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ヤツキス

 吹き付ける雪の感触でカシオは正気にかえった。続いて冷えきった身体が寒さを思い出す。両目が焦点を取り戻すと雪にぬれた周囲の様子が飛び込んできた。まだ、降り始めなのか積もってはいない。

 襲撃者とその後に現れたモノが脳裏にフラッシュバックする。頭の奥がズキリと痛み、身体が震えた。

 目の前に落ちている二本の短剣に右手を伸ばし、カシオはシャツの袖が大きくかぎ裂きに破れていることに気がついた。大きく破れた穴から素肌、つまりは樫の木目が覗いている。

 ギクリとした。慌てて右腕をマントの下に隠し、そこでもう一つ気がつく。顔のマスクに左手をやれば、やはりそちらも右頬が細く引き裂かれていた。マントの襟をかき寄せ、落ちていた帽子を目深く被りなおす。

 そこまでしてから、辺りには誰もおらず焦る必要などなかったことに思い至った。

 崩れかけた石垣に手をついてなんとか立ち上がる。途端に眩暈がして危うく尻餅をつきそうになった。

 自分の体が思った以上に傷ついていることに、カシオは再びショックを受けた。

 しかし、このまま雪に降られていても悪くなることはあれ、良くなることはない。カシオは体を引きずるようにして歩き始めた。


「見事暴漢を撃退したか。さすがはリイド・グラスに鍛えられただけはあるな。」

 それが今日の顛末を聞いたときのブザーの反応だった。(流石にありのままではなく、男を撃退しただけということにした。)場所は宿屋カワセミ亭の二階、ブザーが借りている部屋でのことだ。

ボロ雑巾のようになったカシオが転がり込んで来たときは流石に驚いていたが、今は落ち着いて茶を飲んでいる。

 ブザーの言葉に、カシオはなにを思い出したのか渋い表情になった。傷や破れていたマスクとシャツを応急で処置したところで、今は寝台の一つに横になって体を休めている。

「まあ、確かに。リイドはすごいスパルタですから、いやでも少しはできるようになりますよ。」

 そう、カシオを育てたリイド・グラスという男。決して文弱の徒ではなかった。カシオに読み書きなどを教える一方で、棍棒を手に軍隊顔負けの鉄拳指導で少年を仕込んでいたのだ。

 少年の様子から察したのか。ブザーが笑い声を上げる。

「その様子だと鬼のリイドは健在らしいな。いやいや安心したよ。まだまだ老け込まれてはつまらないからな。」

 と、ここまで話した後。カシオは今日耳にした中で最も気になっていた言葉について質問することにした。


「ヤツキスについて、ねえ。」

 ブザーはそう呟いた。口調から、彼がその質問を意外だと思っていることが伺えた。

「知らなかったのか。この辺りはリイドの専門だからてっきり聞いているかと思っていたよ。」

 そう前置きした後で、ブザーは説明を始めた。

「ヤツキスって言うのは、このユラシアに住む少数民族の一つだ。その特徴は大きく二つ。一つ目は、その多くがテラス教のヤツカ派に属しているということ。ヤツカ派というのは太陽神テラスと並んで月の騎士ヤツカを特に重視する宗派で、独特の教義と儀式を持っている。テラス教の中では少数派だな。余談だが、ヤツキスという名前自体がヤツカの民と言う意味だ。」

 茶を一口含んでから、先をつづける。

「二つ目、これは外見上の特徴だな。白い肌に赤味がかった髪、瞳は黒から明るい褐色。どうだい、あの娘の特徴とピッタリ一致するだろう。とはいえ、今現在はユラシア国内に生粋のヤツキスはほとんどいないからな。多分、彼女も混血児か何かじゃないか。」

 カシオは肯いた。昼間漏れ聞こえたデトミナと神官イズレイルの会話で確かにそう言っていたのを思い出したのだ。

「今は、というと昔はたくさんいたんですか。それに昼間の男の口ぶりは」

 それまで滑らかに説明していたブザーだが、カシオが発したこの疑問に僅かに言いよどむ様子を見せた。しかし、思い切りをつけたように話を再開する。

「ああ、大体十五年くらい前までは大抵の町にごく普通にヤツキスはいた。このラインフォレストにも多く住んでいたはずだ。」

「一体、どうしたって言うんです?」

 先ほどの間で既に気持ちを固めていたのか、ブザーは淀みなく続けた。ただ声を幾分低く抑えただけだ。

「迫害さ、大規模な。その頃、凶作による飢饉や災害が重なってね。高まった人々の不安や不満が人口的にも宗教的にも少数派だったヤツキスに向いた。悪い呪いを行ったとして火あぶりにされる者。間違った信仰で神の怒りを買ったとリンチにかけられる者。全土で数千人が犠牲になったと言われているが、詳しい数は分からない。そして、難を逃れた者たちもその多くがユラシアから逃げ出したんだ。」

 一息に言い切ると、ブザーはまるで苦いもの口にしたような顔をして、カップの中身をガブリと飲み下した。彼自身にも当時の状況に思うところがあるのかもしれない。

 そこまで話したところで、思いのほか重い話になって言葉を見つけられないでいたカシオに気がつくと、ブザーは困ったような顔で頭を掻いた。

「もう済んだ話って程、昔じゃないけどな。実際、まだ傷跡や偏見は残ってる。でも、生まれてもなかった君が気にすることでもないぞ。そういうことがあった、と知っていることには意味があるとは思うがな。」

 見たいものだけ見て、聞きたいものだけ聞いているよりは。そう締めくくった後で、ブザーは席を立った。食堂兼酒場になっている一階に降りていく。

 一人になったカシオはそのまましばらく静寂と蝋燭の揺れる明かりの中で体を休めていた。

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