3回目のバイトとレアなこと
木曜日の午後。
この日は午前中で授業が終わるので、午後からバイトが入っている。
昼過ぎに玲奈が雑貨店にいくと、中高年の女性に迫られて困り顔の甲斐がいた。
「お願いしますよ、甲斐さん。
商店街のためと思って!」
「ですから僕たち、そういうイベントには出ないって言ってるじゃないですか」
「いいじゃないの。
バイト見つかったんでしょ?」
言っている内容からして近所の人だろう。
エプロンを身につけた、60前後と思われる女性は、甲斐に手を合わせて、お願いだから、と繰り返している。
ふたりを横目に玲奈は奥へと入って行った。
一瞬甲斐がこちらを見たような気がするが、たぶん気のせいだろう。
着替えて店頭に出ると、あの女性は帰っていて、黒服の若い女性が店の奥で商品を物色していた。
「いらっしゃいませ」
そう声をかけた後、カウンターのなかで難しい顔をしている甲斐に声をかけた。
今日のBGMはクラシックだった。
いったいどちらの趣味なんだろうか。
まあいずれわかるだろうと思い、先ほどの女性について尋ねた。
「甲斐さん、さっきの女性はどなたなんです」
「え? ああ。あの人は和菓子屋さん……万寿堂さんのおかみさんで、この商店街の組合で役員をされている方なんだ」
「へえ。で、何をお願いされていたんです?」
すると、甲斐は目をそらして小さなため息をついた。
どうしたものかと思ったが、これ以上突っ込んでも聞けそうにないと思い、玲奈はこの間来た時から何か増えたものがあるか確認しようと、店内を歩き始めた。
出勤して3回目。まだ何があるのか把握できていない。
今お客様が見ているから見られないが、特に奥のあの一画は、何が何やらわけがわからないものが多かった。
異彩を放つ奥の一画は、笠置の趣味だと聞いた。
「すみません。ネックレス、試着しても大丈夫ですか?」
客の女性にそう声をかけられ、玲奈は頷きながら、
「大丈夫ですよ。そちらに鏡がありますので、ご利用ください」
と答えた。
女性は妙に大きな十字架がついたネックレスを手にしている。
つけるのを手伝った方がいいかもと思い、玲奈は女性客に近付いた。
「よろしければおつけいたしましょうか?」
「ああ、すみません。じゃあ、お願いします」
女性から十字架を受け取り気が付いたが、かなり重い。
よくこんなものをネックレスにしようと思ったな、と思いながら、玲奈は女性の首に手を回しネックレスをかけた。
香水だろうか。バニラのような甘い香りがほのかに香る。
留め具をとめ、
「いかがですか?」
と声をかけると、女性客は笑いながら応えた。
「やっぱり重いですね」
言われて、玲奈は苦笑する。
女性客をよく見ると、革の黒いパンツに、黒いイラストの入ったカットソーを着ている。そのイラストは死神を模しているようで、ローブを来た骸骨が鎌を持っていた。
こういった雰囲気のものが好きな人なら、この辺りの商品はツボに入るだろう。
女性は鏡を見て、でもいいな、これ。などと呟いている。
女性は他のネックレスも見た後、試着した大きな十字架と、縦5センチほどの十字架に指輪がかかったネックレスを購入していった。
合わせて15,000円(税抜)
女性客が帰った後、玲奈は甲斐に向かって言った。
「買う人いるんですねえ」
すると甲斐は頷きながら、
「うん。あの大きい十字架。月曜日に入ってきたんですよねえ。見たときはほんと、誰が買うんだろうと思ったんだけど……」
「……そういえば月曜に来たときはなかったですよね、あれ」
あんな目立つもの見たら忘れるわけがない。
「うん。店頭に並べたの昨日じゃないかな。お店火、水休みだったし。いろいろ考えてレイアウトした痕跡があるから」
笠置はいったいどんな顔をしてあれを並べたのだろうか。
考えるが、店長には2回しか会っていないことに気が付き、いまいち顔も思い出せない。
日曜日は一歩も出てこなかった。
甲斐曰く本当に店頭に出るのは稀らしい。
いったいなんでこの店をやっているのか謎すぎる。
「甲斐さんて、いつからここで働いてるんです?」
「うーん……ここができたときからバイトしてるから……」
言いながら指を折って数える。
「5、6年かな」
「バイトで今は……?」
「今は社員。まあ、笠置さんに誘われてそのまま、ね」
言いながら、甲斐は奥の一画に並んでいる商品の整理をする。
大きな十字架が売れたため、かなりスペースが空いてしまっているようだ。
「杉下さん」
「はい」
「笠置さんのところ行って、何か出すもの無いか聞いてきて」
「はい……て、え? 行って大丈夫なんですか?」
驚いた顔で玲奈が言うと、甲斐は笑顔で振り返った。
「うん。お客さんいるけど、気にしなくて大丈夫だから」
気にしなくていいと言われても、さすがに気になる。
困惑する玲奈に甲斐は大丈夫だよ、と言った。
「いるのは双子だし。怖い子たちじゃないから」
「わかりました」
頷いて、玲奈は暖簾をくぐって廊下を進んだ。
左手真ん中の扉が、笠置が引きこもっている部屋だ。
ノックしようとすると、勝手にドアが開いた。
ドアを開けたのは、黒ずくめにお店のエプロンを身に着けた笠置だった。
無表情に、彼は言った。
「何?」
「あ、えーと、甲斐さんに言われて。あの、十字架の大きいネックレスが売れまして、だいぶスペースが空いちゃったので何か出すもの無いかって」
すると、笠置は振り返ってアンティークな棚の引き出しから鍵を取り出し、部屋を出てしまった。
右手奥の扉……倉庫の鍵を開けて中に入っていく。在庫が置かれている倉庫だ。
一度だけ入ったことがあるが、壁一面にスチール棚が置かれ、在庫や備品が保管されていた。
ドアを開けたまま、どうしようかと思い廊下の奥を見ていると、部屋の中から声がかかった。
「ねえねえ、お嬢さん」
「名前なんていうの?」
部屋の中に視線を移すと、二人掛け用の黒いソファーに中学生くらいの双子が、後ろ向きに座りこちらを見ていた。
たしか初日に見かけた子たちだ。
ひとりは青いパーカー、ひとりは白いパーカーを着ている。
「え? えーと。私は杉下玲奈です」
「杉下さん?」
「玲奈ちゃん」
「え、玲奈ちゃんて呼ぶの?」
「え、やっぱり玲奈ちゃんでしょ」
青いパーカーと白いパーカーが交互に言う。
玲奈よりも年下だろうに、ずいぶんと失礼なものいいな気がする。
双子はさっとこちらを向いて、また交互に言った。
「僕、一葉です」
「二葉です」
「玲奈ちゃんて大学生?」
「え、あ、うん」
「ねえねえどうやってバイトに雇われたの?」
二葉の質問に、玲奈は首をかしげ、さあ、と答えた。
そんなの知るわけがない。
すると、双子は顔を見合わせて、
「笠置さんも教えてくれないよね」
「うん教えてくれないね」
「あの人基本教えてくれないもんね」
「ていうかあんまり話さないよね。お客さんにはニコニコするけど」
「え、笑うの?」
思わず玲奈は声を上げる。
「あ、まだ3日目なんだっけ」
「じゃあ見たことないよね」
「あのひと鉄壁だもんね」
「うん。僕たちも長い付き合いだけど、基本話を聞いてくれるだけだもんね」
「だから来るんじゃない僕たち」
「うん、話を聞いてくれる人って大事だよね」
いったい何の話をしているのかよくわからず、玲奈は首をかしげた。
そこに、片手で持てるくらいの小さな箱を持った笠置が戻ってくる。
「これ」
と言って、その箱を差し出した。
「あ、はい、ありがとうございます」
玲奈は箱を受け取ると、笠置はそのまま室内に入って双子の向かい側の席に座った。
双子は彼を振り返り、
「もうちょっと愛想よくしたらいいのに」
「もうちょっと何か言ったらいいのに」
と非難するような口ぶりで言う。
玲奈は箱を抱えて、軽く頭を下げてドアを閉めた。
「失礼しました」
そそくさと、玲奈は店頭に戻っていく。
高校生くらいの女の子が、購入した商品を抱えて、笑顔で、
「さがしてたんですよ、これー!」
と言っている。
甲斐は笑顔で、
「あってよかったですね」
と答える。
女の子はよかったー、と言って、お店を出て行った。
「ありがとうございました」
去って行く女の子の背中にそう声をかけた後、玲奈はカウンター内にいる甲斐に箱を見せた。
「これ、受け取ってきました」
「ああ、はい、ありがとう。中、開けてみてくれる?」
「はい」
玲奈はカウンターの上に箱を置いて、ふたを開けた。
中には3つ、ネックレスが入っていた。
青い石に羽根がついたもの。
十字架に王冠がついたもの。
五芒星の中央に紅い石がついたもの。
玲奈は羽根がついたネックレスを手にとった。
青い石を4枚の羽根が覆っているような造形で、まるで羽根が地球を覆っているような感じだった。
「これ綺麗ですね」
「うん、そうだね。これに似たようなの、笠置さん持ってるよ」
「そうなんですか?」
「うん。あ、これ、並べてみる? 僕、こういうかんじの苦手で」
言いながら、甲斐は玲奈に箱の中身を指し示す。
玲奈は箱の中身と甲斐の顔を交互に見て、
「いいんですか? 私がやっても」
「うん。あの辺のは完全に笠置さんに任せて僕は触らないようにしてるんだけど、あれだけのスペースがあいてそのままにはしておけないしね」
お店の中にある商品をレイアウトに使っていいといわれ、玲奈は箱をもって売り場へと向かった。
アクセサリーが飾られているコーナーに、かなり大きなスペースが空いている。
イーゼルに小さなコルクボードが飾られ、そこにピンが刺さり、そのピンにネックレスがいくつかかけられていた。
その一個が空いているので、小さい十字架はここにかけられていたんだろう。
他に、ブレスレットや指輪もある。
どうやって飾ろうかと考え、玲奈は箱を抱えたまま、店内を歩きはじめた。
なにか使えるものはないだろうか。
レイアウトを考えている間に何組かの来客があった。
全員が見事に甲斐目当て、アンド笠置に会いたいという女性達だった。
レイアウトが終わったころ、時間は6時を過ぎようとしていた。
途中で接客をしたため思いのほか時間がかかってしまった。
外は日暮れを迎え、仕事帰りの人たちが通りを行くのが見える。
今店内には2組……4人の女性客が商品を見ていた。
「甲斐」
まだあまり聞きなれない声にはっとして、玲奈はカウンターのほうを見た。
客たちもしんとして、じっとそちらを見る。
客と会話をしていた甲斐が、特に驚いた様子もなく振り返って言った。
「あ、はい。出掛けますか?」
笠置は頷くと、
「閉店までには戻る」
と言って、そのまま外に出て行った。
なんだあれ。
呆然と見送ったあと、店の中がざわついた。
「みた? 今の!」
「見た見た。初めて見た!」
口々に女性客たちが言う。
彼女たちは先週末にも姿を見かけたので、たぶん常連だ。
そんな彼女たちが口々に初めてとか言うということは、どのくらい姿を現さなかったのだろうか。
もう一度見たいと閉店まで粘ろうとした女性たちを、言葉巧みに帰らせて、甲斐はパソコンを眺めていた。
閉店の時間になり、笠置が帰ってきた。
彼の足もとにはあの、大きな三毛猫が寄り添っていた。
「お帰りなさい」
ちょうど入り口の札を「CLOSE」にひっくり返した玲奈は、笠置にそう言って笑いかけた。
「ただいま」
と言った後、笠置は玲奈をじっと見つめた。
「お堀には近づくな」
「え? お堀?」
驚いて目を瞬かせると、他に何も言わず、笠置は奥へと消えて行った。猫がふう、とため息をついて、彼の後を追いかけて行った。
どうしたものかと思いながらドアを閉じると、掃除道具を持った甲斐が近づいてきた。
「杉下さん、夜お堀通るの?」
「あ、はい。まあ通らなくても帰れるんですけど、ちょっとだけお堀のほう通ったほうが早いんです」
言いながら、玲奈はショーウィンドウのロールスクリーンをおろした。
「桜のころならともかく、今の時期は通らないほうがいいですよ」
「何でですか?」
甲斐は商品にモップをかけながら言った。
「あそこ、桜のころはライトアップしているから明るいけど、この時期は暗いでしょう。
不審者がよく出るんだよね」
「へえ。そうなんですか」
そういえばそんな噂を聞いたような気がする。
街灯増やせよとか思うが、それはなかなか難しいらしい。設置費用が馬鹿にならず、電気代は商店街や町内会の負担となる場合が多いからだ。
設置に市からの助成がでるが、ひとつ設置するのに数十万はかかるため、なかなか新しいものを設置することができないらしい。
「まあ、夏になればこの時間でも明るくなるけど、これくらいの時期はまだ、あそこは通らないほうがいいですよ。ほんとうに」
「はあ……っていうことは、笠置さん、心配してあんなこと言ったんですかね」
ロールスクリーンをすべて下ろし終え、玲奈はモップを持って棚の掃除を始める。
「うん。あの人けっこう心配性だから」
「ならそう言えばいいのに、何で言わないんですかね」
「うーん……まあ、あの人、そう言う人だから」
声の感じからして、甲斐は苦笑しているようだった。
本当にここの店長は謎すぎる。いったいどんな人なのだろうか。
仕事を終えての帰り道、玲奈は言われた通りお堀は避けて帰路についた。




