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夜明け

 闇は夜明け前がもっとも深い。濃さを増した暗闇は無数の松明に切り刻まれながら、かえって濃度を増して凝り固まっているようだった。

 町の中央広場。そこに打ち立てられた杭の上にデトミナは(はりつけ)にされていた。美しかった赤い髪が(むし)られたか、刈られたか、今は捨て犬のように薄汚れている。顔にも腕にも青あざがないところはなかった。

 恐怖を狂気へと変質させ、目を血走らせた群衆が十重、二十重に取り囲む。罵詈雑言(ばりぞうごん)が飛び交い、石とゴミが悪意とともに投げつけられる。

「売女がぁ!」「薄汚い魔女め!」「汚らわしい雌犬」「死ね!」「このアバズレ!」

 群衆の中には以前彼女と言葉を交した者、親しく付き合った者もいるはずだった。しかし、あるものは群集に同調し、又あるものは自身が狂気の的となることを恐れて沈黙していた。

 少女の周りに腰の高さまで積まれ、点火のときを待ちわびている薪の山。阿鼻叫喚の場にあって、それだけが整然と積まれていた。


 心を凍りつかせる光景も既に心砕けた少女の表情を変化させることはない。投げつけられた石が当たったときに、小さく呻き声を漏らすだけだ。その瞳は広場ではなく、さらに遠い虚空を白痴のようにさまよっている。

 そんな獲物の様子に焦れたのか。広場に満ちる怨嗟の声が次第に高まり一つになっていく。

「燃やせ!」「燃やせ!」「燃やせ!燃やせ!燃やせ!燃やせ!燃やせ!燃やせ!燃やせ!燃やせ!燃やせ!燃やせ!!」

 群衆の興奮が最高潮に高まった。一人の男が前へと進み出ると松明を高々と掲げて大声を張り上げた。

「裁きをぉー!!」

 爆発のような歓声が広場を埋め尽くした。

 怒号と嬌声の嵐の中で、虚空をさまよっていた少女の瞳が僅かに揺れた。

 闇の中に身を躍らせ、夜明け前の空を泳ぐかのように宙を舞う一つの影。腫れあがった唇が誰かの名を小さく刻んだ。


 時を同じくしてカシオもデトミナの姿をその目に捉えた。少年は過ぎゆく夜の加護をその身に集め、不調などないかのように駆けている。塀の上、屋根の上を縦横無尽、いや、少女に向かって一直線に。

「デトミナー!!」

 轟いた叫びに、広場を埋め尽くした者たちの視線が集まる。松明を掲げた男は点火しようとした姿勢で固まっていた。

 時が静止したかのような刹那、広場で動いていたのは二人だけだった。

「……!!」

 少女の言葉はすでに声にならなかった。だが、少年の耳は自分の名を確かに捕らえた。

「っおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 少年は応じるように咆哮し、広場の群衆の上へと身を躍らせた。帽子が飛び、灰白色の髪の毛があらわになる。

 すし詰めになった人間たちの頭、あるいは肩。それを足場にカシオは濁流のごとき獰猛さで広場を駆け抜け、最後に一際大きく踏み切る。

 外套を(ひるがえ)し、髪の毛を振り乱し、大木を引き裂く雷のように薪を蹴散らして、少年は少女の下へと降り立った。

 暗闇を背景に舞い降りたその姿はまるで、

「悪魔だ!」「夜の悪魔だ!」「悪魔が来た!」

 人から人へ、怯えたような、興奮したような声が伝染していく。

 少年はそんな声など耳に入らぬといった様子で短剣を手にする。

「デトミナ、ごめん。遅くなった。」

 そう言いながら、少女を(いまし)めていたロープを断ち切り、その身体を新雪のように柔らかく抱きとめた。

「カシ、オ」

 少女の身体は弱りきり、少年の名を呼ぶ声も切れ切れだった。張り詰めていた気が緩んだのか、そのまま意識を失ってしまう。

 間近に見たデトミナの様子。髪の毛は引きちぎられ、袖から覗く部分だけでも怪我をしていない場所が見付からない。


 カシオの胸に怒りが満ちた。燃えるような、時とともに過ぎ去る怒りではない。水晶のように結晶化して未来永劫に光を失わぬ怒りだった。

 デトミナだけではない。サリオもケイナも、他の名の知らぬ人々も、何故。

 群衆の前に一歩を踏み出す。底知れぬ眼光に、数百の人の群れが怯えたようにどよめいた。その姿に点火することを忘れて立ち尽くしていた男が弾かれたように反応した。

 松明を投げ捨てると腰の剣を抜く。恐怖と動揺の入り混じった叫びを上げながら、しゃにむに剣を突き出した。

「うわぁああぁ」

 普段のカシオなら欠伸をしながらかわせる速度。しかし、抱えたデトミナをかばう気持ちが一瞬の遅れになった。

 顔に向けて突き出された剣はカシオの頬を浅く削り、マスクを大きく切り裂いた。

 松明の下、カシオの顔に浮かぶ木目の模様が明々と照らし出される。それは囚人が施される罪の証のようだった。

 男はまずその異容にひるみ、次に殺意を(たた)えて炯炯(けいけい)と光るカシオの瞳に怯えてへたり込む。男だけではなかった。男の感じた怯えが水面に広がる波紋のように広場の中を伝っていく。狂気が恐怖へと還元されていく。


 その中を、カシオが挑むように歩を進める。

 一歩。二歩、三歩。

 一歩進めば一歩分、二歩進めばそれだけ、怯えた群衆がざわめき、道が開けた。

 カシオは油断なく人々を睥睨(へいげい)しながらゆっくりと広場を後にして、夜明け前のラインフォレストから姿を消した。

後は、エピローグです。

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