或る青年の多世界構想論
ふと、窓越しに外を見てみれば、其処にはまだ白い雪は降っていなかった。
見えるといえば、住宅街に沿って建てられた電柱と電灯ぐらい。後は、その家々の住人が中で年明けを待っている事を証明する、その家庭の照明ぐらいだろうか。
...自分で言うのもなんだが、今のは無かった。どう見ても親父ギャグである。
そんなどうでも良い事を考えながら、自分は部屋の中を寒そうに、ガタガタと震えながら歩いていた。一人暮らしと言う奴は気楽で良いのは良いのだが、懐に余裕が無いときはとても厳しい暮らしになってしまうのが難点である。つまり、この部屋には暖房が余り効いていない。効いていないと言うより、堂々と暖房を付けられない。
そうして寒さに耐えつつも、足を運んだ先にあった冷蔵庫にやっと辿り着くと、その中にあったペットボトル...中身お茶、をさっと取り出す。キンッキンに冷えたお茶だ。そう、自分は例え寒くても、お茶は冷えていないと喉が潤う気がしない派である。いや、他にこういう人がいるかなんて、知らないけども。でも、普通なら、生暖かいお茶を飲んでいる人が多いかもしれない。
再度どうでも良い思考に走り、ペットボトルの中身をラッパ飲みしつつ、次に向かうはこたつ。日本人が生み出した、最高にして至高の暖房具だ。冬といえばコイツとみかんと言う様に、ご存知の通り認知度も非常に高いこたつは、我が家では冬を越すのに必須なアイテム。もし是が無ければ、たちまち自分の身か懐が寒くなる所であろう。
そうして十分に暖めた後に電源を切り、今では薄い毛布が入っただけのこたつに足腰を突っ込ませた。暖めた後なら電源を切っても問題は無い、筈だ。毛布も入れてあるから、さほど寒さは感じない。
その温かさが無くなるのは、大よそ年越しを迎えたあたりか。
そんな事を考えながら、その年越しが後三十分前にまで迫る事を、やや古い型のテレビの中の司会者が伝えた。よくある年越し番組であるそのスタジオでは、ゲストやら何やらが大いに盛り上がっている様子だ。
自分も、ああ、もうこんな時間なのかと、心の中でしみじみと呟く。この家での生活が始まり、そしてこの家で年越しを迎えること、早三年。つまり自分は、この家ではこれで三度目の年越しを迎える事になる訳で。そして来年になれば、とうとう大学に入学することになって。
自分の目標、夢への過程、その一歩をまた、自分は踏み出すことになる。ゲームクリエイターと言う、この現代社会ではややありふれているかもしれない夢、目標。自らの創造意欲を試し、全て其れにつぎ込むと決めた時から志した、自らにとってそうだと思える天職。ネットでたまたま見つけたあるサイトでの小説活動も、その為に行ったものであったと、懐かしい記憶が蘇る。その他、所謂黒歴史ができたのも、丁度あの頃だっただろうか...
...話がずれた。いや、思考がずれた。兎に角、大学に入れば、その領域に本格的に入れる。自分自身、大学生になった頃から、クリエイターとしての道へと進みだそうと考えていた。そう、大学からが、自分の人生にとっての真の本番なのだ。
そんな事を考えていたからか、ふと気が付くと、自分の体の中がとても熱くなっていた。他人からすれば大人気なく聞こえてしまうかもしれないが、こういう風に深く考えに至ると、どうにも自分は内面的に興奮してしまう。
...そうだ。いっそ、このまま年明け前まで、思考の海に入ってみることにしよう。こたつの温もりが其れまで続くとも限らないし、テレビの内容は毎年同じ様な感じで見ているだけでは飽きていたところだ。
と、なると、題材は何にしたものだろう...
...ああ、そうだ、多世界構想論にしよう。アレは、まだ、整理をつけなければならない箇所もあるし、あの理論は自分のネタの根本である。年明け前にそんな思考をしても、悪くは無いはずだ。
そうして、その考えに至った時、自分は何時ものように、すぐさま思考の海に入っていくのを感じた。
世界とは、何か。世界の誕生は、何時なのか。そもそも、世界とは何か。其れが指し示す意味とは。世界=宇宙であるのか。異世界、及び並行世界は存在するか。
それらの疑問、又、自分が小説書きとして活動していた頃の作品の下地、世界観設定の為の基礎、ベースとして考案したのが多世界構想論、である。
その理論は、原始、世界は曖昧にして区切りの無い空間であり、その原始たる始祖の世界は、我々の知りえぬ何かに溢れていただろう。と言う、言葉で始まる。
世間では、世界...此処では一先ず、世界=宇宙である、と仮定する。宇宙と言う言葉自体様々な意味を持つが、今回の場合は実際に今ある宇宙空間全体、と言う意味だ...は、ほぼ虚空も同然の空間であった。其処がビックバンと言う、とても巨大な力、或いはエネルギーに影響され、変化を促された。自分のいる地球での世界では今のところ、其処から永い月日を掛けて今の宇宙を形成していった事になっているのだが、果たして其れが事実であるかと言う保証は、まだ出来ていない。まだ、その事実を事実として確定出来るほどの科学力を持っていないのだ。
故に、その未知の領域は、想像(創造)の余地がある訳で。何やかんやと設定付け、自分はこの世界の他に、異世界、並行世界が存在するという、多世界構想論を打ち立てる事が出来た。自分でも独特的(と、言うより、こじつけか?)と思えるこの理論によって、自分の創作世界の形は定められた。
さて、やや話が脱線したが、理論における最初の言葉、の意味を紐解いていこうか。他人にも、分かるように整理しながら。
先ず、原始、世界は曖昧にして区切りの無い空間であり、について。
この行が指し示す意味は、ビックバンが発生する以前の世界の事だ。その頃の宇宙は、虚空の中に塵が漂っていただけの状態だったらしい。所謂、無、と言う奴と同じ状態だったのだろう。それ故にこの時にはまだ、異世界も並行世界も出来ていない。
そもそも、最初の言葉の始めの行では、世界は本当に唯一であり、只其れだけしかなかった、と言うのだ。例えるなら、中身は入っていないようで実は大量の塵で詰まったボール、と言った所か。
そして、そんな状態であるからには、同時に何かしらのエネルギーで満ち溢れていたのではないだろうか?
これを指し示すような言葉が次の行、その原始たる始祖の世界は、我々の知りえぬ何かに溢れていた、だ。
自分の中での仮定、推測、又、其れらしい記述があった実際の文献に従って、この最初の世界...原始たる始祖の世界は、無でありながらその空間その物が膨大なエネルギーで溢れていた。と、理論ではそう言う事にされている。
その時のエネルギーは一体どれ位の物になるかは、自分には到底想像も、創造も出来ない。後々の今の宇宙を形作りながら、その空間を膨張させていったのだから、その量はスーパーコンピューターを用いても量り知る事は叶わないかもしれない。
だが、だからこそ、其れほどのエネルギーとビックバンの影響を受けて、異世界と並行世界が誕生できるような理論が成り立つと、自分は考えている。
さて、次はお待ちかねの異世界、並行世界についてである。因みに、最初の言葉、の様な説明的文章は無い。正確には、まだ考えていない。
そうそう、異世界、並行世界と言う言葉自体は、世間的には余り聞かない言葉だろう。只、自分の様なネット小説書き、或いは小説(又、ラノベ)読みには馴染みのある言葉である筈だ。
と言う訳で、異世界について整理がてらに、知らない人向けの解説をしてみようか。
異世界とは言葉の通り、異なる世界、と意味を持つ単語だ。分かりやすい例を挙げるとすれば...この現代世界と、魔法などの現代世界とはかけ離れた要素を持つファンタジーやSF的なゲームでの世界。そのお互いがお互いに、異世界と呼べるのだ。
纏めると、Aと言う世界の惑星、α。そのαにて主を占める何か、+。と言うのが、あるとしよう。そして其れとは別に相対する、或いは異なる形で存在する、Bと言う世界の惑星、β。そのβにて主を占める何か、-...この二つの世界が存在すると仮定すると、この例の様な規模の世界を、お互いに異世界と呼ぶのだ。
...と、まぁ、こんな所だろうか。まだ、言葉足らずかもしれないで、もう少し補完しておく必要があるかもしれない。
では、並行世界とは何か?今度は、その説明をしよう。
並行世界とは、呼んでその字の如く並行する世界、と言う意味の単語だ。分かりやすい例を挙げると、この現代世界と、その現代世界に限りなく似た、或いは類似する点の有る世界。このお互いがお互いに、並行世界と呼べる関係だ。異世界との違いは、根本が同じで、その過程に違う箇所が見られる所である。
またまた纏めよう。Aと言う世界があるとして、このAと言う世界では1と言う歴史を辿る惑星があった。その惑星は、ある時期では1+1と言う歴史を辿る予定である。だが、これは1+2と言う歴史を辿る可能性もある。この可能性その物が並行世界が出来る可能性であり、つまり並行世界とは、ある世界の可能性、であるのだ。自分の理論においては、その並行世界は現代世界に沿う、或いは派生する形で存在する。いや、今も尚、誕生しているといった方が正確だろうか。果たして、一体どの程度のラインで並行世界が誕生するかは定かではないが。
この並行世界についての考えは、考えれば考えるほど規模が大きくなってしまう。極端な話、今此処でこうやって思考をしている訳だが、思考をしない並行世界があるかもしれない。又、違う思考をしていた並行世界も、それどころか自分は今の自分とは違う性格をした自分が居る並行世界があるかもしれない。
...もはやこうなると、いたちごっこだ。思考の堂々巡りが止まらないので、これ以上は深く考えるのはよそう。
が、まだよく分からない、と言う人が居るかもしれないので、とても簡単な例を出しておくことにしよう。世界その物を木に見立て、その世界が本来辿る世界を木の幹、並行世界を枝と考えよう。そうすれば、自ずと並行世界について理解できる...様な気分になれる、筈だ。
さて、異世界と並行世界の説明がようやく終わった所で、多世界構想論のキモとも言える、世界が同時に複数も存在する仕組みについて、出来るだけ分かりやすく解説しよう。
始めに述べたとおり、世界は膨大なエネルギーを孕んだ無、であった。そして宇宙は其処から、ビックバンの影響を受けて拡大を始め、今の宇宙に至る。その過程に起きた反応は数知れずだが、もしも原始の宇宙に莫大なエネルギーが内包されていた状態でビックバンが起きていたとしたら、どうなるのだろうか?現代世界ではそのエネルギーがあったとしても、普通に宇宙が創造され、(とても限りなく低い確率で)普通に地球が出来、人類が誕生していた。
だが、しかしだ。ビックバンとエネルギーによる反応により、もしも、その際に世界が一つから幾つかに分かれたとしたら、一体どうなんだろうか?
その現象を肯定するのが、この多世界構想論だ。この理論に従うと、原始の世界...すなわち、原始の宇宙はビックバンの衝撃によって幾つかの世界に分かれてしまった。ビックバンと言う強い衝撃、変化。其れが巨大な何かしらのエネルギーと強い反応を起こし、世界、宇宙が分裂しながら拡大した。その際に分かれた世界と言うのが、多世界の始まり、根源である。其れと同時に世界が分かれた際に一緒にバラバラになった物質が、後に其々の世界に違った特色を与える要素を生み出す、と言う訳だ。
...よくよくこれを聞いてみると、単なる子供の想像だと人は言うかもしれない。だが、宇宙、しいては世界の仕組みは、まだ完全に解明されていないのだ。だから、これを間違いだとは言いにくい。物理学やら何やらに喧嘩を吹っかけている箇所もあるにはあるだろうが、証明はされていない。
よって、この理論は、現実離れしながらも過程の一種だと言えるだろう。だから、きっとまだ胸を張ってこう言うのがあるんですよ、と言える筈だ。多分。
まぁ、あくまでも創作活動の為の下地としての理論だが。
さて、そろそろ話を戻すことにしよう。
こうして、宇宙の誕生と同時に多世界が形成されていく訳で、その其々の世界で独自の歴史、理論、種族が生まれる。これにより、異世界と言う確かな区別が出来る訳だ。
所で、この理論には説明をすると何名かが疑問に思う箇所があるだろう。其れは無論、世界が同時に出来るのであれば、其れは果たして何処に存在するのか、だ。
少なくとも、現代世界の外側にあると言うのでは、と言う考えを、此処まで聞いてきた人達は抱くかもしれない。その通り、現代世界の外に在るのが、異世界である。と言うより、自分の居た世界...基、宇宙の何処かに其れがあると言うのなら、その自分とやらが居る勢力圏内にも、少なからず異世界の特色が見られるはずだろう。
うん?でも、例え現代世界の何処かに異世界と呼ばれるテリトリーがあったと仮定しても、ビックバンやら何やらの影響でその方面にしか、異世界に存在する特色を出すような要素が飛んでいったとしてもおかしくない、だって?
...今、とても的確な指摘を受けたような電波が飛んできたような気がするけど、気にしない事にしよう。
人の抱える理論は人それぞれ、自分の理論は自分の理論で、他人の理論は他人の理論。
一々そう言った指摘を受けながら理論を訂正すると、とても大変な事になってしまいます。あくまでも、自分の理論を貫く姿勢でいきましょう。
と、そろそろ気を取り直そうか。変な方向に、思考が飛んでしまった。
現代世界の外側に異世界がある、という所から仕切りなおすが、では、その外側とは一体何なのか?
そりゃあ異世界だろうよ、と、人は言うかもしれないけど、其れなら、現代世界と異世界を隔てる何かがある筈。其れは一体、何なのか?
理論に従えば、其れは膜の様なものである。宇宙が広がりきった先...宇宙の果てにある其れは、その宇宙が宇宙である為の隔てり。世界と世界を区切る壁。物理的な物なのか概念的な物なのかは曖昧なその膜は、確かに存在して、異世界と異世界を分けている訳だ。つまり、普通の宇宙船で宇宙の果てまで飛んでいったとしても、その先...異世界には到達出来ないのである。更にこの膜の先に直ぐ異世界があるのではなく、何らかの空間...虚空、或いは亜空間とも分からぬ何か。が、存在するとされている。この点については、些か不透明だ。
話は少々ずれてしまうが、ネット小説書きの間で一時期話題になった転移、転生と言う物がある。それらはそう言った壁に綻びが生じた際に稀に起きる、何かしらの現象かもしれない。故意的に世界と世界の壁を越えるような現象、或いは技術も、その壁を何らかの形で通過した結果だろう。
兎に角、現代世界においてもしこの理論が成り立っていたとしても、正攻法で異世界へと到達するのは不可能だ。そもそも、今の科学力ではまだ不足する所があるだろうし、何百年経った先の科学力でも、行けてもせいぜい、SFモノでよくある別の星雲か、現代世界での宇宙の果ての一歩手前であろう。
多世界構想論における、多世界が何故存在するかについての解説は以上。次に、この理論での並行世界のあり方についてを、解説...いや、これは最早、自説の展開と言うべきだろうか。自説を分かりやすく、説明しよう。
異世界については、宇宙の果ての先。物理的、又は概念的に存在する膜の様な物によって隔たれた、異なる世界であるとした。では、並行世界は一体、何処に存在するというのか?
此処で一旦、並行世界について説明したことを纏めよう。
並行世界とは、ある世界の可能性として存在する世界。もしも其れが実際に存在するのであれば、元の世界から派生する形で、沢山...或いは、数少なく存在している。いや、存在する数については、定かではない。
そて、これらを頭に入れた上でも、これから説明する事を聞いても理解できる保証は無い...少々、複雑な内容だからだ。が、其れでも、一先ずの形は作っておかなければならないだろう。
並行世界は、果たして何処に存在するか。結論から言うと、異世界とは又違った次元で、現代世界と沿うようにして存在している。是も又、先ほど述べたように何らかの壁によって現代世界と隔てられているとされるが、其れが物理的な物なのか、概念的な物なのかは、この理論ではハッキリされていない。そもそも、その並行世界との間にも、亜空間とも虚空とも分からぬ何かが挟まれる形で存在するとも言われている。この点は異世界と比べて不明瞭かつ曖昧であるが、故に並行世界は存在できるのかもしれない。そう、曖昧が故に、だ。
並行世界の始まりは、多世界が出来てから直ぐとも言われるし、ある程度宇宙としての形が纏まった後ともされる。理論の中では最も有力とされているのが、人類種、或いは其れに同等の種が誕生したその時、といわれている。並行世界は、可能性の世界だ。一定以上の知能しか持たない動物や植物と違い、人類の様な高い知能を持つ存在こそ、多くの可能性を秘めているのだが、並行世界はその可能性に反応して誕生するケースが多いらしい。では、宇宙の創造の過程の様なパターンも数多くの可能性があるんじゃないかと言う話だが、其れは定かではない。決して、スケールが大きすぎて想像もつかないという訳ではない。
そもそも、よくよく考えてみれば、可能性によって分嵯して世界が誕生するか否かが左右されるのであれば。存在する仮定における神などと言った存在するかも分からない不特定要素も、並行世界の有無に大きく絡んでくるのではないだろうか?
...兎に角、曖昧で不透明で、掴めそうで掴めないのが並行世界。と、言う事にしておこう。
某漫画や有名なアニメ、そしてネット小説でも、並行世界はよく用いられた。その世界はそう言う物である様に、我々が故意に手出しできない領分にあるのだろう。
だがもしも、並行世界間を行き来出来る様な事があれば、一体どんな事になるか。と言う疑問はあるだろうから、その答えを用意しておく事にする。その答えは、その並行世界に干渉した時点で、更にその人物が干渉した、と言う並行世界が誕生する、だ。要するに、誰かさんが移動先として指定したその並行世界の本筋には影響せず、干渉したという大きな可能性に従って新たに誕生した並行世界に移動する。
簡単な例を挙げると、世界と言う木に生えた枝から更に派生して枝が生える、と言う事なのだ。
因みに此処からは蛇足であるが、並行世界はある程度並行し続けても、類似した他の世界の可能性と重複する事がある。だが、その場合は纏められる事も何も無い。其れは其れとして、存在するだけである。
次に並行世界と言う現象に際限があるかについてだが、これは恐らく無いだろう。並行世界の誕生は物理的法則に縛られず、寧ろ空間的な法則によって成り立つものだと理論の中では推測されている。仮にもし、限界があるのだとすれば、並行世界と言うシステムは何れは破綻するだろう。その結果、どうなるかは定かではないが...........
『ハッピーニューイヤー!!』
ふと、気が付けば、テレビの中で歓声が上がっていた。
其れに釣られる様にしてハッと時計を見れば、長い針と短い針が十二時を差していた。どうやら、構想の整理に夢中になっていた間に、カウントダウンを終えて新年を迎えたらしい。
迂闊だった。毎年毎年、カウントダウンを一緒に数えながら新しい年を迎えるのを、楽しみにしていたというのに。
やれやれだ。
そんな事を呟いて、溜息をつきながら空のペットボトルを置いたこたつから抜け出す。
そうして窓際に立つと、其処から白い雪が薄っすらと降ってくるのが見えた。今年は珍しく、この土地で雪が降ってきたようだ。すっと見渡すと、他の住宅の中の住人は年明けムードで盛り上がって、この降雪に気が付いていないらしい。
...テレビはつけっ放しにして、少しこの降雪を眺めてから、其れから就寝する事にしよう。今年最初のこの降雪を、独り占めしながら佇むのも、悪くは無いだろう。
そう考え付いた自分は、早速雪見酒ならぬ雪見茶でも楽しもうと、冷蔵庫へと足を運んだ。
出来ればこの光景が、自らの夢を叶えた後も見れる様にと、祈りつつも。