ラインフォレスト
「困った。」
大陸東部の交通の要衝、ラインフォレストの街角でカシオは途方にくれていた。
「どっちに行けばいいんだ。」
ブザーと共にこの町に入って三時間。積荷を届けると言う彼と宿の前で別れておよそ二時間と半分。
おのぼりさんの少年は完全に迷子になっていた。目が引かれるものを順に追っていたら、いつしか道は細く入り組み、人通りも少なくなってしまっていたのだ。
道を聞こうにも、目深く被った帽子に長いマントという怪しげな格好のせいか、声をかけた人は足早に過ぎ去って行ってしまう。そうしている間にも時間は過ぎていき、太陽は西に傾き始める。
「すいませーん。なにかお困りですか。」
いよいよ焦りを隠せなくなっていたカシオの耳に不意に呼びかけが届く。振り返るとそこには一人の少女が立っていた。
鮮やかな赤い髪。その長い髪を三つ編みにして背中にたらし、フードの着いた上着に長いスカート。そこに前掛けをつけている。質素ではあるが清潔な装いだった。
「あの、道に迷ってらっしゃるのかと思ったので。迷惑だったらごめんなさい。」
カシオは一瞬、自分が話しかけられていることを理解できなかった。その沈黙を誤解したのか、少女は謝罪を口にして去っていこうとする。それをカシオはあわてて呼び止めた。
「あ、ゴメン。僕に話しかけているとは思わなかったんだ。僕はカシオ。お察しの通りこの町は始めてで、道に迷って困っていたんだ。」
改めてこちらを向いた少女に事情を説明する。幾分あせった調子になったのは、先程までの空振りが堪えているからだ。
その調子が可笑しかったのか少女は笑みを浮かべると、デトミナ、と名乗った。そして、カシオを案内しようと先にたって歩き出す。遠慮した少年が道を教えてくれるだけで言いと告げると、
「この辺りはちょっと道が入り組んでて分かりにくいんですよ。私も同じ方向なので気にしないでください。」
そう言った。カシオもそれ以上は言わず、二人は並んで歩き始めた。
「ありがとう。助かったよ。こんな格好をしているせいか、誰も相手にしてくれなくって。」
カシオが礼を言うと、少女は少し表情を曇らせた。
「ごめんなさい。普段はこんなによその人に冷たくはないんだけど」。
「と言うと、なにかあったのか。」
「しばらく前に神殿で悪いお告げがされたんです。『この町に夜の悪魔によって災いが振りまかれる』とか何とか。この町の人たちは信心深いから、その分心配してるんです。」
神殿とはこの大陸全土で信仰されている太陽神テラスの神殿のことだろう。
太陽神テラスは月の騎士ヤツカと共に災いと堕落をもたらす夜の悪魔から人々を守護していると信じられていて、主だった町には必ずその神殿が建立されている。
そこでは神官や巫女が天候を読み、教えを説き、神託を告げる。その中でも折々に発せられる神託は、時に権力者の発言以上に力を持つことがある。それほどその信仰は人々の間に根ざしていた。
「そうか、敏感になってるところに僕みたいな怪しい奴が来たんじゃ相手にしてもらえないのもしょうがないな。」
「でも、なんでそんな格好をしているんですか。ひょっとして旅芸人か何かの衣装とか。」
この質問に対してカシオは一瞬答えを躊躇った。理由は嘘をつくことへの抵抗と、伝えたときに余計な気遣いをさせてしまうかもしれないと言う遠慮だった。
「以前、火事にあって身体中に酷い火傷の痕があるんだ。人に見せると不快にさせてしまうからマスクをね。」
実際のデトミナの反応はカシオの予想と大きく違わないものだった。目に見えてショックを受けると、無神経なことを聞いてしまったと謝罪を口にする。カシオは誠実で純粋な少女に嘘をついてしまった後ろめたさを感じながら口を開いた。
「いや、気にしないで。昔のことだし、僕こそつまらない話をしてゴメン。」
それでもまだ気にしている様子の少女に少年はお願いを一つすることにした。
「そんなに悪いと思ってくれるなら、お詫びに一つお願いを聞いてくれないか。」
「お願い、ですか。」
怪訝な表情で聞き返してくるデトミナにカシオは笑顔を向けた。もっともマスクで隠れていて表情の変化はほとんど窺えないのだが、それでも彼女には通じたようだった。
「この格好じゃあ分からないかもしれないけど。多分僕のほうが年下だと思うんだよ。だからそんなに丁寧な言葉遣いじゃなく、もっと気安く話してくれると嬉しいんだけど」
デトミナは一瞬何を言われたか分からないと言うようにカシオの顔を見つめた後、ニコリと笑った。
「分かった。じゃあ、そうさせてもらうね。でも、そうだよね。背も私とあんまり変わらないし、声もそんなに低くなってないもんね。」
ありがとう。そう答えながらカシオも改めて笑顔を浮かべる。マスクで見えないが。
二人が少しばかり打ち解けたところで、ちょうど見覚えのある宿屋に到着した。
「はい、ここがお探しの宿屋、カワセミ亭よ。」
「どうもありがとう。助かったよ」
言いながら、何かお礼になるものをとポケットを探ってみるが、適当なものは何も出てこなかった。それでも諦めきれずにガサガサと荷物をひっくり返すカシオにデトミナは笑って言う。
「私はそこの角のパン屋で働いているから、よかったら今度買い物に来てね。」
そして、手を振って店に走っていく。
「ああ、きっと行くよ。今日は本当にありがとう。」
少女の背中にカシオはそう言って、同じように手を振った。
「町に来て、まだ半日も経っていないってのに。やるなあ、カシオ。」
突然、背後から声を掛けられて少年は小さく跳びあがった。声の主はブザーだ。ニコニコ、いや、ニヤニヤとした笑顔で、さも面白いと言わんばかりの視線をカシオに向けている。
「宿の裏に馬をつないでいたら、聞き覚えのある声がしてね。覗いてみたらなかなか面白いものが見られたよ。一体、どんな手を使ったんだい。」
「いや、ただ道に迷った僕を好意で案内してくれただけで」
「ほぉ~。まあ、そういうことにしておこうか。」
言わずもがなの言い訳を口走るカシオ。一方、少年の様子を見るブザーの表情はどこまでも楽しそうに見える。彼にしてみれば友人から預かった少年が、始めての都会でトラブルを起こすでもなく年相応な(誕生してからと言う意味では三年に過ぎないが、見た目や精神的な意味での)一面を見せてくれたことが嬉しいのかもしれない。
「さて、お疲れのところ悪いが馬車の荷物を宿の部屋に運んでくれるかい。積みっぱなしじゃ、ちょっと無用心だからな。」
カシオはハイ、と歯切れ良く返事をして馬車のほうへ回る。ブザーが荷台から降ろしてくる荷物を指示通り宿屋の部屋に運び込む。忙しく作業しているうちに空には細い月が浮かび始めた。
ラインフォレストでの最初の一日はこうして過ぎていった。
次の日、カシオは朝早くから町の中心にあるテラス教の神殿に足を運んでいた。昨日、デトミナとの会話の中で教会の神託が話題にのぼったので、興味がわいたのだ。
神殿は遠くからでもそれと分かる大きなものだった。尖塔を備えた聖堂が中心に堂々と構えていて、その奥に神官たちの宿舎だろうか、石造りの頑丈な建物が覗いている。白い石材で作られた聖堂の外壁には一面にレリーフが施されていた。
「何か御用でしょうか。」
レリーフを眺めていたカシオがその声に顔を向けると、そこにはまだ若い神官が立っていた。襞を多く取った麻色の神官衣を身に着けて、顔には誠実な笑顔を浮かべている。
「おはようございます。僕は昨日この街に来たのですが、このような立派な神殿は始めて見たものですから、つい眺めていたのです。もしお邪魔なら失礼させていただきますが。」
何か言われたらこう答えようと準備していた通りの言葉をカシオが口にすると、若い神官は快活に答えた。
「いえ、テラス神の恵みがあらゆる人に降り注ぐように、神殿の入り口もあらゆる人に開かれています。そちらのレリーフに興味がおありですか。創世記をモチーフにしてあるんですが。ご存知ですか。」
「創世記、と言うと太陽神テラスがこの世界を作られたという。」
カシオの言葉に神官は我が意を得たりと言う様子で肯くと、解説するように創世記の一節を諳んじて見せた。
「お生まれになったテラスは周囲が混沌の闇に包まれていることにお気づきになった。そこで、一筋の光をもって天地を区別し、次にその熱を持って地上の半分を干上がらせて陸とし、もう半分を海とした。さらに未だ区別されぬものに温もりを与え生けるものとした。始めに万物の長兄たる人、そして動物、植物を形作ったが、それでも区別されぬものを使い切ることはなかった。仕事を終え、お休みになることにしたテラスは残った区別されぬものに己の力を貸し与え自身が休んでいる間、地上を守るものとした。これが月の騎士ヤツカとなった。」
「じゃあ、このレリーフはそれぞれの場面を現しているんですね。」
カシオが言ったとおり壁のレリーフには、神官が語った創世記と思われる場面が四つに分けて刻まれている。
「その通りです。もしよろしければ神殿の中もご覧になってください。中には討魔記の壁画もありますから。」
そう言われてカシオは帽子と外套を脱いで中に入った。外から何か作業をしているようなガタガタという荷車の音が響いてくる。壁面に描かれた討魔記、詳しくは知らないが見たところテラス神が悪魔を退治している場面らしい。
それにしても、とカシオは思い返した。先程の若い神官、こちらは奇妙な格好でマスクまでしているのに全く屈託ない様子だった。話しぶりにも表情にも情熱と誠実さがあふれていた。デトミナといい、神官といい、良い人というものはいるものだと感心する。
壁画を見物して外に出ると、先程の若い神官ともう一人、少年と言ってもいいほどの年の男が荷車の上に大量のパンを乗せているところだった。
「このパンは一体どうするんですか。かなりたくさんあるようですが」
カシオが二人にそう声をかけると、少年はぎょっとした様に身構えた。先程の若い神官が振り返って応じる。
「やあ、壁画はどうでした。なかなかでしょう。私たちは今からスラムに施しに参りますので、このパンはその準備です。硬く焼いた黒パンは日持ちするし栄養もある。寒くなるこれからの季節にピッタリです。と、言っても夏の施しも黒パンですけどね。」
「そうですか。スラムへ施しに…。すいません、ご迷惑でなければ僕もついていってもよろしいでしょうか。」
この唐突な申し出も若い神官、イズレイルは笑顔で承諾した。
おっさんばっかりのストーリーにやっとヒロインが登場。