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神官たち

神官長を乗せた馬車を見送り、立ち上がったイズレイルに声を掛けるものがあった。

「イズレイルさん、今の馬車は一体?神官長がお乗りのようでしたが」

 そこには様子を見に来たのだろうか、先程の下男と信者が数人立っていた。いずれも訝しげな表情で馬車の走っていったほうを見ている。

 教義からすれば恥ずべきことかもしれないが、この時イズレイルの口からは事実と違う言葉が滑らかにこぼれ出た。

「神官長は街の窮状を訴えて救援をいただくために本部へ向かわれました。心配することはありませんよ。数日のうちに戻られますので。」

 考えていたわけではないが、まるで真実のように迷いなく口から出てきた。イズレイル自身がそうであれば良いと無意識に感じていたからだろう。

 一応納得した様子の信徒たちをイズレイルは広場のほうへと促した。そうしながら下男に話しかける。

「神官長が留守の間は私がここを取り仕切ることになった。」

 下男は肯いた。その顔には信者たちのような安堵の表情はない。神殿内の人間だから、神官長とその供にしては多すぎる人数がどこへ行ったのか察しているのかもしれない。

「今、神殿にいる神官を集めてくれないか。場所は執務室がいい。」

 声を掛けられた下男は短く応じると背中を向けた。ふと思いつくことがあり、その背中にもう一度声を掛ける。

「あー、君の名前はなんだったかな?」

 恥ずかしい話かもしれないが、今まで下男の名前など特に気にしてはいなかったのだ。下男は怪訝な顔で振り返ると言った。

「私の名前はスレジです。イズレイルさん」

「そうか、呼び止めてすまなかったな。スレジ、それじゃあよろしく頼む。」

 スレジは今度こそ背を向けて歩いていった。


 しばらく後、イズレイルは執務室で集められた神官たちを前に立っていた。

「スラムへ行っている四人を除いて七人。これが今この神殿にいる神官全員です。」

 スレジが説明し、イズレイルが肯いた。今まで省みたことはなかったが、ここに至りこのやせた下男の寡黙な態度に信頼を感じ始めていた。

 残された神官たちは思ったとおり平民出身者ばかりだった。自分たちの前に立つ、唯一の貴族出身者を見る目に険があるのは気のせいではないだろう。

 神官も、それからスレジたち下男も信徒たちとは違う。神官長たちが逃げ出したことを知らないとは思えない、少なくとも何かを察してはいるはずだった。

 そこまで考えた後で、イズレイルは思考を捨てるよう努めた。考えたところで既にどうしようもないし、いずれにしろ言うべき事は言い、やるべきことはやらねばならぬ。

 下手な前置きなどはせずに話を始めることにした。

 先程、信徒たちとスレジに対してした説明を繰り返す。まさか信じるとは思っていないが、それでも建前は必要だ。

「私とともにこれまでどおり働くか。それとも街を出るか。今決めてください。皆の前では言いにくいでしょうからこれを」

 話しながらデスクの上にあった小さな砂時計をひっくり返す。黄みがかった白いすながサラサラと落下し始める。

「この砂が落ちきるごとに、戸に近いものから一人ずつこの部屋を出て行ってください。私を手伝ってくれるなら一階の食堂へ、町を出て行くなら荷物をまとめて裏口へ。くれぐれも、信徒たちに見付からないようにお願いします。」

 砂が落ちきり、最初の一人が出て行った。神官たちは皆強張った表情で黙っている。イズレイルは砂時計を再びひっくり返した。

「スレジ、君は今の話を他の下男たちにも伝えてきてくれ。混乱が起きないように気を遣ってくれると助かるが。」

 痩せて日焼けした顔の下男は肯くと、ほとんど同情しているかのような眼差しをイズレイルに向けてから部屋を後にした。

 それから砂時計を五回ひっくり返し、部屋に一人きりになったイズレイルは最後にもう一度砂を落とした。最後の一粒が落ちきるのを確認して、食堂へ向かう。


 重い金枠に収まった木戸を押し開けると、小さな窓から差し込むぼんやりとした光の中に五人の男が座っているのが見えた。つまり、二人が去って、五人が残ったというわけらしい。

 五人は食堂の隅に固まるように、一つのテーブルを囲んでいた。そこに向かって歩きながら、イズレイルは自身が胸を撫で下ろしていることに気がついた。どうやらこの状況に不安と緊張を感じていたらしい。

「ありがとう。あなた達が残ってくれたことを嬉しく思います。」

 感謝の言葉が自然と口からこぼれ出た。

「やめてくださいよ。水臭い。そんなに大げさなことじゃないんですから。」

 笑ってそう応えたのは一番若いエイジンだ。その横で大柄な身体を小さな椅子に押し込むように座っているのはキハヌ。短く刈り込まれた頭を縦に揺らし賛意を表してくれる。

「まあ、そこの爺さんなんかはいつテラス神の御許(みもと)に迎えられてもおかしくないからな。いまさら怖いもんなんかねえんだよ。」

 一番年長の神官を指してそう言ったのはアライアスだ。神官だというのに口が悪い。言われた側、一同の中でも図抜けて年取った老神官シムは怒るでもなく言い返す。

「他に行き場もないお前さんよりゃマシじゃ。この助六が。」

「アライアスもシムさんも馬鹿なことを言ってないで、とりあえず今からのことを話しましょう。イズレイル、君が一応は責任者だ。何か考えがあるんだろう?」

 二人の言い合いを遮って話を本筋に戻したのはワイズ。灰色が混じり始めた頭と痩せた長身が求道者の雰囲気をかもし出している。

「はい、私の考えですが、この六人を病人の看病をする者と祈祷を願ってくる市民に対応するものの二つに分けたほうがいいと思います。患者は出来るだけ隔離して、我々もそれぞれの班の接触を控えることで病気を広めないようにしたいと。まあ、気休めですが」

 一旦言葉を切り、五人の反応をうかがう。五人とも今の話を吟味しているのか、少なくとも明確な異論はないようだった。

「いいんじゃないか。ワシは悪くないと思うが。」

「そうですね。ちなみに、誰が何をやるかのについては考えがあるのか。」

 シムが五人の雰囲気をまとめて代弁し、ワイズが先を促した。

「そうですね。出来れば信徒の対応をシムさんとエイジンに、患者の面倒を他の四人で見られればと思いますが、どうでしょう?」

「信徒の対応が二人では少ないんじゃないか。」

 そう言ったのはそれまで黙っていたキハヌだ。この問いにもイズレイルは落ち着いて返答する。

「人手が足りない分は下男たちに手伝ってもらいましょう。信徒たちを屋根もない場所で長く休ませてはそれこそ病気になってしまいますから、速やかに帰らせて夜は必ず自分の家で休ませるようにします。二人は祈祷のしどおしになるでしょうが、その分、夜はしっかり休んでください。

 病人の班については恐らくこれから病人の数が増えて仕事が増えます。それに順番に休みを取りながらですが、朝晩も働くことになりますからこの分け方がいいかと」

 キハヌは納得したのか腕を組んで再び沈黙した。

「あの、なんで僕が信徒の対応なんですか。もっと押し出しのきくワイズさんやアライアスさんの方が良いのでは」

 今度口を開いたの信徒の対応に指名されたエイジンだった。これに対してイズレイルはなぜか理由を言いよどんだ。かわりに応えたのはエイジンとともに指名されたシムだった。

「イズレイル、そんなに気を遣うな。年寄って体の弱っているワシに病人の世話などさせたらいつこちらが病気になるか分からん。とはいえ、信徒の対応をさせるにも体力が心もとない。そこで一番若くて体力のあるエイジンと組ませたのじゃろう。」

 内心の躊躇(ためら)いまでズバリ当てられたイズレイルは恐縮した表情で肯いた。

「ま、とりあえずそれでいいんじゃねえのか。どうにもまずけりゃ後から変えればいいだろ。さあ、行こうぜ信徒も病人も待ってる。」

 議論に退屈したのか。アライアスがやや強引に締めくくったが、他のものにも異論はないようだった。

「それじゃあ、行きましょうか。」

 イズレイルがそういうと、皆立ち上がり扉からそれぞれの持ち場へとうつって行く。

 イズレイルも祈りを捧げる信徒たちの脇を抜け、ワイズたち三人とともに礼拝堂へと向かう。その途中、信徒たちが口にした噂話に思わず足を止めた。

「今の話、すみませんがもう一度聞かせてくださいませんか。」

 信徒の男たちはまさか話しかけられるとは思っていなかったのか、仰天した様子でごにょごにょと口ごもる。

「こりゃ、神官様。今のはほんのつまんねえ噂話、与太話ってヤツでとても改めてお話しするようなもんじゃ」

「いえ、それでもかまいません。こんな時だからこそ、街のことは何でも知っておきたいのです。気にせず話してください。」

 再度の依頼に、一人の男はオズオズと口を開いた。

「それじゃあ話させてもらいやす。何でもスラムの中でも毛色の悪い連中が街に火をつけて盗みを働きに来るっていうんでさ。あそこの連中は普段からろくな仕事もないし、今回だって検問だなんだって揉めたじゃねえですか。その仕返しに来るってもっぱらの噂でね。」

「なるほど。こんな時だからそんな不安が芽生えることもあるでしょう。しかし、それはありえませんよ。私はほんの数時間前までスラムにいましたが、はっきり言ってスラムの人間に今そんな元気はありません。みんな病気から逃げ回ることで精一杯です。貴方たちは大丈夫だと思いますが、周りにそんなことを言う者がいたらよく注意してやってください。」

 イズレイルが釘を刺すと、男たちは慌てて首を縦に振った。その様子をしっかりと確かめてから、再び歩き出す。数メートル先でワイズが足を止めて待っていた。

「どうかしたのか?」

 そう尋ねてくるワイズに、イズレイルは首を振った。またも本心とは違う言葉を口にする。

「なんでもありません。行きましょう。」


 礼拝堂の中には急遽運び込まれた寝台がずらりと並び、その間を下男たちと患者の家族、それに神殿が手配した医師が歩き回っていた。

「デミグルさん。どうですか、状況は?」

 知った顔を見つけ声を掛ける。相手はイズレイルを見とめると笑顔を浮かべ、その後で残念そうに顔をしかめた。

「良くないよ。薬も人手も不足している。といっても、この病気に罹ることがこれ以上ないくらいの不運だからね。それを考えれば、現状はむしろ『悪くない』というべきなのかもしれないが。なあ、ここにいる神官はこれだけなのか。もっといるものと思っていたんだが。」

 周りに聞こえないように声を抑えたデミグルの質問にイズレイルは詰まってしまう。それを見て医師は諦めたような皮肉な笑みを浮かべた。

「やっぱりそうなのか。」

 みなまで言わないデミグルにイズレイルも肯く。

「いや、誤解しないでくれ。責めてるわけじゃないんだ。街の住人も余裕のある者やツテのある者は軒並み逃げ出した。商工会の幹部や代官はいの一番だ。いまや商工会の自警団も代官の手勢も機能停止。いや、消滅って言っても良いくらいだ。ここに来ているのはそれ以外。金もツテもない者たちがテラス神にすがっている。」

 まさか、自分がスラムへ行っている間に街がそんなことになっているとは。と、イズレイルの背中に再び緊張がのしかかる。そんなイズレイルの内心を知ってか知らずか、医師は言葉を続けた。

「身体も問題だがね。今、人々の心は病気の恐怖、それに不安に襲われている。良くない。全く良くない状況だよ。」

「どうすればいいんでしょうか。」

 思わずこぼれたイズレイルの問いにデミグルは大きくため息をついて頭を掻いた。

「とりあえず、職責を果たすことにしよう。私たちにはいつだってそれしか出来ないんだから。」

 悟ったような口調にイズレイルも肯き、仕事へ就くべく礼拝室の奥へと歩を進めた。

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