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封鎖

 報告を終えたブザーが会合から帰ったとき、カシオは既に言いつけられた荷造りを終えていた。

「それで、どういうことになりました?」

 ブザーはその問にすぐ答えることはせず、寝台に腰を下ろして膝の間で両手の指を組み合わせた。

「今日から至急、スラムは封鎖されることに決まった。代官の手勢と街の自警団で橋を固めて検問をしくそうだ。誰もスラムから出てくることは出来なくなる。」

「どうしてそんな?」

 過激な措置に驚きを隠せないカシオにブザーは重々しく答える。

「君が見た死体の男。彼は黒死病という死病に侵されていた。恐ろしい病だ。この病魔に魅入られると最初に微熱とだるさを感じ、すぐに高熱と激しい下痢、それに嘔吐に襲われる。そうなってしまえばもう終わりだ。三日とたたず全身に黒斑を浮かび上がらせて死ぬことになる。このまま放っておけば、次から次へと病人が増えていき、このラインフォレストに死体の山が築かれることになるのは確実だ。」

 想像以上の切迫した事態に返す言葉の見つからないカシオ。ブザーはむしろ淡々と言葉を続けた。

「街の有力者たちは出来る限りそれを防ごうとしているんだよ。実際、それぐらいしか手段がないんだ。調査を行った医師の話では、既にスラムの中には病気が広まりつつある。つまり、一刻の猶予もないんだ。」

 ブザーは一旦、言葉を区切った。

「それと、もう一つ。私たちは明日の明朝にこの町を発つ。」

 最後の一言に反射的に顔を上げたカシオの視線とブザーのそれが空中でぶつかった。少年の目には驚きと反発が、男の目には断固とした意思が浮かんでいる。

「今、この街にとどまっても私たちに出来ることは何もない。せいぜい死体の山に自分自身を付け加えるのが関の山だ。」

「でも僕は人の病気には罹らない。看病だけでも」

 カシオは自分の中にこれほどラインフォレストを去りがたいという想いがあることを意外に思った。しかし、それを聞いてもブザーは少しも揺るがなかった。かぶりを振って言う。

「駄目だ。これからこの街は病魔とそれがもたらす不安によって蝕まれ、大きく揺れることになる。混乱が生じて危険は高まるだろう。そして、僕には君を五体満足でリイドの元へ帰す義務がある。この街に君を居させるわけにはいかない。」

 そこまで言って、自分の言葉が相手に確かに伝わったのを確かめると、ブザーは腰を上げた。

「私は下で食事をとってから方々へ出立の挨拶をしてくる。君も親しくなった人たちに別れを告げてくると良い。ただし、スラムのほうへは行くんじゃないぞ。」

 最後にそれだけ言うと、ブザーは出て行った。カシオはそのまましばらく、薄暗い部屋の中にうなだれて座っていた。

 およそ半時間後、食後の茶を飲んでいたブザーは町へ出て行くカシオに気がついたが、あえて声をかけることはしなかった。


 宿の前に立ったカシオは行き先を考えるように辺りを見やった。既に午後も遅い時間だ。間もなく日も傾き始めるだろう。大通りは昨日までと変わらぬのどかな喧騒で満ちているようだったが、それでも人々の囁きや噂話には昨日までとは違う一種緊迫したものが感じられた。

 カシオは歩き出すと、まずはデトミナを訪ねることにした。やはり、町に来て親しくなったのは彼女が一番だろう。

 しかし、パン屋の水車亭でカシオを出迎えてくれたのは店主の妻、セムラ・ブールだけだった。

「すまないね。まだ配達から戻ってきてないんだよ。何か伝えることがあるなら言付かるけど」

 そう言われて、口を開きかけたカシオだったが、いざ喋ろうとしたところでふと言葉に詰まった。というのも何を言うべきか、全くもってまとまっていなかったからだ。顎に手を当ててしばし逡巡した後、結局何も言わずにその場を辞去することにした。

 再び路上に戻ると、足の向くまま神殿のほうへと歩き始める。デトミナにあったらなんと言おうか、などと考えながら歩いていくと神殿の中がなにやら騒々しい。

 門の手前から様子を窺うと、大勢の神官たちが何か荷物を運んでいた。少々、入りづらい雰囲気ではあったが、折角ここまで来たのだからと、イズレイルの姿を探してみる。しかし、外で作業しているものの中には見つけることが出来ず、カシオは礼拝堂へと足を進めた。

 ところが、礼拝堂の前に立っていた錫杖を手にした神官に止められてしまう。

「今は神官長による特別祈祷が行われています。内部への立ち入りは今しばらくご遠慮いただきたい。」

 理由を聞くと神官はそう答えた。カシオがイズレイルの居場所を尋ねると、錫杖で扉を示し「中に居ます。」と短く答えてくれた。


 カシオが神官たちの作業を眺めていると、ほどなくして礼拝堂の扉が開き中から十人ほどの神官が姿を現した。出てきた神官たちはそのまま作業の輪に加わっていく。

 カシオがその中から見つけるよりも先に、イズレイルのほうがカシオに気がついて声をかけてきた。

「やあ、こんにちは。私を探していたそうですが、何か用事でも?」

 快活な笑顔を浮かべる若い神官にカシオも笑みで答える。

「実は、明日この街を発つことになったのでご挨拶に参りました。」

 カシオの言葉にイズレイルの顔に思案げな表情が浮かんだ。

「そうですか。確かに今この街には良くない雰囲気が漂い始めていますから、いいタイミングかも知れないですね。君とはもう少し話をしてみたかったけれど。しかし、短い期間でもこの街の良さは分かってもらえたと思います。この騒動が収まったら、ぜひまた来てください。」

「ええ、次はもっとゆっくり滞在させてもらいます。」

 イズレイルは笑顔と共に右手を差し出した。カシオもそれを握り返す。

「では、すみませんがこれで失礼させてもらいます。ちょっと支度をしなければならないので。」

 そう言って、作業に加わろうとする神官にカシオは問いかけた。

「どこかに行かれるんですか。」

 神官は答える。

「スラムですよ。明日の朝には移動します。何人いるかはわかりませんが、病人を癒すのも神に仕えるものの使命ですから。」

 カシオはもう一度男たちの作業を眺めると、邪魔にならないように静かに門を出た。

 歩きながら、カシオはスラムのほうへ行こうと決めていた。封鎖されることは知っていたが、それでもジアーニやケイナたちのことが気にかかっていた。

 通りを北に向かって進み、スラムの入り口にある橋に近づくにつれて次第に剣呑な空気が漂い始めた。人だかりに、ざわめき、それに何か言い争うような怒鳴り声も聞こえてくる。

 遠巻きにして様子をうかがうと、どうやら橋を封鎖している自警団とスラムの住人たちの間で口論になっているらしかった。

 しかし、揉めているといっても間近で怒鳴りあっているわけではない。自警団はスラムの人間に近づかないように指示がされているのか、長い槍を持ってスラムの住人たちを威嚇していた。その自警団たちと恐らく代官の手勢であろう軽装の騎兵(こちらも長い槍をさげている。)が橋の上に検問を張っているのだった。

 スラムの住人たちは自警団たちに向かって声を上げ、拳を振り上げているが、無理やりに突破してやろうという者は現れていないようだった。

 検問を挟んでスラムの反対側、つまりは街側には事態を心配してきたであろう近所の人々が野次馬となっていた。

 カシオは近づいたり遠のいたり、また左右に移動したりしてあたりの様子に目を走らせた。だが、スラムの中に入り、かつ見付からずに出てくるというのは困難に思われた。

 スラムへ入るための橋はここ以外にも上流と下流に一つずつ、計三つあるが、この調子では他の二つでも同様だろう。

 ジアーニたちに遭うことを諦めざるを得ないという結論に達し、カシオは踵を返した。その時、人だかりの中にデトミナの姿を見つけた。

 その表情は不安に曇り、爪先立ちになってなんとかスラムの方を覗き込もうとしている。

 カシオが声をかけると、少女はどこかホッとしたような笑顔を浮かべた。しかし、それも薄曇りの陽射しのように儚いものだった。

「どうしてここに。ひょっとしてジアーニたちを心配して?」

 カシオはそう尋ねたが、自分の声が妙に上ずっていることに戸惑った。デトミナの不安げな表情のせいかも知れない。デトミナはカシオの様子には気付かなかったようで、スラムへと視線を注いでいる。

「うん、封鎖されるって言うことは聞いてたんだけど、ここまで徹底的とは思わなかったし。それにちょうどこちら側に出てきてる子がいるかもしれないと思って」

「残念だけど、この騒ぎじゃ皆を探すのは諦めたほうがいい。何か物騒なことになる前に一旦帰ろう。」

 カシオが言ったとおり、あたりは検問を中心に殺伐とした空気に包まれている。人垣のなかにも柄の悪い男たちの姿が目に付いたし、彼らは騒ぎに興奮したのか一様に殺気立った目つきをしていた。

 デトミナはカシオの言葉に肯きはしたものの、簡単には諦めがつかないのか、中々その場を離れようとはしなかった。


 カシオは思い切って彼女の手をとると、先にたって歩き出した、デトミナは少し躊躇う様子を見せたが、

「あんな吹きっさらしにいつまでも立っていて体調でも崩したら、それこそあの子達は悲しむよ。」

カシオがそういうと、大人しく後について歩き出した。

 二人はそのまま並んで歩いていく。手はつないだままだ。その沈黙を破ったのは、それまで何かを考えている様子だったカシオのほうだった。まだ、スラムのことが気になっているのだろう、チラチラと後ろを振り返っているデトミナに言う。

「みんなの様子なら僕がなんと見てくるよ。日が落ちれば人も減るし、警戒も緩むだろうから。」

「それは、」

 カシオからの唐突な提案にデトミナは短く声をあげたが、その顔には「止めなければ」という理性的な思いと「子供たちのことを知りたい」という孤児たちへの心配がせめぎあっているのが見て取れた。

 そんなデトミナの様子を確かめてから、カシオは言葉を続けた。

「実は、明日の朝にこの街を出ることになったんだ。それで最後にジアーニたちにも挨拶しときたいと思ってね。だから、別にデトミナのために行くって訳じゃないから。もちろん、危ない真似はしないようにするけど」

 少女はショックを受けたようだった。少年の手を握っていた左手が一瞬震えた。

「そっか、でも、しょうがないね」

 顔を上げてそういった時の少女の表情に、カシオは何故だか胸が苦しくなるような心地を味わった。言葉が出てこなくなった少年を、デトミナはもう一度目に力を込めて真正面から見つめた。そしてまるで詰め寄るように語気を強める。

「絶対、危ないことはしないでね。カシオはさっき、私が怪我したら皆が悲しむって言ったけど、カシオが怪我をしても同じだからね。」

 半ば勢いに押されるようにしてカシオが肯くと、それを見てデトミナは微笑んだ。

「それから、絶対また来てね。この街に」

「うん、約束する。絶対にまた来るよ。」

 カシオは確固たる意思を込めてそう言った。


 数秒間、見つめあった後で、自分たちが街中の大通りまで戻ってきていたこと、その往来の真ん中で手を握りあったまま見詰め合っていることに気がついた二人は、あわてて手を離すと妙にせわしない仕種で歩き出したのだった。

 見れば、あたりは既に夕闇に包まれている。デトミナはやっと自分が配達の帰り道であることを思い出した。

「ゴメン。私、配達の途中だったんだ。早く戻らないと」

 デトミナはそう言って駆け出そうとする。カシオはそんな少女に目配せすると自分も並んで走り出した。振り返った彼女に「折角だから」と声をかける。

 水車亭までの道すがら、二人の顔にはどこか楽しげなはにかみの表情が浮かんでいた。

 店の前には帰りの遅いデトミナを心配してだろう、店主のガレットが腕を組んで立っていた。なんとなく睨まれているような気がしてカシオは頭を下げる。デトミナも帰りが遅くなったことを謝った。無骨な顔つきをしたパン屋のオヤジは二・三度肯くと店の中へ戻っていった。

「じゃあ、またね。明日は見送らせてもらうね。家には帰れないし、今日はお店に泊めてもらう事になったから。」

「ああ、街を出る前にみんなの様子を伝えに来るよ。」

 店の前でそう告げて、カシオはデトミナと別れた。

いちゃついてる場合じゃないっすよ。

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