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愛に生きた___の話。

作者: 歩歩

◆誤字脱字等ありましたらご一報ください

少し昔、この世界は絶望の境地に立たされていました。

ただ一人、絶大な魔力と力をもって魔物を統治し、人を滅ぼさんとしていた魔王によって。

幾多もの勇者が現れては敗れ去り、幾多もの最高の魔術師が現れては消えていきました。

そんな混沌たる時代に光をもたらし、魔王という名の曇天を晴らした男。

勇者を超えた英雄とでも言いましょうか、彼は幾多もの人が挑み殺された最悪たる魔王にただ一人で挑み、そして、魔王をこの世界から消し去ったと、言われています。

しかし、断言はされていません。何故ならば、彼は帰ってこなかったから。

単身魔王の城に飛び込む彼を、人は無謀と笑いました。単身魔王に挑まんとする彼を、人は呆れて罵倒しました。それでも彼は魔王城に乗り込んでいきました。

その、三日後―――。

世界を震わせるとてつもなく大きな地鳴りと共に、魔王城が崩れ落ちてゆくのを、世界中の人々はその身をもって体感することとなりました。

以来、魔物に襲われるどころか、一匹たりとも姿を現すことは無くなりました。

世界各地に存在した迷宮の口も閉ざされ、暗黒の森と呼ばれた魔物どもの巣窟には木々の間から光が差し込み、妖精たちが踊るようになりました。

魔王は死んだのです。この世界の脅威は消し去られたのです。

誰もが男を称えようと待ちました。誰もが男の帰還を望みました。誰もが男の勝利の叫びを今か今かと……。


それから、もう十年の月日がたとうとしています。

英雄は今なお帰ってくることは無く、人々の間では相討ちだったのだと語られるようになりました。

調べようにも魔王の城さえ跡形もなく地に沈んでしまったのですから、確かめる方法など存在しそうにもありませんでした。


この世界に、真相を知るものはいないのです。

いなくなってしまったのです。


私、以外は。



私がここで語るのは愚かな男の話です。

私がここで語らんとするのは、盲目な愛に生きて死んだ馬鹿な男の話です。

幸せを手にするどころか、望みさえしなかった哀れな男の話です。







男にはいつだって傍に愛しい幼馴染が居ました。

傍らに寄り添って。

小さな村で二人は生まれ、共に育ち、あと、少しで、成人を迎える時になりました。

小さな村でした。森に囲まれた、国の中でも辺境の地。

魔物の森、暗黒の森に一番近い村。いつだって、その村は滅亡の淵に追いやられていて、人は、生き抜くことを諦め、邪なるモノの陰に怯えながら、それでも生きていたのです。

そんな村でもささやかな幸福がありました。

ささやかな、ささやかな幸せ。例えば無事に作物が育つだとか、例えば愛する者と結ばれるだとか、例えば愛しい人と子を育てるだとか、例えば、例えば、例えば。

死の淵で怯え暮らす人にとって、当然ともいえる幸福は奇跡と呼べるものでした。


男は漠然と、成人すれば愛する幼馴染の少女と結婚するのだろうと思っていました。

まわりも、それを当然と考えていましたし、当の少女もそうなるのだろうという思いを抱えていたと思います。


しかし、その認識は突如として理不尽に、崩されることになったのです。



村が。

気まぐれに、壊されました。

気まぐれに、滅ぼされました。

気まぐれに、皆殺しにされました。

それは、本格的に魔王が大国を滅ぼすための開始の合図であり、人にとって滅亡のカウントダウンの始まりでした。


一人、生き残った少年は見ました。

村一の美貌と優しい心根をもった幼馴染が、村を滅ぼす魔物を率いた一人の魔人に連れて行かれるのを。

一人、残された少年は茫然としました。

自分がそれだけちっぽけで弱い存在なのか、唐突に事実を押し付けられたことに。

ぽつりと雨が落ちてきたと言います。ぽつり、ぽつりと重ねるごとに増える雨。最終的にたたきつけるように、全て洗い流すように、全てなかったことにするかのような大雨に。

男は、叫びました。

泣くように叫びました。笑うように叫びました。怒ったように叫び、狂ったように叫びました。

頬をつたうそれが、雨なのか涙なのか判別がつかないほどでした。







男はすべて忘れたように、生きました。

何もない、空っぽで、自暴自棄にさえなっているようで、諦めに諦めて、すべてを捨て去ってしまったかのように。

気まぐれに剣をふるい、浴びるように酒を飲み、狂ったように魔物を殺し。

いつの間にか彼は勇者と呼ばれ、最強の座に押し上げられました。

何処を見たって、勇者なんて輝かしいものではなかったというのに。


彼は、運命の波にもまれ、流され、いつだってなるがままに。


男が魔王の城へ行くことになるのも当然だったように思います。

その為に何人もの人間が、従者として選ばれ鍛え上げられました。

当の勇者だけが、何よりも冷めていました。


それは、運命だったのだと彼は言いました。

残酷無比な、偶然(うんめい)だったのだと。


また、一つ町が壊された時でした。

魔王はゆっくりと、じわじわと、王都の街を削っていきました。嫌味なほど丁寧に、すべての街を更地にして。

しかしその街は少しばかり例外でした。生き残りが居たのです。幼い少年だったと言います。

少年は言いました。街には魔人が直接赴いていたのだと。そして魔人の傍らに、美しい長い栗毛と藍色の瞳を持ったそれはそれは美しいまるで、お姫様のような女人が、悲しげに眼を伏せ立っていたのだと。


男の愛した幼馴染と同じ色でした。

彼女の髪は柔らかい栗色でした。彼女の瞳は知性を秘めた藍色でした。


希望を持った男を、一体だれが責められましょう。

生きているかも、どうなったのかも分からず、ただ魔人に目の前で浚われてしまった彼女が生きてるかもしれないだなんて。

ずっと諦めてしまっていたのです、男はそんな自分に苛立ちました。

ずっと目を背けてきたのです、男はそんな自分を許せるはずがありませんでした。


阻む人の手も、止める人の手も、すべて振り払って。

彼は一人、たった一人で、魔王の城に向かいました。

別に、魔王なんか倒せなくったってよかったのです。

別に、この世界が滅びようがどうせ死ぬのは変わらないのだからと思っていたのです。

ただ、もしも、もしも本当に。魔人の傍らにいたのが彼女だというのなら、生きているのならば、せめて、彼女と一目会って。彼女を少しの間だけでも逃がせたなら。


ほんの一瞬でも、また彼女と過ごせる可能性があるのなら。







ボロボロになってたどり着いた玉座の間。

もう死ぬのだろうと思っていたのだと彼は言いました。

魔王は初めてそこまでたどり着いた彼に、驚き、笑いそして問いかけました。


「何をそこまで望むのか。何にそこまで執着するのか」と。


栗毛の藍色の瞳の女が、魔神の傍らに立っていたと聞いたのだ、と。彼は答えました。

魔王は笑いました、声をあげて、馬鹿にするように、敬意を表するように。

ただそんな、淡い希望の為だけに。

今まで崩れることのなかった魔王軍は崩され、玉座まで勇者はやってきたのだという事実に、魔王は笑いました。


そして、

「会いたくば、我を倒すがよい。あれは我の妃である」

と。

男を前に、静かに笑って言いました。



そこからの戦いを男はちゃんと語ってはくれませんでした。

ただただ必死で、覚えていないと言いました。

その時の戦いで右目を失い、右半分にやけどの痕が残った顔で苦笑に似た笑みを浮かべながら、男はそう私に語りました。



それでも、男は認めたそうです。

感じ取ったそうです。

絶望的なほどに、理解してしまったそうです。


――魔王は、彼女を愛しているのだと。

――妃と呼ぶ女性を、人間を、本当に愛してしまっているのだと。


男も必死で、魔王も必死であるのだと。


そして男は、泣きながら魔王の心臓を貫きました。

その時胸に抱いていたのが、敬意だったのか、親愛だったのか。

初めて会い、何処まで行っても敵だった、種族さえ違う男に、男の愛に。

友情だったのかもしれないなと、彼は言いました。




女は、玉座の間の奥、隠し扉を抜けたその先に、静かに椅子に腰かけていました。

その膝の上に、魔王と同じ漆黒の髪と女譲りの藍色の瞳を持った、安らかに穏やかに眠る女の幼子をのせて。

そして男に向けて、泣きの入った苦笑をうかべて、静かに、静かに、消え入るような声で。


「ひさしぶり」








女は言いました。

ごめんなさい、と。

男の傷の手当てをし、ひどい顔のやけどに表情をゆがめながら。

ごめんなさい、と。

謝る女に男は何も言えず、ベッドに寝かされた幼い少女を見ていました。

ついさっきまで、大地さえ揺れるほどの激戦を繰り広げていたとは思えぬ、穏やかな時間でした。


「魔王は、君を愛していた」

「……うん」

「その子は」

「私と、彼――魔王の子」

「やっぱり、そうなのか」

「うん。……ごめんなさい」


手当てをし終えて、女はベッドの脇に腰掛け、幼子の柔らかな黒髪を撫ぜ、金色の産毛のはえた柔らかな桃色の頬を撫ぜました。


「最初は、怖かったわ。殺されるのだと思ってた。彼――魔王が、何故私を選んだのかなんてわからない。彼は、本当に魔王なのか疑うほど、私にだけ優しかった」


独り言をつぶやくように女は、子の頬を撫ぜ、髪を撫ぜながら、言いました。


「そのうち、私も彼を愛してしまった。彼の愛は、不器用だったわ。不器用で優しかった。その不器用さを、愛しいと思ってしまったときは、すでに、遅かったのでしょうね。私は彼を受け入れて、子供まで宿してしまった。この子を、産み落としたときに私は、もう、戻れないってわかってた」


一瞬目をふせ、彼女は男を見る。

藍色の目にどうしようもない悲しみが宿っていることに気づいた時、男もまた、どうしようもない悲しみに襲われました。


「貴方が、嫌いなわけじゃないの。憎い、わけでもない。ただもう、私はね。戻れないの」


その意味を敏感に悟ってしまうほど、男は運命に揉まれ、歴戦に揉まれてきてしまっていました。

その瞳に宿る決意を理解してしまうのは、男も似通ったものを抱いてしまっていたからでした。


「私はこれから、貴方にひどいことを言うわ。これから、貴方の気持ちを、思いを利用するわ。そして、許してって言えるほど、私は愚かじゃないつもりよ」

「そうだね、君はずっと、賢かったさ。村で一番、神童だって言われるくらいに」

「貴方は、武芸で天才って言われてたわね。辺境の村の警備兵で、終わらせるのなんて惜しまられるくらいに」

「でも、結局俺は守れなかった。天才とはやし立てられようが、生まれ育った小さな村ですら、君さえも。―――いいんだ。俺は自分勝手と言われようが、それが的外れだろうが、君に償いたい。そう思って、ここまで来たんだ。その一心で、君の愛する(まおう)を殺した」



「この子を連れて、逃げて下さい。この子を育ててください。この子――魔王の娘を、人の手から守ってください。この子が、魔王と同じことなど考えないように、育ててください。この子を幸せにしてあげてください。この子が、幸せに生きていけるようにしてください。自分勝手な願いです。厚顔無恥は重々承知です。でも…」



「それ以上、言わなくていいんだ。引き受ける」

「……貴方は、栄誉を捨てることになる。一生、遊んで暮らせるほどの財宝を、送られることにもなるでしょう。全部、捨てるの」

「君の為なら」


男は短くそう答えて、彼女から幼子を少しこわごわと受け取りました。

彼女は一瞬幼子の額に口づけを落として、祈りの言葉をささやきました。


「この子の名は?」

「リューレンヌ。歳は五歳」

「わかった。……君は」


女は静かにほほ笑みました。柔らかく、やさしく、聖母のようにただただ残酷なまでに優しく。


「すぐに、城を出て。早く、城から遠くへ逃げて」







そして、男は逃げました。

幼子を抱え、剣だけをぶら下げて。

森の木々のあいだを、全速力で。

一瞬強い耳鳴りがして、次の瞬間轟音と共に地面が揺れました。

男は子どもをかばうようにしてうずくまり、その地鳴りをやり過ごしました。

どれほど、それが続いたでしょうか。

顔をあげ、城のあった方向を見れば、その姿は跡形もなく。がれきさえも見つからず、すべて地面に還っていました。


「かあさま? とおさま?」


小さな声で子供を見れば、目覚めた子供はきょとんとしてあたりを見渡していました。

幼いながらに何か感じるものがあったのでしょう、声をあげ泣きだしてしまったその子を抱き上げて、抵抗するように暴れる小さな体を抱きしめて。

男は、大国のあった方向とは逆に走り出しました。

溢れる涙に、気づくこともなく。ただ、その腕に抱かれた幼子は男の涙に暴れるのをやめ、自分を抱くその腕に温かさを感じ、その胸に顔を押し付けて泣きました。


もう二度と、母様の優しい子守唄を聞くことも、父様に抱き上げてもらうこともないのだと知り、彼に頼るしかないのだと理解して。

父様とは違うたくましい腕の中で、泣き疲れてまた眠ってしまうほど。







彼はそうして十年、幼子――私を育て上げました。

もし私の存在が知れても、生き延びていけるようにと、直々に剣と魔法をたたき込み。

世界中、一か所にとどまることなく旅をして。

彼が作る魔法道具を売りながら。

平和になった森で野宿することもあれば、湯浴みのできる高い宿に泊まることもあって。

彼は私に金を使うことを一切ためらいませんでした。


私が、成長すればするほど、彼は衰えていきました。

人よりも、彼の衰えは少し早かった。

母様が生きていることを知るまでの、自暴自棄な生活がずっと体に響いていて、父様との戦いは彼の体にとどめを刺していました。

体が動かなくなっていく彼を見せた医者は、驚きに目を見張っていました。

何故この傷で生きていられるのか、と。


母への執着ともいえる愛で世界の脅威だった魔王を打倒した、彼の理屈離れした精神力は、この時までずっと生きていたのでした。本当は、本当に伝承通りに相討ちでもおかしくはなかったのです。

そんな状態で、ただ母の願いをかなえるためだけに、私を育てるためだけに、私に手がかからなくなるまで、生きていたのです。


親代わりだった彼の傍を、私は離れようとしませんでした。

泣きながら手を握り、泣き疲れてはそのまま眠りました。

彼はもう、半分眠ったような状態で、時折水をスプーンで流し込んで、食事も同じように具がぐずぐずになるまで煮込んだスープを流し込みました。

そうして、そんな状態が一週間ほど続いた日、彼は目を覚ましました。

フラフラの状態で、私の手を借り起き上がり、医者を呼ぼうとする私を引き留め、そして、今私が語った彼の一生を静かにかすれた声で、時折せき込みながら語り始めたのです。長い、長い、彼の一生を、語り終えたのです。

語り終えた彼は強く私の手を握ってかすれた声で一言だけささやいて、母への愛に費やした時間を終えました。







愚かな、男の話です。

愛に利用され、終わらない愛に呪われて生きた馬鹿な男の話です。

たった一人の女への、愛に生きた、英雄の話です。






愛に生きた、私の父さんの(じんせい)です。


「リューレンヌ、君は両親に愛されていた。幸せに生きろよ」


育ての父の最期の言葉。


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[一言] とても幸せで切ないお話でした。きっと語り部の彼女は強く生きることでしょう。良い話をありがとうございました。
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