16話 普通の兄妹
時雨のお話。彼女視点です。
「その……よ、良かったの?」
「いいのいいの。どっかのタイミングで二人でお話するってことはお兄ちゃんも把握してたし」
晴夜の出て行った扉を見やって問う星乃香に、時雨はひらひらと手を振りながら答える。
「わたしもお兄ちゃんも、慣れた相手にはちょっと口が悪くなるタイプでさ。別に仲が良いわけじゃないけど、喧嘩してるってこともないから大丈夫だよ」
「……」
そんな彼女の様子を見て、星乃香が浮かべる表情。それに含まれるのは──紛れもない、憧憬の色。
(……良いこと、だよね)
時雨が今日来た目的──父親と母親に言われたことは、共同生活が上手くいっているかの確認と、彼女の相葉家に対する態度の変化を見ること。
相葉家に来たばかりの星乃香は、ただひたすらこちらに遠慮していた。『そんなことまでしてもらうわけにはいかない』の一点張りだった。
最初はそれでも仕方ないのかもしれないが、時が経ってもそのスタンスは一向に変わることは無く。
それどころか、『何かお仕事はありませんか』とまで問うてくる。
つまり、星乃香は思っているのだ。
自分が無償でそこまでの厚意を受けられることなどあり得ない、と。
(……ああもう)
歯ぎしりする。彼女にそうまで思わせてしまった環境に対しても、結局二か月かけてもその氷を溶かせなかった自分たちに対しても。
相葉家が星乃香を晴夜の元に向かわせると決めたのは、そこでなら星乃香の言う『お仕事』があったから。
そして──晴夜なら、頑なな彼女を何とかしてくれるのではないかと思ったから。
予測は当たっており、徐々にだが以前見た時より星乃香の態度がほぐれてきている気がする。
「それで、改めて聞くけどどう? 辛いこととか不便な事とか、ない?」
それを確認するため、時雨は席について星乃香に問いかけた。
帰って来るのは、迷いの無い返答。
「ないよ! はる君優しいし、口調は素っ気ないけどすごくこっちのこと気遣ってくれるし、それでいて言いたいことは真っ直ぐに言ってくれるの。
……ぜんぶ、しぐちゃんの言う通りだった」
「…………、まぁ、言ったけどさぁ」
出来ればそれを本人の前で言いかけるのはやめてほしかった。
その辺りのデリカシーも星乃香には身に着けて欲しいと思う思春期の時雨である。
「ちなみに、お兄ちゃんの事情については何処まで聞いたの? こっちから話すのもあれな内容だから相葉家では言わなかったんだけど……」
「それは……」
その晴夜についての話題を膨らませるべく問いかけると、星乃香は少し躊躇してから。
「……大まかなことは、先週聞いたよ。大地さんの言ってた『育て方を間違えた』の意味も……何となく、分かったつもり」
「そっか」
「しぐちゃんは……知ってるんだよね?」
「ん? そりゃもちろん」
星乃香の確認に時雨は迷わず頷く。何せ──
「うちの両親がお兄ちゃんの件での反省を生かして、『育て方を間違えなかった』成功例がわたしだからね」
「!」
随分なカミングアウトに、星乃香の目が見開かれた。
「あたしもお父さんお母さんから聞いただけだけどさ。その上で中学生になった今考えてみると……うん、流石にあれはお兄ちゃんに同情する」
「同情?」
「そだよ。普通人ってさ、最初は小さな場所で成功したり一番になったりして、自信を付けていくものだと思うんだ」
例えばクラスで一番絵が上手かったり、どこかの地区大会で優勝したり。
その勢いのままより広い場所に挑み、そこで負けたとしてもこれまで成功してきた自負と自信をもってもう一度挑戦し、また更に広い場所へ。
それを繰り返して、人は何かの分野で成長していくのだ。
「お兄ちゃんの場合、それらを全部すっ飛ばしていきなり『その世界の頂点』を見ちゃったわけでしょ?」
「そう、だね……」
「井の中の蛙どころかおたまじゃくしの時にもう大海を知っちゃったわけだ。しかもお兄ちゃん賢かったから、それがどれだけ広いかも正確に把握出来てしまった」
そりゃ挫折するし心も折れれば自信も無くすわ、と時雨は続ける。
「ゲーム会社の娘っぽく言うとさ、レベル1でいきなりラストダンジョンに放り込まれちゃったようなものじゃん。そんなの経験値を得るとか以前に瞬殺されて終了だって」
我がたとえながら、なかなかに的を射ていると時雨は思う。
……もし自分が同じ状況に放り込まれたら、兄のようにならない自信はない、とも。
けれど、そうはならなかったのだ。
「じゃあ、しぐちゃんは……」
「そ。以上の反省を生かして、わたしは最初っからとんでもない所に放り込まれなかった。色々習い事とかもしたけど、普通の子みたいに地元の教室から始めてね」
要領の良かった彼女は何をやってもその教室内では一番上手くなって、それなりの自己肯定感を得ることが出来た。
自信をもって様々なことに挑戦できるからまた要領よく成長できる、という好循環に幼少期から乗ることに成功し。
「かくして、完璧美少女の時雨ちゃんが形成されたのでした──とね」
茶化すように言った後、時雨は少し意味深な表情を星乃香に向ける。
「さて星乃香ちゃん。以上の話を聞いてどう思った?」
「え? えーっと……しぐちゃんはすごい?」
「いやそうじゃない。そう素直に言ってくれるのは嬉しいけどそうじゃないの」
そう言えば星乃香は良くも悪くもこういう子だった、と思い返しつつ。
気を取り直して、時雨は問う。心持ち鋭い声で。
「自分は初めから魔境に放り込んで心をバキバキにへし折ったくせに、後に生まれた子はちゃんとじっくり自信を付けさせる育て方をして、しかもそれが大成功した。
──そんな下の子を近くで見続けたら、『お兄ちゃん』はどう感じると思う?」
「……あ」
そこまで言われて、ようやく星乃香も思い至る。
「『どうして自分だけ』。そう思わないわけが無いんだよ」
実際、相葉家で薄々感じていた。
晴夜が自分を見る目に時折、言いようのない羨望と嫉妬の入り混じった感情が宿るのを。
その時だけは、時雨も兄を少し怖いと思ったし、申し訳ないとも思った。
……でも。それでも。
「それでもね。お兄ちゃんはわたしに当たり散らしたりしなかった。理不尽にいじめたり、こき使ったりもしなかったんだ」
逆に、必要以上に距離を取ることもしなかった。
渦巻く黒い思いを抑えて。普通に構って構われて、一緒に暮らして対等に喧嘩して。
あくまで一般的な兄妹のように、晴夜は時雨に接していた。
それがどれほど困難で凄いことなのか、今なら時雨にもよく分かる。
「別にわたしはね、お兄ちゃんと仲良いってわけじゃないと思う。生い立ちからして仲良くなる方が難しいと思うし、いなくなった時も特に寂しいとか感じなかったし」
でもね、と声を抑えた時雨は、星乃香が今まで見たことの無い柔らかな表情で。
「わたしと普通に兄妹してくれた点は、その……尊敬、してなくもない」
「……そっか」
しばし、居間に沈黙が満ちる。
「やっぱりあたし……しぐちゃんははる君のこと好きだと思う。結構わがままとか言っちゃうのもその……甘えたい的な感じなのかなって」
「……あーもー星乃香ちゃんはほんっとそーゆーことふつーに言うからなぁ!」
その後呟かれた星乃香の感想に、羞恥とか諸々が爆発して時雨は叫ぶ。
「とにかく! わたしが何を伝えたいのかと言うとだ!」
「はっ、はい!」
最後はいつも通り、勢いで押し切ることにしたようだ。
「星乃香ちゃんもさ、もっとお兄ちゃんに遠慮なんかしなくていいの、ってこと」
「え……?」
「お兄ちゃんはね、優しいの。他に褒めるところが無いから優しいってのとは違うよ。他にもいいところはあるけど、その上でもこう言えるくらいに優しいんだ」
それは、彼の過去と自分の過去を良く知る時雨だからこそ断言できる。
「むしろ遠慮される方がお兄ちゃんは嫌がるの。羨ましいなら羨ましいって言って良い。不満があったら表に出しても良い。……何回も言ってるけど、もう一度言うよ。星乃香ちゃん」
ちゃんと聞いて、と言わんばかりに真っ直ぐ顔を覗き込んで、時雨は告げる。
「お兄ちゃんは──相葉家は、絶対あなたを捨てたりなんかしない。それだけは、覚えておいて」
言葉を受け止めた星乃香は、しばし何かを迷うように視線を彷徨わせ。
それでも最後には、こくり、と素直にうなずいたのだった。
(……まあ、今はこれでいいかな)
今の言葉は彼女も言った通り、相葉家にいた間も散々伝えてきたことだ。
それらと比べると、今の首肯は何と言うか……多少伝わった感じがする。
(でも……きっと。そうさせたのは、お兄ちゃんなんだよね)
時雨はそこで、父親の言葉を思い出す。
『俺たちに出来ることは、星乃香ちゃんを甘やかすことだけだ。俺たちじゃどう頑張ってもあの子を『可哀そうな子』として見てしまう』
それは結局のところ上から目線で、真に彼女の心に寄り添っているとは言えないそうだ。
『だから、あの子を本当の意味で救えるのは──誰とでも先入観無く対等に接することができる、晴夜しかいないんだ』
聞いた時はピンとこなかったけど、今ならなんとなく分かる気がする。
(……ほんと、こればっかりは)
時雨は、大体のことにおいて自分は晴夜より優れていると思う。恐らく晴夜に聞いたとしてもそれは認めるだろう。
でも……こんなふうに、誰かと正面からぶつかることにおいてだけは。
(多分、叶わないんだろうな。ずっと)
奇しくも、晴夜が他の人間に感じるようなことを。
時雨は他者との関わり方においてのみ、晴夜に対して感じているのであった。
妹襲来編、もう一話だけ続きます。
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