聞きたくない言葉
「でさ、玲奈」
そんな普通の呼びかけに、心臓が跳ねあがる。
「なに?」
キリトのほうへ視線を向けず、玲奈は答えた。
「……全然返事ないから大丈夫かな、と思って」
「ごめんね、返せなくて」
メッセージアプリの既読通知とかなくなればいいのに、と思ってしまう。
読んだことがわかるのは、メリットでありデメリットだ。
「夏……なんだけどさ」
「それなんだけど、私バイトあるし、行けるかわからないかな」
何か言われる前に、先手を打つ。
それがショックだったのか、キリトは立ち止まり玲奈の顔を覗き込んだ。
「なんでそんなにそっけないの、最近」
「だって、バイトなのは事実だし、生活費は自分で稼ぐように言われてるから。
夏休み中バイトいれて稼ぐなんて、大学生には普通じゃないの?」
「でも、お店定休日あるし、お盆て休みだよね」
そうだった。それは隠しようもない。逃げ道を失ってしまい、玲奈はどうしようかと考えを巡らせる。
キリトと出掛けたくないというわけではないけれど、自分の中でそれはとてもいけないことのような気がして。
考えても答えは見つからず、玲奈はじっとキリトを見た。
こんな風に彼を見るのは久しぶりな気がする。
「ていうか、どこ行きたいの?」
「車買った」
「え?」
いつの間に。
免許を取ったことすら知らなかった。
驚いた顔をする玲奈を見て、キリトは目をしばたかせた。
「あれ? 免許取ったこと言わなかったっけ?」
「聞いてない」
たぶん。と心の中で呟く。
「入学式のとき言わなかったっけ」
そう言われ、目を伏せて考える。全く記憶にない。
音羽やキリトと、入学式の後一緒にお昼を食べた記憶はあるがそんな話をした覚えはなかった。
玲奈は首を振って、
「覚えてない。っていうか車の話題すら出てないと思うけど」
「結城には話した記憶があるから、玲奈にも話してると思った」
そう言われると聞いた気もするが、思い出せない。
そんな話をしているうちに、日は落ちていく。
通り過ぎていく人は皆、イヤホンを耳につけたりスマートフォンに視線を落としているため、立ち止まって話をしているふたりに意識を向ける者などいなかった。
近所の商店の人が不思議そうに見つめたりしてくるが、すぐに仕事へと戻っていく。
「ねえ、こんなところに立ち止ってたら邪魔だし、隅の方行かない?」
「あ、うん」
そう言って、ふたりはシャッターの下りた店の前まで移動した。
ふたりの目の前を、大きな三毛猫が通り過ぎていく。
その猫は、ちらっと玲奈を見ると、路地裏へと消えて行った。
何しに来たのだろうか、あの猫は。
様子をうかがいに来たのだろうか。そんな考えが頭をよぎるが、そんなわけないかと思い、キリトへと視線を移した。
「で、どこに行くの?」
「フクロウカフェ。玻璃市にできたやつ。行きたいって言ってたじゃない、この間」
「あー……そう言えばそんなこと言ったっけ」
大学で無料のタウン情報誌を見ていた時に、そんな話をした気がする。
最近フクロウにはまっている、と言うことも。
玻璃市はここから車で40分はかかる。
電車とタクシーを使えば行けなくはないが、あまり現実的ではなかった。
電車自体少ないし、タクシー代もばかにならない。
「でも、それだけのために玻璃まで行くの? っていうか、ふたりで? いくなら音羽も誘わないの?」
畳み掛けるように言うと、キリトの表情が歪む。
玲奈から視線をそらし、通り過ぎていく人々を見つめる。
「結城を誘いたい気持ちはわかるけど、だけど……」
「だけど何?」
さらに突っ込むと、キリトは頭に手をやった。
ばっと、玲奈のほうに顔を向け、
「俺は……!」
必死な表情で何か言いかけて、キリトは言葉を飲み込んだ。
言いたいことがあるならば、はっきり言ったらいいのに。
そんな考えが頭をよぎるけれど、それに対して自分がなんて応えるかなんて考えたくはなかった。
今のままじゃだめなのか。
今のままの距離感で、付かず離れずじゃだめなのか。
「にゃーぉ」
足もとで猫の鳴き声が聞こえた。
「……でか……」
キリトのそんな呟きが聞こえる。
大きな三毛猫が、ふたりの足もとに座っていた。
「お銀さん」
玲奈は言いながら、その場に座り込んだ。
「にゃー」
返事をするかのように、一声なく。
「お銀さん?」
「うん。お店に出入りしている猫さん」
正直助かった。と思う。
お銀さんは玲奈にすり寄ると、また一声ないた。
玲奈は猫を抱え、立ち上がると、キリトを振り返った。
「私、お店に帰るね」
「玲奈……」
「夏のことは、考えるわ」
キリトが何かを言いかけるのを遮って玲奈がそう言うと、キリトの表情がまた変わる。
一瞬驚いた顔をした後、嬉しそうに綻んだ。
「え、あ、うん」
「じゃあ、またね。お休み」
そう言って、玲奈はキリトに背を向けた。
早足で戻りながら、抱きかかえた猫に声をかける。
「ありがとう、お銀さん。助かったわ」
「あの子、何か言いたそうだったけど、あんたはそれを聞きたくないのかい?」
そう問われ、玲奈は目を伏せる。
「うーん……あんまり聞きたいとは思わないわ。っていうか、そう思ったからあのタイミングで近づいてきたんじゃないんですか?」
すると猫は大きく欠伸をした。
「さあねえ。たまたまじゃないかねえ」
ととぼけた声を出す。
すっかり日が暮れた商店街。店の多くがシャッターを下ろしている。
店に戻ると、もうショーウィンドウのロールスクリーンは下げられ、入り口の札も「CLOSE」になっていた。




