見舞いがいる、という事実
双子と猫が出て行った部屋に、静けさが訪れる。
バイトと二人きりなんて、妙な気分だった。というか、女性とふたりきりになるなど姉以外とはほぼ皆無だ。
バイトが来て一か月以上たつが、まだろくに会話をしていなかった。
彼女の歓迎会の時もほとんど話はしなかったし、日頃仕事の話すらほぼしない。
それではいけないと心のどこかで思っていても、甲斐がいるから、という思いがどこかにあった。
「……で、何?」
いつものような、冷たい言い方になってしまうが、それは喋るのが億劫だからと自分に言い聞かせる。
玲奈は下を向いた後、こちらをまっすぐに見て言った。
「あの、とりあえず来月の終わり……25日の月曜から試験なんです。だからその頃はちょっと出勤できないっていうのと、あと、夏休みは9月いっぱいまでなんで、日数増やせるなら増やしてほしいなと」
「どれくらい」
そう尋ねると、玲奈はスマートフォンを取り出し、操作し始める。どうやらカレンダーを見ているらしい。
「週4でも週5でも全然かまわないんですが」
入れるだけ入りたい、と言うことのようだ。
本当にいいのだろうかと思う。笠置としてはありがたいが、大学時代など遊びたい盛りではないのだろうか。
店はもちろん、お盆は休みだ。だが、学生がわざわざその時期を選んで出かけるかといったらそれはないだろう。
というか実家に帰らないのか。
いろんな考えが頭の中をめぐるが、笠置は頭を振った。
自分が気にしても仕方のないことだし、働きたい、と言うのであればそれはそれで出来うる限り受け入れる。
「考えとく」
それだけ言うと、玲奈はぺこり、と頭を下げた。
「お願いします。っていうか、できる限りいれてくれるとうれしいです」
切実な感じの声で、彼女は言った。
その時、玲奈のスマートフォンが振動した。
はっとした顔をして、彼女はそれに視線を下ろす。
少し迷った後、玲奈はスマートフォンを操作する。
画面を見つめながら、顔をしかめたり、首を傾げたり。
ひとりで百面相をする少女がなんだかおかしかった。
口元が緩むのを隠すため、口元に手を当てる。
いったい何のメール(メッセージアプリかもしれない)がきたのかわからないが、豊かに表情を変えることができるのは少しうらやましくも思う。
少女は何やら操作をした後、ズボンのポケットにスマートフォンを突っ込み頭を下げた。
「すみません、本当に。お邪魔する気はなかったんですが」
そう言われ、笠置は首を横に振る。
病気の自分のところに訪れる者がいる。
そのことがなんだか奇妙な気分だった。
「時間」
笠置がそう言うと、玲奈はくるくると首を回し、掛け時計を見てはっとした顔をする。
「45分経っちゃう! すみません、下おります。ほんとすみません」
そう言ってまた頭を下げると、慌ただしく立ち上がり部屋を出て行った。
玲奈が去って、笠置はベッドサイドのマグカップに手を伸ばし、残っていたスポーツドリンクを飲み干した。
時計は1時を指そうとしていた。
昼をどうしようかと思う。
何か食べなければ薬を飲めないし、だからと言って何か食べられるかと聞かれたら微妙な気分だった。
待っていれば甲斐が来るのではないか。そんな考えが、頭の片隅にあるのも事実だった。
何かあるだろうかと思い、ベッドからおりると双子たちがもってきた差し入れを漁った。
大量のチョコレート菓子をみて、思わず笑ってしまう。どれだけチョコレート好きだと思われているのだろうか。
病人にこういうものを持ってくるところが、人とは違う、ということか。
パウチ入りのゼリー飲料を見つけ、これでいいかと思いベッドに背をもたれふたを開けた。
それを飲み干したころ、近づいてくる足音に気が付く。
部屋に入ってきたのはやはり甲斐だった。
彼はベッド横に座り込む笠置の姿を見て、目を瞬かせた。
「なんでそんなところに座ってるんです」
なんで、と言われても困るが、とりあえずパウチをゴミ箱に投げ捨てる。
甲斐はドアを閉めると、笠置の前に座り、あたりに置かれた袋を一瞥して言った。
「すみません、あの子たち止められなくて」
そう言われ、笠置は首を振る。
甲斐は顔を覗き込みながら、額に手を伸ばしてきた。
「朝に比べたらだいぶ顔色よくなりましたが、熱、少しは下がりました?」
無意識にその手を軽く払いのけ、大丈夫、と短く答える。
その行動に少し傷ついたのか、一瞬悲しそうな顔をするが、すぐにいつもの笑顔を見せた。
「結衣さんから伝言です。夕飯、持ってきてくださるそうなので、何が食べられそうか連絡よこせと」
自分にメールをよこせばいいような内容なのに、なぜ姉は甲斐に伝言を頼んだのか不思議だったが、たぶん笠置がメールを返さないことが多いからだろうと思い至る。
「返事ちゃんと出してくださいね。
それと、薬飲んでくださいね」
「それだけ言いに来たのか」
「ええ。それとちゃんと寝てるかとか。だって、放っておいたら薬すら飲まないような気がして」
そう言って、にっこりと笑う。
甲斐は立ち上がると、
「大人しく寝ててくださいね。夜、また様子見に来ますから」
姉が来るならいらない、と言いかけるが、言葉を飲み込む。
そんな物言いだとたぶん傷つけてしまう。だからと言って遠回しな物言いも思いつかず、黙って頷いた。




