝手にこんなことしておいてあれだけど……その……家を出た後……
……迷って、しまいまして』
今度は全身の力が抜けた。
けれど、ある意味安心した。
少なくとも彼女は……この家に居たくなくなったとか、愛想をつかしたとかそう言った理由でこうしたわけでないことは声色から分かったから。
「……川の近くだったな。でかい河川か?」
「う、うん」
「じゃああんたから見て上流と下流、それぞれ一番近くに見える橋の色を教えてくれ」
「えっと……上流が赤で、下流が黄色、かな?」
「オーケー、大体分かった」
晴夜の家から徒歩圏内にある大きな河川は一つしかない。後は一定距離でかかる橋の位置から場所は概ね割り出せた。
「今から迎えに行く。その場から動かずに待ってろ。
……あと、こんなことをした理由もちゃんと説明できるようにしておくこと」
むしろ、丁度良い機会かもしれない。
勉強を始めていた時からの、星乃香に対する違和感。
小さな──と思っていたがその実思ったより大きかったらしいその問題に対して、きちんと向き合うなら今しかないだろう。
そう考えて、晴夜は心持ち駆け足で家を飛び出したのだった。
本日は四話投稿する予定です。




