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17話 ちょっとした変化

 買い物を済ませた晴夜が家に戻ると、星乃香が丁度昼食を作っている所だった。


 元から昼食は三人で取る予定だったので問題ない。

 そして何も手土産が無いと時雨から文句が飛んできそうだったので、晴夜は食後のデザートとして近くの洋菓子店でプリンを買ってきた。

 以前深月が話題に出していたので覚えていたのだ。


 時雨が『お兄ちゃんにしては気が利くじゃない』と一目で見抜くほど装飾に凝った如何にも高級そうなものだったので、星乃香は最初固辞すると思ったのだが。


「……あ、ありがと」


 意外にも、彼女は素直に受け取った。

 少々面食らったが、決して悪いことではないだろう。


 それからは三人で昼食を取って。時雨が星乃香の手料理を絶賛したことで星乃香が恐縮したり、『これを毎日食べられるお兄ちゃんが羨ましい』と文句を言ってまたいつもの兄妹の言い合いが始まったり。


 それらの雑談や交流を挟んでいるうちに、あっという間に時雨の帰る時間になった。


「ほんとはお泊りしたかったんだけど、最近日曜に学校の用事があることが多いんだよねー」


 心から残念そうに時雨は言う。


「でも、また近いうちに来るから! だから星乃香ちゃん、その時はもっと美味しいもの食べたいな!」

「う、うん!」

「とゆーわけで。お兄ちゃん、それまでちゃんと星乃香ちゃんをお世話するように!」

「世話されてんのはこっちだよ」

「えっちなこととかしちゃだめだよ!」

「少しは兄を信用して欲しい」


 肩をすくめる晴夜。

 一通り言い終えて満足したのか、時雨は改めて晴夜と星乃香に向き直り。


「それじゃ、またね!」


 身内の贔屓目なしでも可愛らしい満面の笑みを浮かべて、去っていったのだった。




「……はぁ。騒がしかった」


 時雨が出て行った扉をしばらく眺めてから、晴夜はそう呟く。

 相葉家に居た時は毎日のように聞いていたはずだが何だろう、しばらく静かな一人暮らしをしていた反動でより騒がしく感じてしまうかもしれない。


「とりあえず、戻って勉強でも……星乃香?」


 踵を返しかけた晴夜は、俯いて少し様子がおかしい星乃香の様子に気が付く。

 そう言えば、彼女は自分が返ってきた後の話でも心なしか口数が少なかったような気がする。


「……ねぇ、はる君」


 そんな彼女が、静かに口を開いて。


「はる君はさ。しぐちゃんのこと、嫌い?」


 中々とんでもないことを聞いてきた。


「……随分な質問だな」

「ごめんね、あたしもそうだと思う。……でも、答えて欲しいの」


 彼女の目には、あまり見たことの無い真剣さが含まれていた。

 これは適当に誤魔化してはいけない類だと悟り、晴夜はしばし考え込む。


「……嫌いでは、ないと思うぞ」


 結論は、そう迷わずに出た。


「確かにやかましいとは常に思ってるしうざったいと感じたことも一度や二度じゃないが。……それでも、あいつは重要なところは気遣いが出来るし、何でもできる凄い奴だ」


 これは時雨には聞かせられないな、調子に乗るから。


「それに何より、時雨とはなんだかんだ十数年一緒に暮らしてきたんだ。関係はどうあれ愛着は湧く。だから、嫌いだとは思わん。なんだかんだ可愛い妹なんじゃないか?」

「どうして?」


 しかし、星乃香は何故かその回答ではお気に召さなかったようで。


「しぐちゃんは、はる君を育てた時だめだったところの反省を生かして育てられたんだよね。それじゃ、そんなの──!」

「──俺は時雨を育てる上での犠牲で、実験台に過ぎなかった。そう言いたいのか?」


 言葉の続きは、晴夜が引き継いだ。

 同時に理解する。なるほど、自分がいない間に話していたのはそのことか。


「そこまでは……言わないし、大地さんと小雪さんがそのつもりじゃなかったのも分かるよ。でも……」


 晴夜の返答で多少冷静さを取り戻したか、星乃香が語気を弱めつつも続ける。


「……あたしは、はる君がしぐちゃんに八つ当たりしても、仕方ないって思った」

「!」

「自信の無い自分を誤魔化したくて身近な人間に当たったり、感情の行き場を求めて下の子をいじめたり、こき使ったり。そういうのは当たり前だって、あたしは思ってて……」

「……へぇ」


 随分と具体的な例だ。まるで見たか体験したかのような。

 けれど、今はそれを指摘するべき時ではないだろう。


「だから……なんでそうしなかったか。なんで、そうせずにいられたのかな……って」

「……まあそりゃ、そうしたくなったことが無いと言えば嘘になるさ」


 切実な問いに、まず素直に晴夜は認める。

 ならばなぜ、晴夜は時雨と兄妹でいられたのか。それはきっと──


「単純な話だ。意地だよ」

「え?」

「俺はさ、結局大した奴にはなれなかったし、これからも多分なれないと思う。

 ……でも、『凄い奴』を近くで見た回数なら、きっと誰よりも多いんだ」


 それは、幼い頃父親に連れられた経験から。

 後に『間違いだった』と言われたその経験が、彼にとっては唯一の誇りで。


「だから俺は、凄い奴にはちゃんと凄いと言える人間になりたい。その人のことをちゃんと見て、あんたのやったことは誰にでも出来ることじゃないんだって言いたい」


 我ながら子供じみた意地だと思う。けれど、自分にはこれしかないから。


「嫉妬心で認めなかったりきつく当たったり、逆に何も考えずただ称賛するような真似はしたくないんだ。

 ……それを始めてしまったら、俺には本当に、何もなくなるから」

「……はる、君」

「だからさ、星乃香。俺と時雨の事情を聞いても、うちの両親のことは責めないでくれ。あんたの言う通り悪気があったわけじゃないし、それに」


 それから言った最後の言葉は、恐らく、ひどく不格好な苦笑いで告げたのだろう。


「なんだかんだ言っても結局。心が折れちまった俺が、一番悪いのさ」

「…………あ」


 最後まで聞き終えた星乃香は、しばらく考え込む。

 けれど、その表情には今までとは違う、納得の気配があった。

 そして、数十秒ののち。


「……はる君。一つ、わがまま言ってもいいかな」

「ん? なんだ」

「頭撫ででいい?」

「いやほんとに何で?」


 脈絡が無いにも程があるのでは?


「しぐちゃんにね、はる君にもっと遠慮しない方が良いって言われたんだ。それを聞いて、今のはる君のお話も聞いて……そうしたいなって」

「理由が曖昧過ぎる。もう少し具体的に頼む」


 言いつつも晴夜はじりじりと後退する。何故なら星乃香もじりじりと前進し、既に右手を頭の高さまで掲げかけているからだ。

 程なくして晴夜の背中が扉に当たる。しまった逃げ場がない。


「確かに下手な遠慮は無い方がありがたいが、これは何かが違う。せめて理由を」

「理由……うーん、なんだろ……上手く言えないし、よくわかんないんだけど」


 一旦星乃香は前進をやめ、掲げていた右手を口元に当てて首を傾げる。

 一先ず攻勢が止んだことに安堵するのも束の間、彼女が顔を上げて。


「……ほんとに、なんとなく。あたしが……素直に、そうしてあげたいって思ったの。……だめ、かな?」

「……っぐ」


 息を呑んだ。

 下手に理詰めで来られるより、『そうしたいと思った』で開き直られる方がよほど晴夜にとっては止めるのが難しい。


 そして何より……至近距離で見る彼女の美貌から繰り出される上目遣いは筆舌に尽くしがたい威力があった。


「……好きにしろ」


 最終的に晴夜は観念してしまった。


「……そ、それじゃあ」


 何故こちらが受け入れると緊張するのだ貴様は。


 と突っ込む暇もなく、彼女の滑らかな指先が髪の間に潜り込む感触がする。

 ちゃんと毎日髪は洗っているので不快ではないと信じたいが……と思う間も、優しい手つきで労わるように手櫛をかけられていく。


(……ああもう、早く終われ)


 くすぐったくて、こそばゆくて……けれどどこか心地良いと感じてしまう自分が嫌だった。


 勿論彼女の顔は見ていない。多分見たら目を離せなくなってしまうほど愛らしく慈しむような表情を浮かべているのが何故か気配で分かったから。


「……はる君。あたしね、決めたよ」

「何をでしょう」


 この距離で声を出されると甘やかな吐息が当たるので出来れば話さないでいただきたいのですが。


「明日から……ううん、今夜から、あたしもっと頑張ってごはん作る」

「だから無理は」

「しないよ、はる君は無理されるの嫌って知ってるから。その上で、無理じゃない範囲でもっと頑張る」


 本当に何かを決意したことが分かる強めの口調で、彼女の語りは続く。


「お料理も勉強するし、そのために必要なものがあったら遠慮なく言うようにする。

 ……それで、多分今まで言われてこなかった分、あたしが言うね」

「何をだ」

「『はる君はすごいよ』って」


 晴夜は一瞬の驚きののち……また、苦笑を浮かべた。


「……はは。なんだそれ」

「なんだろうね~」


 お互い、肝心なところはよく分からないまま。

 それでもどこか穏やかな時間は、過ぎていくのだった。

これにて妹襲来編は終了、ついに次話から第一章メインエピソードに入っていきます!

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