雑貨店の扉
桜の季節はとうにすぎ、もうすぐゴールデンウィークがやってくる。
世間はうかれ、連休はどこがおすすめ! なんて特集がワイドショーやバラエティーで組まれていた。
商店街もゴールデンウィークにあわせていくつかイベントが企画されている。
だいぶシャッターが増えてしまった商店街だが、残った商店は少しでも盛り立てようと頑張っているらしい。
そんな商店街の一画に、雑貨店がある。
「アルテミス雑貨店」
それが店の名前だった。
パッと見はおしゃれな洋館風。茶色い外壁に、大きなショーウィンドウ。
目の大きな可愛らしい黒猫のキャラクターグッズがたくさん、ショーウィンドウには並んでいた。
この黒猫は一部にコアな人気があるキャラクターだ。ケットシーという名前だったか。アイルランドの妖精猫がモデルになっているらしく、胸に大きな白い星のマークが入っている。
長い黒髪を無造作にうしろでしばり、赤い縁の眼鏡をかけた少女が、店の前に貼られたチラシとにらめっこしていた。
ベージュの綿パンツにピンクと赤のボーダーカットソー、白いカーディガンを羽織ったこの少女、杉下玲奈はこの春大学に入ったばかりの一年生だ。
先週バイトを辞めた。
よくあるチェーンのレストラン。日曜日の目の回る忙しさに耐えきれず、さくっとやめてしまった。
どうしようかと思い、大学で無料の求人情報誌と睨めっこしていたら、女子たちの噂話が飛び込んできた。
それがこの雑貨店のバイト募集の話だった。
「アルバイト急募!」
という文字の下にいくつか条件が書かれている。
「時給900円」
の文字が、玲奈には輝いて見えた。
この片田舎で時給900円はかなりレアだ。しかもこんな商店街の小売店でだ。
営業時間は10時から19時。水曜定休。土日働ける人。
各種保険完備ともある。
とにかくお金が欲しい玲奈には、魅力的な文言が並んでいた。
いつから貼ってあるのか、貼紙の色あせから、かなりの時間経過が感じられる。
こんなに条件がいいのに、なんで決まってないのだろう。玲奈には不思議で仕方なかった。
中からしょんぼりとした様子の少女がでてくる。たぶん玲奈と同じくらい、二十歳前後だろう。
焦げ茶色の髪の、今時風の可愛い女の子だった。
たしか中で店長らしき人と向かいあって話をしていたから、たぶんバイト希望だろう。
あの様子からすると断られたのだろうか。
噂では何十人も受けては落とされているらしい。
この店の店員はイケメンだと有名だった。店長もイケメンらしいが滅多に姿を現さず、見たら幸せになれるという噂まで存在するとか。
正直イケメンだとかいう話はどうでもよかった。
大事なのは金だ。
玲奈はショルダーバッグの紐をにぎりしめると、よし、と声をだし、意を決して雑貨店の扉を開いた。
カランコロン、と扉につけられた鐘がなる。
足を踏み入れると、クラシックらしき静かな音楽が店内に流れていた。
ケットシーグッズのほかに、ふくろうのグッズが入り口の目の前に置かれている。
どうやらふくろうもプッシュしているらしい。
壁際両サイドには天井まで届く木製の棚が置かれ、たくさんの商品が並べられていた。それに、中央に二列、腰ほどの高さの棚が二つずつ置かれている。
食器にキッチン雑貨、鞄にポーチ。ごく普通の雑貨店のようだが隅には少し怪しげな物もある。
右手奥の一角。魔よけの札とか水晶にタロット、ガラスの髑髏などが明らかに異彩を放っていた。
広さは多分教室より少し狭いくらいか。
正面はカウンターになっていて、レジの機械が置かれているのがみえる。
カウンター横に通路があるようだ。暖簾がかかっていてよくわからないが、きっと事務所や倉庫などがあるのだろう。
すこし眩しく感じるLEDライトの下、カウンター前に置かれた二つの丸椅子のそばに、紺色のエプロンを身につけた茶髪に眼鏡の青年が立っていた。
「いらっしゃいませ」
爽やかな笑顔で、彼は言った。
さっきいた少女と話をしていたから、たぶん店長だろう。
にしては少々若い気もする。20歳半ばか、いっても30手前ではなかろうか。
少し疑問を抱きながら、玲奈はバッグの紐を握りしめたまま言った。
「すみません、バイト募集の貼紙みて……」
「ああ、面接希望? 履歴書あります?」
「え? あ、はい」
玲奈はバッグのなかから白い封筒を取り出すと、両手で青年に差し出した。
「これです」
「はい。時間大丈夫? ならちょっとここ座ってもらっていいですか」
青年はそういって、丸イスを指差した。
「時間なら大丈夫です」
応えながら玲奈はバッグをおろし、イスにこしかけた。
青年も玲奈の向かい側に置かれたイスに腰掛ける。
履歴書を封筒から取り出して、彼は言った。
「僕は甲斐。ここの店員です」
「……店長さんじゃないんですか?」
目をしばたかせて問うと、甲斐は笑った。
「そうみえるよねー。店長、滅多なことでは出てこないんですよね」
店長が出てこない、という噂は本当らしい。
バイトの面接も店員にぶん投げということだろうか。
甲斐は履歴書に目を通したあと、顔を上げた。
この人が噂のイケメン店員、ということだろうか。
大学の女子たちは、彼を目当てにここに足を運んでいるとかなんとか言っていた。
玲奈にはよくわからないが、整った顔をしているかな、とは思う。
アイドルにでもいそうな顔、とでもいうべきか。背もそこそこ高そうだ。170半ばか。それ以上あるかもしれない。
笑顔でいろいろすすめられたら、勢いですべて買ってしまいそうだ。
その時、
カランコロン……
と扉があく音が聞こえた。
玲奈は振り返るが、誰もいない。
気のせいだろうか。
首をかしげて甲斐を見るが、先ほどと変わらない笑顔を向けている。
「えーと、杉下玲奈さん。大学一年生なの」
何事もなかったように、甲斐は言った。
やはり気のせいだったのだろうか。
玲奈は忘れることにして、彼の言葉にうなずいた。
「あ、はい。春からここの近くの大学に通ってて」
「へえ。一年生って、一般教養あるから忙しくない?」
「まあ、そうですけど。でも午後暇な日もありますし、土日は休みですから。夏休みだって……」
「甲斐」
突然声が頭上から降ってきた。
驚いて顔をあげると、玲奈の横に、黒髪くせっ毛の青年が立っていた。
眠そうな細い目。背はさほど大きいとは思えない。160センチの玲奈より少し大きいくらいか。
甲斐より少し年上に見えるが、正直自信はもてなかった。20代後半か、30前後か。
黒の綿パンツに紺色のエプロン、それに黒いカーディガンを羽織っている青年は、ぐいっと玲奈に顔を近づけて言った。
「いいよ、この子」
驚きの余り完全に固まる玲奈をよそに、青年はそれだけ言うと背を向けて店の奥へと消えていった。
「はーい。店長がオッケーだって」
その声に我に返った玲奈は、さっと甲斐に顔を向けて、店長と呼ばれた青年が消えていった暖簾の奥を指差した。
「えー?! 今のが?」
「うん。店長の笠置さん。ほんとレアだよ、出てくるの」
「どんだけレアなんです」
呆れ顔になる玲奈に、甲斐はただ笑うだけだった。
「ははは。でね、仕事の話なんだけど、今度の土曜日からいいかな。定休日は水曜日と第2、第4火曜日。
時給は900円。あと何かな」
とんとん拍子に話は進み、帰るころにはエプロンを渡された。
「じゃあ、今度来る時までに契約書作っとくから、判子を必ず持ってきてください。
あと、9:45までに来てください。オープン準備教えるから」
「は、はい」
あまりの展開の早さに唖然としながら、受け取ったエプロンを抱きしめる。
よくわからないが、とりあえず仕事はゲットした。
とりあえず、生活費は稼げそうだと玲奈は心底ほっとして、日の暮れた商店街を足早に抜けて行った。