苦悩
彼女達が出ていった扉を眺めて、私はため息をつく。
するとヨルクがそれ見ていたらしく、『どうしたんだ』と声を掛けてきた。
「いえ……ただ、これから大臣から色々と愚痴を聞かされるのを想像しただけですよ」
「おおよそ自業自得じゃないか。昔からシャロットはそんなことで、前任の大臣を困らせるのが大好きだたっよな」
「王たる者は強くあるべきですからね」
「おい、それ半分以上理由になってない」
なんて楽しげな会話を幼馴染みと繰り広げながらも、私の気分はずっと低いままだった。
私はあの勇者達と戦って、分かったことがある。
それは、あの人達には人殺しの経験がある、ということ。
ラミアさんが、私の腕を斬り飛ばす時、その顔には何の感情も写していなかった。いや、写していないと言うよりは、押し殺しているといった方が最適か。消すと言う行為に対して恐怖も戸惑いも感じさせない、しかしなんとなくどこか弱々しくて儚げな、あの眼。
彼女は…いや、彼女達は、人を殺すことを知っているのだと、直感した。
普通、いくら決闘だからといって、同族殺しなどそうそうできるものではない。私が彼女達と同じくらいの頃は、大量に噴き出す血と肉を断つ嫌な感覚に耐えられず、決闘でも負け続きだったのを覚えている。
今でこそ、その感覚にも慣れて、斬るべき時は斬れるようにはなった。しかしそれでも、たまに一瞬考えてしまうことがあるのだ。本当にこの人を斬ってしまっていいのか、と。
それが彼女達はどうだ。片や、会ったばかりの人間の手首を戸惑い無く断ち切って燃やし。もう片や、ちょっと人に当たっただけで死に至りそうな殺人ハンマーを遠慮なくぶん回し。
相手が憎むべき者であるならまだしも、初対面の者を斬れるなど完全な“経験者”である。
なぜ本来無垢であるべきの若き彼女達が、そんなことを知ってしまったのか。………そんなこと、考える必要さえもないだろう。
確実に、勇者などという称号のせいだ。
勇者は、“神々”に選ばれし者だ。神を信じる者にとっては、神の意思を表した存在とも言える。そのせいか、信者の中でも一部の者達は、どこからか(十中八九魔王側の者であろう)勇者の居場所を聞き付けて、わざわざ勇者の元にやってくるのだ。
やってくるだけならまだいい。それだけなら、さして害にはならないはずだ。問題なのは、彼らの一部の者達が『勇者の刻印のある腕』を欲しがる……いや、欲しがったということ。…つまりは、腕を切り落とそうとした者が何人もいたのだ。
信じられない話だが、実際にそういう者がいたと言うことを衛兵に聞いたことがある。
なぜ、彼らは勇者の腕を求めるのか、分からない。
迷惑な話だ。…例え、勇者の適応者を本当に神々がその意思で選んでいたとしても、彼らがその腕を手に入れて、一体何になるというのか。
その己の欲求を満たすためだけに起こした行動のせいで、少女達は人殺しを覚えてしまったのだ。
浮かぶのは、その者達への言い様のない、怒り。
……軽率に決闘に持ち込んだ自らの行動への、後悔。
そして、彼女達を“こちらの問題”に巻き込んでしまったことに対する、尽きぬ疑問。
また暗くなる思考を、ヨルクに読まれないために適当に話題を探す。
しかし出てきたのはやはりと言うべきか、あの勇者達の話題だった。
「しかし今回も、強かったですね」
「あぁ、そうだな。あいつらの将来が恐ろしいよ、まったく。………しかしシャロット、良かったのか?あんなこと喋って」
彼が言うあんなこととは、セシリアさんについての情報を彼女らに与えたことだろう。
確かに、勇者関係の国同士の関係は色々ややこしい。実はあの情報、もし私が喋ったことが他の国にばれたら、確実に国民にまで影響が及ぶほどには、重大とされる情報なのだ。
「これでいいのです。国の駒にされるよりも、私は彼女達は彼女達の道を歩んでほしいだけですから。……これは、私からのせめてもの謝罪です」
「…………。あの勇者には拒否されたが?」
「………あれは……仕方がありません」
3人目の勇者、セシリア・フローマー。
実は彼女は、2か月程前にこの城にに来ていた。『そちらから呼ばれると色々面倒だから』と言う理由で、自主的に来てくれたのだ。そして、当たり前のようにヨルクを余裕で撃破した。
我が大陸の勇者である彼女には、監視兼護衛の兵士をこっそり (本人にはばれてると思うが) 付けていたから、私は全てを知っていた。
彼女もまた、勇者でなければ背負うことの無かったものを背負っていることも。
そして、今日来た2人の勇者は知らない “こちらの問題” のおおよそを、彼女が『知っている』と言うことも。
だからこそ、その時私は謝った。
この問題に巻き込んでしまって申し訳ないと、心の底から謝った。
しかし、彼女はその謝罪を受け取ることはなく。
「『私が嫌いなのは神々であって、決して“貴方”ではない』ですか………」
「………」
「…本当に申し訳ないです……ラミアさんに、ライさんに……そしてセシリアさんに…」
呟きは、小さく消えて。
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瞼を閉じると浮かび上がってくるのは、『あの時』の光景。
青い空、白い雲、緑の木々に、………真っ赤な血。
そして焼け焦げた数分前まで1人の人だった何かよく分からないモノと、防御魔法に守られた、左腕のない1人の人間。
『うぇひひぃっ。随分派手に暴れてくれるじゃないかぁ………』
何日間も洗ってないであろうくすんだ茶色の髪に、濁りきった黄の瞳。残った右手には若干錆びの付いた銀の刃物が鈍く輝いている。
『え、あ……ちが……わたしじゃない…』
昔は幾度となく頭の中で再生された、8歳の時の記憶。私が、初めて誰かの命を奪った時の……ヒトゴロシの光景。
その時の色、空気、音。その全てが、どこまでも忠実に再現されてしまう。……それは感情とて同じだ。何回も何回も同じものを見ているというのに幾度となく感じてしまう、嫌悪感。
一度始まったフィルムの再生は、途中で止めれない。カタカタカタカタ、音を立てながら私の感情を容赦なく抉っていく。
『大人しくしてなきゃ駄目じゃないかぁ。僕だってさぁ、必要以上傷付けたくないんだよぉ?……ま、必要以上は、なんだけどね。うぃひひ』
『あ……や……な、なんで…』
私の引き裂かれた服の袖から覗く腕の勇者の刻印が、脈動を打つようにその存在を現して。
目の前の人間は、それをうっとりと眺めながら、狂ったように不気味に笑った。
『ひひひっ、なんでって、そりゃぁ僕達は君の腕を……いや、神の意思を手に入れるために渡ってきたんだよ。海を、世界を、そして『時』をね………。ま、そこのボロクズはもう君が殺しちゃったけど』
黒焦げの人間だったナニカを一瞥し、ナイフを構えて静かに歩みよってくるそいつ。
『…嫌だ……来ないで…』
『さァ!神の意志を我が身にィ!!』
もはや完璧に壊れている男が私に跳び掛かってくるのを、映画でも見る気分で『今の私』は静かに見守る。
なぜなら、過去の結末は変えられないから。どれだけ変えたいと願っても、変えられないものは夢であっても変えられない。事実も、気持ちも、全て変えられはしない。
『はっひゃあぁぁっ!』
そのナイフが、私の目の前に迫り…………
・
・
・
「―――――ラミア。おいラミア、大丈夫か?」
「ん……?」
ライの言葉に、現実に戻される。そこは、宿屋のロビーだった。
……確か、王に会ってからここに来て、これからの色んな予定を立てていたんだっけか。
…相変わらず気分は最悪だ。
手元を見れば、作りかけの折り紙が。……しかし、何を折っていたのかは思い出せない。よっぽどの重症だ。大抵は一年経ったとしても、折りかけの物は覚えていられる自信がある。
「おい、大丈夫か?」
「あー……うん…」
【疲れてんのなら休んだ方がいいぞ?】
「そだね…。そうさしてもらうよ」
確かに、今日1日で色々疲れた。
そう思って席を立ち、部屋に向かう……前に、ライに聞いておきたいことがあった。
「…………ねぇ、ライ」
「ん、どした?」
「ライはさ、なんで魔王討伐に行くの?」
「はい?」
魔王プレダーの討伐。それは『神に選ばれた勇者』しか可能性がない命懸けの勝負。今回みたいな負けたら生き返れるなどと言うルールは無い。互いに死を賭して戦う、真剣勝負。
ライはなぜそんなものに挑むのだろう。
「…………。俺は…気に喰わねぇからだ。人の町を襲って略奪行為を働いたりしている魔物の指揮をしているのが腹立つ。それに………一回だけ、テイトを…俺の弟を、殺そうとしてたからだな」
最近、祈りの魔法が掛けられた壁を築いていない村を襲う魔物が増えてきたのだ。今までは大体そういうのは1グループのみでの襲撃だったのだが、最近5グループくらいでまとまって襲撃する事件が多発しているらしい。
そしてお偉いさんなんかは、これが頭脳ある魔物の仕業じゃないかと騒いでいるとかなんとか。
と言うか、2つ目のは初耳だな。……って当たり前か。次の王の第一候補とされているライの弟が狙われたとなると、大混乱になるから。
………なるほど。ライは、そういう理由か。
確かに、家族が狙われたのなら、多少危険でも魔王を討伐する気にはなるだろう。
「………うん、参考になった。ありがとう」
そうして立ち去ろうとする私を、ライが呼び止めた。
「いや待て。…ラミアはどうなんだ?ラミアはなんで魔王に挑もうとする?」
なんで、なんだろう。
なんで、こんなことをしないといけないのだろう。
なんで、神様は私なんかを選んだんだろう。
………戦う、理由さえもないのに。
「………分かんない」
「…………そか。引き留めて悪かったな。じゃ、おやすみ」
おやすみ、と。
―――私がちゃんとその言葉を言えたかどうかは、分からない。