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断末魔

ここから短い話が少し続きますが、悪しからず。

 その夜、スラムはいつになく静かだった。事情は街とほぼ同じだったが、一つだけわずかな相違点があった。つまり、スラムには逃げ出す当てや余裕がある者は少なく、代わりに病に倒れ息を引き取るものが多かったということだ、

 神官達の開いた救護所は既に薬がつき、神官たちの数も半分に減っていた。ただ病人を寝かしておくことしか出来ない大天幕の中で、日雇いも荒くれも物乞いも靴磨きも皆枕を並べて苦しんでいた。


 その救護所の南東。スラムの外れに近い小屋の中。デトミナは二人に水を飲ませたところで一息ついていた。二人の容態は悪くもならないが良くなってもいない、いわば小康状態にあった。

 ジアーニは隣の部屋で睡眠をとっている。不意に心細さの発作に襲われて、少女は椅子の上で自分の肩を抱きしめる。

 思い浮かぶのは水車亭のガレットとセムラ、親しい町の人たち。それに出会ったばかりの友達カシオ。数時間前に飛び出していったきり、まだ戻っては来ないけれど。

 疲れきっているジアーニを起こさないように注意しながら、デトミナは静かに戸を開けて表へ出る。ひょっとして、通りの先にこちらへ歩いてくるカシオがいるのでは。と、思いながら。

 そして、気がついた。異変に。

 小屋から南西。神殿の鐘楼の向こう。その空が赤く色づいていた。哀愁や情緒を思い起こさせる夕日の色とは似ても似つかぬ禍々しい赤。街の一角を照らすその明かりから、まるで火の粉が飛ぶように無数の光がこちらに向かってくる。

 それは松明を携えた人の群れ。熱病に浮かされたような顔を自分の松明で照らしながら、真っ直ぐに最も近いスラムの入り口、南大橋へと進んでくる。


 それを理解した瞬間。我知らずデトミナは駆け出していた。

 手にした松明によって、人々の顔は熟れすぎたオレンジのように奇妙に色づいて見えた。彼らは自分と自分の大切なものを脅かす形なき脅威をスラムの上に幻視していた。

「燃やせ!」「燃やせ!」「浄化しろ!」「裁きを与えろ!」

 デトミナは耳にした。破滅的で分裂した叫びが、それでも寒気のする一体感をもって人々の口から飛び出すのを。異様な興奮に包まれた群衆の意図は既にあからさまだった。

 赤い目をした男たちがついに橋へ到達する。その目の前にデトミナが躍り出た。

「止まってください。ここには病人しかいません。一体、何をするつもりなんですか!」

 振り絞られた少女の声。しかし、数百人に及ぶ人の流れがそんなもので止まるわけがない。松明は変わらぬ速度で流れていく。

「止まってください。何をしようというんですか。子供が病気で寝ているんです!」

 続く少女の懸命の訴えも、集団の前列にいた数人の表情を僅かに変えさせただけだった。それも、狂気に満ちた表情を、狂気と不快感に満ちた顔へと変化させただけだ。

 迫り来る狂気の群れに内心の恐怖が湧き上がる。デトミナは逃げ出したがる足を必死にその場に押しとどめた。

 その時、昼間のような明かりに照らし出された少女の姿に群れの中から怒声があがった。

「ヤツキスだ!信仰を捻じ曲げるヤツカ派の魔女だ!」「見ろ、皆は病気だというのにアイツはピンピンしてやがる。」「魔女だからだ。災いを撒き散らす魔女だからだ!」

 恐怖を誤魔化すための生贄を求めていた群衆はその矛先をデトミナに定め、そして飛びついた。

「捕まえろ!火あぶりだ!!」

 汚れた爪をした手が何本も迫る。自身を待ち受ける責め苦に気が付き、デトミナは踵を返して駆け出したが、無数の腕のうちの一本が彼女の襟首を捕まえて荒々しく引き倒した。

「助けて!私はヤツカ派なんかじゃ、魔女なんかじゃない!」

 少女が助けを求めたところでそれを聞く耳はその場に存在していなかった。男も女も自分たちの作った世界に夢中になっている。

 デトミナの抵抗など無に等しい。乱暴に縛り上げられ、むくつけき男にぞんざいに担がれる。

「ヤメロー!姉ちゃんを放せ!」

 幼い声がその場に響く。同時に地面に取り落とされ、縛り上げられているデトミナは受身も取れずうめき声を上げた。見上げればデトミナを担いでいた男が頭を抱えて膝をついている。その横にはジアーニ。

 真っ青な顔をして、男の頭を殴った棒っ切れを持っている。

「姉ちゃんっ」

 そういいながら駆け寄ってくるジアーニ。デトミナは反射的に声をあげた。

「ジアーニ、逃げてっ!」

 ジアーニの小さな体が吹き飛んだ。別の男が手にした棍棒を力任せに振りぬいたのだ。

「ッイヤァアアアアアアアアァ!!」

 デトミナの悲鳴が夜空に響き渡る。少年はピクリとも動かない。気を失ったのか、それとも。

 少女は何とか少年に近づこうと縛られたままの身体で這いずるが、起き上がった男に足蹴にされ、大人しくなったところを再び担ぎ上げられた。

 その肩越しに松明に取り囲まれたスラムの町並みが目に飛び込んでくる。既にいくつもの小屋が炎を吹きあげていた。そのうちの一つはスラムの端に建つ粗末な小屋。デトミナ達の家だった。

 病気で動けないサリオとケイナ、それにエンデの遺体が横たわる五人の家が見る間に炎に包まれていく。轟音の中、デトミナの耳は確かに助けを求める二人の声を聞いた。


「                         」


 燃え上がる炎の音にかき消された少女の叫びは、魂の断末魔だった。

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