手伝い、花束
夜が明けるころにはカシオの体調もだいぶ戻ってきていた。さすがに棍棒で叩かれた後頭部と手首はまだ痛んだが。
「おはよう。調子はどうだ。頭と手首は大丈夫か?」
隣のベッドで目を覚ましたブザーがあくびをかみ殺しながら、そう声をかけてくる。
「完調じゃないけど、大丈夫です。頭と手首の傷もしばらくすれば消えるかと。」
その答えに、「樫の木なのに傷が治るのか、すごいもんだ。」ブザーはそう一人ごちた。
そんなやり取りの後、身だしなみを整えたブザーがカシオに向けて何かを放った。受け取って見ると大振りの銅貨、百レイルだった。怪訝な顔で振り向いたカシオにブザーは愉快そうに答えた。
「小遣いだ。手元不如意じゃ、逢引もままなるまい?」
「逢引って、デトミナはそんなんじゃ」
慌てて否定するカシオ。ブザーはその様子に呵呵大笑する。
「おいおい、私は別にデトミナちゃんなんていってないぞ。」
この言葉で自分の失策に気がついたカシオが口をパクパクと空回りさせる。
「照れるな、照れるな。使わなけりゃ返してくれれば良い。まあ、もって行け。君の健闘を祈る。」
カシオが言葉を返せないでいるうちにブザーは笑いながら階下に下りていってしまった。言い逃げを喰らったカシオはしばらく部屋の入り口を恨めしそうに見つめていたが、そのうちベッドに身を横たえると指先で銅貨のひんやりとした感触をもてあそんだ。
そうして日が昇りきるまで身体を休めた後、大通りを跨いで角のパン屋、デトミナが働いている水車亭に向かった。
別にブザーに言われたからではない。寝転がっているうちに、昨日の男が彼女にまでちょっかいをかけていないか心配になったのだ。そう、断じてブザーの台詞のせいではない。
「いらっしゃい。今日はどうしたの」
デトミナはそういってカシオを出迎えた。屈託のない様子はカシオの心配が杞憂であったことの証拠に他ならない。内心で安堵しつつ、カシオはいい加減な理由をでっち上げる。
「いや、デトミナの働いている店がどんなものか見てみたくなってね。」
「そうなの。どうぞなかに入って頂戴、小さいけどいいお店なのは保証するわ。」
と、そこまで話したところで浅黒く日焼けした顔が店から出てきた。パン屋の主人というよりも盗賊の頭目といった強面がこれまた筋骨隆々の体の上に乗っている。
「おーい、そろそろ配達の時間だぞ。準備は出来てるか。」
その男は大声で呼ばわりながら近づいてくると、カシオに目を留めた。丸い目をギョロリと動かし頭のてっぺんから靴の先まで見回してくる。
「おう、いらっしゃい。もしかしてお前がカシオって奴かい。本当に妙ななりをしてるんだな。俺はガレット・ブール。見ての通りのケチなパン屋だ。昨日はうちのデトミナが世話になったらしい。ありがとうよ」
声は野太いがどこか無骨な愛嬌がある。カシオも慌てて頭を下げて自己紹介をする。
「折角、来てもらって悪いんだが今日は注文が立て込んでてな。すまねえが礼は次の機会ってことにしてくれや。」
そう言って店に戻ろうとするガレットにカシオは半ば思いつきで声をかけた。
「忙しいなら、僕も配達を手伝いましょうか?」
ガレットはこの唐突な提案に少し思案する様子を見せた後で、意外にも笑顔を浮かべた。
「おう。そりゃあ良いな。俺も妙な男に絡まれたばかりのデトミナを一人で行かせるのには、少々不安があったんだよ。お前さんが一緒に行ってくれるってんなら心強いし、荷もたくさん運べるな。」
そうして店の奥に引っ込むと空の背負子に次々と荷物を載せていき、それをカシオに背負わせた。予想以上の重量におののきながらも、店先に出てみれば、同じような格好をしたデトミナが二人を待っていた。
「俺は方向が違うから一緒に行けないが、二人とも気をつけていくんだぞ。」
ガレットはそう言うと、うず高く荷物を積んだ台車をひいて二人とは反対方向に歩き出した。カシオもデトミナに促されて歩き出す。
店を空にしても良いのだろうかと気になって、後ろを振り返ってみると店の中に小柄な女性がいるのが見えた。
「奥さんのセムラさんよ。」
デトミナがカシオの視線を読んで言った。カシオは肯いて納得の意を示すと再び歩き出す。背中の荷物はズシリと重い、どうやら中身は小麦粉らしい。
「この荷物は小麦粉かい?てっきり、パンを届けるものだと思っていたんだけど。」
「ウチはホラ、パンも焼くけど、水車小屋持ってるからね。粉挽きも請け負ってるんだよ。むしろそっちが本業かも。」
カシオは再び肯いた。
「でも、良い人みたいだね。僕の格好を見ても何にも言わずに普通にしてくれていたし」
最初は山賊でも現れたのか、って思ったけどね。カシオがそう続けるとデトミナはクスクスと笑いをこぼした。
「それは言わないであげてね。おじさんもちょっと気にしてるみたいだから。でも、良い人なのは本当だよ。」
笑いながらそういうと、今度はデトミナからカシオに問いかける。
「そういえば、カシオの家族はどうしてるの。」
カシオはなんと答えるべきか一瞬考えた後で口を開いた。
「両親とか兄弟はいないな。親代わりとグリンマントをさらに北に行った森の中で暮らしてるんだ。今は知り合いの仕事についてきてるんだけど。」
「そっか、ゴメンね。変なこと聞いちゃって」
不躾なことを聞いてしまったと、頭を下げかけるデトミナに向かってカシオは否定する。嘘をついているわけではないが、なんとなく本当のことでもないような気がして複雑だ。
「でも、それじゃあ、私たちと似ているね。」
「私たち、てことはジアーニやケイナたちもなのか。」
カシオが尋ねると、デトミナは肯いた。その横顔にはカシオに対する共感となにかしら寂しげな表情が同居している。
「理由はそれぞれ違うんだけど。うん、やっぱり他人とは思えないし。いつの間にか一緒に暮らし始めたんだ。あの子達もアチコチ使い走りをしたりして頑張って働いているんだよ。ほら、皆で頑張れば大抵のことは何とかなるから。」
えらいな、そう呟いたカシオにデトミナは首を振って小さく呟いた。そんなことないよ、と。それからしんみりしてしまった雰囲気を入れ替えるかのように明るい声を出した。
「さあ、今日は配達が多いからね。元気出していくよ。」
カシオも笑顔で応じて、荷物を背負いなおした。
結局、配達が終わったのは昼過ぎだった。店と配達先を二往復したためカシオもややくたびれ顔だが、後は店に背負子を返してくるだけだから楽なものだ。
「私、ちょっとお祈りしてきていいかな。」
デトミナがそう言ったのはちょうど神殿の近くを通りがかったときだ。カシオが構わないと答えると、
「じゃあ、ちょっと行ってくるね。先に帰っちゃっててもいいから。」
少女はそう言い残して神殿の中へ入っていった。信者でもないし、邪魔をしてもいけないと思ったカシオは石段の隅に腰と背負子を降ろして辺りに視線をめぐらせる。
石段の反対側、今は日陰になっているところで地面に竹の籠を置いて花を売っている子供がいた。デトミナと暮らしている孤児の一人、ケイナだ。カシオは近づいていって声をかけることにした。
「こんにちは、ケイナちゃん。いつもここで花を売っているの?」
「うん、でも今日はあんまり。カシオ兄ちゃんはどうしたの。デトミナおねえちゃんとデート?」
控えめな、でもニコニコとした明るい笑顔に記憶がさらに明確になる。昨日、やんちゃな子供たちがカシオに次々と飛び掛ってくる中で、大人しくデトミナと遊んでいた子だ。直接はあまり話をしなかったが、元気すぎる子供たちの中で逆に印象が深かった。
「いや、今日はデトミナが忙しいらしいから、その手伝いだよ。いま小麦粉を配達してきた帰りなんだ。」
それを聞いてケイナは納得したような顔をしたあとに、ちょっとイタズラな表情を浮かべて言った。
「カシオ兄ちゃん。花、買わない?」
言われてカシオは籠の中の花に目を向けた。朝にでも野原から摘んできたのだろうか。派手ではないが可憐な花たちが未だ瑞々しさを失わずに咲き誇っている。
「花か。綺麗だけど、僕が買っても持て余しちゃうだけだろうし」
「大丈夫だよ。贈る相手がいるじゃない。」
そう言ってケイナは石段の奥、デトミナが歩いていった礼拝所のほうを指差した。全く想定外の提案にキョトンとするカシオに向かって、ケイナは追い討ちを掛ける。その顔には並々ならぬ自信が現れていた。
「お花の嫌いな女の子はいないよ、お兄ちゃん。ほら、街を案内してくれたお礼とか何とか言って渡したらお姉ちゃんきっと喜ぶよ。」
カシオはそもそも人生経験が不足している上に基本的に真っ直ぐな性格なので、一度親しくなった人間の言うことは大抵素直に受け止める。だからこの時も、デトミナが喜ぶのなら、と花を買ってみる気になった。
しかし、ブザーから受け取っていた百レイル銅貨を取り出すと、ケイナは顔をしかめた。
「お兄ちゃん、流石にそんなにもらえないよ。お釣りなんて用意してないし十レイル銅貨は持ってないの?」
余談ではあるが、貨幣単位にはルクスとレイルがあり、一ルクス=千レイルという関係である。カシオの持っている百レイルまでが銅貨で、ルクスは銀貨と金貨になる。
カシオは少し考えた後で何かを見つけた。
「ちょっと、待っててくれ。すぐに戻る。」
ケイナにそう言い残して神殿の門前に開かれている市に走り、ものの五分ほどで戻ってくる。その手にはリンゴといくつかの菓子、それから飴細工が一つ握られていた。
「はい、これ食べてくれよ。花代の代わりってことで。」
そう言って差し出されたものを、ケイナは今度は素直に受け取った。
「ありがとう。お兄ちゃん。」
ニコリと笑ってお礼を言った後、籠の中から花を抜き出して、幅の広い紐で器用にまとめる。あっという間に白と黄色の素朴な花束が出来上がった。それをカシオが受け取るのとデトミナが神殿から出てくるのはちょうど同じタイミングだった。
「おまたせー。あ、ケイナちゃん。今日はここでやってたんだね。来たときは全然気付かなかったよ。」
そのまま、ケイナとの世間話に突入してしまう。それをなんとなく横で聞いていたカシオだったが、会話の隙にケイナが何度となく自分に目配せしてくるのに気がついた。
花を渡せということか。そう感づいたカシオは二人の会話の区切りがつくのを見計らってデトミナに声をかけようとした。
ところがどうしたことか。適当な理由をあげて花を渡すだけだというのに、いざ言おうとするとその言葉が張り付いたように喉から出てこないのだ。
二人の視線のやり取り気が付いたデトミナが怪訝な顔をし始める。その表情に意を決して、カシオは花束を差し出す。
「こ、これを」
後が続かないが、デトミナは一瞬考えた後ですぐに心得たとばかりに笑顔を浮かべた。その顔をみてカシオも、それに野次馬となっていたケイナもホッと胸をなでおろした。
「なんだ、カシオも礼拝したかったんだ。お供えの花まで用意するなんて。ゴメンね気づかなくって」
「えっ?」
意表をつかれて、カシオは思わず間抜けな声を漏らしてしまったが。デトミナは気にせずに彼の手を引っ張って神殿へ向かって歩き出す。そんな二人をケイナが苦笑いで見送った。
まあ、無理もない。そもそもケイナも礼拝客用の花束として商っていたのだから、それを手にしたカシオに対して、礼拝をするつもりだという解釈も十分に成立するのである。
結局、カシオは誤解を解くことを諦めた。