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25話 ようやく気付いたこと

連続投稿、二話目です。

「……ほ、星乃香!」


 このまま晴夜と言い合っているのは分が悪いと悟ったのだろう。


 怜源が次に狙いを定めたのは、ここまでずっと黙っていた星乃香だった。


「お前からも説得してくれ、晴夜君の要求は私たちにとって酷すぎる! なぁ、お前もそう思うだろう?」


 何を言っているのだろうか、この男は。

 こちらがしたのは極めて妥当な要求だ。むしろ論理的に破綻しているのはそちらの方だと今しがた懇切丁寧に説明したばかりだと言うのに。


 それでも星乃香からなら肯定を引き出せると踏んだのだろうか、若干の圧力をかけた声で問いかけた怜源だったが、しかし。


「……ううん、お父さん」


 星乃香は首を振った。控えめに、しかし確実に。


「あたしは、はる君の言った通りが良いと思う」

「何……を……言って」

「あたしはお父さんと一緒が良い。でも、相葉家の人たちとも一緒が良い。そんなあたしの我儘をちゃんと叶えてくれたんだもん。……もう十分、向こうは譲ってくれてるよ」

「しかし──!」

「ちゃんとお金を稼がないといけないのは、むしろ普通。……だから、頑張ろ? あたしも協力するから。また昔みたいに頑張れば、きっと──」

「──お前はッ!!」


 きっと、星乃香にとっては勇気を振り絞っての父に対する必死の懇願だったのだろう。

 だが、そんなことをまるで意に介さず怜源が声を荒らげる。


「お前は知っているだろう、私がこれまでどれだけ苦労してきたか! 毎度毎度、ライブの日取りを考えて会場を確保して、一々新曲まで用意して理不尽な誹謗中傷に耐えて!

 ……それなのに、あの才能と運に恵まれただけの連中が全て持って行ったッ!」


 過去、音楽を生業としていた時のことを語っているのだろう。


「そんな私に、どうしてこれ以上の苦労をしろと言えるんだ! ──なぁ、晴夜君も!」

「何ですか?」

「君もどうせ、星乃香から私のことは聞いているのだろう! ならば──私のことが可哀そうだとは思わないのか!?」


 ……虚を突かれた。

 何故この男は──そんな堂々と開き直ることが出来るのだ?


「なぁ晴夜君、聞けばその年で親元を離れて一人暮らししているそうじゃないか。君も両親と折り合いが悪いんだろう?」

「はい?」

「理解の無い親を持つと大変だよね。分かるよ、私もそうだったんだから。どうせ今日の話も親の入れ知恵を沢山使ったんだろう? 結局言いなりじゃないか、それで悔しいとは思わないのかい?」

「……何を言っているのかは分かりませんが」


 ついでに何が目的なのかも分からない。よもや自分を同情で絡め取って両親を裏切らせようとでもしているのだろうか。

 何であれ、それは叶わない。何故なら、


「まず誤解を解きますと、両親との仲が悪いわけではありません。一人暮らしはいくつかの事情が重なっただけですので。

 ……そして、俺は親父と母さんのことは尊敬しています。そちらの憶測で勝手に物事を語るのはやめていただけますか?」

「そんな綺麗ごと──」

「あと」


 丁度良い。以前から考えた、この男の心を折るためのカード。

 ここが切り時だろう。


「貴方の言う『才能と運に恵まれただけの連中』とは、かの有名バンド『Ad Astra』のことですね?」

「それは……そう、だが。どうかしたのかね」

「俺は、その人たちに会ったことがあります」

「……何だと?」


 幼い頃、父に連れられて会った様々な分野でのプロフェッショナル達。

 その中の一つに、怜源の心を折ったバンドの人たちも含まれていたのだ。


「話も聞きました。それによると、彼らの一人はひどく貧しかった家庭に生まれ、楽器を買うことすらままならない有様だったそうです」

「は──?」

「別の一人はボーカルを志して挫折した経験があるものの、何とかして音楽には関わりたいと思って血の滲むような努力の果てにベースの道に変更しました。

 また別の人は親の理解を得られず、満足な練習環境が用意できない中必死で様々な人に頼み込み、得られた僅かな時間を全力で使っていたとか」


 もう、晴夜の言わんとすることは分かるだろう。


「貴方は自分だけが苦労したように語りますが、そんなものどんな世界のどんな人でも同じです。だから『可哀そうだと思わないのか』との質問にはこう答えましょう」


 彼らも、晴夜の幼き日の挫折に一役買った凄い人たちだ。その点である意味、怜源と晴夜は共通点を持っている。

 ……故に彼は確信を持って、己の答えを。怜源との違いを叩きつける。



「──全然、まったく、これっぽっちも思いませんね。心が折れた、あんたが悪い」



 仮に、星乃香の父親がした苦労の総量が全世界の平均よりも上だったとして。

 それでも、泣き寝入りが許される理由にはなっていない。


 晴夜だって、許されるならそうしたかった。でも、泣き寝入りをしたところで許してくれるほど世界は甘くない。それでも必死に頑張るしかない。

 怜源の半分も生きていない晴夜だが、それくらいは幼少期に学んだのだ。


 そして、晴夜のきっぱりとした否定を受けて、怜源は。


「……ふざけるな…………」


 顔を真っ赤にして、爆発した。


「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! お前のような子供に何が分かる、お前が……ッ」

「逆でしょう。俺のような子供ですら分かることが貴方に分かってないだけです」

「いいや違う! お前には分からない、だって……お前も恵まれた側の人間だッ!」


 激昂と共に突き付けられた指先を、晴夜は冷めた目で見ていた。


「そうだろう、大企業の御曹司様が! お前の想像する苦労なんてこっちに比べればちっぽけなものだ! 一人暮らしだって結局親に認めてもらっただけだろう、親の金でぬくぬくと暮らして全く良いご身分だなぁ!」


 あたかも、眼前の怜源に熱量を吸い取られるかのように晴夜の思考が冷えていく。

 反論する気も起きない。何故なら、すべて事実だから。


 自分の立場が、他人からそう見えることは理解している。自分の感じた数多くの挫折が他者にとってくだらないものであることも否定できない。


 誰を恨めばいい話でもなく、ただ自分を苛むしかないものだ。

 故に、こんな男に指摘されるのは極めて遺憾だが黙ってやり過ごす他ないだろう。


 ……未だ心中でじくじくと疼き続ける痛みには、耐えれば良いだけだから。

 そう考えて、晴夜は表面上無感動に怜源の雑言を受け流していたのだが。


「上から目線で偉そうに、お前なんて所詮──」

「──お父さんッ!!」


 しかし。

 そこで、思わぬ人間が声を上げた。


「お父さん……あたし、お話の邪魔になるといけないって思って今まで黙ってたし、今もそのつもりだったけど……ごめんね」


 星乃香は、父に真っ向から意見するのが彼女にとっては余程恐ろしいことなのか。

 体を震わせて、それでも毅然と。


「あたしは、お父さんの身にあったことも全部知ってるし、可哀そうだって思うよ。だから頑張って支えてきたし、口も出さないつもりだった」


 俯いていた顔を上げ、父を真正面から見つめ──否、睨んで。


「……でも、はる君を悪く言うのはだめ。やめて。……あたし、怒る、から」


 怜源は、しばし呆けていた。

 星乃香が自分の意に沿わないことを言ったのが、よほど意外だったのだろうか。


 数秒の間を置いて、ようやく星乃香の言った言葉の意味を飲み込み始めると同時。

 怜源の顔が、徐々に憤怒に歪んで行って。


「──星乃香ァ!」


 今にも掴みかからん勢いに、星乃香はびくりと身を引く。


「どうしてだ! どうしてお前はいつもそうなんだ!」

「おい──」

「うるさい!」


 尋常ではない様子に晴夜が制止をかけるが、怜源はそれも一蹴する。


「お前は本当に愚鈍で察しが悪い、いつも私の意に添わぬことばかりする!」

「え──」


 最早当初から被っていた仮面の残滓もかなぐり捨てて、感情のままに喚いている。


「私はお前の父親だぞ、赤ん坊のころからずっと育ててやった! なのにお前は本当にいつもいつもいつも!」


 けれど、だからこそ。これまで怜源が星乃香を真にどう思っていたのかが彼の言葉から克明に理解できて。

 そして。



「お前は──生まれた時から私に迷惑しかかけていないではないか! これ以上どうして私の邪魔をするのだッ!!」



 その一言で。

 何か、決定的なものが切り替わる音を、晴夜は幻視した。


 しばし、沈黙が流れる。

 怜源は目を血走らせながら息を吐き、晴夜は何とも言えない表情で傍観し。

 そして、星乃香は。


「………………そっ、か」


 ふっ、と。

 彼女は──笑った。


 けれど、そこに含まれた意味は決して前向きなものではない。何かを諦め、悲しさを誤魔化し、それでようやく憑き物が落ちたような。

 そんな、ひどく『終わり』を感じさせる笑顔。


「……っ」


 それを間近で見て、ようやく怜源も何かまずいと感付いたようだ。


「ほ、星乃香。すまない、今のは──」

「お父さん。あたしね、聞こうと思ってたんだ」


 咄嗟に捻りだした表面だけの謝罪など意にも介さず、彼女は語りだす。


「──『あたしは、お父さんに何かあげられたかな?』って」

「違うんだ、星乃香!」


 だって彼女はもう分かってしまったのだ。今の否定だって『星乃香の様子に嫌な予感がするから謝っている』だけであり、真に自分の非を把握しているわけではない。


「あたし、頑張ったんだよ。ごはんも毎日作った。お父さんの言うことに従った。嫌な事も聞いたし、疲れたり眠かったりしたけど我慢した」


 そんな薄っぺらい言葉は、薄っぺらいと理解してしまった彼女には届かない。


「たくさん、あげたつもりだったの。それに、相葉家の人たちはきちんと貰ってくれたよ。それだけじゃなくて、『そこまで無理しなくていいよ』って言ってくれたりもした。

 ……でも、お父さんは、貰ってくれてなかったんだ。迷惑だとしか、思ってなかったんだ」


 なおも怜源は何かを喚くが、きっと彼女には届いていない。

 これから先も、届くことは無くなったのだろう。


「……そっか。…………そっか、ぁ……っ」


 遂に、堪えきれなくなったかのように彼女は涙を流す。

 泣き出した星乃香に晴夜は驚きの表情を浮かべ。

 一方の怜源は──顔を歪めた。『何をいきなり泣き出すんだ』と言わんばかりに。


 ……本当に、最後までこの男は。


 けれどそれを見て、逆に決心がついたのだろう。

 涙を必死に拭って、最後の力を振り絞って彼女は父親に向き直り。


「……ごめんなさい、お父さん。

 あたしはもう、あなたの家族ではいられません。

 相葉家の──はる君たちの、家族がいい、です」


 はっきりと、そう別離の言葉を告げたのだった。

決着。

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