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28話 彼女の一歩

連続投稿、一話目です。

 その日からしばらくは、穏やかな日々が続いた。


 星乃香はあの日以降も今まで通り、食事を始めとした晴夜の家の家事をこなす日々を過ごしている。


 表面上は普段通りの彼女に見える……が、やはり時折。

 特に休日の昼間など特に何もすることが無い手持無沙汰な時に、ぼんやりとベランダから空を見上げることが多くなった。


 その時の彼女は、決まってどこか悲しげな雰囲気を醸し出していて。

 ……けれど、それでいいと晴夜は思う。


 きっと彼女は今までずっと、気の休まる間もなく動き続けてきたのだ。

 その反動で、逆に何もしない時間に戸惑っている。


 またいずれ歩き出すべき時は来るけれど。

 今くらいは、心を休めても良いだろう。


 季節は梅雨明け、本格的な蒸し暑さが猛威を振るい、皆が恨めしげに太陽を睨みつける。

 夏の気配が、色濃くなってきた。




「相葉君って、夏休みに予定とかあるの?」


 昼休み、文芸部の部室にて。


 相変わらずだらしなく無防備にソファーで寝転がっている深月が、ふと思いついたような口調で問いかけてきた。


「……特に無いな、せいぜい盆に実家へ帰るくらいか。流石に宿題だけだと時間を潰しきれないから、アルバイトでもしてみるかと思っている所だ」

「わー無個性。宿題を時間つぶしの手段と考えている時点で重傷ね」

「やかましい」


 悪態をつきつつ、いきなりそんなことを聞いてどうしたと視線で問いかける。


「相葉君も聞いてたでしょう? 今日クラスの頭お花畑どもが夏休みの話題で馬鹿みたいに盛り上がっていたところ」

「表現に悪意が混じっているが、嫌なことでも聞かれたか?」

「ええ聞かれたわよ!」


 始まった、と思いつつ先を促す。


「あの連中、これ見よがしに予定を話したと思ったら二言目には『燐道さんも来る?』って聞いてくるのよ。いくら躱しても懲りずに何度もね。いかねぇっつってんでしょうが」

「知り合いが多いならある程度は仕方ないんじゃないか?」

「ところがびっくり、全く面識のない人間まで誘ってきやがるの。『みんなで親交を深めよう』だの何だの言ってね。そっちで勝手に深めてなさいよ、私が行ってどうなるってのよそんなの」

「さあ。居るだけで場が華やぐとか?」

「……それ、本気で思ってる?」

「……思ってねぇな。すまん、流石に適当過ぎた」


 その手の連中が言う『みんなで』程信用の出来ない言葉もない。

 大方集団での集まりを言い訳にして、隙あらば自分だけ深月とお近づきになろうと思っているのだろう。


 そんな人間が複数人集まっている場所など……まぁ、金を積まれても行きたくは無いだろう。


「というわけで」


 晴夜の同意を得られたと悟り、深月がぴっと人差し指を立てる。


「相葉君。夏休みのうち何日か、一緒にどこか行かない?」

「……はい?」


 予想外の提案に、晴夜の目が点になった。


「分からないの? 一々誘いに対して言い訳を捻りだすのが面倒だから、もう先に夏休みの予定を全部埋めてしまおうって魂胆よ」

「いや、そういうことなら意図自体は理解できるが……あんたはいいのか?」

「いいのよ。勘違いしているようだから言っておくけど、出かけること自体はむしろ好きよ。ただ、気の休まらないクラスの連中と一緒なのが面倒なだけ」


 ひとつ溜息をついてから、深月が流し目を向けてくる。


「その点、あなたは私の素を知ってるし。男の子と一緒だと街中で声をかけられることも少なくなるし、あなた顔自体は整ってるから多少着飾れば身の程知らずな連中も近付いてこないし、何かと便利なのよ」

「俺は案山子か」

「誤解を恐れずに言えばそうね」


 そこは否定して欲しかった。


「それに……付き合ってもらう分、あなたにも楽しんでもらうよう努力はするつもりよ。……どうかしら」


 けれど、深月にも自分の事情に巻き込んでしまう罪悪感はあるらしく。

 彼女にしては控えめな声色で、自信なさげに問いかけてきた。


「……」


 晴夜は心中で嘆息する。

 認めている人間にこう頼まれると基本断れない辺りが、深月に『聖人君子』と茶化される理由なのかもしれないと。


「……予定が合えばな」


 深月が顔を輝かせたような気がした。

 だがそれも一瞬。すぐにいつもの微笑に戻り、けれど心持ち高めのトーンで語り始める。


「ありがと。そうねぇ、何処に行こうかしら。相葉君が興味を持ちそうなところってあんまり想像つかないから、やっぱりオーソドックスな場所に……。

 ……あ、でも。一回相葉君の家には行ってみたいわ」

「! それは──」


 何気ない言葉だったが、同居人の件を話していない晴夜は過敏に反応してしまう。

 そして、その隙を見逃すような彼女ではないのだ。


「……へぇ?」


 深月の口角が上がり、いつもの笑みに小悪魔めいた気配が混ざる。


「相葉君、覚えてるかしら。私、五月頃にも家に行っていいか聞いたのよ。その時あなた、『別に構わんが面白いものは無いぞ』ってそっけなく答えただけだったのよね」

「……記憶に無いな」

「私の記憶にはあるのよ」


 むしろ逆にそっちは良くそんな会話を覚えていたな。


「でも、今は随分と狼狽するのね。やましい気配がするわ」

「以前言ったろ、母親が定期的に来てるんだよ」

「それだけじゃそんなに戸惑わないでしょ、とりあえず予定は一つ確定ね」


 嬉々として主導権を取りにくる深月である。


「一度ご家族にも会ってみたいわね。特に、あなたの話にたまに出てくる妹さんとか。聞く限り気が合いそう」

「……だろうな。そして二人して俺をおもちゃにする光景がありありと浮かぶわこの野郎」


 その後も晴夜の家周りに言及しつつ、どうにかこうにか晴夜の隠していること……すなわち星乃香のことを聞き出そうとする深月。

 このままでは避けきれないと悟った晴夜は、強引に話題を変えにかかった。


「何であれ、夏休みになってからだ。その前に乗りきらなきゃならないことが俺たちにはあるだろ。……期末試験だよ」

「──うっ」


 果たしてその効果は覿面だったようで、深月が息を詰まらせる。


「…………憂鬱になるようなことを言わないでくれるかしら……」

「学年一位の秀才様でも定期テストは憂鬱か」

「学年一位だからこそ憂鬱なのよ……それを維持しないとまーた色々言われちゃうでしょ……」


 なるほど。

 もし中間試験から順位が転落すれば、また周りのいらぬ心配や嫉妬からの余計な言葉を浴びせかけられることは想像に難くない。


 そして深月が鼻歌交じりに最高成績を叩き出せるような化け物ではないと晴夜は知っているので、彼女の心情も理解はできた。


「……相葉君。また勉強会をお願いしていいかしら」

「むしろ助かる。逆に俺があんたに教えられることなんて無いと思うんだが……」

「そんなこと無いわ、あなた予習復習はすごくしっかりしてるもの。基礎のおさらいを短縮できるだけでも大分楽になるのよ」


 晴夜が苦労したその基礎のおさらいを深月は秒で終わらせ、応用部分を懇切丁寧に教わりっぱなしだったのが中間試験の勉強会だったのだが。


「私が教えたところだって、あなた分からなかったところはちゃんと分からないって言ってくれるもの。そういう所って意外と私自身理解が曖昧だったりするのよ」

「……他人に教えることは勉強になる、とはよく聞くが」

「まさしくそれよ。十分理解の助けになってるから遠慮しないで」

「そういうことなら、頼む」

「何言ってるの、頼むのは私の方でしょ」


 律儀ね、と深月が苦笑すると同時、昼休み終了のチャイムが鳴った。




 こうして、少しだけ慌ただしくもさして珍しくない初夏の高校生らしい生活をして。

 そのまま期末試験をこなし、夏休みに突入する──と、思っていたのだが。


 その予測は、思いもよらない形で裏切られることになった。


 放課後、いつも通り家に直帰した晴夜。

 この後は星乃香を伴って夕食の買い出しに向かう。そのつもりで荷物を置くためだけに家の扉を開けたのだが──


「どうした?」


 何故かその星乃香が玄関前、直立不動で晴夜を待っていた。


 手には何も持っておらず、ひどく緊張した顔。どう見てもこれから買い出しに行く格好と表情ではない。


「……はる君。お願いがあるの」


 その予想通り、星乃香は何度も逡巡しつつも最後には顔を上げ。

 意を決した顔で、こう言ってきた。


「あたし──学校に行ってみたい」

本日はもう一話投稿します。

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