26話 帰る場所
連続投稿、一話目です。
「待ってくれ、星乃香──」
怜源は、尚も何事かを口走ろうとする。
だが、これ以上彼女に負担をかけるわけにはいかない。
「……貴方は先日『一番大事なことは子供の意思』だと言いましたね」
だから、もう終わらせる。
「その子供の意思でも拒否されてしまったわけですが、これ以上何を言うおつもりで?」
理論の矛盾を突かれた時点で趨勢は決し、晴夜に対し感情的に敵対した時点で和解の道も閉ざされ。
そして、今しがた頼みの綱であった星乃香にも見捨てられてしまった。
もう、手遅れだ。
水草怜源の思い通りになる道は、既に閉ざされた。
「違う! 今の言葉はそう、感情的になるあまりお互い思ってもいないことを口走ってしまったんだ。なあそうだろう、星乃香──」
けれど、それを未だ理解できず必死になって説得の言葉を探す怜源。
……ああ、もういいだろう。
感情を露にしては話し合いで不利になる、そう自分に言い聞かせてどんな不快な言葉にも動じずやり過ごしていたが。
ここまで決定的になったのならば、もう。
もう──キレてもいいよな?
「何故黙っているんだ否定したまえ星乃香──ッ!?」
お前が黙れ、と言ったところで止まらないだろうからその代わりに。
机越しに手を伸ばして胸倉を掴み上げ、首を圧迫して強制的に言葉を封じる。
「な、なんだね……」
「──貴方が何を口走ろうとそちらの自由ですが」
声を荒らげるような真似はしない。そんな段階はとうの昔に通り過ぎている。
ただ、一語一語はっきりと。真正面から叩きつけ、圧し潰すような声で。
「それ以上うちの星乃香を泣かせることを言うならお覚悟を、無関係の誰かさん」
「ひッ」
どうやら、こんな自分でもある程度の圧力は出せたようだ。
見るからに怯えた表情の怜源を見て多少は溜飲が下がり、晴夜は手を放す。
一拍遅れて呆然と座り込んだ怜源だが、それでもすぐに晴夜を睨みつけ何事かを言おうとする。その切り替えの早さだけは称賛しても良いかもしれない。
しかし、言葉を発することは叶わなかった。
──ぱちぱちぱち、と。
予想外の方向から聞こえてきた拍手の音に、三人の目線が集中する。
「やあやあ、お見事」
そこに立っていたのは、三十半ばほどの男。
軽装ではあるがどことなく洒落た雰囲気のある私服に身を包み、温和な笑みの中でも一際目立つ鋭い眼光を晴夜たち──正確には怜源に送っている。
見知らぬ人間……かと思ったがそうではない。
既視感を覚えた晴夜は記憶の中を精査し、その男の正体に古い記憶から思い当たった。
「貴方は確か、親父と仲が良かった弁護士の方……でしたか?」
「おや、覚えててくれるとは。何年ぶりだろ、大きくなったねぇ晴夜君」
あっさりと肯定したその男が、懐かしそうに目を細める。
「ここに居る理由を明かそうか。まあ君なら分かるとは思うけど、この話し合いの見届け。悪く言っちゃえば監視だよ」
「……でしょうね」
「気を悪くしないでくれよ晴夜君。大地先輩は君を信頼していないわけじゃない、それでも保険はかけておきたくなるのが経営者の性ってやつなのさ」
「いえ。むしろ当然のことかと」
もし怜源との話し合いにおいて雲行きが怪しくなるようなら介入するつもりだったのだろう。
あの父のことだ、むしろこういった万が一の手段を用意していない方が不自然だったと今ならば思う。
「いやぁ、いきなり大地先輩に夜中叩き起こされて休日の予定を開けろと言われたときにはとうとう捻り殺す時が来たかこのクソ先輩を、と思ったけど。
……お陰様で良いものが見れた、素晴らしい啖呵だったよ晴夜君。彼に免じて、大地先輩は一発殴る程度で済ませてあげようかな」
弁護士が言っていいのかと思うほど過激な台詞だったが、そう言えば記憶の中でもこんな人だったような気がする。
ぱちぱちともう一度晴夜に拍手を送った後、彼はぐるりと怜源の方を向いた。
「さて、そういう訳でそこの星乃香ちゃんの元父親さん……おっとまだ確定ではないか、まあほぼ決まってると思うけど」
「な、何を言って……何をするつもりかね!」
「そりゃもちろん、貴方が散々にわか知識で語った『親権』とやらのお話ですよ。生憎こちらはそーゆーの専門なんで、ちょっと事務所まで来てもらいますねー」
語ると同時、もう二人えらく体格の良い男たちがやってきて怜源を取り囲む。
「収入の不足と教育におけるネグレクト、未成年の子供を放りだした実績解除に極めつけは子供からの拒否、おまけに証拠もしっかり揃ってると来たもんだ。まぁスリーアウトの一発レッド即退場ですわ。僕も貴方の弁護はしたくないなぁ」
「くっ、来るなぁ!」
「はいはい暴れなーい。暴れるとほんとに刑務所にぶちこまれる楽しみにしてくださいになっちゃうよ? 大人しくついてこれば父親じゃなくなるだけで他に危害は加えない。どっちがいいかは分かるよね?」
言葉こそ軽いが、そこには端で聞いていた晴夜も寒気がするような凄味があった。
それを真正面から受け、ついに怜源も観念したのだろう。
絶望の表情で項垂れる怜源を外に促して去っていく。
そして、去り際に晴夜たちのところへと振り向いて。
「……お疲れ、晴夜君。後の面倒なことは大人に任せて、君は星乃香ちゃんを癒してあげなさい」
そう言い残して、扉を閉めた。
しばらく、静寂に身を浸す。
何分、そうしていただろうか。その間にようやく実感が湧いてきた。
(……終わった……のか)
星乃香の父親がやってきてからの、一連の騒動。
その決着は、ついた。
きっと相葉家にとっては最良の形と言っていいだろう。
でも……彼女にとっては、どうだろうか。
そう考えて、晴夜は星乃香の方を見やる。
「……ぅ……っ」
彼女は、静かに泣いていた。
仕方ないことだと思う。
最後は自分で決めたこととは言え、生まれてからずっと一緒だった、たった一人の家族だった人。
それを失った。自らの手で、失うことを選んだ。
かつては幸せだった日々もある分、その喪失がどれほどなのか晴夜には想像もつかない。
……だから。
「──帰るか」
「……うん」
それでも、あなたには帰る場所があるんだと。
そう教えるように、晴夜は星乃香に手を伸ばす。
彼女は涙を止めず、けれどその手を握り返して。
そのまま、二人は手を繋いで、ゆっくりと歩いて帰った。
まるで、迷子になって不安な子供をようやく見つけて、慰めながら家に連れ帰る時のような。
寂しくて透き通っていて、けれど暖かな、不思議な時間だった。
家に帰って、待っていた時雨に事の次第を説明した。
何年かぶりに、時雨の泣き顔を見た。
何も言わずに星乃香に抱き着いて、それを見た星乃香がまた涙を流して。
晴夜はそれを無言で見守った後、二人を促して昼食に出かけた。
そこで美味しいものを、たくさん食べた。そこでも星乃香と時雨は泣いて、兄妹で星乃香を労わって。
午後、泣き疲れた星乃香が休んでいる間に、時雨は帰って行った。
父への報告は彼女がやってくれるらしい。その分星乃香を見ておけ、との意図だろう。それを把握しつつ、感謝と共に時雨を送り出した。
夕方前に、星乃香が起きてきた。
夕食も出前か何かで構わなかったのだが、星乃香は自分が作ると言う。
……きっと、何もしていないとかえって余計なことを考えてしまうのだろう。
辛い時こそいつも通りの行動が助けになることもあるのだ。
彼女の作ってくれた食事は、こんな時でも相変わらず、非常に美味だった。
そして、夜。
居間でぼんやりと今日あった出来事を振り返る晴夜の後ろで足音が響いた。
振り返ると、そこには寝間着に身を包んだ星乃香の姿が。
「……どうした。眠れないのか?」
昼の間にそれなりに長い睡眠を取ったのだ、さもありなん──と思っていたが。
「ううん、今日は……疲れたから。そういうことはないよ」
予想に反して、星乃香は首を振る。
ならばこんな時間に何を、と訝しげな顔を見せる晴夜に。
「その……ね」
彼女は何を思ったか頬を赤らめ、手持ちのクッションで口元を隠してから上目遣いでこちらを見て、恥ずかしそうに。
「ちょっと……あたしの部屋に、来てくれないかな」
本日はもう一話更新します。




