27話 前に進むために
連続投稿、二話目です。
「ちょっと……あたしの部屋に、来てくれないかな」
それを聞いた瞬間、晴夜の鼓動が跳ね上がった。
改めるが、相葉晴夜も健全な男子高校生である。
同い年の少女にそんな恰好で、そんな表情で、そんなことを言われてしまえば邪な想像の一つや二つ浮かんでしまうのもやむなしと言えよう。
けれど──そのような思考も長くは続かなかった。
「いやだったら……いいんだけど……」
続けて自信なさげに呟いた彼女の顔に、幼子のような不安と心細さが浮かんだ瞬間彼の中の浮ついた空気は消し飛んだ。
きっと彼女は今純粋に、家族として晴夜を頼ってきている。
それを認識した途端に彼の中の僅かな躊躇も消え失せ。
一も二もなく頷いて、晴夜は星乃香に続いて彼女の部屋へと足を踏み入れた。
「今日だけでいいから……あたしが寝付くまで、そばに居て欲しいの」
彼女の部屋での要望は、頭の片隅程度には予想していた内容だった。
「子供っぽいって分かってるけど……お願い。今日だけは」
馬鹿にするつもりはない。
今日あったことを考えれば、不安になるのも無理のないことだ。
自分がいるだけでその不安を多少なりとも軽減できるなら、晴夜はいくらでも協力する。
そう告げて、彼は星乃香の要請を受け入れた。
……の、だが。
「あの……できればあんまり見ないでいただけると……」
「なんでだよ」
どうも自分が寝付くところを他人に見られると言うのは星乃香が思っていた以上に羞恥を刺激するものだったらしい。
そして、恥ずかしさから布団で顔を半分覆い、その隙間から控えめな上目遣いを向けてくるのはこちらもいたたまれなくなるのでやめていただきたい。
仕方なく、晴夜は要望通り星乃香から視線を外す。
そのまましばらく無言で時間が過ぎ、よもやもう寝付いたのかと晴夜が視線を戻すが、どうもそうではないらしい。
どころか、何か物欲しげにそわそわと体を揺らし、時々ちらちらとこちらを窺ってくる。
何をしているんだと眉を寄せたところで、ふと気づいた。
布団の隙間から、星乃香の左手がにゅっとのびてこちらに差し出されていることに。
「……」
「…………」
……いや、まあ。
言わんとするところは分かるが……出来れば素直に言って欲しかった。
何だ今日の彼女は、随分と迂遠な甘え方をしてくるものだ。
直接言うのは恥ずかしいのでこんな態度を取るなど、まるっきり子供のそれである。普段の態度とのギャップで余計に可愛らしいのがむしろ手に負えない。
……とは言え、叶えること自体に躊躇は無いのだが。
星乃香のほっそりとした柔らかな手を取って、しっかりと両手で包み込む。
女性の手を取った経験などまずないので力加減が分からないが、痛いと感じないくらいを想像して心持ち優しめに。
「っ」
手を取られたことに気付いた星乃香は一瞬びくりと体を震わせ、それでもしっかりとこちらの手を握り返してきた。
頑なに晴夜と目を合わせようとはしないが、真っ赤に染まった耳元からどんな顔をしているのかも容易に把握できてしまう。
「……いちいち照れるなよ……」
「あっ、あたしだって! 恥ずかしいものは恥ずかしいんだよ!」
「お前の羞恥のツボがいまいち分からん」
普段は好意を伝えることに躊躇が無かったり色々と明け透けだったりするのだが……本当に今日の彼女は何なのだろう。
いや、あんなことがあったのなら普段と違って当たり前と言われればそれまでなのだが。
(……考えても仕方ないことか)
結局晴夜は観念し、そのままでいることを選択した。
どちらにせよ、なんだかんだ言いつつ彼女に手を放す気がさらさらないことは込められた力から良く伝わってくることだし。
星乃香の手の体温を感じつつ、しばしぼんやりと空を見上げる。
相葉家がある都心部より、この辺りは夜の明かりが少ない。その分晴れた日には星が良く見え、月光が二人の顔を優しく照らしていた。
彼女も同じ光景を見ているうちに落ち着いたのか、ふと呟いた。
「……ねぇ、はる君」
「何だ?」
「あたし、これから何すればいいのかなぁ」
どことなく、虚ろな響きの声だった。
「これまであたしは、『お父さんのために頑張る』ことしかしてこなかったの。それだけで精いっぱいで、他のことをする余裕なんてぜんぜん無かった」
「そう……か」
「でも、それをする必要はもう無いんだよね。じゃあ……何をしたらいいの? 他にやりたいことも……あたしに出来そうなことも、何にも……」
「……それは違うだろ」
「はる君?」
否定の言葉と強まった手の力に、思わず星乃香がこちらを向く。
視線を返す──とまた照れられそうなので、晴夜は夜空を眺めたまま、はっきりと。
「何だってできるさ」
「!」
「あんたは物覚えも良いし、他人とも話せるし、何より努力家だ。自分の家より広い場所を知らないだけで、やろうと思えば何だってできる」
短い間だが、見てきたのだ。絶対に一朝一夕では身につかない料理の腕も、言われたことをきちんと受け入れる素直さも、周りの人間と仲良くなれる天性の明るさも。
晴夜は、幼くして世界を知りすぎたせいで何もできなくなってしまったけれど。
星乃香は逆だ。世界を知らなさすぎたせいで何もやりたいことが見つけられないだけ。
なら、彼女にはまだいくらでも未来がある。晴夜よりもずっと、『凄い人』になれる可能性がある。
「やりたいことは、明日からゆっくり見つけて行けば良い。多分うちなら何でも──とまではいかないが、普通の家よりはいろんな経験を望めばさせてくれると思うから」
「……うん」
「だから、今日はもう休め。それとも何だ、まだして欲しいことがあるのか?」
若干苦笑交じりに問うと、星乃香は数秒考えるような気配を見せて。
「……じゃあ。お父さんのお話を、してもいいかな」
「構わないが、あんたはいいのか?」
「うん。辛いけど、それでちゃんとあたしの心を整理するから。はる君に、聞いて欲しい。……見ててほしいの」
「そうか……分かった」
無かったこととして、心の奥底に封じ込めるのではなく。
もう戻らない、けれど確かに今の自分を形作った思い出として。辛くても整理して、ちゃんと心の片隅に留めておく。
それが出来るのは、強い子だ。だからきっと、彼女は大丈夫。
「ありがと。……はる君は優しいねぇ」
「そういうの良いから。話したいならさっさと話せ」
「照れないでよ。そうだね、じゃあ──」
そうして、星乃香はこれまでの思い出を語りだした。
幸せだった記憶と、辛かった記憶と、辛いものになってしまった記憶。
どれも形は違えど、今の星乃香を傷つけるものだ。
それでも彼女は思いを紡ぐ。途中でまた涙を流して、尚も語り続ける。
やがて、語ることも尽きて泣くのにも疲れた頃。
星乃香は赤くなった目元のまま、けれどどこか穏やかな顔で、眠りに着いた。
「……おやすみ、星乃香」
優しく手をほどいて晴夜は立ち上がり、星乃香の部屋を後にする。
──自分たちを家族と言ってくれた彼女のために、出来ることは何か。
それを考えながら、晴夜も自室へと戻るのだった。
本日はここまで。
第一章はもう少しだけ続きます。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
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