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15話 彼女の憧憬

「それで、星乃香ちゃん大丈夫? お兄ちゃんにえっちな事とかされてない?」

「開口一番本人の前で聞くのがそれか」


 家族に対するデリカシーは幼少期のどこかに置き忘れてきたこの妹である。

 しかし晴夜にやましいところはないし、星乃香も変な嘘を言う性格ではない。そんな彼の予想通り、


「う、うん。大丈夫だよしぐちゃん」

「ほんとに!? 実はされてたけど脅されて口止めとかされてない!?」


 大変失礼な食い下がり方をするな妹よ。


「安心して星乃香ちゃん、わたし護身術習ってたからお兄ちゃんとタイマンしても多分勝てるよ! 怖がらずに言ってみて!」

「あっそうなの! で、でもほんとに大丈夫だから」


 しかし、妹と違い心優しい彼女はきちんと擁護しきってくれるのである。


「うん、全然楽しいよ、ここのお仕事。はる君すっごい優しいし、しぐちゃんの言ってた通り──」

「わ、わーわーわー! それは言っちゃだめなやつ! ごめんごめんよく分かったから!」


 どころか、星乃香から謎の天然反撃を貰ってたじろいてしまった。

 時雨が何と言っていたのか気になるが、詳しく問い正そうものならただじゃ置かないという殺気を妹から感じたので追及は自重しておいた。


 勢いをしぼめた時雨が、肩をすぼめつつ口を尖らせる。


「……わかってたけどさー、お兄ちゃんはそんなことしないって。でもほんとに寂しかったんだもん。万が一星乃香ちゃんが不満を持ってるなら相葉家に帰ってきてくれないかなって思ってたのにさー」


 そんなことだろうと思った。


「ご、ごめんねしぐちゃん。でも──」

「んーん、分かってる。星乃香ちゃんはお仕事してないと不安になっちゃうんだよね。そこは尊重するよ。……けどなー」


 言葉を切って、時雨は半眼で晴夜と星乃香を見比べて。


「……思ったより、びっくりするぐらい仲良くなってそうだね」

「? そうかも?」

「っ」


 星乃香がよく分からないなりに肯定し、晴夜が思わず息を詰まらせる。

 確かに彼自身も、そこまで深く関わろうと思っていなかった当初の予想を裏切ってそれなりに情が湧いている自覚はあるのだ。


「そうなってくれたらいいなってお父さんとお母さんも送り出したわけだし、それは良いことだけどさ。……んー、でも腹立つものは腹立つ!」

「あ、あの、しぐちゃん?」

「というわけで! むかついたのでお兄ちゃんネガティブキャンペーンを開始します!」

「おい待て」


 本人の前で何を堂々と宣言しとるのだ貴様は。


「さー下げるよ好感度を下げちゃうよー。どうせお兄ちゃんは星乃香ちゃんの前では格好つけてるんでしょ? なら恥ずかしいエピソードとか暴露しちゃおっか」

「だから待てと」

「星乃香ちゃん。小さい頃のお兄ちゃんがお母さんのために料理を作ろうとして大失敗したお話と、生まれて初めて怖いテレビを見て三年ぶりに一人で寝れなくなったお話、どっちが聞きたい?」

「えっなにそれどっちも聞きたい」


 そして時雨の勢いに押され、ついに星乃香も裏切った。

 それらを暴露されると晴夜の威厳が何かと危ない。言って止まるような人間でないことは良く知っているので、晴夜は机越しに手を伸ばしアイアンクローで物理的に口を塞ぐ。


「妹よ、お前は常に喋っていないと死ぬ病気なのか? もしそうなら仕方ない、死んでくれ」

「きゃー家庭内暴力ぅ」

「この世には言葉の暴力もあることを知らんようだな」


 流石に本気は出さないが、少しは痛いと感じる程度に力を込めていく。

 しかしこの妹がやられっぱなしで終わるわけもない。伸ばされた晴夜の右手首を掴んで腱を圧迫、一時的に握力を麻痺させてからするりと抜け出した。無駄にテクニカルなことを。


「手を出しちゃったねぇお兄ちゃん。こういうのって先に手を出した方が言葉では勝てないって負けを認めたのと同じなんだよ、知らなかったの?」

「よーく知ってるよ、その手の文句は物理的に黙らせられたくない奴が使う狡い論法だってことをな。表出ろや」

「はー何で勝てないって決めつけるんですかー? たかが二年先に生まれた程度で調子に乗ってるお兄ちゃんよ、時雨流護身術で兄の威厳を粉々にしてあげますよ」

「多少合気道を齧った程度で調子に乗っている妹よ、受けて立つ。夜道で危険な人間に出会ったときは戦わず逃げるのが正解だと教えてやろう」

「あっ、えっ、えっと……」


 いけない、星乃香が置いてきぼりだ。


「あ、ごめんね星乃香ちゃん! このお兄ちゃんを黙らせた後でゆっくりお話ししようね!」

「そ、それはそれでどうなの! そうじゃなくて、その……」


 星乃香は言い合いをしていた晴夜と時雨を交互に見比べて。


「はる君もしぐちゃんも、そんな生き生き喋ってるの初めて見たかも。……仲、良いんだね」

「星乃香ちゃん、そのふわふわフィルター普段は好きだけど今だけは否定させて」

「遠慮が無いことと仲の良さに相関は無いぞ?」


 二人とも真顔の拒否である。

 だが、星乃香はそう思わなかったようで。


「遠慮が無い……そっか。やっぱり家族だもんね。あたしとお話してるときとは、ちょっと違って当たり前なんだ……」


 兄妹を見ては俯いて思索に沈む顔の動きを繰り返してから、ぽつりと。



「……いいなぁ……」



 その呟きは、やけに大きく居間に響いた。

 ──恐らく、星乃香が思った以上に。


「……あっ」


 どうやら無意識だったようで、慌てて彼女は顔を上げて胸の前で手を振る。


「ちっ、違うの! あたし一人っ子だったから、兄妹のこういうのって新鮮で! それだけだから、深い意味は……!」


 けれど、逆効果だ。そこまで必死になってしまえば深い意味があったと暗に宣言しているようなもの。

 彼女の家庭環境を、晴夜も時雨も知っているのだから。


「……ねぇ、お兄ちゃん」


 今の呟きを聞いて何を思ったか、時雨が少しトーンを下げた声で晴夜に告げる。

 そのままこめかみをくるくると弄り、言葉を探す素振りを見せた。


「んーと、なんだろなー。ちょっとなんて言ったらいいか難しいんだけどね……まぁ、ざっくり言うけど」

「なんだ」

「とりあえず、邪魔だから出てってくれる?」


 予想の斜め上なざっくり度合いだった。


「……ここ一応俺の住居なんだが」

「関係ありませーん。これからわたしは星乃香ちゃんとガールズトークをするんですー。近くの本屋でも何でも行って時間を潰してきてくださーい」


 いくら何でも度を越えた横暴に聞こえるが、時雨の表情はいつもの笑顔の中に普段より多分の真剣さが含まれていた。


 ……恐らく、真面目に晴夜が居てはしにくい話題で話したい──いや、話す必要があるのだろう。

 いつものふざけたテンション半ば忘れていたが、今回の時雨の訪問目的は星乃香のケアも含まれているはずなのだから。


 なんだかんだで十数年共に暮らしていたのだ、それらの違い程度ならば見分けられる。


「……了解」


 折角だ、切れていた調味用やら日用品やらの買い出しを済ませておこう。ついでに二人用に昼食後のデザート辺りも。


 そう思って晴夜は財布の入った鞄を手に取り、玄関へと向かうのだった。


 ……先ほどの、ひどく切なげな彼女の呟きを思い出しながら。

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