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風間に咲く花  作者: 奏多悠香
本編
8/35

7 弟

「弟さんが?」


 目の前に座る芹菜さんの質問に、私はこくりと頷いた。


「そうなんです。日本に留学するとかで……」


 言ってから、あぁこれはおかしいかもしれない、と思った。

 芹菜さんも祐樹さんも怪訝な顔をしている。

 そりゃあそうだよね。日本人が日本に留学するわけはないから。


「あの、弟はアメリカ人なんです」

「あら、そうなの?」


 祐樹さんとご飯を食べた翌日、私は思い切って芹菜さんに連絡をした。そして2週間後の今日、祐樹さんと芹菜さんと一緒に食事をすることになったのだ。会社から少し離れた場所にあるイタリアンのお店は地中海をイメージした明るい雰囲気で、インテリアの細部までこだわっているのが見て取れた。

弟がアメリカ人、という言葉を咀嚼しきれていない二人の様子に、私は慌てて説明を付け加えた。


「母がアメリカ人で、幼い頃に両親が離婚して母はアメリカに戻っていたので。向こうで再婚して弟が生まれていたみたいなんです」

「生まれていた、みたい……?」


 祐樹さんに問われ、私はうなずく。


「はい、今まで知らなくて」


 あの日、家の前で私を待っていたのは見たこともない男の人だった。薄茶色の髪の毛にヘーゼル色の瞳をした青年。「マリカ!」と言って嬉しそうに手を差し出されたが、私の頭の中は疑問だらけだった。

 誰、この人。どうして私の名前を?

 だけど、本能というのか何なのか、差し出された手と彼の表情を交互に見つめていたら、何となくわかってしまった。誰か、母につながる人なのだろうということが。


『はじめまして、マリカ! 僕、ラルフ!』


 元気よく名乗った彼は19歳で、正真正銘私の異父弟だという。母は父との離婚後アメリカの実家に戻り、数年後に子連れのアメリカ人男性と再婚した。そして生まれたのが弟。見せられた家族写真の幸せそうな一家の像に、胸の奥がつきりと痛んだ。お父さんと、お母さんと。当たり前のように寄り添う家族の像。

 弟を見た父の表情は何となく複雑なもので、父の気持ちを慮ろうと自分に当てはめて考えてしまって、気持ちがまた大きく波立った。父にとってこの弟は、私にとっての廉の子どものような存在なのかもしれないと思い当たったからだ。


『僕のことを全然知らないってことは、マリカはマムからのカードを読んでないんだね?』


 そう言われ、私はぎくりと肩を揺らした。

 母は家を出て行ってからも毎年、私の誕生日とクリスマスには必ず小さなプレゼントとカードを送ってくれた。

 でも私は、そのカードを読んだことはない。プレゼントを開けたこともない。どちらも段ボールにしまいこんでそのままだった。

 何となく、父に対する裏切りのような気がしたのだ。

 私と父を置いて出て行ってしまった母と連絡を取り続けることが。


『マムはいつもマリカの写真を持ち歩いていて、僕や兄さん、父さんによくマリカや日本の話をしてくれたんだ。だから僕は小さいころから日本が大好きだったんだよ。それで日本に留学することにしたんだから! マムはマリカのことをすごくすごく愛してるのに!』


 突然そんなことを言われても。



***************



 あの日のことを思い出して重いため息をついた私に、芹菜さんは仕草で目の前のピザを食べるように促し、そして尋ねた。


「……お母さんとは、全然連絡を取ってなかったの?」

「はい。何ていうか……意地のようなもので」

「そっかそっか。」


 気持ちわかるわ、と芹菜さんが頷き、私はえっ? と聞き返した。


「うちの両親は離婚はしていないけど…父が全く家庭を顧みない人だったのよ。だから、父親なんていなくてもしっかりやれるんだから! っていつも思ってた」

「そうですか」

「でも大人になってからは少しずつほぐれて来たかな。今は時々父とも食事をしたり。それも、ここ数年のことだけど」

「そうなんですか」


 それから何か言いかけた芹菜さんをそっと祐樹さんが肘でつつき、「姉貴、その話はもういいから」と言った。

 芹菜さんは「あら、ごめん」と言って話を切り上げる。

 どうやら祐樹さんは家族の話をあまりしたくないみたい。


「……あら……? 祐樹、携帯、鳴ってない?」


 一瞬訪れた少し気まずい沈黙に、くぐもったブーンという音が聞こえた。


「いや、俺じゃないよ」

「私でもないわ」

「あっ」


 私は自分のカバンに手をやって、小さく震えるスマホを取り出した。

 ディスプレイには“Ralph”の文字。


「あ……噂をすれば……」

「あら、弟さん?」

「ええ」

「出たら? ここで出ていいよ。外は寒いし。俺たちは気にせず食ってるから」


 祐樹さんのありがたいお言葉に画面をタップした。

 もしかして、何か困ったことでもあったのだろうか。そんな不安が一瞬頭をよぎり、スマホを耳に押し当てる。


「もしもし?」

『ハーイ! マリカ! 今、どこ?』


 いつもの癖で日本語で電話に出ると、すぐに馬鹿でかい声が返ってきて思わず携帯を耳から遠ざけた。


『どこって……』

『僕今、マリカの会社の前だよ!』

『え? どうして?』

『この間話した時に会社、教えてくれたでしょ? 今日近くを通りかかったから来てみたんだよ! マリカ、会社にいるの?』

『もう出たよ』

『ええっ!?』


 漏れ出す大きな声が祐樹さんと芹菜さんの耳にも届いたのだろう。

 二人は顔を見合わせてクスクスと笑い、それから「茉莉花さん、ここに呼んじゃえば?」と言った。


「え、あの、でも……」

『何? マリカ』

『なんでもない』


 電話の向こうの弟にそう返し、祐樹さんと芹菜さんには軽く首を振って「いいんです」という意志を伝える。


「俺たちはむしろ会ってみたいくらいだよ。茉莉花さんが嫌じゃなければぜひ」

「人数多い方が楽しいじゃない。ね?」


 芹菜さんの一声に押され、私は頷いた。


『ラルフ? 今お友達と食事をしてるんだけど、ラルフも来る?』

『行く! どこ?』

『どこって言ってわかるの? 迎えに行った方がいい?』

『地図のデータをメールで送ってくれれば大丈夫だよ!』

『わかった。じゃあ今送るから、ちょっと待ってて』

『了解!』


 結局、全然大丈夫ではなかった弟を駅まで迎えに行き、レストランに戻った。

 祐樹さんと芹菜さんはレストランに入った私たちの姿を認めるとすぐに立ち上がり、ラルフと私を迎えてくれる。


『ラルフ、こちら祐樹さんと芹菜さん』

『ユーキサン、セリナサン! 初めまして!』

『はじめまして。ユーキ、セリナって呼んでくれていいよ』


 祐樹さんの口から出てきた流ちょうな英語に驚いた。ラルフを呼んでもいいよって当たり前のように言ってくれたくらいだから話せるのだろうとは思っていたけど。


『僕のこともラルフでいいです!』


 弟の声は相変わらず明るく元気で、語尾のすべてに「!」マークがついていそうな感じだ。

 挨拶もそこそこに椅子に座り、芹菜さんが明るく『ラルフはアメリカのどこ出身なの?』と聞いた。こちらも流ちょうな英語。

 倉持常務と祐樹さんが昔からの友達だって聞いたときから何となくそんな気はしていたけど、どうやら祐樹さんと芹菜さんはかなりハイソな人たちみたい。


『カリフォルニアです!』

『あら、祐樹、カリフォルニアですって』

『ユーキはカリフォルニアに来たことがあるの?』

『もう随分前だけど、高校時代に1年間LAに留学してたことがあるんだ』

『LA? じゃあすごく近いよ! 僕の家はIrvineなんだ!』

『アーバイン。なつかしいな』


 LAはさすがにわかるけど、Irvineという地名がてんでわからないので、私は会話に混ざることなくふんふんと頷いていた。弟も楽しそうだし、祐樹さんも楽しそう。

 それにしても、高校時代に留学かぁ。すごいなぁ。経済的にも、そしてその意識の高さも。

 そう思いながらパスタを頬張ったところで、芹菜さんがニューヨークの大学を卒業したという話に至って私は確信した。やっぱり、只者じゃないみたい。このご姉弟。


『マリカは?』


 突然話を振られ、口に入れたばかりのトマトソースの酸味が喉をついて思わず咳き込みそうになってしまった。


『ぐっ……なにが……?』

『アメリカ、来たことある?』


 母の母国なんだから当然来たことあるんでしょうとでも言いたげなその口調は、質問と言うより確認だった。

 が、私はあっけなくその期待を破る。


『日本を出たことない』

『え?』

『へ?』

『あら?』


 三人三様の驚きを見せられ、私はテーブルの上のグラスを取って水を飲んだ。

 何を隠そう、私はアメリカどころか海外に行ったことがないのだ。

 大学時代には周囲の友人が海外旅行に行ったりもしていたし、誘われたこともあった。でも海外旅行となると父親を一人置いて長期で家を空けることになってしまうので、なかなか踏ん切りがつかなかったのだ。

 それに当然、海外旅行にはお金がかかるし。

 コツコツと貯めていたバイト代を一度の旅行で使いきってしまうという決断は、そう簡単ではなかった。

 当たり前のように海外旅行に行ける人ばかりではないんですよ、とついつい思ってしまうのは、ひがみ根性が強すぎだろうか。

 涼しい顔で水を飲み干すと、ラルフが目を見開いたまま聞いてくる。


『じゃあ、なんで英語話せるの?』



 その言葉に祐樹さんと芹菜さんが頷いているのを見て、ああ、なんだ、と思った。

 イマドキ海外行ったこともないなんて! という驚きではなかったみたい。

 ちょっと考えすぎちゃった。


『こんな顔をしてるから、英語も話せて当たり前っていう目で周囲から見られるでしょう? それが癪で、猛勉強したの』


 母が出て行ってしまう前は母と英語で会話したりもしていたそうだけど、それはいわゆる幼児語だったし、母がいなくなって使わなくなってからはすっかり忘れてしまっていた。そのまま中学生になって、英語の授業中に同級生から言われたのだ。


 ――ハーフなのに、しゃべれないの?


 無邪気に問われ、のどの奥でぐぬぅという音が出たのを今でも覚えている。


『マリカっておとなしいのかと思ったけど、負けず嫌いで頑固だよね。マムのカードも頑なに無視し続けてさ』


 ラルフの言葉に私はふーっと細いため息をつき、アンチョビのピザを口に押し込んだ。

 口数が少ないのは父譲り。

 でも父は柔軟で頑固とは程遠い人だから…


 頑固なのはたぶん、母譲り。




英語力の問題により、英語のセリフは『』で表現させていただいております(^_^;)

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